プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は人生でほしいものがただ1つあり、そのために生きてきたのですが、本当はそれはほしかったわけではなく、単に生をつなぐ命綱のようなものだったんだと最近わかりました。
そして人生に目的や意味なんてなく無意味なんだな、とつくづく思い、気力がなくなり、自分が固執してきたものや生き方が色あせてみえ、その他にはこれといって何をしたいわけでも、何が欲しいわけでもなかったので、そんな中であと何十年と寿命があるんだ、と思うとその重圧に生きるのが苦痛になってしまいました。
私には目的が必要だったのかもしれません。でもその目的が形骸化してしまった今では何も手に残っていません。特にこれといった趣味もなければ楽しみも取り柄もない人間です。
こういうとき、どうすればいいのでしょう

A 回答 (20件中1~10件)

私はまだそんなに人生長く生きていないので、アドバイスは出来ません。


ただ記事を見た時に、私みたいだなと思いました。
私は今の自分の価値はと聞かれたら答えられない、つまり価値が薄いという事です。もし私に何らかの価値があるとしても、それを見出だせていない状況です。だから昔から、未来に価値を委託してきました。目標を作るということです。無価値だと一度信じてしまえば、どうなるかが怖かったからです。
ただそういうのを信じようとするのには、エネルギーがいります。
質問者さんに適切かどうかはわかりませんが、私がエネルギーの補給源となっていたのは、バンプオブチキンとナナムジカ、多分ラッドウィンプスもいいと思います。もしエネルギーが充填できた時には、村上龍をお薦めします。村上龍の本はきついので、エネルギーが必要です。
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音楽を聴くのはとても良い手段の一つだと思います。

現代人が挫折や切迫感を感じやすいのは自然が少ないからというのが有ると思います。人工的な社会では人は『ただ、生きる』という単純な事すらも解らなくなりがちです。そんな時に自然の多い田舎町等へ行くのも一つの手段ですが人によっては寂しさを助長するだけで逆効果(時に危険)な場合もあるのであまりお勧めは出来ません。クラシック音楽の中でもバロック(私もあまり詳しくは有りませんがバッハ・パッヘルベル・ショパン・ベートーベンの明るい曲)等は自然を何とか音楽で表現しようとした手段の一つなのでお勧めです。これからは寒い時期が続きますが木漏れ日や暖かい日差しもあります。そんな中でイヤホンでもいいので景色を眺めながら(空だけでも良いので)音楽を聴くと、『自分は活かされている』という事を自然が教えて下さるかもしれません。かの沢庵和尚(漫画からなので済みません)も『人生の無常(無情)を知りて生の有り難みを知る』と悟りを得たと書いてありました。和尚が言う様に私は貴方の辛さを分かってあげる事は出来ませんが、深い苦しみを抜けた人だけが見える世界がきっと有ると願って止みません。
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こんんちは~


個人的な考えです。
人生は遊びなんだから、遊びは楽しむだけなので、価値もへったくれもない、という考えです。
基本、本当の本当の本当にこの世にかちのあるもの、があるとは思えません。それは、この世は無価値だというのではなく、価値は、何もないところに、人が考えてつけるもので、その人の価値を計る物指しによってころころ変わります。
価値が相対的な本質のないものだ、という前提に立てば、価値は確かに存在します。つまり、2次的には、価値も無価値も確かにあります。
価値と無価値は紙一重ですし。


価値依存症? という気がしました。もっとも、それは僕もいれてすべての人にいえると思いますが、大なり小なり。


自己存在と、他者との関係性に価値を見出すのが、たぶん本質ではないか、あるいは、今は必要ではないか、と思います。
自己肯定や、あるいは他人との関係で嫌いな人を好きになるとか、などなどです。
大嫌い=絆が深い、重要である、という意味です。
自分にとって良くも悪くも重要度のある人との関係は問題ないですか?
その価値のほうが、その他の目的の価値より、質的に上だと思うので。


人間の発想も感性も感情も、無意識の状態によって決まります。
無意識が今の自分を作ってます。
できればその無意識を塗り替えたい。
そのためには、今までなぜか避けていたこと、目を向けなかった対象~~つまり目を向けなかったからこそそれは無意識レベルでとどまって意識化されず、自分の人格に影響を与えてるのですが。
そういう対象の検証はひとつの手じゃないかしら?
辛いかもしれないですが。


価値依存ー価値がある、といってテンションハイになるのも、価値がない、といってテンションローになるのも、50歩100歩です。
全く正反対でありながら、第3者から見れば、似たもの同士です。
悪い例えですが、麻薬をやってても、薬をやってたらテンションハイになり、薬が切れたらローになります。
どっちもあまり良くないです。主観的に辛いのはもちろんローのときですが。


今は目に見えない麻薬にやられちまってる状態なんだ、と考えるのはどうでしょうか? あるいはある種の洗脳状態とも思います。
つまり無意識という名の前提条件がおかしかったので、袋小路に入った状態です。

余裕のあるときに、余裕のある範囲内で、それに焦点を、意識を集めてください。習慣になったらしめたものです。

もちろん人の力を借りる勇気も大事です。
決して相談相手に頼るのではなく、参考になる意見を集めるのだ、というスタンスでです。
カウンセリングなどでも依存心は絶対ダメですし。
主体的に人に頼る、という姿勢で、自己観察して欲しいです、余裕の範囲内で。

特にそれは気持ちの中だけでやるのでなく、具体的に紙に起こしてください。僕はよくワードに書きますが。
自己客観視にこれほどいい手段はないと感じてます。
頭の中だけでぐるぐる考えるとさらに精神的に疲労して、うつなどの病気を近づけますし。

自分に優しく、しかも着実な手をうつ、打開には必要な姿勢だと思います。


・・あるいはこのアドバイスが的をはずしてるならそれに越したこともないのですが。違ってたらすみません。
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結局、人間の頭なんてちっぽけなもんで、 神様じゃなきゃ ほんとのkonan0404さんの苦しみなんて、これだけの文の中からほんの少ししか解からないです。

    私は凡人ですしね。

だから ついいろいろ書いてしまうのですが(もしかしたら そのうちの一つでもそちらに役立つかもしれないじゃないですか。)

もうひとつ、

>私には目的が必要たったのかもしれません。<の部分に、わたし自身の昔の悩みが重なり、心にひっかかったもので書いてみます。



むかし、私は 北海道の人さへこちらのほうが寒さはしのぎにくいという山風の吹き降ろす寒い地方にて、酪農の手伝いをしていた時があります。

若かったので 薄手の作業着しかもってなくても、それがその地方でのあたりまえのことと思い込んでました。(都会育ちなもので)

風の中で一日中作業すると、体はこごえきります。

時には寒さで地獄の想いをしました。

私の寝るところは、部屋の中も夜は、0下5度ぐらいの(気温計があった)の隙間風の吹き込む掘っ立て小屋、 なんと布団は一枚でした。

若気の至りとはいえ、今から考えると 考えただけでぞっとしてしまいます。

で、ふとんの中に入っても、一時間ぐらいは実は歯をガチガチさせたままなんです。 ちっとも温かくならないんです。  冷え切ったからだはそのまま疲れてそれでも眠りにつきます。

そ、そこまではいいのですが、 朝 起きるときに  あの  始めて布団の中が暖かいんです。  冬の長い季節の中で その時だけ!  でも酪農は朝早くから起き出さなければならない。  

その ふとんから 這い出すのがつらいのです^^。  今からですと笑い事ですが、 わらいごとじゃないです。

涙をどんなにこらえても、目からは涙がポロポロでてくるんです。

そんな冬の 最中 その暗い森の片隅の掘っ立て小屋にて、それでも わたしにはある目的があり、 そのためには心を鍛えたくて、

なななんと、 その小屋の土間の隅にあった時どき、昼間に薪を集めておいて入る五右衛門風呂に  ちょうど氷が張ってるのを見て、 私は 心を鍛えるために、このこごえきった体でこそそこに飛び込んでみようと決心したんです。

冷え性のしかも寒い土地に慣れてるわけでもない、虚弱体質のやせこけた私が すっかりひえきったからだで 祖の地獄の中からさらに氷の水のなかに飛び込むのは、  体の頑丈な人たちの滝の修行とかの域をこえています。

もし、  もしその時、 そこに飛び込んだとたん、逃げ出していなかったら おそらく私は 次の日死人としてそこに発見されたでしょう。

わたしは そこに飛び込んだとたん、飛び出していたんです。

激しい敗北感とともに 裸のまま土間に倒れていました。 なぜか倒れていました。

そして、わたしの体は 蛇がにげるみたいにはいずりながら かっこ悪くふとんにむかって なきながらはいずっていました。

でも

でも Konan0404さん。

その時、 突然、急に その冬の、心まで凍りつくような寒さの中で 始めて、 心はぽかぽか 温かくなんたんですよ。

実際には 自分で気がついたんですが、 こんな声が聞こえてきたような気がしました。

それでいいんだよ。 敗北したんじゃないんだよ。 それが命じゃないか。 気がつくんだ。 ほら、 弱い弱いその命のままで  その命ってどんなに大切か。  どんなに大きいか。 どんなに暖かいか。 どんなにすごいか。 今気がつくんだ。   違うんだよ おまえは、いま、勝ったんだよ。

うわあああああっていう感じでした。 なんなんだこれは。  なんなんだ、この今心に浮かんだ 人間の大きさの世界って、

そうか、そうだったのか。  当たり前の命が  そうだよ、今こうして布団に生をもとめて自分の命のためにはいずるという当たり前のことさへ、
 
宇宙 命が誕生して以来連綿と続いてきて、ここにあり、  そしてあたりまえのことを大事にしてきた人間の営みの続きがここにあり、

そうか そうだよ。  これでいかったんだ。  弱くても弱くても ただあたりまえに、人間として生きることって  こんなにも 大きな


大きな 大きな 大切な大切なことだったんだ。

山風吹き降ろす 極寒の地獄の中にて、  わたしの心はその時 太陽を見ました。



アメリカで、一郎選手の次に有名な日本人は誰だか知ってますか?

吉田ソースの会社から始めて 18種類もの会社を経営し、今では世界中に会社を広げている吉田社長なのですが、

彼は アメリカの見知らぬ土地にて、家族ともに苦労していた時、娘が命にかかわるような病気にかかり、 なんとしても助けたい、 自分の命と引き換えでもこの子を助けてくださいと、 生まて始めて神に祈ったそうです。

そんな時に、地方にあった村の病院では 24時間体制でチームをくんでその子をたすけてくれたのだそうです。

そして、お金が払えず困った顔をしてたその当時の吉田社長に 病院はお金なんていつでも 払える時はらってくださればいいですよと言ったそうです。

その時 吉田社長の人生観はすべて変わってしまったのだそうです。 すべてがこのときの恩返しのために生きてきたというのです。

そのためにはお金がなくちゃ。 起業の情熱はすべてこれだったそうです。

今 その激務の最中、なんと10何種類かのボランティアの理事もしています。 巨大な目的をもって生きてる方です。

でもそんな彼が こう 言います。  

「目的? そんなものはちいさければちいさいほどいい。」

目的は必要だけど 小さくていいんだよ。というのです。

いえ、彼自身、ちいさなちいさな当たり前の命が その後の人生のすべてとなった人です。

だからこそ、大きくいことをすることも むしろそれが必要ならば なんの抵抗もなかったとも言えるでしょう。

しかし、事実それがゆえ大きな行動をしていても、心の中には、 あの小さな命への祈りほど大きなものはなかったことを  彼は誰よりも知っている人のひとりなんでしょう。



>今では何も手にのこっていません。<

なら 今から こんどこそ新鮮な気持ちで 何か始めればいいだけなんやないですか?

あたりまえでいいじゃないですか。 ちいさなことでいいじゃないですか。

楽しめたら それは 宇宙にほかに無いんです。

あなたのその心の中にしか。 そしてそこからすべては始まります。

ちょうど、きょうは、31日ですね。

大丈夫ですよ。

どん底まで闇をあるった人間は強いんです。

倒れなかった人間より 倒れて起き上がる人のほうが強いんです。

暗い洞穴を歩く旅人は 最後は絶望の淵を見ます。(わたしも 別なことでですがそういう時何度かはありました。) でも、 その時にくじけずにいると最後に ほんの一点でも 出口の光が見えてきます。

そして、もはや、再び転んでも傷ついても その人は歩き続ける人となります^^。  はっきりいいます。 それが人間の脳です。

だから、倒れない人より 強くなっているんです。 そんなもんです。

ちょうど 31日、  くぎりですね。

Konan0404さん、  新しい♪出発の時ですね^^。
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下で発言したtaparonです。


>もう少し耐えてみます。
真面目な方なんですね。そして苦しんでいらっしゃる。
内省力は非常にあるように思われます(これだけでも凄い取り柄ですよ)。
そういう方は、こういう迷いに苦しむことが多いと思います。真面目な人は必ず迷うものです。
もっとも、この質問だけでは詳しい事情は私にはわかりません。
ただkonan0404さんの言葉を読んでいると、konan0404さんの無意味感や無価値感は、結構、根が深いかもしれない、という感じもしてきました。

もし、あくまで万が一のことですが、あまりにも長い期間、強い無価値感が続いたり、あまりにも苦しかったり、酷い憂鬱や不安が出たり、などといったことがあるようでしたら、精神科医のような専門家に相談してみる手もありますね。私には判断はつきませんので、あくまでも単なる参考意見として読んでください。
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なんの執着ももたずにただ淡々といきればいいでしょう


それが嫌なら
その目的を探す旅だと思えばいいでしょう
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今までは目的があり


現在はない。

そして空虚を感じていると。

しかしどんなに複雑でも、矛盾した思いでも、あなたはどこかに運ばれていき、なにかを見つけて思うでしょう。

それが運命だそうです。

とりあえず空虚に生きてみましょう。

案外良いものですよ。

それまでと違った生き方は戸惑いますが、新たなものもあるはずです。
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私の最も尊敬する哲学者の言葉が今のあなたにぴったりだと思います。



http://www.nicovideo.jp/watch/sm3803569
(アカウントが必要。1:37秒くらいから)







この動画ほどの技量をもってしても、それは意味の無い行為です。
そう、人生に意味など無くともよいのです。
目的が無い。これを重圧に感じる必要すらありません。
なぜなら人生には意味が無いのですから。




大抵の人間は夢だの目的だのを持つことを強要されますが、
それは夢に支配され、自由を失うことと同義です。仮に成功した
としてもその成功によって積み上げられたモノを守る責任が生じ、
望んでいない仕事を強制されるのです。
しかも『自分の夢の成功の結果』という、抗いようの無い足かせをはめられて。




繰り返しになりますが人生に意味などありませんし、要りません。
そしてあなたは今、自由です。この2点の事実はとても
素晴らしいことであると思います。
この先何十年も、何も強制されない。支配されない。
もちろん何かをしたくなったらしてもいい。
こんな羨ましい状態は他に無いです。あなたの状態は重圧どころか
すべての人類の希望とすら言えるでしょう。


とりあえず、今したいことが無いのならば、
ゆっくりダラダラしたらいいと思います。ああ羨ましい。
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人生の中で無価値と自覚する時はあるように思えますし、無価値と自覚することも必要ではないかと思います。


あながち、自分に価値があると信じているだけでは、限界が必ず来るものです。
意味付けや価値付けは誰でもない自分自身が付けるものです。
自分の知っている世界が全てに通じると思い込んでいるといつの間にか守りになってしまい、周囲や環境を激しく非難したり、自己否定になったりと、心が忙しい状況になりやすくなります。

無価値と知ることで、自分が知っていた世界、信じていた世界が絶対ではないことが頭で知る世界から在り方(心)で納得する世界になるのではと思います。
これからの人生、自分だけの世界ではない、もっと意味があり、価値があり、それらを周囲や環境と共有共感できる生き方を見つけることが、あなたにはできると思います。
そのチャンスが今のあなたの手にある。今までの生き方とこれからの生き方の隙間にいる。
そんな状態なのではないかと、自分勝手ですがそう思いました。
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失礼な言い方かもしれませんが


何の言葉も何の理屈も届かない
そんな感じでしょうか。

私もそういう体験があります
何も手につかず、何もする気になれない
誰の言葉も本当には聞く気になれない
・・・・・・・

私の場合はというと
自力で脱出したのです
結果的にはです

ベストマイフレンドという本が昔ありました
最良の友は自分自身である、という内容でした
もう一人の自分との対話の中に生き方の答えがある、という事でした

少し冷たい回答になってしまったかもしれませんね
でも、誰でもが迷って
最後には自分で答えを出して生きてきたのです

あなたの質問の内容を見ると
客観的にご自身を深く見つめていらっしゃる、ようですね
答えはもうすぐそこにあるのではないですか
私から見ればそのように思えます。

ただし
どうしても分からない時、
どうしても判断がつかない時
いくら考えても答えの出しようがない時、ってあります

人生ギリギリでどうしようもないって時には
自分自身を丸ごと投げうって問いかけてみる、という事もあります
自分の人生を預けるつもりで聞いてみる、という方法です

まだ、そこまで行っていないようにお見受けしますので頑張ってください。
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