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初投稿です。
早速ですが質問です。中世ヨーロッパ、イギリスではロングボウ、イタリアではクロスボウ、中東ではトルコ弓といった強力で金属板を貫くような弓がありました。さらに弓はある程度の遠距離、300m程殺傷能力があったそうです。
しかしルネサンスを経て火薬を使用した火縄銃、マスケット銃が開発され、近代戦争では戦列歩兵が敵の目の色が確認できる位置で撃て、と言われる程接近戦で発砲しています。
なぜ時代はこれほどの命中率が悪く装填に時間がかかる武器をえらんだのでしょうか?弓で撃ち合う方が効率が良いとおもうのですが。

A 回答 (2件)

弓を扱うには熟練が必要です。

未経験からスタートすると、まともに射てるようになるまで最低でも半年、戦争で使い物になるレベルを目標とするなら1年以上はかかると聞きます。またその技量を保つためにも定期的に訓練を続けなければなりません。当然、腕力が必要ですから弓兵の候補者は屈強な男性に限定されます。

国は年がら年中戦争をしているわけではありません。戦争をしていないときには農業なり工業なり、生産活動を行って国の冨を蓄えなければなりません。屈強な男性という貴重な労働力を、長い時間弓の訓練のために拘束しなければならないというのは、それだけで国力を大幅に削いでしまうことと同じです。

銃を戦争の道具として見たときに弓と比べて圧倒的に優れてる最大の点が、その訓練時間が少なくて済むということです。数日間の訓練だけで十分、戦争に使い物になる兵士が出来上がります。

銃は弓にある時点を境にしてガラッと取って代わったわけではありません。かなり長い期間、弓と銃は併用されました。用兵的に見れば互換のある兵種であったわけです。それを維持するために必要なコストが、弓に比べて銃の方が遙かに少なくて済んだことが、威力や射程距離ではまだ弓に劣っていた時期の銃が、一部分とはいえ弓が果たしていた役割を代わりに担うようになっていた理由です。

金属薬莢が実用化されたことで銃が前装から後装となりライフリングが一般的となって、銃は威力、射程距離、連射速度ともに弓を大幅に上回るようになり、完全に弓に取って変わることとなります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり戦争の主役になったのはコストと扱いやすさなんですね。
北方戦争やグスタフアドルフも弓は併用していたみたいですし、よくわかりました。

お礼日時:2009/01/31 09:06

漫談です


相手の瞳の色が、ですが、ナポレオンのころ(19世紀初頭)まで、先込めの銃は、それはそれは命中率の悪いもので、かつ、一回撃ったら次まで時間がかかった物でした。
なので、密集隊形で相手に迫り(上手くすればそれだけで敵が逃げてくれる)ます。両脇は老練な兵士で固めて、中央の新米が逃げ出そうとしたら迷わずサーベルで刺し殺します(一人が逃げると、パニックが伝染して部隊が散り散りばらぱらになるので)。で、敵にせまって撃つ。敵ががんばりつづけたら、指揮官の判断で止まり、次を込めるか、銃剣つけて突撃、となります。なので、このころの軍隊は号令の元の行進・行動の練習ばかりしていました。教育が比較的よかった英国の陸軍は、数は少ないけれど射撃能力にすぐれ(複雑な号令を理解でき)、これがワーテルローでものをいいます。このころからアメリカの南北戦争までが、人の戦死する確立が一番大きな時代でした(南北戦争は、火器の性能は50年分進歩したのに、ナポレオンのころと同じ戦術とっていたので、30%死んであたりまえ、でした。明治維新のときの日本人のほうが、よほど上手な戦争をしています)。
弓のいいところは、生産が楽で、敵の矢を拾って再利用できるところでした(特に城攻めのときなど)。また、当時のハイテクで射程が長い工業製品の大弓、弩などをまかせられることは、名誉職でもありました。欧州では時としてこの階層の人が、公の死刑執行人になったりしました。
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