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 もうすぐ節分です。節分と言えば、もともと年越しそばは節分に食べるものだったそうですが、その年越しそばを始めたといわれている人物、増淵民部についての質問です。

 『蕎麦事典』(新島繁著)に、数ある年越しそば起源の1つとして、室町時代の関東三長者増淵民部という人が、大晦日に無事息災を祝って「世の中にめでたいものは蕎麦の種花咲みのりみかどおさまる」と詠んでそばがきを食べたとあります。しかしこの増淵民部とは何者だったのか、さっぱりわかりません。

質問1、この増淵民部は室町時代の関東三長者だったといいますが、関東三長者というのはどういうものだったのでしょうか?

質問2、そもそも増淵民部は、どこに住んで何の仕事をしていた人なのでしょか?

質問3、「世の中にめでたいものは蕎麦の種花咲みのりみかどおさまる」という歌は、何かの歌集に載ったものなのでしょうか?

部分的にでもおわかりでしたら、なにとぞよろしくお願いしいたします。

A 回答 (1件)

質問1


室町時代の関東三長者とは朝廷より関東の支配を委託された人で
「小金」「増淵」「東金」で江戸時代には商人になって「増淵家」は
 年越し蕎麦を従業員にふるまったようです
質問2
関東のどこかにすみ役人かなにかだったようです
鎌倉時代は実朝は「長者」に任じられたことが吾妻鏡にでているので
単なる「金持ち」とは違うようですが、詳しくは不明
質問3
この歌は短歌の形式で「増渕」が「歌人」とともに詠んだとありますが
歌集には載っていないようです

申し訳ありませんがこの程度しか解りません、とくに増渕民部の実像はまったく不明です
民部がこの時代の歌人と蕎麦の歌を歌い蕎麦がきを食べた事実が
有名ですが、本人の実像はまったくわかりません
(参考サイト)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/sugisan/sin122.ht …

http://www3.ocn.ne.jp/~sobacha/mamejiten7.htm

http://katohjuk-web.hp.infoseek.co.jp/aduma18a-0 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。こんな変な質問には回答無いかとあきらめかけていたところでしたので、たいへん喜んでおります。

関東三長者は、だだの豪農や金持ちという意味ではなくて官職名でしたか。3番めのURLでは、将軍の二男千幡が関東長者になったとありましたが、千幡は頼朝の次男で3代将軍実朝のことですから、関東長者とは将軍が兼任するような格式の高い役職だとわかりました。

晦日そばを始めたのは増淵民部ではなく東金茂右衛門という説もあるのですね。

お礼日時:2009/01/31 14:32

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