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今資格試験に向けて勉強していますが、モチベーションが上がらず困っています。

私は今大学院生20代後半で、その資格試験はとても難関な試験で、合格するためには死ぬ気で勉強しなければなりません。
しかし、最近の不景気のニュースを見ていると、試験に落ちてから就職活動したのでは(その時点では大学を卒業していることになります)、正社員として就職するのは難しいのではないか、経済的な不安も多いし、試験は諦めて今から就職活動した方がいいのではないか、などと思えてきます。
かといって、大学生活は授業と試験勉強ばかりで、就職活動の際にアピールするものもないし、SPIや面接の対策なども一切行っておらず、今から就職活動を始めてもどっちみち難しい気がします。

このような場合、自分の中でなぜその資格を取りたいのか、その資格を取ってどのようなスペシャリストになりたいのかという目的をしっかり持っていれば、多少将来に不安があっても(多少どころではないですが)、試験勉強に没頭できるものだと思います。
しかし、私にはあまり人生そのものに希望が持てなくて、何をするにしても、自分がこうしたいからこう決めるんだ!といったことがありません。もともと鬱気質なのも原因かもしれません。
でもともかく多額の投資をしてこの道を選んだので、なんとか試験日まで頑張りたいと思っていたところ、気になっている男性に将来のことで悩んでいると相談したら、色々相談に乗ってくれて、途中であきらめるのはもったいないとアドバイスしてくれたので(彼は私がその資格をなんとなく目指しているにすぎないことは知りません)、「頑張って試験に合格したら、彼に報告できるし、きっと喜んでくれる!」と思った瞬間、勉強に対するモチベーションが湧いてきて、勉強もものすごくはかどる日が続きました。
ところが、その数週間後、その男性に彼女がいることが判明し、「彼は私のことなんか知り合いの一人でしかないんだ、私が試験に受かろうが一般企業に就職しようが、フリーターになろうが所詮どうでもいいことなんだ」と思ったら、勉強に対するモチベーションも一気になくなり、今ちょっと鬱状態です。

私はこんな風に、今まで「好きな人に褒めてもらいたい」ということでモチベーションを維持してきたのですが、やはり好きな人を基準にするとこのように不安定になるので、「自分がなぜその資格を取りたいか」を突き詰めて考え、それをモチベーションにするべきなんだと思いました。
しかし、かれこれ2週間になりますが、どうしても自分そのものはつまらない人間だし希望が持てず、あくまで自分のために努力するのだという方向ではモチベーションをあげることができません。
考え方を変えて、「彼には彼女がいるけど、私だって大事な友達の一人であり、一度決めた道を途中で放り投げるより最後まで頑張った方が、そして受かったら、きっと見直してくれる」と思った方が、モチベーションは上がりそうです(彼女がいたことは未だにショックですが)。

自分の職業を決める試験勉強を努力するのに、こういうことをモチベーション維持の要因にするのは、よくないでしょうか?

A 回答 (3件)

心理学の素人から、経験談を踏まえた上での意見です。


これからの質問者様の人生の一助となる為に書いたのですが、コメントに手前勝手な部分もあるかと存じます。こんな書き方しかできず失礼千万かもしれませんが、何卒ご容赦頂きたく宜しくお願い申し上げます。

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人間が何らかの仕事を達成する際に必要な要素として「認知欲」というものは多かれ少なかれ「必ずあります」。
即ち自分以外の他の人間から自分の成果や立ち位置を認めてもらった上でモチベーションを維持する、という事は、人間が生きていく上で自然な行為であり、且つ人間が成果を大きく達成するには社会システムとして供給すべき要素と私は考えています。
勿論、「己のみを信ずる」といった行動原理を自分の内部に持つ方も、この広い世の中を見渡せばなくはないのですが、数を数えて見れば私の周りではごく少数派でありました。
ですので、(私見ですが)全く悪いも何もありません。行動原理を外に求めるのはごく自然な事だ、というのが私の感想です。
公に知られずに仕事をする人の例でも、特定の人間(例えばその組織のトップ)に認めてもらう事でモチベーションを維持する事が挙げられます。但しこれは不動の位置(神様的な社長など)にいる人が必要ですね。
キリスト教圏であれば神が、戦前の日本であれば天皇や神道や日本流のモラルがその役割を果たしていたようです。私が見聞き体験した事を踏まえれば、行動原理を自分の外に持つと成果が大きく出るように思います。

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自分の外部に自らの思想・行動原理を永続的に載せられる、あるいは受け止めてくれるもの(例えばキリストや天皇など)に対して己の身を委ねるのであれば、自分が「神はこう仰るだろう」あるいは「天皇陛下はこう仰って頂けるだろう」と自らの中で全て考え、全て結論し、全ての疑問に心の決着を得られるので少なくとも行動原理としてはこのケースはいいのですが、その対象が一個人であった場合には、相手が変容したり、直接問いかけに回答したりした場合には全てに対して結論を出す事が難しいケースもあります。相手は普通の人間個人であり個人の生活も個人の考えもあります。人間の出す全ての認知欲に対して受け止める事はできませんし、こちらからの一方的な要求や傾倒は相手の生活を阻害する可能性があるばかりか、仮に極度の傾倒の後に相手からNOという答えを出されれば自分自身の破滅にも繋がりかねません。
お相手の方は察するにそうしたNOは言わない方かと思いますが、やはり一般的に考えて一個人にモチベーションを付託するのはよくないと思われます。

では何をすれば良いかというと、何もその代わりにキリスト教や日本神道等の宗教に染まれ、という事を言っている訳ではありません。
「現在の日本の社会の枠組みの中で、自分が生活できるだけの幸福を追求した上で他の人を幸せにする、といった事を自分にしかできない仕事を遂行して達成する、というのがあなたに与えられた使命であり、それに邁進すべきなのではないのかな」また「本来のモチベーション維持はこうした形で持つのが自然」といった意見が私の回答です。
つまり、(ありきたりの答えに帰結してしまうのですが)今目標に定めている職業・資格に合格し、自らがそこで給料を貰って生活しながら、その組織が実施する行為で他者を幸福にする、という考え方が個人の存在理由や行動原理を持つのに自然であり、他者への迷惑もかけず、大きな個人的利益・社会的利益を生み出すのではないか、という事です。

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迷いは弱さに繋がります。合格してからいろいろ考えても遅くはないでしょう。
また、仮に万が一試験に落ちてしまった場合でも、年10万円くらいで研究生として在籍する事はできませんか? 
その研究生の際に就活をし、面接の際に「自分の知りたい事を深く探求する為更に一年在籍しました」と言えば不利にならないかと思います。
※ここの問題は別カテゴリーで聞いた方がいいでしょう。

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さて、がらりと話しを変えますが、ここに一台の車があるとします。
(使用する部品が他の産業製品に比べ一番多い部類の製品になるそうです)。
部品点数はおおよそ数万点。
合金のエンジン本体もあれば、合成ゴムのタイヤ、樹脂製のハンドル、窓ガラス、またはカーナビや、単なるボルトとナットなどなどがあります。
ここでボルトやナットか何かにエンジンの代わりをしろ、と言ってもそもそも大きさと形状が全く違うのできません。
また、タイヤにエンジンの代わりになってくれ、と言ってもタイヤは熱に弱いのですぐに溶けてしまいます。
エンジンはエンジンの、タイヤはタイヤの素材が、その場所その役割に合わせて加工され、適材適所に割り振られているのです。

人間社会も同じです。その人にしかできない事、というのが必ずあるのです。
勝手な言い草ですが、人間社会のエンジン部の素材になれるような人材であれば、そこを目指すべきなのではないかと思っています。そして他の人間に幸せを与えられるよう、組織という名の巨大な自動車を正しい方向へ発進させ、社会を発展させるべきなのです。
その為に資格があり、会社があり、社会がある。本来の目的はここであり、何も無意味に難関と呼ばれるエリアがある訳ではないのです。

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と、ここまで長々と書いたのですが、果たして解決の糸口を出す事ができたかどうか・・・。
見当違いの事を言っていたらごめんなさい。
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逆説ですがモチベーションは熟慮して心にもったら忘れることです。

その代わり目の前の課題を一つ一つこなしてあえて先を見ないことです。この過程を続けていると結果的にはモチベーションが高かったということになります。しかしモチベーションというのは景品付きの品物のようなもので景品ほしさにほしくもない買い物をするような感じがします。あまりモチベーションにこだわるのはかえって自分の本心が別のところにあるということが強く自覚されて勉強したくなくなるのではないでしょうか。むしろ単純に勉強も面白いなという感じで一つ一つ進んでみてはどうでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても面白いですね。参考になりました。

お礼日時:2009/01/12 15:18

おはようございます。



自身の望む将来像をイメージされていますか?
実際にその場に居る自分のイメージです。

私はアパレルデザイナーであり、主婦、子供も2人居ます。
もうかれこれ28年の職歴です。

今、世間での就職難など報道が過熱していますね。
しかしながら、専門職種の強みからもうすぐ50歳に近いおばちゃんでも職があります。
資格試験を何故受けますか?
男性の為ですか?
いえいえ、ご本人の為以外無いでしょう。

私は幼稚園の頃から「女も手に職を。」←これを地で行く母に育てられました。
そして、絵を描くことやデザインすることが好きで一つの職種を続けて居ます。
母は「たとえ結婚して母となったとしても、夫がいつまでも働けるなんて保障は無い。そんな時、手に職があればきっと助けになる。」と幼稚園生の私に何度も言い聞かせていました。
今、夫も同じ職種で頑張っていますが。。。^^

モチベーションを上げる為、時々私が読む愛読書「14歳からの哲学」池田 晶子著を紹介します。
人は何故、結婚するのか、人は何故働くのか等、解りやすく書かれています。もうすぐ50歳の私の心にも響く文章ですので、どうぞ一度お読みになって下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いいですね。家族もいて、仕事もやりがいがあって、人生充実していらっしゃるみたいで羨ましいです。
私も手に職をつけなさいと小さいころから教えてくれる親の下で育てられていればよかったです。

私のためですか。
正直人生に何も希望が持てません。
お金さえもらえればもうなんでもいいです。
実際ホームレスになってみれば必死にもなるのかもしれませんが・・・
なんで生まれてきたんだろう。
せっかく大学まで行ったのに家族や親戚の期待にこたえられずにいい歳してまだ学生なんて、きっと恥だと思われているんだと思います。
誰からも必要とされないって本当に悲しいですね。
たまに私のことを好きだと言ってくれる人も、本当の私を知らないで偶像を作り上げている人ばかりで・・・

お礼日時:2009/01/12 15:17

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