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こんにちは。センター試験も終わりましたね。さて、毎年新聞では何ページも割いてセンター試験の問題を載せますが、これって意味があるんでしょうか? 昔はインターネットもなかったし、それはそれで新聞の役割だったでしょう。しかし、今のようにインターネットが普及すれば
必要な人だけ見られるし、もし、必要な人でインターネットの出来ない環境の人に対しては、高校や予備校で対応できるはずです。

A 回答 (16件中1~10件)

> さて、毎年新聞では何ページも割いてセンター試験の問題を載せますが、これって意味があるんでしょうか?



これがあなたの「質問」ですよね。
新聞に載っていたほうが便利な人がそれなりにいて、載せてほしいと思う人がある程度いるから、掲載する意味は当然ある、というのが私のこれまでの回答です。私はそれを具体的に例を挙げて説明してきました。これ以上どんな「理由」がないと、「意味がある」ことにならないのでしょうか。

あなたはネットが生活の中心だから、新聞に載らなくても構わないのでしょうが、世の中そういう人ばかりじゃないんです。繰り返しますが、私は新聞に載っていればこれと言って不便を感じませんが、だからといってネットでの掲載が不要とは思いません。同じように、あなたもネットで不便を感じないとしても、それを以って新聞への掲載を「意味が」無いというのはあまりに自己中心的な考えなのです。

繰り返しますが、新聞に載っていてありがたいと思う人がいて、実際にある程度は使われているのですから、載せる意味はあります。質問の答としてはそれ以外にありません。また、載せるのも載せないのも新聞社の勝手ですから、文句があるならその新聞の購読を止めるか、購読している新聞社に意見すればいいだけです。

人に質問するのであれば、ちゃんと人の「回答」に耳を貸すことです。そういう力が無い人にとっては「意味が無い」のでしょうけれど、世の中そんな人ばっかりじゃありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

しかし、anachronismさんもしつこいですね。日本にはanachronismさんのような人もまだ少なからずいることも分かりました。ただ、不要な人も多いのに、anachronismさんのように新聞にはセンター試験の問題の掲載は絶対必要だというのもあまりにも自己中心的な考え方にならないでしょうか? こういうのはアンケートでも取って客観的なデータを取らないと答えは出ないと思います。私はanachronismさんと禅問答をするつもりはありません。

>人に質問するのであれば、ちゃんと人の「回答」に耳を貸すことです。そういう力が無い人にとっては「意味が無い」のでしょうけれど、世の中そんな人ばっかりじゃありません。
はい、そうですね。anachronismさんも自分の意見を主張するだけでなく、もっと寛大な気持ちで他人の意見に耳を貸すことも重要ではないでしょうか。それでは、目糞鼻糞を笑う レベルになりますよ。

お礼日時:2009/01/25 13:24

> 昔は人々の価値観や関心の共通点が多かったので、無駄な情報も少なかったでしょう。

しかし、現代のように多様化した場合、どうするのか、

多様化しているからこそ、新聞の意義というものも増しているわけです。

> それに、新聞を取っていない人や、思いついた時にセンター試験の過去問を見たい時など 新聞では対応しきれません。
だったら、「ネットにアクセスするのが大変な人がいるから」以上に理由が必要でしょうか。毎日新聞を読んでいる家庭やビジネスマンはまだまだ多いですから、ネットよりも新聞のほうが「楽」な人たちはゴマンといます。
ちなみに私の場合、新聞の掲載紙面をはずしてたたんで会社に持ってゆき、休憩がてら広げていくつか解いて見る、なんてことをしていますが、ネットで入手するとなるとそうも行きません。

念のために言っておきますが、私はネットでの公開が不要といっているのではありません。「新聞掲載は不要だ」という理屈が成り立つなら「ネット掲載は不要だ」という理屈も成り立ってしまうし、「ネット掲載は必要」なら「新聞掲載は必要」という結論に至らざるを得ないということです。当然私は、双方得失があるからどっちもやるべきだし、どちらによるかは個人の勝手と思っています。

> 毎日パソコンを使っている人にとっては、入手する手間なんか、新聞を家の郵便受けに取りに行くくらいに程度の負担の少ないはずですは。
実際にやってみましたけれど、私にとっては古新聞の山をあさるほうがよほど楽です。新聞なら、数枚の紙面に全部出ていますけど、教科ごとに別々のPDFファイルになっていて、ダウンロードにもそれなりに時間がかかるし、印刷を前提にしていますから国語の問題など画面からはみ出して読みにくいことこの上なく、縮小したらつぶれて読めなくなりました。いちいち印刷していたら時間がかかってどうしようもありません。少なくとも当家のネット環境では、「新聞受けにとりに行く」ほうがよっぽど早いです。

新聞というのはそれこそ毎日読むものですけど、ネットに毎日触らない人だってまだまだ多いです。「思いついた時にセンター試験の過去問を見たい」とき、古新聞の山から当該日付を引っ張り出すのと、ネットで検索して印刷するのとどっちにするのかはその人によるわけで、要するに「あなたにとって」そうだからといって、世界中のすべての人がそうだと思うその発想は非常に危ういと申しておきましょう。

> 新聞の購読率が減っているところを見ると、事情は変わっているのでは?
あくまで個人的な意見ですが、これは単純に日本人の知的レベルが全体に低下しているだけのことかもしれません。本題から外れるので多くは言いませんが、少なくとも、「新聞」の価値を理解できない人がこれほど増えてきたことは、個人的には非常に憂慮すべき事態だと思っています。

この回答への補足

再度回答ありがとうございます。

>多様化しているからこそ、新聞の意義というものも増しているわけです。
多様化すれば、新聞は厚くなる一方で、必要な情報を新聞で賄える割合も小さくなりますが、その中で増していく新聞の意義とは何でしょうか?

>毎日新聞を読んでいる家庭やビジネスマンはまだまだ多いですから、ネットよりも新聞のほうが「楽」な人たちはゴマンといます。
しかし、新聞に掲載されていない問題を見るにはネットに頼らざるを得ないし、ネットに接続できない環境の人は昔の私のように受験生に問題用紙を貸してくれるように頼むか、諦めるしかなくなりますね。

>実際にやってみましたけれど、私にとっては古新聞の山をあさるほうがよほど楽です。
ほお~、古新聞は図書館みたいにパッと探せるように保存しているんですね。私の家では古紙回収に出してしまいますが。

>ダウンロードにもそれなりに時間がかかるし、
うちも最初の頃は時間がかかりました。しかし、今は光なので速いですが。

>印刷を前提にしていますから国語の問題など画面からはみ出して読みにくいことこの上なく、縮小したらつぶれて読めなくなりました。
前回の回答のお礼でも書いたように、私の場合は新聞の問題だと縮小されていて字が小さすぎるので本屋に拡大コピーをしに行きました。今だったら、スキャナーで読み取ってこれを拡大しますが、PDFファイルがダウンロードが出来るんでしたら、PDFファイルをそのまま印刷することに越したことはありません。

>「思いついた時にセンター試験の過去問を見たい」とき、古新聞の山から当該日付を引っ張り出すのと、ネットで検索して印刷するのとどっちにするのかはその人によるわけで、要するに「あなたにとって」そうだからといって、世界中のすべての人がそうだと思うその発想は非常に危ういと申しておきましょう。
そうですね。新聞に掲載されている問題しか必要がない、新聞は几帳面に保存しておく、小さな活字も難なく読める という条件が揃えば新聞はネットよりも便利でしょうね。

>世界中のすべての人がそうだと思うその発想は非常に危ういと申しておきましょう。
誰も「世界」とは言っていません。私はあくまで「日本」の枠で考えています。世界にはネットはおろか、新聞にも無縁な人がまだまだ多いし、文字すら読めない人もおります。

>あくまで個人的な意見ですが、これは単純に日本人の知的レベルが全体に低下しているだけのことかもしれません。
これは半分は正しくて半分は間違っていると思います。いわゆる二極化が進んでいるとでも言いましょうか。というか、極端に知識が偏っている人が増えたとでも言いましょうか? 一方で、新聞記者の知的レベルも低下しているのかもしれませんし。

>少なくとも、「新聞」の価値を理解できない人がこれほど増えてきたことは、個人的には非常に憂慮すべき事態だと思っています。
いや、新聞社自体が新聞の価値を貶めているような気がします。
柄の悪いセールスマンを使って洗剤やビール券で迫って新聞を取らせようとして問題を起こすわ、捏造記事を書くわで、妙に傲慢なくせして、ジャーナリストとしての真のプライドを捨てていますから。

補足日時:2009/01/25 10:09
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> 今のようにインターネットが普及すれば必要な人だけ見られるし、



一つは、単純にそれなりのニュース性があるということ、もう一つは、新聞のほうが入手手段として適当である人も少なくないということです。

こんなことを考えてみてください。試験問題が「インターネットで入手できるから新聞掲載は不用」というなら、なぜ逆に「新聞に載っているからネットでの公開は不要」と、ならないのでしょう。ネットと新聞とで、存在価値に尊卑があるでしょうか。入手手段はいくつあっても困らないもので、一つあればほかは不用、というのでは、多様性というものを認めない非常に窮屈な社会になってしまいます。

新聞で大事なことは、黙っていても手元に届くこと、そしてどこでも時間ができたときに読めることです。私も、ネットでいちいち入手するほど閑はありませんが、新聞に載っていれば試験問題を眺めるくらいはするし、そうするとちょっとした発見などもあってなかなか趣深いものです。新聞に毎年載せてもらえるので、私にも試験問題を目にする機会がありますが、そうでなければ試験が行われたことさえ気づかずに一生を送るかもしれません。

世の中の多くのニュースというのは、基本的には「無駄知識」です。ですが、それがいろいろな局面で組み合わさってさまざまな効果を生み、社会の発展に寄与するわけです。「必要な人だけ見られる」というのは、一見無駄が無いように見えるかもしれませんが、「必要最低限」でもあるわけです。特定の読者にとって必要であるかどうかより、世の中のさまざまな事象をくまなく掲載し、「一応」教えてくれることこそが新聞の真骨頂であり、必要最低限の情報しか掲載しないようなメディアには、それこそ誰も金を払いません。

結局のところ、試験問題を掲載するかしないかは新聞社の勝手ですが、今のところ多くの新聞社は試験問題に「掲載する価値」を感じているから掲載しているし、読者の多くもそう考えています。また、新聞で入手するかネットで入手するかも受け手の勝手なわけで、今のところ新聞で入手するほうが便利な人も少なくは無いわけです。

結論としては、現時点ではそこまで新聞メディアがネットメディアに遅れをとっているわけではないし、単純にそのほうが便利だと感じる人も多いのです。たしかに、10年先は別ですけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>なぜ逆に「新聞に載っているからネットでの公開は不要」と、ならないのでしょう。
他の方のお礼でも書きましたが、選択者の少ない科目の問題は新聞には載っていませんから、ネットでの公開は必要でしょう。それに、新聞を取っていない人や、思いついた時にセンター試験の過去問を見たい時など 新聞では対応しきれません。

>私も、ネットでいちいち入手するほど閑はありませんが、新聞に載っていれば試験問題を眺めるくらいはするし、
失礼ですが、そんなに忙しいのなら この質問に回答する暇もないのでは? 毎日パソコンを使っている人にとっては、入手する手間なんか、
新聞を家の郵便受けに取りに行くくらいに程度の負担の少ないはずですは。私の場合はまだネットが普及していなかった時には、新聞の載っているのは実際の問題よりも活字が小さく見ずらいので、新聞を切りに抜いて本屋に拡大コピーをしに行きました。そして、新聞に載ってい科目の問題は、あまり親しくない学校の先輩などに、問題用紙を貸してくれるように頭を下げて頼みに行ったものです。

>世の中の多くのニュースというのは、基本的には「無駄知識」です。ですが、それがいろいろな局面で組み合わさってさまざまな効果を生み、社会の発展に寄与するわけです。「必要な人だけ見られる」というのは、一見無駄が無いように見えるかもしれませんが、「必要最低限」でもあるわけです。特定の読者にとって必要であるかどうかより、世の中のさまざまな事象をくまなく掲載し、「一応」教えてくれることこそが新聞の真骨頂であり、必要最低限の情報しか掲載しないようなメディアには、それこそ誰も金を払いません。
新聞の購読率が減っているところを見ると、事情は変わっているのでは? 昔は人々の価値観や関心の共通点が多かったので、無駄な情報も少なかったでしょう。しかし、現代のように多様化した場合、どうするのか、新聞社も困っているんではないでしょうか? 最大公約数が小さくなれば最小公倍数が大きくなります。そうすると、小さくなった最大公約数のマイナス分を埋めるために、最小公倍数から一部を持って来て補うことになります。

お礼日時:2009/01/25 01:41

>新聞は英語でニュースペーパーと言いますから、ニュース欄のない新聞は存在意義そのものがなくなるでしょう。



そんなことはないですよ。別に語源がそうだというだけで今が同じである必要はありません。語源が神話や聖書だったら神話や聖書の世界である必要があるのか?という話になります。
また、現役で働くサラリーマンなどが政治や経済の情報に詳しくないように新聞の政治欄や経済欄などそんなに大多数の人間に読まれてはいません。せいぜい1面トップに載っている記事くらいでしょう。


>スポーツ欄に関しては高校野球やオリンピックなどは特に国民の関心が高いのでこれも不可欠でしょう。

高校野球の需要など少ないでしょう。そして、高校野球やオリンピックはテレビでも報道されていますので、わざわざ紙にする意義は少ないです。
特にオリンピックなど各局がこぞって報道していますから、センター試験の問題以上にわざわざ紙にする意義はない。
センター試験の核問題はWeb等では手に入るが、テレビでは手に入らない。一方オリンピックの結果はテレビでもラジオでもWebでも手に入ります。


>テレビ欄は新聞でも閲覧率が高いのでこれも絶対に外せないでしょう。

昔でしたらそうかもしれません。しかし番組数が増えた今では新聞のテレビ欄は情報が足りていません。さらに現在のデジタル放送普及でテレビそのものに番組表が組み入れられているので、もはや閲覧率は高くありませんし、その価値が急速に低下しています。



質問者様の考えを整理していくと、センターの問題などいう話ではなく、紙の新聞が役に立たないという結論だと思うのですよ。
※このあたりはメディアについて研究される多くの方々も主張されていることで珍しいことではありません。紙の新聞でニュースを配る意義など無いという意見は最近では主流になりつつもあります。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

そうですか、紙メディアの存在価値自体が低下しているんですね。

お礼日時:2009/01/23 16:30

No.11です。

再び失礼します。
>でも、これだと新聞に掲載されない科目の問題は監視から逃れることになりませんか?
・はい、監視から逃れられます。少数派の科目だけでなく、追試験は全科目掲載されません。2004年に問題になったことがありました。本来であれば追試験も含めて全科目掲載すべきなのでしょうが、センターとしてはすべて公表していることはしていますので、掲載しないのは各紙の判断ということになります。

こうして考えると、センターの理念とは別に、各紙はあくまで話題性重視で掲載の可否を判断しているということでしょうね。追試験は受験者数が少ないですから、荒天や交通トラブルがあったとしても、話題性は低いですから。なので、本試験の、なおかつ受験者数の多い科目だけにしているんでしょうね。一般読者に対してはこれだけで十分との各紙の判断なのでしょう。

話がややそれますが、2004年の問題について少しだけ触れておくと、「歴史」の出題には史実と歴史解釈がありますが、後者は立場によって割れることがあります。そうした解釈が割れる事柄について、出題者の歴史解釈があたかも確定的な史実(正解)として扱われたことがありました。また、事実として確定していない言葉が出題されることもありました。こうした批判を受け、文部科学省とセンターは、これまで完全に非公開だった問題作成者の氏名を、試験終了後に公表することにしました。

つまり、変な言い方ですが、大学にはやや左寄りの先生方が多いので、左寄りの回答を正解とする問題をさりげなく混ぜることがあったのです。本試験だと大問題になるでしょうが、追試験は掲載されませんので問題化されることがなかったのです。しかし、過去問題集には収録されますので、受験生はこれらの先生方の解釈どおりの勉強をせざるを得ないわけです。

そして、出題者名の公表については、当時賛否両論が巻き起こりました。

http://www.jiyuu-shikan.org/rekishi79.html
http://homepage3.nifty.com/iwate-u_kumiai/siryou …

各大学における個別の試験では起こり得ないですが、センター試験の場合は、このように社会的影響が大きいわけです。

>新聞でも一般紙は殆どが宅配の定期講読なのでそんなに影響はないと思うんですが。それに、新聞の選択も紙面の内容よりも契約の時に貰う景品に釣られて読んでいる人も多いと思います。
・これは各紙の営業努力の問題です。「そんなに」をどうとらえるかでしょうね。私が子供のころ、親は全国紙を取っていましたが、地域のスポーツ大会や文化系の大会などの結果、入試結果などを見る場合は、その日だけ駅売りの地方紙を買ったものです。そちらの方が詳細ですから。今でも似たようなことはあるのではないでしょうか。検索だけが目的ならインターネットで十分ですが、記念に保管したい場合はインターネットでは面倒ですよね。目的次第だと思います。

>新聞は、先ず 再販制度に守られています。本来なら独禁法で禁止されているカルテルに該当します。また、専売制というのも他の商品とは違います。
・これは出版業界、音楽業界、新聞業界特有の構造的なものですよね。自由な市場ではなく、制限された市場という意味では確かにおっしゃるとおりです。ただ、営業努力が不可欠なことには変わりありません。部数拡大や視聴率競争も制限に守られた範囲ではありますが、競争です。センター試験の問題と正解を掲載することが営業政策上必要と判断すれば、掲載するでしょう。

いずれにせよ、現場の記者は再販制度などを意識して記事を書いたりはしません。センター試験の問題掲載をやめたとして、その数ページ分を別の内容にすることは、編集者は抵抗すると思います。ネタ探しはつらいですよ。ない頭を使ってウンウンうなっても出てこないわけですから。なので、捏造や盗作が後を絶たないわけです。あとは下ネタとかゴシップものでしょうか。安易な内容しか思い付かないんですよね。

試験問題を掲載するのであれば、話は簡単です。公表されているものをそのまま載せればよいわけですから。むしろ手を入れたらいけないわけですからね。あとは予備校等にちょこっと取材して、出題傾向や難易度を解説させ、有名な大学に行って受験生の様子やインタビューをちょこっと載せればよいだけです。神社に行って、受験生らしき人に「ちょっと拝んでみてくれる?」と言って写真を撮らせてもらってもよいでしょう。間違い探し(正解のチェック)は予備校等が頼まなくてもやってくれます。そして予備校等からの広告は間違いなく入ってきます。簡単です。(ホント、アホみたいですよね。こんな程度ですよ、「ジャーナリスト」って)

当初の掲載目的はNo.11にもあるとおり、試験自体の特徴というか目的、経緯、理念があり、社会現象化したことが挙げられます。

ただ、前身の「共通一次試験」から数えても30年の年月が経過していますので、今となっては、私は営業政策上の必要性よりも、紙面構成上、もはや掲載が予定されているだけとも思います。紙面のネタには困らないし、必ず広告も入ってきますので、安定しているわけです。

つまり、各紙とも必要性うんぬんではなく、毎年恒例の紙面構成と認識しており、読者も同じくそうした認識なのでしょう。だとすれば、なおのこと一紙だけ掲載しないのは気が引けてしまうのだと思います。

確かに「受験勉強のための過去問題の検索」という目的だけであれば、紙面に頼ることなく、それこそ過去問題集などの出版物の購入やインターネットの検索で事足りるでしょう。

しかし受験関係者以外の人にとっては、単なる恒例行事ですので、当初の「社会現象」から、30年の月日を経て「季節の話題」程度の認識になっているのかもしれません。

「季節の話題」にしては紙面を取りすぎなのでしょうが、今までの掲載例を考えると、ベタ記事というわけにもいかず、つまりは前例踏襲ということでしょうね。共通一次時代から試験に対する批判は多いものの、もし試験が廃止されてしまうと、一番困るのは新聞社かもしれません。それだけ歴史を重ねてきたということです。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>一般読者に対してはこれだけで十分との各紙の判断なのでしょう。
少数派の人を容赦なく切り捨るというのがマスコミなので、新聞も然りというところでしょうか。

>記念に保管したい場合はインターネットでは面倒ですよね。
面倒というか、新聞だってスクラップブックと糊と鋏が必要ですから、パソコンに慣れた世代にとってはむしろこっちの方が面倒と思うかもしれませんが、新聞の切り抜きを保管した方が情緒はありますね。

>部数拡大や視聴率競争も制限に守られた範囲ではありますが、競争です。
前回の回答のお礼でも書いたように、新聞は再販制度だけでなく専売制も敷かれています。それで、内容は編集側の自己満足的な部分も否めませんし、内容そのものよりも「拡張員」を使って部数を増やそうとします。拡張員は景品として洗剤やビール券を使っていますが、こんなことばっかりやっていたら自らの品位を貶めることになりますよね。しかし、洗剤やビール券は新聞とどんな関連性があると言うんでしょう。
今更こうやって獲得した部数はどうせ洗剤やビールの泡のように弾けるだけなんですが。

>試験問題を掲載するのであれば、話は簡単です。
なるほど、読者よりも編集者側のメリットが大きいわけですね。

お礼日時:2009/01/22 09:44

1990年から実施されている「大学入試センター試験」は、1979年から1989年までの間、国公立大学の入学志望者を対象とした「共通一次試験」を前身としています。

これは、その昔、各大学における入学試験問題において、いわゆる難問・奇問や、「歴史」などで重箱の隅をほじくるような設問が多発し、「受験地獄」と呼ばれ、世間の批判が大きかったことから、あくまで各科目で決められている高校の学習指導要領に沿って出題され、難問・奇問などを排除し、一定の学力水準を測るものとして導入されたものです。(もっとも、実際にはこういった難問・奇問などを完全に排除することができず、1990年から現在の「大学入試センター試験」に変更し、私立大学も試験成績を利用できるようにするなど、試験自体を流動性のあるものに改められたのは周知のとおりです。)

こうした経緯・理念があるため、単なる試験ではなく、透明性が重視されました。数ある大学入試関係の試験の中でも、主催者が正解まで公表する例は「大学入試センター試験」だけです。これがこの試験の最大の特徴なのです。他の東大や京大など有名大学の試験問題も新聞に掲載されることがありますが、その場合の「正解」は、予備校等が作成した「解答例」にすぎません。ところが「大学入試センター試験」の場合は、センター自身が問題と正解を広く一般に公表するのです。これは大きいです。ときどき「正解が二つある」とか「正解が選べない」とか「公表されている正解が間違っている」などの指摘を受けて、センターがどう対応するかが報道されることがあります。問題と正解を公表するということは、外部からの批判(チェック)に耐えられるようにしなければなりませんので、そもそも解答が割れるような問題を排除する効果が期待できるのです。

また、「共通一次試験」時代から、二次試験の受験校を選択するために、受験生が自己採点をする必要がありました。昔はラジオでも正解を放送しており、イヤホンを付けながら自己採点したり、念のためラジカセで録音したりしていたものです(懐かしい)。しかし、やはり新聞等の文字情報の方が当時の受験生にとっては便利でした。

こうした元々の透明性、自己採点の必要性のほか、そもそも一つの同じ試験を何十万人も(共通一次時代は34万人~39万人、センター試験は43万人~60万人)が、気象条件も異なる全国各地で同時に受ける、という他に類例を見ない規模の試験であり、話題性や社会的影響が非常に大きいことで、新聞社は問題と正解を掲載することにしたわけです。

掲載の必要性については以上です。そこから先は、各紙のビジネス上の問題になります。「簿記会計」や「ドイツ語」など受験生が極端に少ない科目の掲載を割愛しているのは、単純に読者のニーズとの兼ね合いです。紙面が無駄という指摘は当たりません。なぜなら掲載面の下の方には必ず予備校等の広告が入っていますよね。広告料収入との見合いでプラスになれば、掲載してもビジネス上は無駄ではありません。あとはNo.9様のご回答が的確だと思います。つまり、これだけ社会的に影響のある、話題性のある、季節もののイベントに乗っからないと、その日だけでも部数(売上)が減りますからね。

「インターネットで十分」という議論は、「大学入試センター試験」に限らず、株式欄など他の分野でも昔から言われています。言われていますが、なかなかなくなりませんね。私は、株式欄などはそのうちなくなると思っていましたが、根強く残っています。もしかしたら、読者側に「ニーズ」というほどではないですが、ある程度「習慣」のようなものがあるかもしれません。また新聞社側にとっても、廃止すると他のネタを見付けてこなければなりませんので、困ります。地球環境面からは、ネタがなければ紙面数を減らせばよいだけの話なのですが、新聞社もビジネスです。紙面数を減らしたら読者から値下げの圧力が掛かります。売上が減りますので、昔の石油ショックなどでない限り、その選択はしません。

なお、No.7様への「補足」で
>>そしてそれでもお金になるので、記事になっています。
>新聞というのは、市場原理に当てはまらない部分があるので、必ずしもそうとは言えないと思います。

とお書きになっていますが、市場原理に十分さらされています。部数激減でつぶれた新聞社もあります。ほとんど嘘に近い大げさな見出しを出したり、捏造記事や盗作記事を書いたりして問題になることがありますが、それらはすべて部数(売上)を増やすためです。読売が巨人を応援するのも、朝日や毎日が高校野球を後援するのも、すべて部数(売上)拡大が目的です。

社会正義の実現や権力のチェックなどというのは、あくまで理念であり、それはそれで大切ですが、実態は違います。「ジャーナリスト」といえばかっこいいですが、基本的には、他人の不幸事を飯の種にしている因果な商売です。

それはともかく、実際のところ、「大学入試センター試験」の掲載面は意外と人気があるのです。昔の受験生(?)が暇つぶしに挑戦したり、受験生の親が気にしたり、というのはよくありますし、たまに「英語」の問題で間違えたネイティブがセンターに抗議したり、「国語」で主人公の気持ちを選択する問題に間違えた作家本人が「オレはこの正解は違うと思う」とセンターに抗議したり…(笑)。

冒頭に書いたとおり、元々の出発点が難問・奇問の排除であり、そのために問題と正解を公表して世間の批判(チェック)を待つ、という他の入学試験にはない歴史的背景を持つ特異な試験ですから、受験界以外でも広く一般に注目度が高く、話題性があるんですよ。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>こうした経緯・理念があるため、単なる試験ではなく、透明性が重視されました。
でも、これだと新聞に掲載されない科目の問題は監視から逃れることになりませんか?

>つまり、これだけ社会的に影響のある、話題性のある、季節もののイベントに乗っからないと、その日だけでも部数(売上)が減りますからね。
新聞でも一般紙は殆どが宅配の定期講読なのでそんなに影響はないと思うんですが。それに、新聞の選択も紙面の内容よりも契約の時に貰う景品に釣られて読んでいる人も多いと思います。

>私は、株式欄などはそのうちなくなると思っていましたが、根強く残っています。もしかしたら、読者側に「ニーズ」というほどではないですが、ある程度「習慣」のようなものがあるかもしれません。
日本の新聞でも埼玉新聞はとっくに株式欄を廃止しています。地方紙を中心にだんだん広がって行くんではないでしょうか。ある程度「習慣」と言えば、テレビですが、正月の特番ですね。最初の頃は在宅率も高く、特番だけあって視聴率も稼げたんですが、次第に視聴者から愛想を尽かされ、その頃ビデオデッキの普及もあって、レンタルビデオショップが正月には大繁盛したものです。視聴率が落ちても、テレビ局は習慣から抜けきれなかったわけですよね。しかし、ようやくテレビ局も
正月の特番は大幅に減らし、通常1時間枠の人気番組を正月の企画として2時間に拡大する程度に抑えていますね。

>とお書きになっていますが、市場原理に十分さらされています。部数激減でつぶれた新聞社もあります。
市場原理とは売り上げが減って倒産するといった幼稚園児にも分かるような簡単なことを言っているのではありません。新聞は、先ず 再販制度に守られています。本来なら独禁法で禁止されているカルテルに該当します。また、専売制というのも他の商品とは違います。普通はメーカーが小売店に商品を買ってもらうんですが、新聞の場合は 新聞社が販売店に新聞を押し付けるというように力関係が逆転していて、同一の商品を売る為に同業者が競合することもなく、消費者も販売業者を選べないというような問題点があります。

>社会正義の実現や権力のチェックなどというのは、あくまで理念であり、それはそれで大切ですが、実態は違います。「ジャーナリスト」といえばかっこいいですが、基本的には、他人の不幸事を飯の種にしている因果な商売です。
これについてはほぼ同調しますし、コメントしたいことも沢山あるんですが、この質問とは関係ないのでコメントは割愛させて頂きます。

>それはともかく、実際のところ、「大学入試センター試験」の掲載面は意外と人気があるのです。昔の受験生(?)が暇つぶしに挑戦したり、受験生の親が気にしたり、というのはよくありますし
これも昔の話になりつつあるような気がします。

補足日時:2009/01/20 16:53
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>掲載されいない内容はインターネットで調べなければならない


>一部の需要と無駄な紙の消費を減らすアースコンシャスを天秤にかければ

そんなことを言うと、センター試験に限る話ではないと思うのですが・・・ニュース欄、スポーツ欄も天気予報もテレビ欄も全部インターネットでいいという話です。

こんな基準で選べば、むしろセンター試験はまだ掲載意義があるように思えます。試験内容そのものを載せるだけですので、インターネットに対して紙が情報量で劣る部分が少ない。


よっぽど、他のニュース欄、スポーツ欄も天気予報もテレビ欄などの方が不要でしょう。

ケーブルテレビやCS放送も増えた中ではテレビ欄など役に立ちません。天気予報は情報少なすぎるし、今やYahooなどでも数時間後との雲の動きまで追える。ニュースはインターネットですぐに読めるし、情報量の差は天地の差。スポーツ結果にしてもインターネットだと画像や動画や詳細まで豊富にある。
そんな情報量に雲泥の差があって一部の人が知りたいような情報は他で対応すればいいのでは?


静的で情報量が試験用紙分に限られているセンター試験の方が、ニュース等よりも同質の価値を提供できていると思うのですが・・・




いずれにしてもこのあたりはメディアのあり方論を読まれるといいかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ニュース欄、スポーツ欄も天気予報もテレビ欄も全部インターネットでいいという話です。
新聞は英語でニュースペーパーと言いますから、ニュース欄のない新聞は存在意義そのものがなくなるでしょう。スポーツ欄に関しては高校野球やオリンピックなどは特に国民の関心が高いのでこれも不可欠でしょう。それに、スポーツに限ればスポーツ新聞もありますから。テレビ欄は新聞でも閲覧率が高いのでこれも絶対に外せないでしょう。天気予報は翌日の天気を新聞を読む前日に予測しているわけですので、テレビやインターネットがこれだけ普及している昨今では有益性が低いですね。

>試験内容そのものを載せるだけですので、インターネットに対して紙が情報量で劣る部分が少ない。
これも質問でも書いたように全部の科目の問題を掲載できないし、掲載していない問題を見たい人は結局新聞以外の手段に頼らざるを得ません。

>ケーブルテレビやCS放送も増えた中ではテレビ欄など役に立ちません。
そうですね、センター試験でも選択者の少ない科目だけでなく、大学別の試験問題についても、新聞は全く役に立ちませんね。

お礼日時:2009/01/20 16:20

新聞掲載の必要はほとんどありません。


新聞社として54万人も受験するので、受験生を購読者に取り込む
戦略ではないかと思います。
例えば朝日新聞は就職試験で最も引用される事が強みですが、
掲載当時は効果があったのですが、
ネット時代になっても他社が掲載しているので
中止する勇気がないのです。
止めると部数が減るという脅迫観念があると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/20 16:07

ご希望されるお答えじゃない可能性が高いですが。


新聞(まあTVや雑誌などのメディア全般も)そんな情報の集合体だと思います。
センター試験の問題にかかわらず。
新聞に掲載されなければ本当に困る!掲載せねばならない情報、
そんな情報なんてないのでは?
新聞に掲載されていなくても、ネットやTV、ラジオ、雑誌、天気予報なら177!
いろんなところから情報は入ってきます。
必要としているその順位の高い(と、新聞社側が把握している)情報が
掲載されているのでしょう。それが偶々センター試験の問題であったと。

経済紙や別種の業界日報的なポジションのものにセンター試験の情報が載っていたら
不要であると思いますが、通常の新聞ならなんの問題もないと思います。
1年に1回、大きく紙面を占拠するだけのことです。毎日地味に紙面を使用する
その他の情報よりも慎みがあって、季節感もわかり、クロスワードのように
頭の体操にもなる。結構なことでは。


ちなみに私は新聞自体の購読を行ってません…会社で読めるしネットで見えるし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>1年に1回、大きく紙面を占拠するだけのことです。
これが時代遅れなような気がします。

お礼日時:2009/01/20 16:23

#4です。


結局のところ、必要派の回答者が何を言っても、質問者様は来年のセンター試験の問題記事を見ることなどないでしょう。

回答者としても質問者様にはセンター記事は必要のないとのことですので、質問者様が必要であること自体を説いているのではありません。

回答者がこういう点で必要である、便利であると言うのは質問者様へ言っているのではありません。よって反論の必要性はありませんよ。「あ~、こういう情報弱者もいるんだ」と思ってくだされば結構です。

言いたいことは、「世の中に必要としている人がいる、ゆえに記事になる。」ということです。
(質問者様の必要性が記事の必要性ではないということです。)
ごく少数ではない人数(軽く見積もって、当年度と来年度のセンター受験、受験予定者はほぼ全員見ているのではないのでしょうか?教育関係者やただ単に興味がある人を含めたら少数とはいえないでしょう)が記事を欲しているということですね。
ですから、逆にごく少数の人しか欲さないマイナー科目は割愛されていますよね。



僕だって、例えば投書のコーナーは不要だと思います。
企業や役所のクレーム窓口みたいになってますからね。
しかし、それでも必要な人がいるから掲載され続けているのです。
前の解答で例に挙がりました、地方大会の結果や株式情報だってそうでしょう。
要らない人がいると言う記事を削ったら、新聞なんて不要ですね。

情報化社会うんぬんと言っておられる質問者様にはセンター記事どころか新聞自体が不要でしょう。
しかし情報化社会だからこそオフラインで使える媒体が有用であることもあるのです。
当日の記事に関しては、新聞のほうが検索時間は勝ります。(記事の性質で、どの辺に該当記事があるかは一瞬で判りますよね?)
機動性だって、新聞のほうが勝ります。というより、持ち歩かなくても至るところで新聞は手に入ります。
さらに過去の記事については保存さえしてあれば、サイト閉鎖のリスクや記事削除のリスクがないので、これも新聞のほうが勝ります。
(センター記事は特に保存性の利点で好まれているのではないかと、僕は思います)
センター試験で分からないところがあって、先生のところに行く時だって、端末を持っていくより、紙ペラ1枚を持っていったほうが、いいですね。

話が逸れましたが、センター記事に関しては
「質問者様にとっては理解しがたい利用者がいっぱいいる」ということです。
そしてそれでもお金になるので、記事になっています。

この回答への補足

再度回答ありがとうございます。

>「あ~、こういう情報弱者もいるんだ」と思ってくだされば結構です。
情報弱者は結局、マイナー科目は割愛されるという不利益を被ることになりますね。ただ、マイナー科目と言っても全部が極少数ではないでしょう。選択肢が多い科目だと選択者の多い科目だけを選ばざるをえなくなりますが。まあ、英語以外の外国語の科目はごく少数と言えるでしょうけど。

>僕だって、例えば投書のコーナーは不要だと思います。
企業や役所のクレーム窓口みたいになってますからね。
こういうものこそ必要でしょう。私が新聞で楽しみにしている蘭です。世の中には色んな声があり、新聞社が作為的に選ぶわけですが、
メッセージを送る側の視点で考えれば、新聞を媒体に使う意義は非常に大きいと思います。

>地方大会の結果や株式情報だってそうでしょう。
地方大会の結果は必要でしょう。地域版の枠でページのほんの一部を使うだけでしょ。もっとも、センター試験の問題のように何ページも使って詳細に報告するのはそれこそ紙面の無駄使いですが。株式情報は要らないと思います。アメリカのワシントンポストは既に掲載を廃止しています。

>当日の記事に関しては、新聞のほうが検索時間は勝ります。
所謂 一覧性というやつですね。検索というのは、過去に遡って関連記事を探すことを言っているのですが....

>「質問者様にとっては理解しがたい利用者がいっぱいいる」ということです。
確かに昔は多かったでしょう。しかし、何しろ活字が小さ過ぎて使用に堪えません。普段は眼鏡をかけていない私でも度の弱い老眼鏡が必要になってきます。

>というより、持ち歩かなくても至るところで新聞は手に入ります。
ユビキタスのことを仰っているんでしょうか。確かに全国紙はそうでしょうけど、地方の新聞はその地方でしか買えないでしょう。離島に行くとその日の新聞が読めなかったりします。

>さらに過去の記事については保存さえしてあれば、サイト閉鎖のリスクや記事削除のリスクがないので、これも新聞のほうが勝ります。
新聞社の多くは有料で過去の記事の閲覧サービスを行っているはずです。新しい記事が無料で古い記事が有料というのも ちょっと滑稽ですが。

>そしてそれでもお金になるので、記事になっています。
新聞というのは、市場原理にてはまらない部分があるので、必ずしもそうとは言えないと思います。

補足日時:2009/01/20 02:50
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