プロが教えるわが家の防犯対策術!

僕が中学の頃から疑問だったことなんですが。

8月になると、広島で原爆で死んだ遺族とかが集まって、黙祷を捧げるってイベントが毎年あると思うんですけど。

その中継を中学生の時に見て、天皇が「今後こんな悲惨な戦争を起こさないように…」みたいなスピーチを述べているのを見て、僕は子供心にものすごく異様な光景に見えたんです。

だって、今の天皇の父親や祖父、曽祖父が神を気取っていて、そいつらの決定したことで国民は軍事に総動員されて、まるで洗脳されるてるかのごとくに戦わされて、貧困のどん底にまで落とされたわけですよね。

学校では毎日天皇の肖像画に手を合わせて拝んで、神風特攻隊に至っては「天皇陛下万歳!」って叫びながら、ゼロ戦で空母に突っ込んでいったわけですけど。

僕は法学部なので、今の憲法だけじゃなく、大日本帝国憲法も少し勉強しましたけど、東条英機に代表される軍人宰相達の責任もありますけど、当時の国家の決定権は天皇が持っていたわけですし…当時の法の理念上、戦争中に軍に借り出されて死んだ人は、天皇の名の下に徴兵された人なわけで、みんな天皇のために死んだわけです。原爆落とされたのだって、敗色濃厚なのに、日本は今有利に戦ってるって報道させたり、神の敗北は許されない、的な発想で傷口を広げたからでもありますよね。

だから、原爆の遺族の怒りは、天皇に向けられてもおかしくないんじゃないか、なんて、個人的には思うんです。だって当時の天皇がやってることって、金正日とあまり変わらない気がするし。

最高権力者って意味では、天皇はドイツで言えばヒトラーみたいなものだと考えると、広島のイベントの場合、ヒトラーの息子や孫が前に出てきて何か言ったら、もう大変な騒ぎでしょう。石を投げられたっておかしくないと思います。

だから日本の場合、普通に考えたら、天皇は「私の先祖の者が、多くの戦禍を拡大させた。申し訳ない」って土下座したっておかしくないし、遺族達は天皇に対して恨みの言葉をぶつける方が自然だと思うんですよね。まあそれをしないのは、参加者が平和の祭典であることを自覚してるから、ってことはわかってるんですけど。

いまだに僕は、戦時中の被害を拡大させた、ある意味一番の加害者である天皇の子孫を敬称で崇めているかがわかんないんですよね。自分は今の憲法も一通り勉強しましたが、いまだに天皇の欄だけはうまく納得できてなくて。

個人的な推測では、東京裁判で一応の贖罪は済んだことになって、当時の国民はどん底まで落ちた日本を立て直すのに精一杯で、罪のありかを問う余裕がなくて、人間宣言したとはいえ、天皇に罪を問うというのが何となくタブーであるという風習を残したまま時が過ぎて、罪のありかが風化してしまったのでは、と思っているのですが。

人にそれを話すと「あぁ、なるほど、確かにそうだね…そう考えると、変な話だよねぇ。ある意味思想犯の子孫を日本は崇拝してるってことだもんねぇ」っていうのですが、納得した答えをもらえたことはないのですが…

正直僕は戦国時代とか、源氏平家時代が好きで、徳川家康が嫌い(西軍びいき)なので、江戸時代以降の日本史はあまり詳しくないのですが(受験も世界史だったし)、参考意見でもいいので教えていただけると嬉しいです。

僕は戦争を知らない世代です。知っている人から見たら戯言かもしれません。ここまで読んでくれてありがとうございました。

A 回答 (6件)

まず天皇の神格化は天皇自身が望んで進んで行なったものではありません。

実際には天皇という存在は雁字搦めにされています。

天皇責任論の論拠を帝国憲法においていますので、法学部の方相手に非常に恐縮ですが、その辺りの話を簡単に少しだけしようと思います。

恐らく帝国憲法を授業か何かしらで取り扱っただけで日本史の細々したところは学習されていないのだと思います。
帝国憲法を読めば、例えば確かに総理を始めとする国務大臣は天皇が決める事になっています。ですが実際の選ぶ過程では元老の推薦が物をいいます。これは憲法には書かれていません。
似たような例は統帥権問題などが挙げられます。

このことの説明にはイギリスを例に挙げるのが適当であるように思います。イギリス大使は女王の代理です。イギリスの外交権は王室にあります。
http://ukinjapan.fco.gov.uk/ja/
イギリス軍の最高指揮官も同様です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE% …

ですがこれは勿論、王室が好き勝手にやっていいという話でもなければ、責任を負っている立場という訳でもありません。
王室の名の下に運用するということで、言わば権威付けをしているに過ぎません。

当時の日本も同様の形式であったと考えていいと思います。しかし大きく異なったのは「運用する」という部分が非常に曖昧で欠陥があったということです。

ですが憲法成立に至る過程を見たとき、ある人は、こういう事を考えていたようです。
憲法を作る際に最初から国民の中で憲法を作ろうというのは揉めるだろうし、今の国情では難しいものがある。だから欽定憲法という形で一旦出して、その後に国民の間で協議を設けて変えていこう。その時には教育も進んで国民も知識をつけているだろうから、そうしてできる憲法はきっと国民の幸福の基となるだろう。

この人の考え方は、ある学者さんによれば実際に帝国憲法をつくった人間に影響を与えているそうです。だとするならば帝国憲法という代物自体が最初から修正を念頭に入れたものだったということになります。
不完全さが分かっていたのなら、宮中・府中の別などの不文律が重視されたのも納得できるでしょう。
ただ結果として憲法改正しようという機運は高まりませんでした。

そうした矛盾(統帥権問題)を政争に利用したのが戦後、総理を務めた鳩山一郎なのですが長くなるので省きます。

でもやっぱり天皇が言えば、行動すれば戦争を止められたんじゃないかという人がいます。私は違うと思っています。
天皇を尊重しようという人々が多く居たのは確かですが、一部の過激な人にとっては、天皇は自らを正当化する道具として捉えているようなところがあります。
例えば政治が自分の思い通りに行かないのは天皇の側近が陛下を利用してあくどい事をやってるんだ。陛下は表では仰られないけれども実は俺たちを支持してるんだという発想をします。
これが発展すると自己正当化の為に、賊が殺したんだ云々と理由をつけて陛下を殺して自分達に都合のいい(情報等管理下においている)皇族を立てるとか、そういう内乱が起こりかねないというのは決して絵空事ではありません。

現に終戦の折にも、皇族が各地で終戦を呼びかけたにも関わらず、小規模ながら反乱が起こりました。
(といっても日本が比較的迅速に武装解除等を進められたのは皇族の影響が大きかった事は注記しておきます。)

個人的に思うのは戦争を本土決戦前に終結させたという事実は、ある程度肯定的に述べてもいいと思っています。
世間のなんで止められなかったんだという話は私には無い物ねだりのように感じます。天皇には出来たはずというのは非常に安直な結論です。
終戦に至るまでの様々な要素を無視しています。早期に動いて纏めきれなければ内乱。終戦工作が失敗、政府から追われることにでもなれば、主戦派が主導権を握って本土決戦でしょう。ソ連が北海道を占領して米軍が九州と関東で上陸作戦。原爆を含めて空襲が激化して飢餓が深刻化、死傷者は相当数に上ったでしょう。それを食い止めた事は加味されていいはずです。

本当に質問主さんの質問に答えるならば、天皇とはそもそも何なのか?東京裁判から復興へのプロセスの話をしなければなりませんが、私自身初学者ですし、長いので控えます。
ただもしあなたが結論付けに必要な、そういった要素を考慮する事なしに結論に向かっているのだとすると、それが間違いである可能性は非常に高いと思います。
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今では考えられないですが、戦後から70年代までは天皇制廃止が公然と語られた時代として多くの記録が残されています。

特に共産党は鼻息荒く、街宣車などでも天皇制廃止にもふれていました。

70年代になると言い尽くされたという事なのか、高度経済成長に気を取られた事からなのか、策略があったのか、近代史や天皇制廃止は語る事がタブーになっていったとの事。一度は風化し、やがて90年代の近代史教育論争、近代史タブー論などと共に復活して、現在に至るといった流れですね。

2.26事件に代表されて、戦中戦前では天皇は火消しに回っていたというのが実態ですし、GHQ主導の戦後政策でも天皇あるいは天皇家の存在によって決着されて、またもそれで次の日本へ歩み出しているというのが日本の歴史ですね。

戦前、良くも悪くも権力がある種分散していて、明確な意志決定、責任の所在が明らかでないまま国内のパワーバランスで戦争が進められて、終戦までそれが続いたという図式ですね。おまけに当初国民もそれに熱狂し戦争支持した訳ですし、見方によっては日本は”空気で戦争をした”ともいえるでしょう。

その結果が誰かを裁かなくては決着できない東京裁判という事ですね。誰かが政治犯として戦犯となり、責任を取らなくてはいけない。戦争の決着として絶対に必要とされる戦犯の裁きのなかで、東条英機などは、自らが戦犯となり決着のために責任を負う旨の発言を残していますね。


戦後、天皇陛下も実態はどうあれ戦前戦中の最高権力者として国民の怒りを買っているのではないかと思っていたと記録に残されています。ところが不思議な国ニッポン、多くの日本国民は天皇を戦犯と位置づけるなどの人は皆無で、日本人の拠り所という位置は代わっていませんでした。
戦前戦中と「鬼畜米英」と位置づけられた敵国米国ですが、戦後マッカーサーは日本人から大人気で何万通ものファンレターがマッカーサーに届けられていたりします。この辺りの不思議な国ニッポンとしての日本人の行動が理解できないと、あの時代の流れは現在の常識からでは理解できないでしょう。

また「天皇バンザーイ」などは、あくまで当時の世相です。外国人が「寿司、天ぷら、冨士山 = 日本」と位置づけるようなもので、天皇バンザーイが全国津々浦々で行われていた訳ではありません。映画やドラマでは短くまとめなくてはいけないから象徴的なものとして持ち出しているだけです。
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昭和天皇は生涯にただ一度激怒したと伝えられています。


それが昭和11年2月26日です。
なぜそれほど怒ったのかを調べてみれば貴方の天皇観は一新されるでしょう。


>僕は戦争を知らない世代です。
世代は関係ないでしょ。
派遣村の連中がどれだけ経済を知ってるのか。
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まず天皇家の歴史を見てみると、例えば戦国時代に天皇家の存在ってほとんど見えないですよね。

秀吉に関白や家康に征夷大将軍を与えているだけです。形としては天皇が「与える」となっていますが、そこに現実的な権力は皆無です。
これは現在もそうです。内閣が発足すると天皇はひとりひとりに任命書を与えます。これは内閣総理大臣(首相)もそうです。つまり現在の大臣も天皇に任命されているのですが、しかし例えば天皇がそれに「あいつに大臣やらせるのは嫌だ」ということは100%ないわけです。

天皇は鎌倉幕府以来(厳密には平安時代からそうですが)時の権力者に「権力証明書」を発行することによって生き残ってきました。「錦の御旗」を得ることによってそれに反する者は「逆賊である」として潰す大義名分を与えることができるわけです。

これは昭和天皇もそうでして、実は昭和天皇は対米戦に反対でした。「オマイら、満州事変も中国出兵もすぐ終わるっつてたのにちっとも終わらねえし、オマケにアメリカとまた戦争するってどうゆうことよ?」と怒ったという言葉が残っています。
また国の大事は「御前会議」という天皇も出席する会議で決定されます。この御前会議で決まったことは「天皇が認めた」ということになりますから逆にいえば「何が何でもやらないといけない」ということになります。
その御前会議というのも実は形式にすぎず、「陛下、これでよろしいでしょうか」「うむ」というだけのまあ儀式なのです。話が横道にそれれば、一昔前の日本の会社の会議もそういうのが多くて、会議をやる前に稟議書というのを上司に回してそれにハンコがないと(つまり、会議の前に議題と結論を上司に報告しておかないと)「俺は聞いていない」と会議がお流れになってしまったんです。
で、実はその御前会議で昭和天皇が「発言する」と言い出してまわりが大慌てになりました。その席で天皇が発言する前例がなかったのです。周囲は「前例がありませんので」といって封じ込めました。

で、戦争がいよいよ行き詰まってくると昭和天皇も「ぼちぼち講和をなんとかせい」とせっつきますが、むしろ周囲は「一億総特攻」とヤバげな方向に向かっていきます。そこで、昭和天皇は一瞬の隙をついていわゆる玉音放送をします。最高権力者である天皇が「もうやめる」といったので続けることはできません。それに反することはつまり逆賊になるということです。かくして日本は終戦になりました。いってみれば終戦というのは天皇による「逆クーデター」だったともいえるわけです。
(ただし、この見解は右翼左翼どちらからも否定的にいわれると思います。昭和天皇はそれだけデリケートな存在なのです)


もっといえば、そもそも太平洋戦争そのものが「アメリカから仕掛けた」ものだったのです。アメリカは太平洋戦争直前に日本に対して石油とくず鉄を輸出することを停止しました。こんなことをしたら日本は戦争以外の手段を取らないのは誰の目にも明らかです。つまり、日本はそれ以外の手段を取れないことを知っていてアメリカは石油とくず鉄の輸出を禁じたのです。
ではもしアメリカが求める中国からの撤退をやったら?多額の予算をとっていながら戦わずに降伏した陸海軍は国民の支持を失うでしょうし、当の陸海軍のイケイケ派は五一五事件や二二六事件のようなクーデターを起こすでしょう。中国という市場から撤退を強いられた日本経済は再び不況のどん底へ。そして困窮した日本はイチかバチかの対米開戦となったことでしょうね。

なお、今上天皇の第二次大戦へのコメントは天皇という立場を考えるととても突っ込んだ見解を示していると思います。天皇がある意味反省の言葉を述べると軍人会や遺族会のほうから「アンタ方のために命をかけて戦ったのにそれを否定するとはなにごとか!」という声もあがってくるのです。
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そのとおりです。


当時天皇は飾り物で立憲君主的な象徴に過ぎなかったといっても過言でない状況ですから、実質的な責任者ではないとしても、形式上層ですからね。国民から一身に恨みを受ける立場にあります。
私もこの「赦し」の精神というものが解せません。

つまり、天皇というものは、国民にとって、善悪や責任の所在を超えたものという風に捉えられるのかもしれませんね。存在は絶対であると。だからこそ、天皇制が存続しているのかもしれません。
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ひろひととかトルーマンとか恨めるし


アインシュタインを恨んでもいいんだよね。

でも、それはそれで、その上で赦すこともできる。

それが日本人の国民性ってことでいいと思います。
祖母家族は長崎に帰れない疎開を経て
終戦から数十年を経て被爆性の疾患で他界するもの数人。
簡単に戦争を過去のものにすることはできませんでした。
終戦数十年後に生まれた者にも遺伝的影響はありうるとされているんですよ。

でも、誰かが赦さなければ、延々と続くわけです。
それが中東と欧米の確執とか、宗教的な対立を続けさせている。
外から理解しがたい争いは、誰も赦せないから続くのだと思います。

個人的には、終戦時に必要だとされた皇族の役割は
もうほとんど終わったと思っています。
でも、そこで、いまさら罪を問うのは無意味だとも思います。
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