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 自分は長らく、急ぐときは人ごみは自分のほうから体をよけて歩くのが普通なのだと思ってきたが、ひょっとしてそう思っているのは私だけなんじゃないかと思うときがたびたびある。むこうから歩いてくる人の肩が、右も左も前に突き出そうとせずに、つまり進行方向にたいして縦に体を動かそうとせずに、まるで「この道は自分のものだ」と言わんばかりに突進してくる感じがなんとなくするのである。そして時々これでは、こっちが当たられるんじゃないかと思うほど殺気めいたものすら感じるのである。もし仮に”ジェームス・ボンド”ばりに洗練された態度で歩くなら、さらりさらりとよけて、当たりそうになると「失礼」なんて言って、カッコよくさらりとこなすんじゃないかと思ってしまうんだけれど・・・。しかし最近、これはひょっとして自分が内心、当たられる恐怖感を抱いているから、このように思うのではないかと思うようにもなってきた。
 自分はまっすぐ歩く性分である人はそのわけなんかをここで書いてくれると、少しは自分にとって参考というか安心につながるかもしれないと思い質問項目を作ったのだけれど、もちろん私のように思っていて、これはマナーなのか心理的な弱さなのか分析できる人がいれば、いろいろ書き込んでみてください。だんだん人ごみが嫌になりつつあります。どうぞよろしく。

A 回答 (8件)

101101さんこんにちは。


私も昔は都心に勤めていたので、あの人ごみはイヤでしたよ。
今は勤務地も地方都市になったのでそういう環境じたいが懐かしいくらいです。

そして私の場合は、101101さんとは逆に「人ごみをすり抜ける」歩き方を身に付けるようになりました。
私はだいぶ前からダイエットと健康を兼ねて、早歩きのウォーキングを日課としているため、通常の歩き方もどうしても早くなってしまうんです。
そうなると、人ごみでは前を行く人が遅く感じて、イライラのストレスが溜まる一方でした。
そこで、一瞬の隙間をぬって歩く習性が自然と身に付いてしまいました。
もちろんぶつけられたり、こちらもぶつかったりするのはとてもイヤなことです。
でも、そうしないとそれ以上のイヤな思いで日々歩かないといけないので、多少の肩の痛みは平気になり、ぶつかられた場合も気にしなくなりました。
もちろん常に自分の方では「すり抜ける」ことを目的としているため、ぶつからないように注意して歩いていましたけどね。

でも外国からの観光客からも、この日本人の「ぶつかるのが当然で謝ったりなんかしない」という態度はとても不評のようです。
外国は多民族のせいか、ちょっとしたことでもイザコザに発展する可能性があるため、道行く人とのコミュニケーションは他人であってもとってもフレンドリーだし良心的です。
それは屋外に限らず、店舗などの建物の中でもそうですよね。
何かあっても必ず一言があります。
それが101101さんのおっしゃるジェームズ・ボンドばりの「失礼」になっているんじゃないでしょうか。
とても自然ですよね。

こればかりは、単一民族にありがちな「馴れ馴れしさ」が前面に出てしまっている悪習じゃないんでしょうか。
「ちょっとくらいぶつかったからて、同じ日本人なんだから目をつむって」という”村意識”です。
101101さんも、あまり深刻に考えずに、今後もきちんとよけて歩いていけばいいと思います。
他のこともそうですけど、他人のマナーにまで神経をすり減らしたくは無いですよね。
「自分はできるだけのことをやっているんだ」と胸をはって歩きましょう。
(もちろんよけるべき所はよけてね)
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この回答へのお礼

 お言葉を頂いて、吹っ切れるようなすがすがしさを感じました。私は海外経験が無いクセに下手にジェームズ・ボンドなんて例を出して、少々気が引けてたんですが、考えてみればそのとおりですね。普段馴れ合っているからこそかえって、その反動で”自分が歩くんだ”見たいな態度でズカズカ行く人もあるかも知れませんね。あんまり自分を変えずに生きていいことになりそうなので、ホッといたしました。ありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 12:33

101101さんの質問の最初の3行、私も数年前に突然気が付きました。


結局その後も同じように歩き続けていますが、狭い歩道を横に2~3人並んで歩く人たちとすれ違うような場合は自分から避けずに、通れなければ立ち止まるようになりました。自分たちのマナーの悪さに気が付いてほしいと思うので、ちょっとした意地悪です。(笑)

私は、あくまでマナーのつもりでそうしています。でも、よく考えるとアカの他人と接近する不快感がそうさせている部分もあるかもしれません。(恐怖ではありません) 電車を降りる時できるだけ早めに降りて、混雑するエスカレーターを避けて階段を上るのと同じ心理。101101さんも同じタイプ?

人ごみにストレスを感じるのは恐怖でも弱さでもないと思います。ごく当たり前の感情です。私の夫などは遊びに行くなら屋根のないところ(つまり山)と決めているくらいです。
お気になさることはありません。
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この回答へのお礼

 優しいお気遣い感謝します。前のほうに横にズラズラと並んで歩く人たちがいて、彼らを自転車で追い抜かないといけないとき、ベルを鳴らすのに多少戸惑います。いつかは内心「こいつらGメン'75か」と思い、口笛でテーマ曲を吹いてしまったという大変馬鹿馬鹿しい意地悪話を持ってます。赤の他人と接触してしまうのではないかというのは、テレビでたしか車内暴力の特集で両手の届く範囲を超えられると不快になる、というようなことを言っている人がいましたが、そういうものなのかしらということになりそうですね。お答えありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 12:20

こんにちは。

 30代女性です。
新宿西口方面に勤めています。

私もよけて歩きます。 というより、こちらに主導権があるんだという考えで歩いています。私がよけるからみんなはフツーに歩いていて結構よなんて具合です。
場所がらか歩いている人は様々で、お年より、ビジネスマン、外国の方、ヤク○風の方、、よけずにはあるけない状況なので相手によけてもらおうなんて、最初から期待してません。(^^


新宿に勤め始めの頃はあまりの人ごみのすさまじさにまともに歩くこともできず、頭痛すらしました。
しかし、自分で歩き方を工夫したり、お見合いをせずに歩けるようになると人ごみをすり抜ける快感が生まれてきたりします。

私は人ごみをよけてあるくもの、とかマナーとか考えずに、相手の動きを読んでいかに自分にとっても相手にとっても都合よく行動するか、、なんて風に考えています。
 
もちろんぶつかってしまったときは謝ります。 どんなささいな衝突事故でもね。
朝の通勤時などは特に、プライドを保つ為に歩いているわけではないので、目的地にいかに早く、スムーズに、気持ちよくたどり着けるか?ということに重点をおいていますよ。
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この回答へのお礼

 まったく「慣れ」というか「生活の知恵」を感じさせますね。新宿・池袋はひどいですね。なんか肉の塊ですよ、あの大群は。そのなかで歌ってるのがいたり謎の人物が立ってたりで、つい私なんか横を向いて気にするところもあるんですよ。一体こんなところで何売ってるの、みたいにね。こういうタイプの人間なんで「前しか見ない」生き方が主流の現代とは、多少摩擦があるのかもしれないことに気がついたですね。どうもいいヒントになりました。

お礼日時:2003/01/31 12:05

なかなかよけるのも難しいものです。


二人して同じ方向によけて さらに正面衝突なんて こともありますから。
だから、私は相手をじっと見て、相手の心理状態を探りながら、判断します。
どちらによけるべきか ですね(笑)

ま、常に 遠方を見渡し、前からくる人は、早めによけておくというのもひとつの手ですね。
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この回答へのお礼

 同じ方向に避けて正面衝突で思い出すのは、とくにお年寄りの自転車が避けてくれるのか、こっちが避けてあげなくてはいけないのか、大変混乱する事です。で避けてやろうとすると、なんか怒ってるらしいんですね。危ないじゃないかって顔するの。どうしたらいいんだろうねー。相手の心理の葛藤を瞬時に判断できればいいですが、単純に反射神経の問題として、例えばこっちは宇宙船であっちは隕石の大群だ!みたいに捉えて割り切って行かなきゃだめなのかしらと思ったりして、いちいち自分に言い聞かせるのもエネルギーの消費を感じます。お答えありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 11:54

こんにちは。



人ごみだと、前を向いていないひとがおおくて
困ります。
自分は、どちらかというとよけるほうです。
ぶつかられてもいやなので。
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この回答へのお礼

 「周りはなんて自分勝手なのだろう」と思われるのでしょうね。私もよくそう思います。そこでオレにも自分勝手にさせろよみたいな怒りが、時々湧き上がりませんか?私はよくあります。そういう時は、周りが一人一人ではなく、一体の肉の塊のように見えたりしますね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 11:44

私も同じようなことを考えたことがあります。


すれ違う人(他者)のことをおもいやることのできない人は、体をよけたりしませんね。また、譲ることでプライドが傷ついてしまったりする人も、譲れないでしょう。そんなところで競わなくてもいいのにね。
道で体をよけて歩けるのは、能力や精神的余裕のある人の特権ではないでしょうか。
・・・ほとんど人とすれ違わなくてすむような田舎から出てきた人も、馴れていないとよけられないかもしれないなあ。
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この回答へのお礼

 譲る事で傷つく・・・そうそうそれなんですよ。なんか悔しいのね、いつも譲ってるじゃないのみたいな気にさせられるのです。そこで余裕があるかないかが試される、ということですが、この余裕はどこから出てくるかというテーマは興味深いですね。非常に重要なことと思われます。ありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 11:38

もしよけて歩かないのが普通だと、そこらじゅうでぶつかりあってしまいますね。


なにも体を縦にしてよけるのだけがよけ方ではありません。
歩くスピードを調整したり、やや右方向や左方向に向きを変えたりして他人とあたらないようにしています。
たいていの人はそうしているのではないでしょうか?
歩くスピードを早めてぶつからないようにしている人をみると殺気だっているようで怖いです。
人ごみの中を歩くときは、その人ごみのスピードに合わせて歩くと人とぶつからずスムーズに進めます。
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この回答へのお礼

 「調整」という内的な作業が器用でないんですね、私は。しかしやたらとそういうのに器用なのも殺気というのか、まあ私個人の劣等感から来るものなのでしょうけれど、才気を感じやすくできているのかもしれません。これは果たして能力なのか。こういうこだわりから開放されたいですね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 11:31

人混みは 避けて歩くモノだと思います。


同じ進行方法でも、 人と歩くペースが違えば、
接近するので、 避けて歩くでしょ。
地方により 歩くペースが遅いところでは、人の間を縫って歩きます。私は 大体5cmくらいの間隔で相手の肩に当たらないようにしてます。
ぶつけたら 謝らなければならないし その分遅れます。
それか、道路の端をすり抜けます。
地下街では特に混雑するので、空いた道を把握しておいて
歩きます。 人混みはイライラするので避けたいです。

普通の人は ほとんど真っ直ぐ歩くでしょうね??
障害物が有れば 避けると思うけど。
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この回答へのお礼

 5cmでよけるというのは、なかなか器用な「見切り」ですね。多分そういう器用さが無いんですよ、私の場合は。電車の車内暴力も自分の空間に、大体手を伸ばすあたりまでの領域に入ってこられたら不快だから、起こるんじゃないかと説明してる人がテレビ番組で出ていたけれど、それを加味すれば5cmというのはきわどく感じますね。都会は次第に嫌なところにならざる得ないんでしょうか。どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/01/31 11:26

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