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少し、生命について考えていたのですが、そこから派生して輪廻転生や霊を論証可能にできるかもしれないと思ったのですが、皆さんの意見も聞きたいと思って質問させて頂きます。

私の個人的解釈は以下に記述します。

まず、命について考える内に、そもそも有機体って何?という疑問にぶつかり、有機体の特徴について考えていたのですが、我々は、空間の中で時間を運ぶ情報思念体に近い存在なのではないか?と感じるからです。

空間の中で流れる時間を認識できるからこそ、その摩擦に生じる諸々の現象を紡ぐことで、我々は過去・現在・未来のような「時間」という概念を知ります。

現象を紡ぐ際に生じる時間は、空間と共に記憶として固定化され、記録されます。

記録とは情報であり、情報で構成された世界を仮想世界と呼びますが、我々の住む感覚世界とは、現実世界ではなく、実は仮想世界なのではないでしょうか?

生命が遺伝情報に基いて生きているのならば、生命とは、情報を紡ぐ為の媒介として存在する感覚を持ったホログラム{情報思念体}に過ぎず、いま、共有しているこの世界も、時を同じくして空間で時間を刻むホログラム達がネットワークを張り巡らせる仮想世界を共有しているに過ぎないということです。

そうなると「死」とはどういった現象なのか?

死とは、感覚の消滅によって情報{思念・体}から解放され、情報そのものになること。
即ち時間(情報)を運ぶ世界が仮想世界{生}であるとするなら、時間を運べなくなった世界{死}は時間の一部になることによって現実世界に還るということです。

比喩すると、我々が文章を書く時と同じです。

考えるとは「未来{誕生」であり、また、それを実体化させようとする動作が「現在{人生}」であり、そして、文字として知覚できる形象を持った時「過去{終焉}」が繋がり文章の一部となり、その繰り返しで文章(真実を映し出す鏡)としての輪郭を形成してゆく。

最期の文字{死}を持ってして、初めて真実の鏡を覗けるのではないでしょうか。

また、有機体にとっての情報とは残留思念という言葉に比喩できますが、もし、思念の目的が、思念の存続(情報の存続)そのものであれば、有機体にとっての目的・存在意義は"生きて死ぬ"(情報を運び、次世代に繋げる思念を残す)という現象そのものかもしれない。


※そう考えると、仏陀やユングなどが試みたトランス(無我)状態になることによって、空間と時間を認識している自我の放棄によって生じる制限された時間からの解放によってアクセスできた神と比喩されるものは、奥底に眠る記憶(情報)、つまり、過去の人間が、神や恐怖の象徴として形象を持ったイメージが遺伝子に記録され、その情報が想起されたと集合的無意識の存在も論証できます。

例えば、霊といえば死者(生霊除き)となりますが、死者とは肉体を失っている状態であり、即ち体・思念を失った情報ですが、あまりに悲劇的な死を送った者が最期に残した強い情報(思念)が、時空間に記憶のように固定されると、その残留思念が視える人間がいても不思議ではないということ。

輪廻転生については、来世は必ず存在すると強く願って死んだ人間の残留思念が、まだ意識が曖昧な胎児に癒着して、前世の記憶が蘇るということです。

輪廻転生についても、いくつか事例があり、子供が○○[全く知らない離れた土地]に住んでいたことがあると言い、あまりにその内容が具体的過ぎるので、親がその場所を探しにいくと、子供が言った風景や造形も全く同じだった。という例などです。
どのケースを見ても、こういった前世の意識は年齢と共に全て失われていくそうですが、自我が形成され、自分自身の思念が、残留思念を除いていったとも解釈できます。

皆さんは、どのような思想・意見をお持ちでしょうか?

A 回答 (20件中1~10件)

前世記憶の箇所だけ、逆に質問してもよろしいでしょうか。


前世記憶のある子供の三分の一に前世人物と同じ身体部位に傷跡や母斑をもってうまれてくるという研究結果があります。
その場合、前世の残留思念が生まれてくる子の体に、こうした刻印を生まれ変わりの証明として残すのでしょうか。
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質問者の方は、物を作るときどうします?


何を作るか考えてから、それに見合った材料を集めてきて、そして
思った通りのものを組上げますよね。
最初に意思・意識が最初に現れ
そしてそれらに引っ張られて物質が引き寄せられるんです。

そして出来上がった作品(物質)そのものが意識なのではないでしょうか?(霊?残留思念?)
そこから紐解いて考えれば、答えは導き出されるのではないでしょうか?
まぁ~難しい言葉は解りませんが、
つまり私たち一人一人が生きていることで、この見えない世界を実証しているとは思えませんか?
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神智学の本と、ルドルフ・シュタイナーの本を一読されることを薦めます。


非常に細かく、哲学的、体系的に実証しています。
ただし、かなり難解です。
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5&11です


この場の空気を乱さない為にも皆さんの意見に合わせれば良いのでしょうけれど
>皆さんは、どのような思想・意見をお持ちでしょうか?
と言う心広い質問者さんの好意に甘えて思ったままの回答をしますのでご勘弁を。

>>現実の話だと言うならなぜ何百年も前から何も進歩が無いのでしょうか?
>意味がよくわかりません。現実の話と進歩とどういう関係があるのでしょうか?

現実の話で幾多の研究者が何百年も研究して何の成果も何の進歩も無い事例を無知な私は一つも知りませんので。

>>数百年間何も進歩していない事柄を事実だと考えるのは余りにも無理が有ると思います。
>なぜですか? どう無理があるのでしょうか?
先ほどの理由で現実の話としては全く説得力が有りませんが趣味、宗教ならば納得できます。と言う意味です。

アこれ質問者さんに対する回答ですから。
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霊について・・・


霊とは何も人間だけに係わるものではありません。
霊的進化の流れは、鉱物->植物->動物->人類、となり、これら全てに霊があります。霊があるから進化しているのです。
ただし個別化している霊は人間だけです。動物以下は集団でひとつの霊です。下等になるほど集団の規模は大きくなります。
鳥などが群をなして行動するのは、その群がひとつの霊だからです。

人間にペットとして飼われている動物が、動物全体の中でも霊的に進化が進んでいます。特に一番霊的に進化しているのは犬です。
ただ、霊的個別化はまだないので人間のような輪廻転生は動物にはありません。生まれ変わるのは人間だけです。

人間より上位の霊、いわゆる高級霊は、限りなく界層があります。
過去に聖人であった魂たち --- イエス・キリスト、ゴータマ仏陀、クリシュナ、ラーマなどは、高級霊として高級霊界で生きています。
彼等はすでに輪廻転生の法則から解放されていますので、もう再びこの地上に生まれ出ることはありません。また、守護霊として特別に誰かの守護に当ることもありえません。
ですから、よくある新興宗教の教祖などが、自分はキリストの再来だとか、仏陀の守護霊がついている、だとか言っていれば、それだけで実にバカげたことを言っている嘘つきだということです。大学の教授が幼稚園児に講義をするようなものです。レベルが違いすぎます。
ですから、正しい霊的知識を知れば、こんなバカなことを信じることもないわけです。

古(いにしえ)より神として崇められてきたのは、この高級霊たちだったのです。高級霊の中には一度も人間に化身せずに、別の進化のルートを経てきた者たちもいます。彼らがいわゆる天使と呼ばれる存在です。ただしその姿は宗教画にあるような、背中に羽を生しているものではありません。高級霊は特定の形態を持っていません。本体は光そのものです。それで好きなようにその姿を変えることができます。

世界各地に伝わる神話伝説などは、この霊界の様子を霊能力者が語り伝えてきたものです。

人間に生まれたことのない霊を自然霊といいます。高級な自然霊が先の天使、龍神、天狗。少し下等になると妖精、稲荷などがあります。昔から神の祟りだとして恐れられたのは、この下等な自然霊の仕業です。非常に動物的な霊といえます。

日本の神話に出て来る神様たちは、けっこう下品で下ネタ的な話が多いですが、これも高級霊と自然霊とが入り混じった話だったのでしょう。
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No.5の回答の意味がよくわかりません。


>現実の話だと言うならなぜ何百年も前から何も進歩が無いのでしょうか?
意味がよくわかりません。現実の話と進歩とどういう関係があるのでしょうか?

>数百年間何も進歩していない事柄を事実だと考えるのは余りにも無理が有ると思います。
なぜですか? どう無理があるのでしょうか?
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質問者は生命を情報思念体に近い存在としてとらえていますが、この情報思念体は私が下の回答で言ったメンタル体のようなものでしょう。


ただし、これらは生命本体ではなく生命活動を表現する道具です。
表面的な現象だけを捉えた論理のようですから、道具とそれを使う主体とを混同しています。

生命の主体は霊であり、肉体はその道具です。道具ですが、その体固有の欲望を持っています。
アストラル(感情)体、メンタル体それぞれに固有の生命・欲望があります。外界からの刺激によって各欲望は目覚めます。
食欲、性欲、飲酒欲、権力欲etc・・・
これらの欲望がエスカレートしますと、生命本体である霊自体を支配するようになります。欲望に振り回されて生き始めます。
我々のほとんどがこんな状態で生きています。
肉体からメンタル体までを低我と呼びます。コーザル体より上位の体を高我と呼びます。人生とは高我と低我との戦いとも言えます。
欲望に支配されず、欲望をコントロールすることの重要さはわかると思います。
この世での修業の目的は、この低我の欲望の克服にあります。

質問者の言う情報思念体をメンタル体として捉えれば、質問文の内容は理解し易くなります。
ただし、それを生命本体と見ているのであれば、それは違います。
生命活動の、ただ目に見える表面的部分を描写しているに過ぎません。

アストラル体・メンタル体は死後も生き続け、次に再生する肉体に乗り移ります。
この世で満たされなかった欲望、叶えられなかった願望などは次の生に託されます。
また、この世で経験したこと、獲得した技術、知識などもまた、これらの各幽体によって保たれ、次の転生する生命に宿されます。
つまりその人の才能・趣向・能力などは前世で培ったものが反映しているのです。
努力は必ず報われる、無駄なものは何も無い、ということです。
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死後の世界について説明します。



肉体と霊体とを結んでいるシルバーコードが切れると死にます。肉体が霊の働きに反応しなくなります。
自然死(老衰や病死)の場合、霊体はしばらく自分の肉体(死体)を上から見下ろします。
悲しんでいる遺族たちや葬式の様子などを観察して、少しずつ「自分は死んだのだ」という自覚を持ち始めます。
死の自覚を得られれば霊界へ行きます。
そこで自分の守護霊と対面し、自分の人生を振り返り反省します。
自分が体験したこと全てを改めて見せられます。

事故などで突然死んだ人、自殺で死んだ人、この地上に特別執着の強い人、死後の世界を頑なに否定していた唯物論者などは、死んだのにまだ意識があるために、自分が死んでいるということを認めたがりません。
死の自覚が得られないため、霊界へ進むことができず、いつまでも地上界に留まり続けます。
これが幽霊の正体です。そして、相変わらず地上でやっていたことをやり続けます。
その無意味さがわからないので、例えば、事故で死んだ霊はいつまでもその事故現場周辺をウロウロしています。
自殺で死んだ霊は、死んでもまだ自分を意識できるので、また自殺しようとします。肉体の苦しみ痛みは肉体が無くなれば消えますが、精神的苦しみは消えません。肉体が無くなった分逆に鋭敏に大きくなります。
苦しみから逃れようとの思いから、他の自殺志願者を道ずれにしようとします。同じ場所で自殺が多発する原因がこれです。

霊界には時間と空間は存在しません。
これが地上界に生きる我々には理解しがたい神秘です。
霊は、自分が行きたい場所へ瞬時に移動できます。
また、欲しいものを何でも手に入れられます。
肉体がないので疲れがありません。
睡眠の必要も無く、食事の必要もありません。
時間がないので昼夜の区別がありません。霊的太陽があるため常に明るい状態です。
そこで霊は自分のやりたいことが出来ますが、何を出来るかは、その霊の能力しだいです。そして、その能力を磨く所がこの地上界です。
霊は自分の能力を磨くためにも地上に生まれて来ています。
霊のホンネとしては地上に生まれることは嫌なことです。当然霊界のほうが居心地がいいからです。
我々みんな嫌々ながらに生まれて来ています。解消すべきカルマ・因縁があるためです。赤子が生まれた時に泣くのはこのためです。本当は生まれたくなかったのです。
逆に言えば、死とは悲しむ事柄ではなく、この重い肉体と地獄のような地球から解放されることですから、むしろ喜ばしいことです。
よく、善人は早死にする、悪いヤツほど長生きする、といいますが、これもそういう意味から納得できます。

この霊界において、霊は自己検証をします。何が足りないのか、何が必要か、何をすべきか、を見極め、次の人生のテーマを決めて、再生の準備に入ります。
サポートする守護霊たちが集まり、その新しい人生のために最も最適な時代、国、環境、両親などを選出します。
霊本人と守護霊たちは、新しい人生で何が起こるのか、すべてわかっています。これが宿命ともいえます。
生まれた後、霊(肉体を持った)はこれらを全て忘れます。
ただ、3才から5才くらいまではかすかに前世の記憶が残っています。
それも生きていく上で新しい情報が入っていくため、次第に記憶は薄れて生きます。
その人生の課題(テーマ)にそって次々といろんな状況が霊の前に現れます。
その課題をどう乗り越えていくか、が人生の目的でもあります。
ただ霊には自由意志が与えられていますから、自分の好きなように生きられます。
逃げるか挑戦するか、それは霊本人の自由です。
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人間の身体は3次元的な物質空間での性質であり、感識されることも3次元のことです。


しかし、それは感識される限界ということに過ぎません。
感識出来ないことはそれ以外が無いことの証拠ではありません。
人間の5感では分からないというだけです。
3次元以外がどういうことなのか、感じられないということです。

そもそも、心というものは身体が生きている今でさえ、どこにあるのでしょうか?
脳にフワフワとくっついているものですか?
あの神経信号が、どうしてこの心なのでしょうか。

それ自体が“よく分からないもの”である限り、
身体が生きていようが死んでいようが“よく分からないもの”であるという条件は変わらないでしょう。
心を3次元的に説明することは、身体が生きている状態でも出来ていないでしょう。
今の段階で3次元的性質で心を説明しても仕方がないのではないでしょうか。

だったら、あとはこのカテの場合だったら、3次元にとらわれずに論証するしかないでしょう。

物質的に攻めるなら、ウィリアム・クルックスの心霊実験とかじゃないでしょうか。物質化出来るなら3次元とも関わりがない訳ではないことになりますが・・・
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5です


面白いですね、いろんな方の価値観が聞けてとても有意義です・・・が肉体が無くても意識は存在すると言う意味が凡人の私にはどうしても理解できません。

肉体がない、物質として存在しないのに意識は有る???
いまこの瞬間に地球が人間の肉体とともに消えたとしてもその場所には意識が漂っているのでしょうか?
完全な真空の空間に意識が存在する?
意識とは心だと理解していますが心とは時間の関数でも有ると思います。

つまり時間とともに変化する主体が絶対に必要なわけで虚無の空間に変化する主体が存在する・・・考えただけでも矛盾の塊ですね。
質問者さんに逆にお聞きしたいのですが地球が有ったその空間を大きなビニール袋で包みこれをギュッとサッカーボール位に圧縮すればこの中に過去亡くなった無数の人類の意識とやらが凝縮されて存在するのですか?これをビンに詰めれば“瓶詰めの意識”が完成するのですか?

空想する事は楽しいですが突き詰めて考えると看過出来ない大きな矛盾にたちまち突き当たりますのでやはりこれは趣味か信仰の世界と考えざるを得ません。現実の話ではないと言う事です。
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