司馬遷が宮刑になったとき、男根と陰嚢が取り除かれ、尿道には栓が詰められました。それから横にされ、2,3時間後、執刀者に抱えられて歩き回り、三日後に尿道に挿入された栓が抜かれました。

以上は横山光輝の『史記』からです。私が理解できないのは、なぜ(1)尿道に栓が詰められる必要があったのか?出血を止めるため?
(2)なぜわざわざ摘出後歩かされたのか?絵を見ると確かに両脇を支えられ強引に歩かされていました。リハビリというよりも別の目的がありそうです。

現代医学の見地からみて、これらの質問にどうお答えいただけますか?

A 回答 (1件)

(1)切り落とした後、傷で穴が塞がってしまうと排尿が困難になりますので、直ぐに詰め物をして穴を確保したのではないでしょうか。



(2)切り落とす時、何かクスリとして麻薬のような傷み止めを使ったと思われますが、これは血管を収縮させますので多少血を止める作用もあると思います。しかし、クスリを使っても使わなくても、血を十分に流さないと細菌が繁殖したままで感染が広がりますので、術後動けるようになったところを見計らって強制的に歩かせて患部から血を流させたのではないでしょうか。宮刑は死刑ではありませんので、抗生物質のない時代、そういう方法で死に直結する恐ろしい細菌感染を防いだのではないかと想像します。
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