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僕の彼女は、音大です。そして僕はギターを嗜みます。

僕の価値観ですが、人とは違う演奏つまりアドリブなどを特に重視します。しかしながら彼女はショパンetc 技術の向上が最優先のようです。もちろん僕も技術の向上は最たる課題ですが、何回も彼女に聞いてもわかりません。

彼女曰く、同じ曲でも、演奏家によって表現が違う。自分なりの表現を確立したい。なんとなくわかります。自分の表現によりテンポなどを変えてみたりでしょう。

確かに最もな話ですが、思うに単なるコピーではないのか?自分で新たな音楽を創造しようと思わないのだろうか??と思います。今現在たくさんの著名な
ピアノほかクラッシクの演奏家がいます。当然僕の意見の方が否定的とは思いますが、造語ですが単なる技術、表現に優れた「コピニスト」にしか感じられないのです。

アーティスト名はあえて言いませんが、特にJAZZ及びハードロックのピアニスト(キーボード演者)の臨機応変な演奏こそすばらいと思うのは単なる価値観の違いでしょうか?

A 回答 (10件)

 作曲者と演奏者の関係、と申しますか・・・。



 アドリブ、とは、作曲者と演奏者を同一人物が兼ねる行為ですよね。
 ただし、完全に1からというわけではなく、現代物(ロック、ジャズ、ボサノバ、etc.)は、1つの曲の中でアドリブを行なう場合「コード」と「リズム」に一応縛られていますよね。加えて、主旋律(メロディー)と全然はなれた事もできない、というわけで(やってしまうと別の曲になってしまいます)、ある限定された範囲での作曲行為と言えるのではないでしょうか。この行為を実現するためには、10mbさんの価値観でおっしゃるような「才能」が必要だと思います。

 ピアノ科(?)の彼女さんの場合は、上記の現代物に与えられている「作曲」部分が「演奏家」に任されていないスタイルの音楽をされているんですね。「コード」「リズム」どころか、メロディー、コード部分の構成音、その発音順序まで、殆んどすべて。それを規定しているのは「楽譜」であり、「楽譜」を作成するのは「作曲者」に任されている部分、ということになります。
 しかし、楽譜に全ての音楽的な情報が書かれているかというと、そうではなく、書いてない部分もあります。楽譜に書いてある部分をその通りに演奏する、というのは演奏家の義務ですが、書いていない部分については、演奏家の創意工夫が許されます。創意工夫とは、例えば楽譜を声部に分けた場合、どの声部を強く弾くかとか、一つ一つの音の長さを、楽曲を乱さない範囲でどの程度伸びちぢみさせるかとか、鍵盤を打ち下ろすスピードを早くするか遅くするか、ペダルの時間と踏み変えのタイミングをどうするか、などといったレベルのことになります。旋律をどう解釈するか、という問題もあります。それによって、前述の技術の使い分けがなされます。

 クラシックだからといって、楽譜に全て音の選択を任せているかというとそうでもなく、時代によって違いがあります。バロック時代(1750年頃以前)は音符の全てを楽譜に書かず、旋律とベースラインが簡略に記され、コードは数字表記、演奏者が足りない音を補う、というスタイルが一般的だったようです。現代物のように大胆なアドリブが要求された時代でした。作曲者と演奏者(時には指揮者)を同一人物が兼ねることも普通でした。
 古典派を経てロマン派以降(1800年代、ショパンなどはまさにこの時期)の音楽になると、関心や対象が神や王侯貴族から一般民衆、それも個々人へと変わっていきます。作曲者も結局個人ですので、創作活動が個人の感覚や才能の発露・表現、というように段々変化し、それに伴って、楽譜を綿密に作成するようになっていったようです。演奏に要求される技術は高度化、大規模化し、一個人で「作曲家」と「演奏家」を兼業することが困難となっていきました。楽譜は「作曲家の人格そのもの」と言っても過言ではないものになっていく一方、作曲家自身が自分の作品を弾きこなせないという事態が起きてきます。作曲家と演奏家の分業の時代です。この段階になると、演奏家が音そのものを選択する自由はまったく無くなってきます。

 結局、クラシックにせよ現代物にせよ、演奏家の持つ「自由度」の幅に違いがあるだけで、完全な自由がないという点はどちらも共通のようですね。

 ピアノは比較的新しい楽器(古典派以降)ですから、彼女さんがされているのはまさにその「演奏家の自由度の少ない時代」の音楽と言えるでしょう。その中でオリジナリティーを出そうというのですから、並大抵のことではありません。そこで要求される能力は、10mbさんの価値観でおっしゃるような「才能」とは別種のものです。音楽の分野で「演奏家」を選んだ彼女さんは、こちらの方が得意だったのでしょうね、きっと。

 10mbさんの価値観でのすぐれた音楽はもちろん「音楽」ですが、彼女さんが行っていることも「音楽」です。どっちのスタイル(行為)が楽しいか、好きか嫌いか、それは10mbさんの自由だと思いますが、彼女さんが行っていることも「音楽だ」と認めてあげられたらいいな、と思います。
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私は音楽高校、音楽大学で勉強してきました。

音大を卒業した人はだいたいクラシックを小さい頃からやってきています。ですからJAZZを弾くことだとか、アドリブというのはかなり難しいことです。クラシックとジャズでは強拍、弱拍の付け方がまず違います。例えばJAZZの楽譜があるとします。音符を追って正確に弾くことはできますが、それ以上の演奏は身体で覚えているものが違うのでなかなかできないでしょう。まして、アドリブなんてできません。クラシックを得意とするどんなに立派なピアニストであってもJAZZは弾けないと思います。

私はクラシックを専門に勉強してきましたがJAZZなんかも、たまに息抜きに弾いたりします。でもね・・・思うようにかっこよく弾けません。いわゆるクラシックを弾くピアニストに大好きな演奏家はいますが、私個人的には、JAZZピアニストやライブハウスで活躍している方達もすごいと思います。私、近藤房の助さんのライブによく行きますが、彼の歌以上にピアニストの演奏はいつもすごいなあって感心してしまいます。どちらが優れているかというのは答えに迷ってしまいますが、基本的に違うものなのではないでしょうか?
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自分で作曲して自分の曲をやらない限りは皆 


「コピニスト」 ですよね
JAZZやロックの臨機応変な演奏は基本があるからこそ
できるんですよ
基本の形を何回も何十回もやってるからできるんですよ
たまに基本をおろそかにしてる演奏者もいますけどね
音大生ならあんまりハデなアドリブはマズイんじゃないですか?
ついてる先生にもよるかも知れないけど・・・
クラシックならなおさら基本に忠実にそして自分らしさを
って感じだから大変だと思いますよ
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学生時代、音楽を専攻しておりました。



彼女が学ぼうとしているものは、自分の表現によりテンポを変えてみるなどという
単純なものではありません。
バンドのコピーとは、全く違います。
アレンジも何も変えずに表現だけで全く別物に仕立てようという、
非常に困難極まりない作業だということを、認識しなければなりません。
演奏家にとって、自分なりの表現方法を確立させることこそ、
「新たな音楽を創造」することになります。

アナウンサーの仕事などに例えれば、分かり易いのでしょうか。
文章をきれいに読めるだけではとうてい成り立たない、
基本はもちろん、そこに個性や色を添えて
他人との差別化を図らなければ、生き残れない職業でしょう。
彼女のピアノも同じです。

彼女は、ピアノ科の方なのでしょうか。
ビアノ科の学生にとって最優先でやるべきことは、
曲を作ることではなく曲を演奏することなのです。
確かに、ピアノ曲の中には「即興曲」と呼ばれるものがあり、
それらは昔は即興で弾かれていたようですが、
現在は譜面として確立されているものがほとんどになり、
即興で演奏する必要がなくなりました。
音楽においてアドリブや即興が重要であることは最もですが、
彼女は自分のやるべきことを見極め、
それに沿って勉強を進めているのですから、
ご自分の価値観ばかりにとらわれず、
芸術全体を広く見渡し根本から考えてみることが必要です。

彼女の志しているものを、単に「技術の向上」と
受け止めてしまってはいけません。
彼女の志すものが「創造」「創作」だということに気付かなければ、
あなた自身、音楽家・演奏家として伸びることは出来ないですよ。
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何が素晴らしく、何が素晴らしくないというのは価値観からくるものだと思いますよ。


名演奏といわれる音源を聴かせて、それが名演だと百人が百人同じように感じるということは、まずないと思います。 また、ある人が良い演奏だと薦めた演奏を、ある他の人がやはり良い演奏だと感じたとき、その両者が同じ事柄について同じ受け取り方をして、同じ程度の賞賛(賞賛の程度云々というのも難ですが…)を向けているとは限りません。 それぞれに異なる点を評価して、良いといっているかもしれません。
皆感じ方も違いますし、楽しみ方も違うでしょう。 そういうことだと思います。
楽しみ方は人それぞれ、評価も人それぞれ、ということで良いのではないでしょうか。

ここからは私見ですが、ジャズやハードロックなどのインプロビゼーションがその場のメンバーや空気との対話だとすれば、クラシックの演奏は古くからある楽譜との対話に例えられるのではないかと、私は思います。
クラシックの楽譜の大半は、実際の音の記録ではなくて、音を符号化した記録ですから、手本となる音源を忠実に真似(コピー)するというレベルでは終わらないと思いますよ。 この楽譜は昔はどういう風に演奏されていたのだろうかとか、この楽曲の造形美を表現するにはどうすればいいのかとか、いろいろと想像しながら音を辿るという意味では、決して創造性のないものだとは思えませんが、いかがでしょうか。

ちなみに、私はエレキギターでRock/Pops系の曲を弾くのが好きですし、ハードロックも好んでよく聴きます。 反面、クラシックはあんまり聴きません(^_^;)
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クラシックといっても200年前はポピュラーな音楽です。


要は宮廷が関与していたり、それは「思想」のひとつとして言論、音楽。美術などを「統治」及び「育成」していくことが支配者階級の役割だと考えられていた時代があったからです。

こういう時代に自由な発想をもった音楽家は悲劇でした。現代に残されているクラシックの音楽家たちはどちらかというと、当時「悲劇」な方に入ります。当時「権力」に居た側の音楽はCDはもとより、中々譜面も残っておれませんが、大変形式的なコード進行に、オペラなども大変つまらない権力側に委譲した内容でした。

つまり、今に残っている音楽家し当時、可なり自由度をもった作品を残した人々です。バッハもモーツァルトも音が多すぎて、伝統的な音楽からは嫌われていました。
今の「アドリブ」というのとは違いますが、メンデルスゾーンのように芝居の稽古に携わりながら、その都度メロディを変えていったという音楽家もいます。

私は、クラシックピアノからロック・ジャズ音楽に替わっていった輩ですが、大事なのは「音を出したい」っていう衝動です。
今、ここで、兎に角「音」を出したい。「音」を探したいと思う時、何を引いているのか、何を爪弾いているのか。その瞬間が大事なのではないでしょうか?

そして、音楽に対する色々な価値観には、自分りマイナスになることはないので、耳を傾け、心を開くべきです。
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私は全くの素人ですが、音楽に対しては一家言あります。


インプロビゼーショナルな演奏からは才能を感じます。素晴らしいと思います。
私はパクリなどについてよく考えるのですが、多くの音楽は模倣から始まり、そして発展していくものだと思います。
ですから、コピーだからと言って否定的な目では見ません。
10mbさんはハードロックをお聴きになるんですね。
私は、イングヴェイ・マルムステイーンのインスピレーションというアルバムを聴いて、「これでカバー曲なのか!?」
と驚きました。(もっとも、彼自身はカバーでないと言ってますが/^^;)
コピーとカバーは違いますが、どちらも私は嫌いではありません。何より、自分の好きな曲をコピーするのは楽しいですし(^^)
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これは クラシックとJAZZやROCKの価値観の違いであって、ピアノとギターではありません。



わたしはクラシックギターをやっていますが、同じ曲でもあなたの彼女が言うように、表現がいろいろありますし、もっと言えば版によって微妙に楽譜の内容も違います。
あなたの彼女からいろいろ聞いていると思いますが、楽譜を見て第三者が聞いたときに、良いと思える表現力を備えるのは、もの凄い練習と勉強が必要です。

あなたが彼女に聞いても分からないのは話だけを聞いているからであって、その演奏なり、CDなりを聞かないからではないでしょうか?

単なるコピーとおっしゃられますが、一流の演奏家のコピーをするのは並大抵ではありません。クラシックの曲は難易度がものすごく高くて、そう簡単にできません。 ある一曲だけを音の順番を間違えずに弾くことだけなら、可能かもしれませんが、表現力まで同じにするのはかなり難しいです。
これは弾いている本人が同じという自己満足ではなくて、演奏または録音したものを第3者が聞いて同じとなった段階でコピーできたと言うことになります。

あなた自身ギターをやっているなら、ギターの方が判りやすいかもしれません。
日本で世界に通用するクラシックギタリストでは福田進一さんがいろんなCDをだされていますが、タイトルが ” ジョンゴ ” と言うCDがあります。
これはクラシックでもかなり現代曲が含まれていて、JAZZやROCKのギターの人でも飽きずに聞けるかもしれません。
このCDをあなたが聞いてからコピーできるかどうか考えれば、比較するには値しない問題であることが直ぐに分かるはずです。CDを買えば中の何曲かは楽譜の購入先が書いてあるので入手が可能です。

もっと言えば、JAZZやROCKのアドリブ等は一流の人がやるから良いのであって、素人がやってるのは単に数パターンの指癖で動いているに過ぎないと思います。

クラシックの世界でも現代曲に優れているものが多くあって、それらを直ぐに表現できる演奏者がたくさんいます。
あなたの言うコピニストのレベルを超えなければこれらは不可能です。
先ほどのジョンゴは参考例です。

最高のクラシックピアニストはジャズも弾けます。
具体例としては”アンドレ・プレヴィン”ですがこの人は最高の指揮者でもあります。
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>単なる価値観の違いでしょうか?



一概にそうとも言えません。
最高のピアニストは十分インプロビゼーションができます!
ただクラシックには不要だからやらないのです。
最高のジャズピアニストはリストだって弾けます。
でもお客さんが望まないからやらないのです。
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私もキーボードで作曲したり演奏したりして楽しんでますが、人それぞれの個性ではないのでしょうか?


アドリブだって技術でなりたってるわけですし、臨機応変っていっても、スケールに沿って演奏しているに過ぎません(汗
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この回答へのお礼

技術の向上は重要です。確かにスケールに沿って演奏していると言われれば言葉がありません。

ちょっとすみません。風ひいたみたいなので他の方お礼遅れるかもしれません。

お礼日時:2003/02/08 18:01

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