No.4ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちわ。
私は岡田英弘さんという方が「聖徳太子は実在しなかった」と
主張しておられるのですか。
とても興味のある内容なので読んでみたいとおもいます。
私が読んだ別の本では(著者は忘れました)
聖徳太子の実績とされる憲法十七条や冠位十二階などは
すべて中国のコピーである、従って聖徳太子は存在しなかったと
記されていました。
中国のコピーであったとしても
聖徳太子がいなかったと断言まではできないかと思いますが
そういう可能性はあるかな、と思いました。
以下は私の考えです。
あなたがおっしゃるように、確かに聖徳太子と言う名前は
様々な史料に登場しています。
しかし、私にはどうも他の人の別名として
聖徳太子という名前が使用されているように思えます。
古代には改名されるということが珍しくはありませんでした。
例えば和気清麻呂は称徳天皇に別部穢麻呂と改名させられて
流罪となっています。
こういうケースは他にもたくさん例があります。
聖徳太子は蘇我氏の血が濃い人物ですが
蘇我氏の名前って馬子・蝦夷・入鹿など蔑称のような名前が多いですね。
どうも同じ人物を
蔑称→馬子・蝦夷・入鹿
尊称→聖徳太子
のように言い分けたのではないかというような印象を持ちます。
蔑称と尊称に分けるというのは、記紀神話のベースになっている
陰陽道的な考え方に基づくものではないでしょうか。
神はその現れ方によって御魂・和魂・荒魂のみっつに分類されるといいます。
A.御魂→神の本性→?
B.和魂→神の和やかな側面→聖徳太子
C.荒魂→神の荒々しい側面→蘇我氏
まだ調べている途中なので、仮説ではありますが
私はそんな風に考えています。
実在したか、しなかったかと問われれば、私の考えでは「実在した」
ということになります。
ただし、生前の彼は異なる名前で呼ばれていたのではないかと思います。
それはAの?の部分にあてはまる人物のことだと思います。
記紀が成立したのは奈良時代で、それ以前にあった史書は
散逸して伝わっていません。
ですからそれ以前の記紀の記述は改竄されているのではないかと
疑ってみる必要があるのではないかと思います。
反論もあるかと思いますが
ひとつの意見としてお考え下さい。
私自身、まだいろいろと調べている途中で、断言できるものではないことを言い添えておきます。
ご回答ありがとうございます。
>蘇我氏の名前って馬子・蝦夷・入鹿など蔑称のような名前が多いですね。
新鮮な視点ですね。驚きました。
>神はその現れ方によって御魂・和魂・荒魂のみっつに分類されるといいます。
A.御魂→神の本性→?
B.和魂→神の和やかな側面→聖徳太子
C.荒魂→神の荒々しい側面→蘇我氏
まだ調べている途中なので、仮説ではありますが私はそんな風に考えています。
何か新しいことが分ったらこのサイトへ投稿して下さい。楽しみにしています。
No.8
- 回答日時:
いわゆる「聖徳太子論争」というやつですね。
この論争は、とても「歴史(学)とは何か?」を表す良い例だと思います。
歴史というのは、「過去のウチ、(何らかの形で残った)事実の断片」しか手に入らないのが普通です。
で、歴史学者はその「断片」を集めて「○○時代は××だった(であろう)」と推測するのです。
ここで、注意しなければいけないのは、どんな説であっても文末にかならず「であろう」が付くと言うことです。
例え、偉い学者先生が「だった」と断定型で言ったとしても、受け取る側は必ず「だろう」という推定に変換しなければいけないという事です。
そうしないと、「歴史に名を借りた思想」に騙される(洗脳とも言う)可能性が高いということです。
この点を付いた人にクローチェという人がいるのですが、彼はこういっています。
「すべての真の歴史は、現代の歴史である」
この言葉の指すところは、どんな優れた歴史家であっても、歴史叙述をするときには、必ずその歴史家の「生きた時代・生まれた国や民族・育った環境etc,,,」というあらゆる背景が影響しています。
実証主義に基づき、どんなに史料批判を徹底しても、「叙述する」という段階になると、必ず叙述者の主観が入り込みます。
その背景を知らないと、上述のように「歴史叙述に騙される」事になるのです。
さらに知っておかなければいけないのは、「歴史」というのは常に「為政者」や「思想家」によって「利用」されるという事です。
そうした場合、必ず歴史の断片や歴史家の成果の一部をつまみ食いして、自分に都合よく「歴史解釈」を与えます。
彼らは、時には意図的に、時には無意識のウチに「それ」を行います。
そして、彼らは学校教育や一般大衆を対象にした書籍やTV番組などを通して「歴史教育(否、思想教育)」を行います。
「歴史」とは常にそういった危険性をはらんでいるのです。
で、「聖徳太子虚構説」というのは、上記の点を強く意識した説です。
今までのいわゆる「通説」というのは、『古事記』や『日本書紀』を高く評価して扱っています。
しかし、『古事記』は原本が残っておらず、最古のモノでも南北朝時代の写本だけです。
写本ということは、そこに人の手が加わっていますので「改悛」されている可能性は否定できません。
また、成立したとされる712年よりも後に「作られた」モノである可能性もあり得ます。
『日本書記』というのは、「正史」として編纂されたモノです。
「正史」というのは、為政者が支配する正当性(口実)を説明するためのモノです。
正当性を説明するのだから、自分に都合の悪いモノは無視し、都合の良い物は誇張したりねじ曲げたり、時にはねつ造する事もあります。
つまり、『古事記』や『日本書記』というのは、疑ってかかるべき本なのです。
岡田英弘氏も、その点を「疑問視」することで新たな「日本史」を探ろうとしていますね。
「日本史」を「アジア史」の中で捉え直すことで、日本の「通史(≒皇国史観)」に異を唱えてるんですね。
また、いわゆる「世界史」という考え方もモンゴル帝国における西洋と中国の文明のぶつかり合いに求めて再構築しようとも試みておられます。
他にも、「漢文は中国語(話されている言葉)とは無関係である、だから古語などではない。もし、古語であれば現代でも痕跡があるはずだが、それすらない」とも主張しています。
そうした独特の歴史観の持ち主なので、「岡田史観」として賛否両論のある方ですね。
なんで、彼の著作を読むには、まず彼の歴史哲学を理解しておく必要があると思います。
『歴史とはなにか』文藝春秋
『歴史の読み方』弓立社
岡田 英弘 著
『歴史のある文明・歴史のない文明』 (筑摩書房)
岡田 英弘 (編集), 川田 順造 (編集), 樺山 紘一 (編集), 山内 昌之 (編集)
なんかを一読されることをお勧めします。
あとは、
『歴史とは何か』 (岩波新書)
E.H. カー (著), E.H. Carr (原著), 清水 幾太郎 (翻訳)
『現代の思想的状況―歴史の哲学』 (講談社)
渡辺 二郎 (著)
なんかも読まれると、歴史の性質が分かるかと思います。
あ、最後に私自身は「聖徳太子虚構説」にちょっと傾いてたりします。
理由は、「通説(教科書的な歴史)」に反抗したいから(笑)
長文、失礼しました。
参考になれば、幸いです。
No.7
- 回答日時:
決史十代 ~ 実在するも実像にあらず ~
欽明29は、三人の妻それぞれに男子(続柄は即位順)をもうけた。
長男の母は宣化28の娘、次男と三男の母は、蘇我家の姉妹である。
長男・敏達30と次男・用明31が亡くなり、三男・崇峻32は暗殺された。
異母妹・推古33は、長男・敏達30の未亡人でもあった。
次男・用明31、三男・崇峻32の異母姉でもある。
独身の女帝は、即位四ヵ月後に、亡兄・用明31の皇子を摂政とした。
聖徳太子にとって推古33は伯母、敏達30は伯父、崇峻32は叔父である。
暗殺された叔父についで、即位の記録がなく、摂政のままで終った。
女帝・推古33が亡くなったあと、敏達30の孫・舒明34が皇位に就いた。
後継候補だった山背大兄王は、崇峻32と同様に暗殺されている。
次男・用明31、三男・崇峻32の異母兄弟も、生年月日が明らかでない。
九人の天皇は誕生日が明らかでないが、聖徳太子だけが明らかである。
<PRE>
御名 代(続柄)生年月日~没年月日(享年)/[即位~退位] 元号(生年月日~没年月日)
──────────────────────────────── ─────────────
宣化天皇28 祖父 0467‥‥ ~ 05390315 72 /[05370114-05390315] 雄略11.‥‥~宣化 4.0210
欽明天皇29 父 0509‥‥ ~ 05710524 62 /[05391230-05710524] 継体 3.‥‥~欽明32.0415
──────────────────────────────── ─────────────
敏達天皇30 長男 0538‥‥ ~ 05850914 48 /[05720430-05850914] 宣化 3.‥‥~敏達14.0815
用明天皇31 次男 0525-547 ~ 05870521 63-41/[05851003-05870521] 継体19欽明8~用明 2.0409
崇峻天皇32 三男 0519‥‥ ~ 05921212 74 /[05870909-05921212] 継体13.‥‥~崇峻 5.1103
♀推古天皇33 長女 0554‥‥ ~ 06280415 75 /[05930115-06280415] 欽明15.‥‥~推古36.0307
──────────────────────────────── ─────────────
聖徳太子33 摂政 05740207 ~ 06220408 48 /[05930515-06220408] 敏達 3.0101~推古30.0222
舒明天皇34 曾孫 0593‥‥ ~ 06411117 49 /[06290202-06411117] 推古 1.‥‥~舒明13.1009
山背大兄王?皇族 0613‥‥ ~ 06431230 31 /[____ ____] 推古21.‥‥~皇極 2.1111
♀皇極天皇35 皇后 0594‥‥ ~ 06610824 68 /[06420219-06450712] 推古 2.‥‥~斉明 7.0724
──────────────────────────────── ─────────────
孝徳天皇36皇后弟 0596‥‥ ~ 06541124 59 /[06450712-06541124] 推古 4.‥‥~白雉 5.1010
♀斉明天皇37*重祚 0601‥‥ ~ 06610824 61 /[06550214-06610824] 推古 9.‥‥~斉明 7.0724
</PRE>
虚々実々 ~ 誰がために歴史は書かれるか ~
釈迦も孔子もキリストも、公式の記録がなく、生没年月日も怪しい。
釈迦は80歳で亡くなり、生没月日が伝えられるだけで、年代不明、
孔子やキリストも、複数の人物が合成された可能性がある。
そのような人物が実在したとしても、その時代を代表する、象徴的な
人物像として伝えられ、すべての成果を一人に集約する傾向がある。
聖徳太子も、伝説的な業績や人柄を、そのまま信じることはできない。
いまも実在する独裁者は、霊峰に生まれ、幼くして音楽や乗馬に長じ、
なぜか飛行機ぎらいで、もっぱら外国製の装身具や高級車を愛用して、
農業や工業を指導し、はては映画製作にも詳しいと伝えられている。
日本史の原典となった《日本書紀》も、壬申の乱で即位(06730320)
した天武天皇の正統性を示すため、初代・神武天皇の即位(BC-6590211)
にとどまらず天孫降臨(BC-17931481029~17931570524)に遡っている。
── 神武天皇が兄弟や子にいわく「天孫降臨は一七九二四七十余歳前」
と明記される。ときに四十五歳。── 天孫降臨余歳の元旦
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg …
── 古代歴史書を通して綴られた年齢記述の収集記録。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage12.htm
歴代天皇の年齢 ~ 天武天皇の年齢研究 ~
No.6
- 回答日時:
No2です。
聖徳太子の生存期間は574年~622年(?)とされてます。
◇607年に法隆寺~
厩戸皇子が存在した理由になると思います。
◇日本書紀に~
日本書紀は720年に完成したとされるものです。その記述がすべて真実では無い事も周知の事実だと思います。100年前の口伝の言葉が正確にそのままとは思わない方が普通だと思います。
◇917年、~
死後300年後の話です。文書記録がほとんど無い時代の話ですから、今の300年前よりもっと古い感覚でしょう。現代科学や医学の知識が無い人達が誇張して伝えたり、他の人の業績まで一緒にしちゃったりという事は普通にあり得ると思ってます。
死して後も第一級の偉人として評価されたのか、死後に第一級の偉人に祭りあげられて聖徳太子と呼ばれるようになったのかは私には判断できません。現代と違って情報の無い時代ですから、一部の人間が恣意的に情報を捻じ曲げるのは簡単だったと思います。
聖徳太子伝説の基となる厩戸皇子という人物は存在したらしいが、聖徳太子の業績とされているものが本当にそうなのかは判断できないなあと言うのが感想です。
No.2
- 回答日時:
信じる事も信じない事もできないです。
信じる根拠もないし、信じない根拠も無い。
あなたはなぜ、聖徳太子が実在したと信じるのですか?
この回答への補足
>あなたはなぜ、聖徳太子が実在したと信じるのですか?
◇607年に法隆寺で祀られた薬師如来像の光背銘に、『大王天皇と東宮聖王が用明天皇の病気平癒のために薬師如来祭祀を発願した。用明天皇は薨去され間に合わなかったが、丁卯年(607)に完成した』とあります。ここでいう大王天皇とは推古天皇、東宮聖王とは摂政、皇太子の厩戸皇子です。
※推古天皇は用明天皇の姉、厩戸皇子は用明天皇の子。
◇顕真の著書『聖徳太子伝私記』に、「法起寺塔露盤銘(慶雲3年、706年制作)に『上宮太子聖徳皇』の名がと見える」とあります。
◇日本書紀に、「推古二十九年二月五日(621年)、聖徳太子が薨去された。当時、高句麗へ帰国していた僧、慧慈は、日本からの訃報に接して大いに悲しみ『日本国に聖人が居られた。上宮豊聡耳皇子と申し上げる。天から優れた資質を授かり、大きな聖の徳をもって・・』」とあります。慧慈は推古天皇時代の初期の595年に来日して、20年間にわたって、厩戸皇子に仏教経典を教授すると同時に、推古朝の外交顧問を勤めました。
以上の3件は、いずれも、聖徳太子実在の強力な傍証になります。
◇917年、藤原兼輔が聖徳太子伝暦を著作しました。聖徳太子伝説の集大成です。太子の誕生から、太子の死、上宮家(厩戸皇子の家系)の滅亡までを編年体で詳述した著作です。神かかった事績も書かれていますが、聖徳太子は死して後も第一級の偉人として評価されたのですから、むしろ、「生れてすぐに言葉をしゃべることができた」、「一度に十人の人々がしゃべるのを、聞き分けることができた」という神話自体が、聖徳太子の実在の証明になると思います。
No.1
- 回答日時:
こんにちは。
私は肯定も否定もしません。自分で確かめることができないからです。
過去の歴史で確証が得られないものは、全て「~という説が有力である」で片付けるしかないと思いますし。
坂本龍馬がそれほど大男ではなかったという説の方がショックです。
ご回答ありがとうございます。
>私は肯定も否定もしません。自分で確かめることができないからです。
一つの見識として評価します。しょせん、史料の乏しい古代史は推量形でしか語れない世界だからです。
しかし、日本書紀という史料に書いてある聖徳太子の存在を岡田氏は真っ向から否定するのですから、よほど強力な証拠を握っているのでしょうか。
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