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例えば以下の文。

「やむことなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。」

「あらぬが」の文節では敬語は使われていませんが、「時めきふ」の文節では敬語が使われています。

しかし、どちらも同じ人(桐壺の更衣)を指していますよね?

そこで質問です。
Q1,上記の解釈に誤りはないか
Q2,誤りがないとして、このような例は、古文の世界ではよくあるのか
Q3,誤りがないとして、訳すときはどちらも敬語表現にして訳すべきか、それとも、厳密に敬語と敬語の使われていないところを区別して訳すべきか(特に、大学入試を想定した場合)

ご助言頂けたら幸いです。

A 回答 (5件)

源氏物語ではたとえば、「花宴」巻で



源氏の君酔ひ心地に、見過ぐし難く覚え給ひければ、
上の人々もうち休みて、かやうに思ひかけぬ程に、
「もしさりぬべき暇もやある」と藤壷わたりを、わりなう忍びてうかがひありけど、
(中略)、うち嘆きて、なほあらじに、
弘徽殿の細殿に立ち寄り給へれば、三の口あきたり。


などというのがありますよ。
主語は同じ源氏だけど、給ふがついているのは2箇所だけ。
「うがかひありく」と「うち嘆く」にはついていません。(しかしドキドキするシーンです。こうきて、最後に「三の口あきたり」とかって、読ませますよねぇ。)
源氏物語は、女房が語っているという体裁だから、口語的に落ちることがあるのかなとも思いましたが、
今ちらっと見たら、複雑な敬語で有名な「大鏡」の中にもそういうのがありました。一文の中で、尊い人の動作に敬語がついたりつかなかったりしています。
たぶん、全部につけるとうるさいので、適宜省いているのでしょう。

訳すときは、大学入試等学参関係なのなら、原文に厳密についてるところにはつけて、ついてないとこにはつけないのがいいと思います。
生徒が、翻訳と原文を対訳しながら読むときに、混乱しないように。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

たしかに、いちいち敬語がついていたらウザイですよね。
原文に忠実に訳した方が無難なのですね。

お礼日時:2009/02/25 09:36

参考意見です。



原文
  女御・更衣あまた候ひ給ふ中に
  いとやむことなき際にはあらぬ が 優れて時めき給ふ
  ありけり
です。
 あら「ぬ」 時めき「給ふ」 ともに連体形ですので 
  いとやむことなき際にはあらぬ
  優れて時めき給ふ
は、準体句であり、構文としては体言相当の働きをしています。
 この部分から、桐壺の更衣は「大して高い身分じゃなかった・低い身分のくせに」と取る考え方は今では否定されています。
  3位=女御=大臣の娘=いとやむごとなき際
  4位=更衣=大納言の娘=やむごとなき際
  5位=更衣=それより下臈
  いとやむことなき際にはあらぬ=女御デナイ方=4位ノ更衣

  おおぜいの女御・更衣が帝に伺候しておられる中に、
  4位の更衣 の 特別に寵愛を受けておられること
  が あったのよ。
 なお、学習参考書、問題集などの解釈・口訳・現代語訳は40年来、ほとんど変化がありません。入試の採点の場でも恐らく同様でしょうから、受験生は上に書いた事柄を無視したほうが無難です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

う~ん、厳密に解釈しようとすると、そんな考察も出てくるのでしょうかね。

お礼日時:2009/02/25 09:35

Q1,上記の解釈に誤りはないか



ありません。

Q2,誤りがないとして、このような例は、古文の世界ではよくあるのか

よくあります。
「取りて見たまふ」のように短いまとまりの場合は前者の敬語が省略されることはよくあるし(ただし、「…たまひて、…たまひて、…たまひて、…」のようにいちいち敬語が付くこともよくありますが)、もう少し長いまとまりでも、「………て、………て、………たまふ」のように最後だけに敬語を付けてまとめてしまう形もあります。
『源氏物語』でも両者が混在している場面はよくあり、光源氏にはいちいち敬語が使われているのに紫の上には最後しか使われていなかったり、敬意の差かな? と思えるような場面もありますが、ちゃんと考察したわけではないのでいいかげんなことを言うのはやめておきます。

Q3については、学校現場や大学入試の実態には疎いので答えられませんが、参考書や問題集でどう訳しているか調べてみれば参考になるでしょう。
基本的には厳密な逐語訳が無難だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やっぱり厳密な逐語訳が無難なのでしょうかね。不自然な日本語訳になってしまったりもするのですが。

お礼日時:2009/02/25 09:33

 やはり歯切れとリズムでしょう。

だから、ひと括りになるところや、分かっていたり、不要なところでは使わない。
 では、ないでしょうか。現代の国の法制局の役人なら、厳密に統一をした表現をするでしょうね。
 そんな次元(つまり、法立条文)のことでは、理由もないのに、同じ事を別に表現したり、いいまわしたり、すると別の解釈が、意図とは異なって出てきますがね。
 まぁ文学では、そういうようなことでの解釈の混乱以前の問題でしょう。法律は、知らない、同調しない、共有しない人を相手として想定します。文学は共有、共感の世界ではないでしょうか?
 法律でそんなことをいったら、めちゃくちゃに為ります。
 分かっているだろうが、なんていう言い方では通らない世界ですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

歯切れやリズムが理由とわかり安心しました。

お礼日時:2009/02/25 09:31

 語順とリズムではないですか?


 何をくるめて、どの語からどの語までをくるめて、適当な敬語表現をするかではないでしょうか?
 やんごとなきでもう敬語ですよね。
 際って、どちらかというと、私たちの使用語感では敬語とはいえないかもしれませんね。
 あらぬは、とり方ですが、筆者の思い、判断という行為ではないでしょうか。
 ありけり、は敬語を使ってもいいが、くどいし、リズムがうしなわれますでしょうか。
 見慣れ、読みなれてきているせいもあるかもしれませんね。
 敬語もときに重要であり、解釈には手がかりや、鑑賞の一資源ではあっても、リズムも重要だと存じます。
 こういう例は、ご質問者から観ると、不統一でも時に目にしますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>語順とリズムではないですか?
結局、そういうことになってしまうのでしょうかね。

とりあえず、必ずしも身分の高い人に毎回必ず敬語が付くとは限らない、ということですかね。

お礼日時:2009/02/24 15:45

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