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平安時代の貴族について教えてください!!

役に立った:9件
  • 質問者:miu5miu
  • 投稿日時:2003/02/11 13:03
  • 困り度:すぐに回答が欲しいです

1.平安時代の女性の生活に「物語」が果たした役割
2.平安貴族の男性の多くに日記を書く習慣があったが日々のメモは何と言われるものに記しておくのが普通であったか??

どちらか分かるほうだけでも結構ですので教えてください!!お願いします!

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No.4ベストアンサー20pt

  • 回答者:nyatann
  • 回答日時:2003/02/11 18:55

1.について
「源氏物語」に関してしかわかりませんが、紫式部が中宮彰子の元に出仕したのが1005年、1020年には下総の国守の娘で13歳の菅原孝標女が「更級日記」の中で、「源氏物語」の噂話を聞き、早く都に上がって是非とも読みたいものだ、と語っています。
「源氏物語」の噂は早くも関東の受領階級の娘にまで憧れを抱かせる物語になっていたんですね。
実際に読んだ女性は物語の中に書かれている女君の美しい装束に惹かれ、襲ねの色などを参考にしたらしいです。
今で言うファッション雑誌のような役割も果たしていたと言うことです。
また、「源氏物語」の中で紫式部は学問や恋愛や女性に関する自分の価値観や考え方を表している場面が多々あります。
そんな部分は才女紫式部の人生観などを量り知る上で貴重な読み物だったと思われます。
勿論、菅原孝標女のように宮廷貴族の優美な生活や主人公光源氏に対する憧れも喚起したことは間違いないでしょう。

2.について
陰陽寮発行の「具注暦」という物があり、陰陽五行説に基づき年月日ごとに密教占星術や吉凶、歳位などの注が付けられ、貴族たちはそれを見て「物忌み」や「方違え」を決めていたそうです。
「具注暦」は定期的に発行されたらしく、その日ごとの余白に日記風の覚書を書き付けていたそうです。
その覚書をまとめて編集し、あらためて「日記」にしたケースが多いようです。
ただ、「小右記」の藤原実資などはマメに毎日、日記を書いていたそうですが。

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No.3ベストアンサー10pt

  • 回答者:vanyatan
  • 回答日時:2003/02/11 13:58

1.物語を記した人たちは殆どが宮廷の家庭教師でした。たとえば紫式部は藤原彰子の家庭教師で、主に「源氏物語」は、当時、混沌としていた物騒な世の中に心の安定を求めて記されました。特に彰子の周りには皇太子妃候補がたくさん居て(従兄弟の定子もその一人、因みに定子の家庭教師は清少納言でした)、そのために皇室を中心とした藤原一族の骨肉り争いが絶えませんでした。当時の宮廷物語はそんな鎮魂のために、宮廷に仕える女性のために書かれましたので、それ以外の女性には残念ながら手にいれることも出来ず、又、文字が読めませんでしたので、到底知り得ませんでした。
残念ながら、江戸時代になるまでは、本当に一部の人たちの文化でした。

2.日記というのはDiaryではありませんので、余り物を書き残す習慣はありませんでした。日記を記すような身分の人たちは、同時に身分の高い人たちでしたから、当時の摂関政治下にある以上、滅多な書付を残すことは余計な証拠を残すこととなり、謀反の疑いをかけられる可能性が多く、殆ど行いませんでした。良く、恋文のやりとりで和歌を送ったりしていますが、あれもそれこそ当時の「物語」にあった一場面を現代になり脚色したものです。逆に日記は「紀行文」「旅行記」として、現在でいう「航海日誌」に似た、公文書の元になるもので、多くが官への提出用でした。「土佐日記」等は、その行程がかなり克明に描かれています。「伊勢物語」になると、もうそれ以外の要素が沢山入っています。著名な文学者は提出文書以外にも自分でまとめていたものが何かのきっかけで後々に世間に紹介されました。何れも作者がなくなってからずっと後世のことですが。

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  • 回答者:nayamuotoko
  • 回答日時:2003/02/11 13:30

2番ですけど、平安時代に日記はよくつけられるようになった訳ですけど、日記をつけていたのは公家なので所謂「公家日記」と言われるものに記していたと思います。

ただ、当時の日記は今のように一日の動きを細やかに書くものとは全く違い、日記に一生懸命書いたのは、朝廷での会議・儀式の詳しい手順です。これは日記を公家が自分たちの子供や孫に残す記録と考えていたためです。

藤原定家は「明月記」という日記を残していますし、一般的に日記をつけていたのは公家なので「公家日記」と言ってよいと思います。

メモですけど。平安時時代には和紙が既にありましたのでそれにメモしていたと思います。当時メモする事を何と言っていたかはまだ分かっていません。

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  • 回答者:pinponkun
  • 回答日時:2003/02/11 13:17

1については、どうでしょう。女性は恋愛関係の小説や物語が好きなので、それは今も昔も変わりはないと思います。

2については普通でした。貴族社会は年中行事が多く、そのしきたりなどを忘れないようにするために日記をつけていました。そういえば、貴族が持っていた酌は、行事の際のカンニングに使われていました。

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