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1、凶悪事件が起きるたびに出る死刑存続・廃止論あなたはどちらですか?

2、何故、死刑存続・廃止論なのですか?

哲学カテであえてお聞きします。

A 回答 (15件中1~10件)

1、凶悪事件が起きるたびに出る死刑存続・廃止論あなたはどちらですか?


2、何故、死刑存続・廃止論なのですか?

かつて起きた「女子高生監禁・コンクリート詰め殺人」という事件と、その後の犯行当事者たちの情報を見聞すると、こういう事件、こういう犯罪行為者が存在する以上、私としては死刑廃止の主張が軽々しく聞こえてしまうのが正直なところです。
いまの自分には、これ以上のことを述べる判断力はありません。したがって、1、2、ともに私個人は一言で言うなら保留です。

ただ、(全ての御回答に目を通してはいないのですが)No.11さまとNo.13さまの御回答は興味深く思いました。

死刑の、凶悪犯罪に対する抑止力効果に関して、信頼の置ける新たなデータが出てきているのでしたら、これは大いに注目に値することだと思います。

死刑制度が実行されることによる、われわれ一般市民一人ひとりの心情的負担感を負いたくない、という面で考えますのなら
死刑よりも残酷なのは、究極まで自由を剥奪した終身刑のほうが、むしろ、より残酷な刑、ということをどう考えるのか、という問題も問われることになってくると思います。


また、以前チラと見かけたのですが、精神疾患等により、責任能力を問えないような立場の者でも、本当に等しく一個の人間として遇するならば、その犯罪行為に見合った分の刑に服させるべき、という考えかたもありました。


まあ、あくまで自分側の利害または感情によって他人を死に至らしめる行為をしてもよい、という思想があるのでしたら、そういう思想にもとづいた価値判断で行ったわけですから、その犯行者を極刑に処するのは、むしろ当人の思想信条を尊重してやっている、という見方もできるでしょうか。
但し、こちら側が、そんな思想信条に納得共感しているわけでは毛頭ない、というところがジレンマになってしまいますね。
「万人の万人による戦い」の世界なんて、ほとんどの人は厭なはずですもの。
いっそのこと、単に、この者の場合は、こういう思想信条とか価値観を堅持している、ということを重んじての死刑だ、とでも割り切れればいいのかもしれません。
あるいは、いや、そういう思想信条、価値観を、社会の安寧にかなうレベルに至るまで矯正していくべきなのだ、という考えも、もちろんあるでしょうが、矯正などとは、それこそ人権無視の強制だ、よろしくない、などという意見も出てきそうです。

もし死刑は全廃、終身刑まで、と決定するなら、まず刑務所の増設や、諸々の維持費のアップ等を実行せねばならないですし、これだけ寿命が延びてますから、いかなる時代においても凶悪犯罪というものも必ず一定の割合をもって発生してくる、ということと、どう折り合いをつけるのか、とか、これはこれで難しい問題が山積しそうです。

質問者さまは仏教思想に絡めた意見をお求めなのでしょうか、それでしたら私は疎いので、とくに申し上げられることはございませんが、「カルマであるから」云々を言ったところで、全員が仏教思想にしたがっているのではありませんし、やはり現実論としての説得力がなければ社会的合意は不可能だと思います。

とにかく、抑止力についての信頼に足る研究を進めていってほしいです。
それと共に、凶悪犯罪を未然に防ぐ社会全体で取り組むギリギリの努力は当然、必要だと思います。
それは、私たちの個人的な領域からして もう問われていることなのだと思います。つまり、他人事ではないということです。
犯してしまった後のこと以上に、犯させないという努力は、「カルマ」なるものにも反することはないのではありませんか?そこは私、よく存じませんが。
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この回答へのお礼

昨日も死刑が執行されたようですが、中々難しい問題では有ると存します、裁判員制度も始りますし、色々は皆様のご意見をお聞きし考えさせられる質問と成りました。

回答して頂き有り難うございました。

お礼日時:2009/01/30 14:30

1、廃止派です。



2、意味がないどころか弊害があるからです。
この場合の弊害とは、無用の罪悪感を(無意識的にでしょうが)植えつけてしまうこと、ですかね。
この場合の罪悪感とはなんぞや、といえば、それは単純ですが、「殺してしまった」という罪悪感です。
悪いことしたのだから殺したっていいじゃないか、という見解もあるでしょうが、おそらく少し違うのだろうと思っています。
なぜかといえば、人はいつ「悪いこと」をするかわからない、というのが真理です。
つまり、「悪いことをしたから殺す」というのは「自分も悪いことをしたら殺されて当然である」という論理を自ら肯定することになります。
しかも、先に述べたようにいつ悪いことをしないとも限らない、というのが真理であるわけです。
しかし、自分がその立場になった場合に殺して欲しいと(心底から)欲することは特殊な事情がない限りは稀でしょう。
そうすると、死刑という制度は、自分の場合はだめだが、他人ならば良い。
という論理になります。
これが罪悪感の基調を為していることでしょう。
それゆえに皆気付かないふりをしているし、行政もそれに呼応した形で死刑執行の詳細を発表したがらない、という現象につながっているのだと思われます。
つまり、【無意識的には】誰もが、殺すのは嫌だ、と思っているわけです。
犯人のためではなく、自分のためにです。

ただ、被害者サイドに立ってみれば、極刑を科すべき犯罪というものはあります。
その意味で、現時点における死刑は当然です。
これには反対しません。
「情状酌量の余地」がなければ極刑を科すべきです。

しかし、この場合、極刑を科すことによって蒙る「心的返り血」に気付いていません。
その意味で死刑は廃止されるべきだ、ということです。
理想論だという反論は想定されます。
しかし、自分で絞首のボタンを押す場面を想像してみるとわかりやすくなるかもしれません。
極刑に値する犯罪が行われるたびにそれが繰り返されることになります。
しかも、(肯定するのであれば)国民総意の正義として【堂々と】実行されなければなりません。
それによって果たして本当の安寧が得られるのだろうか。
そのことを十分検証したという確信を持って賛成しておられるのだろうか。
そういう感想は持ちます。

ただ、現在の制度のままでは下地が不十分です。
死刑廃止の最低条件は、恩赦などによる途中出所が絶対に認められない終身刑でしょう。
しかし、罰としての終身刑であるわけです。
見せしめでも良いでしょう。
下地が不十分と言ったのはそういう意味です。
つまり、人間性を否定するほどのひどいものにするのは問題ですが、居住環境は最低限のもので我慢してもらいます。
立って半畳寝て一畳、という言葉がありますが、それで十分でしょう。
また、重労働を以って償いをしてもらう。
すなわち、『自由とゆとり』は剥奪します。
ただし、生命維持に不都合がないように配慮することは必要です。

無用の罪悪感を持たされずに為したことの責任をとってもらう、最善の方策と個人的には考えます。

この議論をする場合、おそらく民度(国民の文化的資質)といったようなものが影響してくるでしょう。
先に、『自由』を剥奪すべき、と述べましたが、このような発想がが受け入れられるのは『自由』の意味を十二分に理解し、且つ享受できている場合だけでしょう。
しかるに、現在の日本ではそれが本当の意味で国民に十分行き渡って(享受して)いない。
その結果の死刑存続傾向ではないか、と考えます。

死刑が未だ存続されているのは、『自由』の剥奪がいかに重要な意味を持つか、に気付いていない。
ということも関係しているのではないか。
このような感想を持ちます。
 
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この回答へのお礼

廃止派ですか、日本では少数派に入るんですかね。
色々な人の多様なご意見をお聞きし参考にも成り。裁判員制度も始まる事ですし、色々考えさせられました。何れしても難しい問題では有る様にも思います。

我回答して頂き有り難うございました。

お礼日時:2009/01/30 14:14

1.死刑存置派です。



2.以下の理由によります。
(1) 死刑に凶悪犯罪の抑止力がないと言い切れない。
 どうも、最近では死刑に抑止力があるという研究結果があるみたいです(注1)。そういう研究があるならば、死刑廃止にはかなり慎重にならざるをえません。
 また、警視庁の犯罪白書(2006)には、「日本の刑罰の軽さを理由に日本で犯罪をはたらく外国人」のコメントが書かれています。

(2) えん罪で死刑になる人がごくわずかしかいない。
 戦後50年で数人です。もしこの数人を犠牲にして凶悪犯罪が防げており、結果として無実な人々の命が多く救われていた可能性があるのなら、やむを得ない犠牲だと言わざるを得ないと考えます。

(注1)Hashem Dezhbakhsh and Joanna M. Shepherd The Deterrent Effect of Capital Punishment: Evidence from a "Judicial Experiment"(2006)
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この回答へのお礼

死刑存置派ですか、日本人は多数がそうですよね、色々な人の色々のご意見をお聞きし、参考になりました、裁判員制度も始ることですし、良い機会に成りました。

ご回答して頂き有り難うございました。

お礼日時:2009/01/30 14:06

>凶悪事件を完全になくす事は甚だ難しい事だと存じます



その通りだと思います。
責任能力の存否についても、そのギリギリの境界線上に極刑があるの
ですから、如何なる対策も完全とは言えないでしょう。
しかし、その難しさに果敢に挑戦する前から死刑の存否を論ずるのは
順番が違うのではないでしょうか。
凶悪事件全体に対する立案された対策が、
既に発生した凶悪事件に対して、論理的に妥当性があり、
一定期間その効果が確認できなければ、
それは、いずれ再発しますよと言っているようなものであって
(その状況は、犠牲者(被害者)が出るということ)、
現実的に死刑を廃止する根拠は見出せないように思うわけです。

逆に言うと、現実的に何の具体的対策も講じられずに、理想論のみでこれを廃止して、
その後に発生した同様の事件の被害者に立法が責任をとれるか
ということになります。
犯人が、何をやったって、死刑になるわけではない・・
と語っても、司法も被害者はもはやどうすることもできません。過去は取り戻せません。
この場合について言えば、犯人に対する社会的責任や冤罪の可能性は
廃止の根拠にならない別次元の話かと思います。

廃止論者の私が言うのもなんですが、
廃止するには、それなり(完全とは言えないまでも)の現実に効果がある具体的対策が必要なのだと思います。
そして、いずれ、死刑は、形骸化し、あってもなくても意味のなさない
ものになる地点が本来目指すべき方向性ではないでしょうか。
現実感のない廃止論は、凶悪犯罪を起こさせないという最優先課題からずれてしまうと考えます。
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この回答へのお礼

裁判員制度も始りますし色々な方々の多様なご意見をお聞きし色々考えさせられました。

再び御回答有り難うございました。

お礼日時:2009/01/30 14:02

1、死刑存続派です。


2、原則としては、人ひとりを殺したら自分も死をもって償うというのが、私にとってはお腹にストンと落ちる理屈。

私にとっては、死刑反対派の言うことが欺瞞にしか聞こえない。
死刑反対派は、何かというとすぐに「死刑に抑止効果はない」という金科玉条を出してきますが、こんな理屈はとっくの昔に破綻しています。
今ちょうど公判中の事件で、2年前に起きた「闇サイト殺人」というのがありますよね。闇サイトで知り合った男3人組が通りすがりの女性を拉致して強盗殺人、というやつですが、あれが発覚したのは犯人の一人が

「死刑になるのが怖くて自首することにした」

からです。不幸にして殺人は起こったけれど、このケースでは死刑はそれ以上殺人が増えるのを確実に防いだわけですよ。少なくともこのケースでは死刑は抑止力を持っていた。だから、死刑反対派のいう抑止力云々なんていうのは、現実をみていない(というか、現実を見る気がしない人たちの)都合のいいお題目でしかないことがはっきりしたわけです。

それから、お題目No2の「冤罪可能性」。冤罪の可能性なんてどんな裁判にだってついてまわることでしょう。大体、殺したら償いようがないといったって、池田小の小学生殺人みたいに、本人が認めていて犯行事実に疑いがない場合は、死刑反対する理由がなくなるでしょう。要するに、冤罪の可能性があるからっていって、死刑をまるきり全部廃止する理由にはならないはずです。

要するに、死刑反対派の理屈が理屈になってない、ということです。
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この回答へのお礼

そうですか、死刑存続派ですか確か日本人の多数はそうですよね。色々皆様の多様なご意見をお聞きして勉強に成ります。

ご回答して頂き有り難うございました。

お礼日時:2009/01/30 13:56

条件付死刑反対論者です。


最近は「普通の人」が無差別殺人を犯しています。家族の心情を慮ると死刑と言う極刑が求められるのかもしれません。
他の方も仰っているように、死刑が犯罪に対する抑止力はありません。無期懲役でも数年すると釈放されてしまうと言う現状がなんとも言えないやりきれなさを感じさせます。“眼には眼を"のハンムラビ法典は現代でも行なわれている国があるようです。
それが正しいかどうか判りませんが、無期懲役は字義通り無期にしていただくのが良いのだと思います。アメリカのように積み上げ方式で懲役350年というのも、如何なものかと思います。
何度も「何故人を殺してはならないのか」、「自殺は何故いけないのか」と出てきていますが、殺人も、自殺もそれを良しとする根拠は無いようです。死刑も殺人の形です。罪に対する罰と言う考えも在るでしょうが、昔から言われているように「一人殺したら殺人者、百人殺したら英雄。」等とも・・・現在では場合によっては軍事裁判になりうる攻撃もありうるのですから、他人をいかなる根拠、方法でも殺してはいけないと思いますが、お答えになっているでしょうか。
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この回答へのお礼

>無期懲役は字義通り無期にしていただくのが良いのだと思います。

これも死刑より残酷だとの声も有るようですね、何れにしましても、結論が出にくい問題だと思います。

ご回答していただき、ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/25 17:55

わたしが死刑廃止を支持する人道主義者達に対して吐いた強い言葉をあなたは質問者に対して向けられたと錯覚なさったようですね。

ということはあなたは中立的立場をとりつつも実は死刑廃止論者なのかもしれません。
わたしは死刑を廃止した場合起こり得るもう一つの問題を提起いたします。次のケースを想定しました。
男は事業に失敗して自暴自棄になりました。ホームレスになります。しかし、ホームレスなどなりたくない。刑務所のほうがましだ。どうせ刑務所に入るなら一生面倒見て欲しい。70歳になって放り出されてはたまらない。終身刑になろう。終身刑になっても恩赦があるから恩赦があっても仮釈放されることのない凶悪犯罪を犯そう。銀行強盗をして3人以上殺そう。男は銀行に押し入ったらまず行員を三人くらい殺します。そうして行員を震え上がらせておいて金庫を開けさせ、一億以上のお金を強奪します。つかまれば暖冷房つきの刑務所にスキップして入ります。一生安泰です。つかまらなければ一億の金を使い切るまで豪遊です。毎日酒池肉林の生活です。なぜこういうことになるか? 死刑がないからです。だからわたしは死刑存続を訴え続けます。日本人は欧米のキリスト教的博愛主義に染まってはなりません。
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この回答へのお礼

再び回答して頂きありがとうございます。

言われる事はごもっともだと存じます。日本人の大半が死刑存続論でしすし。私もその一人です。

ただ無学に近い私でも哲学宗教に触れ、租借し考えますと、極悪人、殺してしまへとは簡単に行かなくなるのです。私は仏教系ですから業ですね、人間の業。人類の業は不安や死から逃れられない。

個人の業は盲目て生まれてくる人、普通に生まれてくる人、   早死にする人長生きする人  極悪人  聖人  不遇の死にあう人 そうでない人 はたしてこれらが本人の自力だけでなのか。

そう言う意味でお聞きしています。

お礼日時:2009/01/25 01:32

1.廃止です



2.近代法の理念だからです。
近代法は法哲学ととして、権力からの解放・個人の私権の確立・個人の生存権の保護、を標榜しています。
ここに至る哲学的な思考は、かっとばしますが、ようするに法によって抹殺されるものがあってはならないのが、理想の姿だといえます。

その点死刑は2重に理想に至る道をふさいでいます。
・犯罪者を死に至らしめる刑であること。
・身体刑であること
です。

身体刑とは、万引きしたら手首を切り落とす、交通違反は鞭打ちなどの刑罰です。
近代法を基本とする各国家の法体系を見てみると、死刑は議論の余地があるものの、それ以外の身体刑はまずありえないのはご存知だと思います。
これは上記の理念である、私権の確立と生存権の保護を目的とすれば、刑罰が終了しているのに、その後の生活(生存)に著しい不利益を被る可能性があるからです。
また、権力者にとって不愉快なまたは反対勢力となる者を殺すことなく抹殺できる手段を残すことにも通じます。
文筆家なら万引きをでっち上げて手首を切れば、不愉快な文章を封じることが出来ますし、アジテーションのうまい者なら、詐欺をでっち上げて舌を抜けば、人々を扇動する言葉を出せなくなるからです。

このようなことが、実際の法律の進歩に影響し、身体刑はなくなっているのですから、同じ線上の死刑も廃止すべきだと思います。
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この回答へのお礼

ON5様もおしゃってますが、法哲学というのが有るのですね、色々なご意見を拝見し大変参考に成ります。

御回答頂きありがとうございました。

お礼日時:2009/01/24 21:49

難しい問題ですが


1.死刑存続論です。

2.罪人といえど、救済されるべきです。死刑は、その救済です。
 更生可能であれば、その更生の機会を奪うから、刑なのです。
 更生不可能であれば、救済の為、行われるべきです。

 法的な話じゃないみたいなので、自力救済の禁止は触れてもしょうがないですね。
 あとは、被害者の魂の救済です。(遺族ではありません。あくまで被害者本人の魂)
 罪を憎んで人を憎まずこれは、その通りです。罪だけを憎んで、人を憎まないからこそ、罪に応じた罰を与え、その人の魂を救済するのです。

 ただし、冤罪の可能性がありますので、執行は慎重にならざるを得ませんが、あえて、哲学カテということで、その点は無視しました。
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この回答へのお礼

回答して頂きありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2009/01/24 21:39

死刑をなくすと終身刑しかない。



終身刑というのは、

1.家付き
2.暖冷房つき
3.健康的食事つき
4.医療つき
5.介護つき

ホームレス
1.家なし
2.暖冷房なし
3.食事なし
4.医療なし
5.介護なしで野垂れ死にするだけ

ホームレス→善良な弱者
終身刑受刑者→凶悪な犯罪者

どうして凶悪な犯罪者の介護を血税で面倒見るんだよ! ふざけるな!

この回答への補足

> ふざけるな!

私は賛成いてるとも反対だとも言っておりません、宗教的視野・哲学的視野の本質を見ぬ方にお聞きしたいのです。

彼方様が将来犯罪を起こさない保証は何処に有るのですか、私には有りません、それが有る意味、宗教的視野です。

司法に携わっていらっしゃるなら冷静な書き込みを希望します。

補足日時:2009/01/24 12:43
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