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日本には拉致問題や竹島北方領土など中東やアフリカと比較にならないような大事件、大問題が今も解決しないままですが、多少不仲とはいえ小規模な戦争にすらもなっていません。
何で中東やアフリカの人たちはつまらないことでいつまでもいつまでも互いを憎み悲惨な戦争を続けるのですか。

A 回答 (7件)

サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』


イスラム教徒と西欧のあいだの紛争が二十世紀後半に増加した原因として、以下をあげています。宗教と政治が一体と考えるイスラム教徒と、政治と宗教は異なった領域だと考える西欧のキリスト教徒では所詮喧嘩になります。
1)イスラム教徒の人口増加により、失業して不満をもつ若者が大量に発生した。かれらはイスラム大義の新たな信奉者となり、近隣社会に圧力をかけ、西欧に移住した。
2)イスラムの復興により、イスラム教徒は自分たちの文明と価値に、西欧のそれに比べてはっきり異なった特徴と価値があることを改めて確信した。
3)そのころ西欧が自分たちの価値観と制度を世界に広げ、軍事面と経済面で優位に立つことで、イスラム世界の紛争に介入しようとしたが、これがイスラム教徒のあいだに大きな不満をかきたてた。
4)共産主義の崩壊により、欧米とイスラムに共通の敵がなくなり、おたがいがそれぞれにとって潜在的な脅威となった。
5)イスラム教徒と西欧人の接触や混在する場が増えたため、たがいに自分たちの独自性や、それが相手とどう違うかついて新しい感覚をもつようになった。相互作用と混在によって、ある文明圏の人間に支配されている国に住む別の文明圏に住む別の文明圏の権利に関して、意見の相違がさらに大きくなった。イスラム世界でもキリスト教世界でも、1980~1990年代にかけて、相手にたいする寛容さの度合が著しく低下した。
 アフリカについては他の回答のとおりです。
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中東に関して言えばイギリスがすべての根源.


第一次大戦時に「フセイン・マクマホン協定」「サイクス・ピコ協定」「バルフォア宣言」の 3つの条約を結んで置きながら, 戦後になって「すべてを無視して」イギリスの委任統治領にしています. 現状は, この 3つの条約の当事者のうちユダヤ人とパレスチナ人が争っている. イギリスは一番の当事者であるにもかかわらず, 問題解決をあきらめて投げ捨てました.
ちなみにこれ, 本当は「宗教問題」じゃないです. 領土 (とメンツ) の問題. 少なくともイスラムからみればユダヤ教徒は同じ「啓典の民」です. ユダヤ・キリスト・イスラムの 3宗教は同じ神を崇め, ユダヤ教の啓典である「旧約聖書」はキリスト教やイスラム教でも「聖書 (の 1つ)」となっています.
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 他の方が指摘していない点を付け加えます。



 現在、国家を作る基礎になっているのが民族です。ヨーロッパの国々やアジアの古い国などは、元々多くの民族が存在していたのですが、歴史を経る中で、有力な民族が周りの少数民族を同化していって、同じ民族であると意識する人々が、一つの国家を形作るようになっていきました。(中国でも、漢民族自体が同化によって巨大化した民族で、黄河流域以外の地域には、四川語・上海語・福建語・広東語と呼ばれるように発音が北京周辺とはまったく異なり、別の言語を持った他民族であった名残もあります。)

 それに対して、アフリカでは民族がその地域で大きくなる前に、強力な軍事力を持ったヨーロッパの国が多数の民族を含んだ広い地域を単位として植民地行政を行いました。

 アフリカの国は独立するとき、その政区画を引き継いだので、一国の中に多数の民族が含まれることとなりました。これが争いの根本原因です。
 第二次世界大戦後、多くの国家が民族国家として誕生していく過程で、国が持てなかった少数民族の人々が自分の国を持ちたいと考えているのです。

 また、イギリスは植民地を統治するのに、直接イギリス人が統治するのではなく、その地域に住む少数派の民族や、他の植民地から連れてきた人々を税金徴収や兵士・警察官などにして、間接的に多数派の民族を支配しました。(多数派の民族を兵士にすると、反乱されたときに、鎮圧に苦労するから。)
 その結果、元イギリスの植民地の国々では、国内に有力な民族が2つ以上あって、人口の少ない民族が金持ちで軍隊を支配していて、多数派の民族は支配されているという形が残ってしまった国が多いのです。
 これでは、争いにならない方がおかしいくらいです。

 中東については、日本とはまったく違って、宗教が日常生活すべてを律する二つの宗教、イスラム教とユダヤ教の存在があります。
 どちらの神に対する信仰も厳格で、両方の信者が協力して共同の社会を作ろうとしても、協力のために日常生活を変えることが、両者ともに神に対する冒涜となりかねず、協力合意が極めて難しいのです。

 また、中東には石油が大量に眠っており、ほとんど人の住んでいない砂漠の、東京23区ほどの面積のところに、何兆円分もの石油がります。

 このサイトの過去の政治についての質問を見てください。竹島領有問題や尖閣諸島について、感情むき出しの回答が山ほどあります。日本人も感情という点では、基本的に中東やアフリカの人々と変わりありません。
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日本がノーマルで、中東やアフリカが異常だとお考えなら違うと思います。



人類の歴史を紐解けば分かると思いますが、
「つまらないことでいつまでもいつまでも互いを憎み悲惨な戦争を続け」た例はいくらでもあります。

第二次大戦後、戦争をしていない日本、域内で互いに戦っていないEC諸国等、が異常なのです。


ご存知のように、人間は理性より欲望(金銭欲、名誉欲、生存欲、・・・)によって行動しがちで、何か一つ歯車が狂うと戦争など簡単に引き起こしてしまいます。

ユーゴスラビア連邦崩壊時のセルビアと周辺諸国、中越戦争、インドとパキスタンの争い等々中東やアフリカにかぎらず戦争はしょっちゅう行われています。

つまりポイントは、何故中東やアフリカなどで戦争が頻発しているのか、ではなく、何故日本やEC内ではこの半世紀の間戦争が行なわれていないのか、なのです。
(昔はしょっちゅう戦争していた。)


簡単に言えば、日本やECでは(大多数の国民も指導層も)自分の国が戦争するなんてまっぴらごめんだ、と(たぶん)思っているということです。
(他人の国のことは別ですよ・・・)
何らかの形で第二次世界大戦の痛みが尾を引いているのだろうと思います。


ECが形成されたそもそもの目的も、フランスとドイツが戦争できないようにする、というのが基本目的だったと聞いたことがあります。
日本が日米安全保障条約を受け入れてきたのも、「日本は簡単には戦争できない、なぜならアメリカが監視しているから」とアジア各国に納得させる意味もあります。

戦争を防ぐには、こういう体験や仕組みが必要なのだと思います。


一方、そうでないところでは簡単に戦争が起こります。
原因は様々。

国境、資源、宗教、汚職、・・・
そして指導者が、多少の自国民が戦争で死亡してもやむをないと思えば・・・
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中東は、第一次世界大戦のとき、英仏がオスマン・トルコに敵対していたアラビアの指導者たちに、将来こうなったら誰はどこの王さまにしてあげよう、といった空手形を乱発したのが遠因です。

イスラエル建国の礎もこの時のことです。このような人たちに、お互いの利害考え無しに、地図上の線(川、山、緯度経度など)で線引きした国を夢見させた結果です。
石油は大戦後にみつかったので、石油権益が当時からあったわけではありません。

アフリカも、欧州の各国が植民地にするとき、勝手に地図上の緯度経度で線を引いて分割したのが遠因です。それら諸国が独立したとき、杓子定規な国境で裂かれた各部族の争いがつぎつぎおこりました。それに、いまでは中国が武器を援助して外交攻勢しているという、もう始末におえない状況になっているのが実態です。
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ウィキですが。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E5%9C%9F% …

領土問題だけみてもは中東・アフリカは今も解決しておりません。
日本と比べて比較にならないくらいつんまらない問題なのでしょうか?

勿論、何か大事件だとかしょうもない問題かは人それぞれなのでしょう。
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中東の一部やアフリカの多くは、政治が不安定で、なおかつ、地下資源を保有した諸国が多いことが戦争が収まらない原因です。

教養も政治力もない集団の指導者が、資源を引き替えに外国の武器援助を受けて、国の取り合いをしているのです。彼らの目的は、国の為でも平和でも国民の為でもなく、私腹を肥やすことが主目的なのです。

武器を送り込んで戦争をさせているのは、欧米の元植民地の宗主国です。彼らは、永年行ってきた植民地からの収穫だけしか考えてはおらず、低価格での資源を確保するために、それらの国が平和で豊かになることを避けているのです。
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