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精進料理って植物性のものだけで作りますが、これは仏教の教えで、殺生を避けることから来てるんですよね。
だとしたら、動物を殺さずに手に入る牛乳と卵(有精卵なら殺生になるでしょうけど)なら、食材に利用してもいいと思うのですが、どうでしょう?
ダイエットが目的の菜食主義とは、趣旨が違うのですから…
どちらも、動物と仲良くして分けて頂くものだから、むしろ仏教の教えにかなっているのでは?
確かに牛乳は和食には利用しにくいですが、それでも工夫すればいろいろできます。
卵なら、もっと普通にできますし。
でも、両方とも実際には使われてるのを見たことがありません。(ちなみにうちの宗派は真宗大谷派です)
仏教には詳しくないのですが、何かもっと深い教義があるのでしょうか?

A 回答 (4件)

>どちらも、母体を犠牲にするほど搾取してるとは思えないし、それで仔牛が飢え死にするとも思えませんし。



そのとおりです。しかし、卵や牛乳を作り出すために鶏や牛は大量の草を食べています。それより植物を人間が直接食べる方がうんとその量が少なくなるなるという意味での殺生の節約なのです。
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この回答へのお礼

再度、ありがとうございました。
なるほど、奥が深いんですね。
確かに、卵や牛乳を生産するための鶏や牛は、大量飼育ですから自然の状態とは言えませんね。
いろいろ参考になりました。

お礼日時:2009/01/07 10:43

動物は所詮は他の生き物、つまりは動植物を殺してこれを栄養として取り込むことで生命を維持して行く宿命を背負っていますから、これを殺生というなら殺生から逃れることはできません。

しかし、できるだけ殺生の量を減らして生きるということに徹しようとする意志から精進料理というものが生れたのです。その意味では草食動物は多量の植物を食べて成長し、生き続けており、肉食動物は更にの草食動物を餌にして生きています。
 だとすれば、できるだけ元の植物に頼って生きるのが一番殺生の量が少なくなるわけで、それが今流行りの言葉で言えば自然に優しい生き方ということになるという意味で、精進料理の存在価値が今見直されているのでしょう。そのような見地に立てば、牛乳も卵も生命の浪費をしているということになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
菜食が殺生を最小限にできるというのは、私にとって新鮮な考え方でした。
確かにおっしゃるとおりで、人に限らず全ての生き物は他の命を代償にしてしか生きられない、悲しいサガですね。
釈迦もそれを憂いていたのでしょう。
ただ、牛乳や卵も生命の浪費というのはどうなのかなぁ。
先に書いたように、牛乳も卵(無精卵に限りますが)も動物との共生の上に授かった食べ物で、菜食以上に殺生からほど遠いと思うのですが…
どちらも、母体を犠牲にするほど搾取してるとは思えないし、それで仔牛が飢え死にするとも思えませんし。
仏教の教えに忠実なら、やっぱり精進料理にふさわしいと思います。

お礼日時:2009/01/05 20:57

玉子はそれ自体が生命ですし


牛乳は、それを奪っちゃうと子が育たないですから。

この回答への補足

仏教では、無精卵でも生命と考えられてるということでしょうか?
牛乳も仔牛が育たないほど全部取っちゃう訳じゃないはずなんだけど…
そこまで厳密に考えるなら、植物だって命あるものだから、むしろ牛乳より罪のような気がします。

補足日時:2009/01/05 17:16
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この回答へのお礼

さっそくのお答え、ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/05 17:15

はっきりとした基準はありません。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E9%80%B2% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご紹介頂いた記事を拝見しますと、タイやラオスでは一部の肉食も可、中国やチベットでは卵・乳製品はOKなのに、日本ではどちらも避けているようですね。
なんか仏教発祥のインドから離れた地ほど戒律が厳しくなっているような気がします。
釈迦は、そんなこと言ってないよーってボヤキが聞こえてきそうです。
やはり、本来の趣旨に基づいて考えれば、取り入れてもいいのじゃないかと思います。

お礼日時:2009/01/05 20:48

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