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思ったんですけど、ノルマン人であるクヌートやノルマンディー公ウィリアムをへてできたイギリス、リューリクやオレーグをへてできたロシアはそのルーツをさかのぼればともにノルマン人の国といえるのでしょうか。いろいろな民族がまざっていて純粋な民族などいないことをわかったうえでの質問ですのでご容赦ください。

A 回答 (4件)

英国王家を開いたのは、ノルマンディー公ウィリアム(征服王)であるという通説に対して、アングロ・サクソンのアルフレッド大王によって既にブリテン島統一の端緒は開かれていた説とが対立していますね。


後者を支持する人には、特にアングロ・サクソン系であるウェセックス王エゼルレッド2世とノルマンディー系の血を引くエマ(制服王の大叔母)との間に生まれたエドワード証聖王を重要視する人もいます。
その後もウェセックス系の血がノルマン朝の血は結びついています。
このことからも、当時のイングランドはアングロ・サクソン系とノルマン系は対立したり融合したりと複雑な関係にあったようです。
そこに、原住民のケルト人をもっと評価しようという動きもあったりするようです。


ロシアの場合は、ロシア人の手による初の年代記『過ぎし日々の物語(原初年代記)』の評価を巡って様々な説が唱えられているようです。
今のウクライナはキエフがある一体が舞台です。
この一体は、統一した国家が無くいくつもの部族が争う混沌とした世界でした。
そこで、部族の一派が海を越えて「ルーシと呼ばれたヴァリャーグ人」のもとへを訪れ、混乱を収めてくれるように頼みました。
その求めに応じたルーシーの首領リューリクが統一を果たし、ロシア王朝を開いたという物語です。
このルーシーをノルマン系であると主張するのが、いわゆるノルマン起源説ですね。
このノルマン説は、ドイツ人歴史学者であったミュラーによる講演「ロシアの名の起源」で紹介されました。
ただ、当時はロシア王宮でドイツ人が幅をきかせていた時代で、ロシア人の外国人嫌いもあって、講演中に「歴史までドイツ化するのか!」と演台から引きずり下ろされてしまいました。
で、ロシア人のロモノーソフは「ルーシとはスラヴ人の事である」と反論しました。
こうした背景を見ると、ノルマン説もスラブ人説も政治の匂いがしますね。

というより、もともと「我々のルーツは○○民族だ」というのは、イデオロギーやプロパガンダの発露の結果と言えますね。
さらに言うと、「民族」というくくりは決して「血統や遺伝の継承を表すわけではない」という事ですね。
「民族」が強く意識され始めるのも、近代の「民族主義」が生まれて以来ですしね。
「民族とは人間の信念と忠誠心と連帯感とによって作り出された人工物である」という言葉もあります。

蛇足ですが、英語には民族という概念には二つがあります。
「ネーション(nation)」=「政治的結びつき」
「エスニック・グループ(ethnic group)」=「文化的結びつき」
両者は似て非なるモノです。
同じ「ネーション」の中にも多くの「エスニック・グループ」が存在する国もあります。
好例は米国ですね。
白人も黒人も同じ「アメリカ人」という意識は共有しつつも、「エスニック・グループ」は別(アフリカ系とかヒスパニック系など)の意識を持っている等々ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!ですよね、民族は人工物ですよね。僕という人間を形成するのに日本という国の影響はあったに間違いないですけど、あいつは日本人だからなどと差別されるのには非常に違和感を感じます。人種や民族、国籍などで人間を判断する価値観から早く脱却したいものです。

お礼日時:2009/02/21 17:28

イギリス人のルーツは、海からきた荒くれ者たちよりも先に


ローマよりも先にケルト人がいたから、そのひとたちでしょう
アーサー王のモデルはローマ影響下のケルト人武将アルトリウス
日本人の、あんまり、そのへんの事情を知らない向きから
みたらアーサー王といえばイギリスの古代の英雄?と思うかも
しれないがアーサーだかアルトリウスだかは海から押し寄せてくる
サクソン人だかディーン人だかと戦い締め出すことに貢献した
わけで今では大多数がアングロサクソンになっている英国人に
とってアーサー王は英雄か微妙か。

ロシアに最初に王国を建てたのは、王や側近たちじたいは現地の
人間だったが
その北欧の武者?か航海者?たちを雇って建国に協力させたようで
イギリスやフランスでは見られたような荒っぽい手段でなくて
ノルマン人が攻めてきてロシアに国を建てたというのとは
ちょっと違うと聞いていますけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!参考になりました。アーサー王をイギリスが英雄視してもじつは非征服民のケルトの英雄だったということですね。

お礼日時:2009/02/21 17:36

現生人類はみんな一つの枝から分かれたホモサピエンスですから、


もとをたどればルーツは同じですが、
ノルマンコンクエストの結果、ノルマン文化がブリテン島に
流入はしてきますが、人間が入れ替わったわけではないので、
そういう意味でイギリスとロシアのルーツが同じとはいえません。
またロシアの場合は、イギリス以上にリューリクら北欧の影響が薄いです。
リューリクらが作った国は現在のウクライナにあります。
ロシアではありません。
文化的にいっても、その後の経緯から、すでにかけ離れてると
言って良いです。
ノルマン人の国なんていう言い方は、ま、どこの国にも適用できないでしょう。
イギリスにノルマン王朝があったころでさえ、そうではないので。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!参考になりました。それにもしロシアの起源にノルマン人をおいたら、スラブのリーダーであるはずがゲルマンが起源になってしまいバルカンでの問題などもなんだったんだとなっちゃいますよね。

お礼日時:2009/02/20 17:31

たとえば、日本の天皇に韓国人がナッツつつ他とした場合、日本は韓国人がルーツの国といえるのでしょうか?


あくまで王が変わっただけにすぎません。
クヌートなどのデーン朝も外来王朝にすぎませんし、ウイリアム1世のノルマン朝においては、完全にフランス化した王朝で、ノルマンの風習はほとんど残っていませんでした。
ロシア側でも同様で、ノルマン人が開いたとされるノブゴロド王国もキエフ公国も、街を造ったのはノルマン系の人ですが、圧倒的なスラブの中に埋没してしまい、ノルマンがルーツだとはいえない状況になっています。
○○がルーツという場合、その民族が、その○○の下で形成された場合が重要視されます。
ルーマニアは、ローマが支配した時に民族形成されましたから、ローマが起源といえますが、お隣のブルガリアでは、後のブルガール族の下でスラブじんが民族形成されましたので、ブルガールとスラブにルーツを持つ国になります。
イギリスの場合、ケルト、アングロサクソン、フランスの混合ルーツとするべきでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!征服された民はかわらないですもんね。とても参考になりました!

お礼日時:2009/02/20 17:22

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