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先日、モーツアルトで免疫アップ、なぜモーツアルトなのかと言う質問をして感じたのですが、結局モーツアルト信者が多いからこういう流れになっているという要素が多いと感じました。そこでもっと根本の問題は、なぜ、モーツアルト信者が多いのか?というところにあると思ったので質問したいと思いました。

お願いいたします。

A 回答 (8件)

様々な表現・思想(作品)が存在する事に目を向け、それらをある程度大事に追求していれば、「何か特定の1つの物(あるいは人)だけが、全てをまかなえる完璧なものではない」というところにたどりつきます。


つまり、‘狂信的な信者’というものはとかく、そういう‘多面的視野’に欠ける‘1つのものだけで終わる人’に多い様に思えます。口は悪いですが一言で言うと‘無知さ’とでも言いましょうか。


モーツァルトの音楽が極めて単純で初歩的な理論・センスから成立っているものである事は、誰でも(音楽素人でもある程度は)認めるところでしょう。クラシック含めた西洋音楽に限っても、それより単純明快なものは皆無と言える程です。その単純明快さから、小さな子供や音楽に疎い者でも充分聴ける程、敷居はとても低いものとなっています。

モーツァルトがクラシックの中でもっとも扱い易い大衆的音楽であれば、それしか聴けない(他は理解出来ない)というリスナーは当然多いはずでしょう。(断っておきますが、他の作曲家のキャッチーな作品(CMなんかでよく耳にする様な)だけをつまみ食いするのは到底「他の作曲家も知っている」とは言えないでしょう。それなら「モーツァルトしか聴けない」のと同じですね。その程度のクラシックの聴き方ならどんなに音楽に疎い人でも出来ますから。)


以上を踏まえて。「サルでもわかる手軽さと、それに応じたリスナー数の多さ」、そして「モーツァルト以上の敷居を越えられない(自分がまだ理解出来ない段階のものに関心を持とうともしない)ライトリスナーの多さ」・・・・狂信者というものがモーツァルトだけにやたら多いのだとしたら、理由はこんなところです。

ちなみに自分には、浜崎あゆみを信奉しているギャル中高生と同じメカニズムに思えます。彼女達は歳を経れば大多数は感性が成熟(いろんな意味で)し‘あゆ’から卒業していくぶん、やれ「天才だ~」だの「免疫アップ」だの言っていつまでもモーツァルト止まりの信者なんかよりは、はるかにマシなのかもしれませんが。
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この回答へのお礼

大変納得しました。やはり、敷居が低いっていうのが、数に受けるという必須条件らしいですね。これは、クラシック界だけではない、世の法則と言うか(くだらない法則だと思いますけどね)
しかし、わかる≒感動 なのかというのが疑問ですね。わからないけど感動するっというのはないのか。感動すると言うことがすなわちわかっているということなのか?多分後者なんだと思います。ホルストなんかに感動できたとしたら、それはかなり耳が肥えているのかもしれませんよね。

大変示唆に富んだご回答でした。

浜坂との類似の指摘も秀逸です。卒業しないモーツアルトファンと言うのもなんともいたしがたいですね。

お礼日時:2009/01/25 09:54

ショスタキストの端くれのチェロ弾き的感覚ですと、ヨアヒム・モーザーの音楽の200年ごとの時代区分における古典派~ロマン派時代の創世の大天才がモーツアルトであり、最後を飾る熟成の大天才がショスタコーヴィッチということになります。

(なんて、唐突なバイアスかかりまくりの決めつけだろうか!?・笑)

つまり、
(1)1150年~1350年  単旋律から多声音楽への時代 グレゴリオ聖歌やノートルダム楽派 

(2)1350年~1550年  ルネッサンス・ポリフォニー多声音楽の発展

(3)1550年~1750年  バロック時代 バッハによる完成

(4)1750年~1950年 古典派~ロマン派の時代
 モーツァルト ベートーヴェン (中略) ショスタコーヴィッチ

やはり、始まりと締めくくりは大物なんです♪
根拠無し。

とはいえ、モーツアルトの音楽の素晴らしさは、聴いていて眠くなるのに退屈なわけでもないというところにあると思います。
だから、‘モーツアルト効果’なんていう、ちょっと考えればあり得ない与太話が大真面目に語られた。
やはり、凄いです。

それに対して、ショスタコは、鳴っていたら聴かずにはいられない、気が散ってどうにもならない素晴らしい音楽です。
以上、偏見。

ま~~、モーツアルトもショスタコーヴィッチも、僕には同じ素晴らしい西洋音楽、所謂クラシック音楽200年の大天才であることは同じ。
21世紀の音楽はまだ見えていないですよね。
今後、200年の音楽の基礎を発想する新しいモーツアルトの音楽を聴いてから死にたいものだね♪
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この回答へのお礼

どうして、モツ蛸を主観的にピックアップされているのかよくわかりません。どうも説得力にかけるような気がするのですが。

お礼日時:2009/01/25 17:09

No.1のPhyoncoです。

天使の4声、いわゆる「ドレファミ」ですね。スティーブン・スピルバーグが「未知との遭遇」でパクってたのは知る人ぞ知る話です。まぁ、ユーモアの一つとは思いますが。詳しく知りたければ、小林秀雄でも読んで下さい。
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この回答へのお礼

小林秀雄はどうもフランス文学者でありながら、聴くものが偏っていますよね。

お礼日時:2009/01/25 17:08

 先輩回答者様が、其々のスタンスでお答えになっている内容を、全て納得しつつ、チョッと言い回しを変えてみようかと思いましたが、理解頂ける内容に成るのか、稚拙な駄文で終るのか、今は判らない行き当たりばったりの書き始めである事を、前以ってお詫びしておきます。



>なぜ、モーツアルト信者が多いのか?

 専門的な知識が有る訳でも造詣が深い訳でも有りません。子供の頃からクラシックを聴く事が好きだった父の傍らで刷り込まれ、モーツァルトに限らず、バロック・古典・ロマン派や宗教曲を多く聴かされて、何時も間にやら私自身も似た嗜好性で聴き役に徹しているだけの無芸者です。
 そこで、無芸者の強みを生かして、論理的に通用しない論理で話を進めさせて頂きますので、無視されようと、馬鹿にされようと、ご自由に為さって下さい。笑い飛ばして頂ければ幸いです。
 では、
 私が思うには、モーツァルトの音楽は、象徴的で極端な言い方をしますと、ポピュラ音楽の中でも歌謡曲の様な感じがするのです。

(1) メロディーラインをみれば、メロディを作る音符のつながりが、聴き手にも大凡想像が付く安心感がある。言い換えれば、想像もしなかった音へ飛ぶ事は先ず無い。(歌謡曲・演歌の様に・・・)
【この事を一般的な人の嗜好的行動パターンで言えば「理屈無く聴き易い・取っ付き易い・聴き手に多くの努力を求めない】

(2)-I しかし(1)で、述べただけの音楽ではないのですよ。其処には、其々の作品のどれにも、一生変わる事の無かったモーツァルトの音楽上の人物像が存在しつつも、一曲毎では、その都度のモーツァルトの環境の変化や成長する姿も見えます。そして、彼の生涯の途中途中での人への心の有り様が感じられる。
【この事を一般的な言い方に変えれば、一人の作家の心の有り様が、ドラマ仕立てのように繋がる。】(未だ見つかっていない曲も有るだろうと言われながら、35年の人生で作曲された数が800曲とも!レコード・CDや演奏会に掛けられた曲でも300曲は下らないと・・・・)
(2)-II八歳頃のイギリス旅行中、父が大病で床に伏せていた間に、ピアノ?(チェンバロ?)を使わず、初めて父の手を借りずに自作した40曲余の作品を聴いて、既に、その後に作曲される、超有名な曲のエッセンスが至る所に顔を出す才能の持ち主で有りながら、宮廷パトロンや教会パトロンの為に作っていた音楽から、晩年に向かっては大衆の為の音楽に変化して行った自然な流れの中での彼の心の変化。などが、どこか、聴く人たち其々の心の有り様に、柔らかく寄添うのではないかと思うのです。

(3)でも、通俗的で大衆迎合的な使い捨て音楽にならないのは何故??・・・音楽学からの理論からみても、あの時代なりの作曲法の開拓や発見を持続し続けたと言う事でしょう。
 蛇足ですが(それには、新たな楽器の発明や既存楽器の目覚しい改良も影響していますが、宮廷と言う小さな空間で演奏する為の音楽から、大衆に聴かせる為のホールへの変遷も影響していたでしょう。)

ですから、彼の曲を演奏する人は非常に多く、レコードでもCDでも大変な曲数と演奏が残されています。その中には、何度聴いても聞き飽きない(深い音楽の解釈と技量=例えば、モーツァルトの演奏で定評がある指揮者ブルーノー・ワルターやカール・ベーム)などが思い浮かびますが、その一方で、確かに楽器を操る腕は確かかも知れないが??その音楽のメッセージが何たるやなど、想いを廻らした事も無いと言切ってしまいたいほど、聞き手の心に何も響いてこない演奏も有ります。
 それと、同じ状況が、モーツァルト・ファーンとのたまう多くの聴き手の中に混在しています。聴き手の〈音楽鑑賞感性レベル〉が、同一レベルでは語れないほどの幅がある事です。かの物理学者アインシュタインの様にケッヘルが整理し切れなかった曲や、アインシュタインが新たに分析しなおした曲も有り、そして現代でも彼に準じるほどの造詣の深い人たちが居ますが、その一方には、モーツァルトの名前と少し曲名を挙げられたら、格好良い!程度も、自称でファーンと言えば誰も否定は出来ないのでしょう。
 私が言っているのは、この事の良し悪しではなく、これだけの幅のある聴き方の人たちを、一人の作曲家の名前で括れてしまう事が凄い事だと思うのです。
 広く音楽と言う世界で、人気が高くなっただけでなく、その人気が長く持続している曲を思う時。大体に於いて、メロディーラインが万人に解り易く、比較的シンプルな作りである事ではないでしょうか?
 聴き手が引き込まれた後、聴く事に努力や哲学的思考を要求する作曲家の代表として、例えばベートーヴェンやブラームス・リヒャルト・シュトラウスやマーラーなどが思い浮かびます。
 聴く事に努力を要求しないから、多くの人の耳に拒否感なく残り、拒否感が無い事が、
>モーツアルトで免疫アップ
になるのかどうかは、私は正しい知識では知りませんが、少なくとも、音楽療法と言われる心の面に、作用し易いと言うのも妙に納得してしまいます(苦笑)!
 始めにお断りした、そのままの、訳の解らぬ文章になってしまいました。書きながら、文才の無いのを、今日もまた、恥じておりますが、どうにも成りませんでした。理解し難いと存じますが、ご容赦下さい。
 更に、読み直しておりませんので、誤字や脱字、また、奇妙な箇所が有るかも知れませんが、それもご容赦願います。
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この回答へのお礼

長文のかいせつありがとうごじざいます。
1は私は違うんですね。なにか意外性がないとつまらなくてあるいは腹立たしくてしょ言うがないという性分です。なので、もしそれが多数派だとしたら、その気持ちマジョリティの傾向が実感できないと言うことなんでしょう。
2は大衆に優しいのも貴族に優しいのも、どちらがどちらむきといこともないのではとかんじます。
3かなり革新者であった(しかしあの時代だから今はそれがあまり感じられない)ということらしいですね。この点今の時代で評価されると厳しいでしょう。

モーツアルトの知名度が高いのは、その敷居の低さからではないでしょうか?底辺領域に多くひきつけるから他の作曲家を数で凌駕しているだけなのでは?
聞くことに努力を要しないことが、逆にストレスになることもある(しかし少数である)と言うことが実情だと言うことがご回答から見えてきたような気がしました。

お礼日時:2009/01/25 17:07

こんにちは(^-^)


たびたびお会いしますね~。この件については♯4さまと同様の意見です。(理論的に説明が苦手なので、勝手に便乗させて頂いています^-^;)
回答を締め切られた後で『音楽療法』の件に戻り 大変申し訳ないのですが 私の表現に不適切な部分があったので 訂正させて頂きたく 回答させて頂きました。音楽療法の第一人者の教授の方を『モーツァルト信者』と表現したのは 質問者さまのこの質問を拝見した時に 不適切だったな…と反省しまして。『モーツァルト愛好家』のような表現が適切だと思っています。
この方が『モーツァルト愛好家』だったから『モーツァルト音楽療法』の研究に成果を見い出されたのか『音楽療法を研究・追究した結果』モーツァルト愛好家のような発言が目立ったのかは 無責任のようですが判りません。
私の憶測ですが この方の研究は私の聞いたラジオをはじめ テレビ(たけしのアンビリーバボーです)でも取り上げられたそうで 日本人の傾向としてマスメディアの影響を非常に受けやすい…という事を考慮すれば 『モーツァルトの音楽』を盲目的に愛好する人が多いから『音楽療法はモーツァルト』という流れではなく 『音楽療法はモーツァルト!』という『情報』を愛好?する傾向が強いのではないかな?と思った次第です。
又々 『音楽療法』の話しに戻り恐縮ですが 質問者さまのお礼文にあった 物理的レベルと心のレベル…とのご意見は 非常に納得致しました。
最後に…なぜ私が『モーツァルト信者(適切には愛好家)』と名乗るほど モーツァルトが好きなのかは 私自身わかりません^^;が
だからと言って他の作曲家がダメかというと 他にもたくさん『愛好家』と名乗りたくなる作曲家は山ほどいる…という非常にいい加減な愛好家です。
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この回答へのお礼

>『モーツァルトの音楽』を盲目的に愛好する人が多いから『音楽療法はモーツァルト』という流れではなく 『音楽療法はモーツァルト!』という『情報』を愛好?する傾向が強いのではないか

それは、究極の堕落でしょうね。世の中それが普通なのかもしれませんが。愛好できると言うのはなににしろ貴重なことです。

お礼日時:2009/01/25 17:00

こんにちは。



信者にせよ,アンチ信者にせよ,刷り込み・思い込み・偏見・先入観・などなどに固まってしまっている人たちのことを合理的に説明するのは難しいですし,そもそもモーツアルト信者っていうのが多いのが事実かどうか分かりませんし,「もしも」モーツアルトの音楽にそれだけのカリスマ性?があるならば信者が多くても当たり前,ということにもなるのですが,その辺の混沌を招きそうな事柄の話はおいときまして,普通に「なぜモーツアルトにはファンが多いのか」ということでしたら,変にうがった見方をせずに素直に常識的に推論すれば,

「モーツアルトの音楽に多くの人が何らかの『魅力』を感じているから」

ということだと思います。

モーツアルトの魅力って何だ?,とか,それが万人にとって魅力と感じるかどうか,とか,そのあたりは,以前別のQAでやりとりした内容と重複するのでとりあえず今回は申し上げません。


---
余談として,私個人としてどうか,ということでしたら,モーツアルトが他の作曲家よりも特別好きということもありませんし,かなりマニアックにいろんな作曲家・作品も聴きますが,最近は,「いずれはここに回帰することになるのかもな」という予感をそこはかとなく感じるようになってきたような気がします。

新しさ,多彩さ,複雑さ・・・,さて,音楽の本質ってなんだろう?
人の心の琴線に触れるのに,ややこしい事や回りくどい事ってどのくらい必要なのだろう?

なんてことを考えたりすることもあるのでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。その通りですね。魅力と感じる。それがどういう意味合いにせよ、究極ですね。

お礼日時:2009/01/25 10:53

質問者さんが、どの程度の人を「信者」と仰っているのかわかりませんが。


単純に「知名度が高いから、名前が挙がる率が高い」だけだと思います。

クラシックになじみのない人に、「クラシックの作曲家」をたずねれば、ベートーヴェンとモーツァルトが2強でしょう。「3B」なんて謳われるバッハやブラームスでも、出てこない人はザラにいます。

で、たぶん、モーツァルトのほうが、「大好きなんですよ」と言った時に「オシャレ、カッコイイ」イメージがあって無難なのでしょう。
ひと昔前ならベートーヴェンが「偉大」なイメージがあって上位に来ましたが、昨今の風潮はライト感覚のほうがウケますし。
(政治家のセンセイに、「好きな作曲家」を聞くと、1位が古賀政男、2位がベートーヴェンなんだとか。お年寄りが多いので当然ですね)

ついでに言えば、「モーツァルトの○○の曲が好きなんだ」と聴かせたときに、「なんとなくいい曲にきこえる。わかる」というのが大きいと思います。ベートーヴェンやブラームスだと「なんか難しくてわかんない」という反応をされてしまう可能性も高いです。
人は、自分のワカラナイものの「信者」には警戒します。なので、信者になるなら、「わかる」ものがよいのです。
まあショパンなんかも無難路線ですが、ピアノばっかりだし。

身も蓋もない回答ですが、参考程度に。
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この回答へのお礼

やはり、わかりやすくて、ライト感覚と言う2条件が受ける原因なのかも知れんですね。政治家のおじいさん方がベートーヴェンと言うのはさもありなんです。

お礼日時:2009/01/25 09:50

天使の4声のせいでしょう。

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この回答へのお礼

What is the 4 voices of angel?

お礼日時:2009/01/21 13:27

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