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例えば

課長の言いたいことも分かる。だが、
「怒ってばかりでもダメですよ」
と言ったらまた怒られた。

といった文の途中で会話が入る文章の場合、「だが、」の「、」は入れるのが正しいのでしょうか。それとも入れても入れなくてもどっちでもいいという扱いなのでしょうか。
また、文の流れ的に「、」が入らない場合は何も入れずに会話に移っていいんですよね。
なんか文章に「。」とかで終わっていない部分があると、本当にこれでいいのか不安になっちゃっうもので教えてください。

A 回答 (3件)

この例ですと、「だが」が適切かどうかの問題はありますが、それはさておき。



課長の言いたいことも分かる。分かるのだが――
「怒ってばかりでもダメですよ」
と言おうとしたら、言う前に怒声が飛んできた。

というような、記号で終わる文章も正しく、こうした場合には句読点の有無はどちらでもいいのです。
なぜならば、句読点というのは、そもそも「読みやすい」ように作られた記号だからです。
読み手にヒントを与えているわけで、読み手が十分に読めると思えば打たなくてもよいのです。たとえば、公の表彰状や感謝状は、句読点は一切ないのが普通です。それから戦前の詔勅もそうですね。
日本語は漢字かな交じり文という独特のスタイルによって、文節を区切らなくても読めるという特徴を獲得しています。このため、戦前の旧漢字旧カナ文書では、句読点がないほうが普通でした。
もちろん、現代の文章は、そういう昔の例ではなくて、いかに読みやすくするかが問題ですよね。
そう考えると、正しい句読点の打ち方というのは、読み手にとって読みやすい文章であるか、という視点から評価する必要がありますし、それだけで十分です。
句読点については、被修飾語を明示する役割がよく指摘されますが、そういう文例を見ますと、むしろ文章構造そのものを考え直すべき事例だと考えます。
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LTCM1998さんに同感です。



> 日本語は漢字かな交じり文という独特のスタイルによって、文節を区切らなくても読めるという特徴を獲得しています。このため、戦前の旧漢字旧カナ文書では、句読点がないほうが普通でした。

古い時代につくられた法律の条文が、まさにこれにあたります。15年ほど前から、「法律の条文の口語化」が実現し始め、最近の主要な法律は、そのほとんどが現代的な表記に改められましたが、そうなる前は、「内容以前に日本語として読めない」状態でした(笑)。
これらの条文で読点が使われていたのは、名詞が列挙される場合に限られていました。

kazefuku4さんが示している例文で言えば、
(1)彼は、裸のまま光っている電球を見つめていた。
 →彼は光っている裸電球を見つめていた。
(2)彼は裸のまま、光っている電球を見つめていた。
 →裸のまま、彼は光っている電球を見つめていた。
と書けば、どちらも誤解が生じませんよね。

逆に言えば、
●彼は裸のまま光っている電球を見つめていた。
という文があった場合、(1)の意味に解釈しても(2)の意味に解釈しても正解ということになりますし、読み手がどちらにとったとしても、書き手にとっては自己責任ということですね。
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以下ご参照ください。



句読点のつけかた

 「、」が読点。「。」が句点。
 句読点は、文章の息つぎのようなものです。読点がないと息が苦しくなるし、ありすぎると息があがってしまいます。

  × 読点がないと、息が、苦しくなるし、ありすぎると、息が、あがって、しまいます。

 また読点をつける場所によって、文の意味が違ってしまいます。

    彼は、裸のまま光っている電球を見つめていた。
    彼は裸のまま、光っている電球を見つめていた。

 書いた後に声を出して読んでみると、読点の間違いを見つけやすいでしょう。

それと、もう1つURLを。
http://homepage1.nifty.com/akshiba/kotoba_mozi/k …
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