アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

よく親へ恨みがある人は許せばいいと聞きます。
日常的に忘れていても、
つい思い出して崩壊してしまうこともあると思います。
みなさんはどう昇華したのでしょうか?

また、親への恨みが違う方向に出たことで
やってしまった過去を
どう昇華しているのでしょうか?

今も苦しんでいる人、昔苦しんでる人、
よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

現在の話ではないが、父親が死んだら骨をどうにかしてどこかの肥溜めに捨ててやるつもりだ


信念も無い理想を押し付けたあの男の戯言に振り回されたのが人生の土台になってるんだ 嫌になる
やつは長男の俺が一生ものの後悔をするくらいにまでも、自分の戯言に従ったのだから、それを全ての満足の結晶として死ぬべきなんだ
骨を肥溜めに捨てようが、それでやつの人生にどう影響できる?
死後に行ったことで人生に干渉できるか?
何者にも文句を言われる筋合いは無い
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<お礼>再度、拝見しました。


どのような意図なのか不明ですが……私が《頑張らずに》と書いているのに
《~がんばります》と書いておられ、愕然とさせられました。

限界に陥りがちな垂直思考を休ませて、新たに
ゆとり・余裕が生じる水平思考を採用してみませんか。
それで、
特性要因図をつくって多様な視角・視点から検討してみましょう。
先ず、5W1Hに整理してから、特性要因図をつくってください。

特性要因図の作り方は検索すればわかります。
<特性要因図>作製力は一生もののスキルです。
Tentar non nuoce(=やってみても損はない)でしょう。
他、問題解決には<連関図法>も活用できますが……どんなテーマでも、
特性要因図をつくって問題点を考えることを習慣にするといいですよ。

※出来上がった特性要因図は、どなたかに見せて意見を聞いたり、
日を置いて見直したりしてみましょう。
(別の色ペンで書き加えると良い)

★心理学用語集で<シャドー><投影><転移>の意味を知って
みましょう。(アナタさまの意味での<昇華=Sublimation>とは、
化学的? 詩学的? 日常語的? 心理学的?)
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私の場合、親が嫌いであるということを


自分で認識することから始めました。
親だから嫌いだと思うことすら禁じていた自分がいました。

親と言えども、ひとりの人間だと分析できたら
許せるのでしょうか?
許すことはできない前提で考えた方が現実的だなと
私は思います。
過去は過去で、新しい過去を作らないよう努力しています。
つまり関係を持たないようにしています。

自分で作ることは可能です。
自分が好きな自分を作るというと近いかも。
言葉による親からの呪縛はすごいものだと思います。
それが世間と付き合う相手と同じならいいのですが。
つまり私の考える常識というものです。
それを打ち破り新しい自分を形成できたら
親を許せるのでしょう。

昔の演歌に
「おやじみたいなよ、酒飲みなどにならぬつもりが
なっていた。」という歌詞がありましたが、
子供心にすごい歌詞だと残っています。
自己嫌悪に陥るとき、
自分の中に嫌いな親の影を見出すとき、
嫌いなはずの親が自分の中にいる。
そう結う観点でみると、親を許すこと=自分を許すことで
楽になれるというのかもしれないいと思います。
が、許すなんて簡単にはできません。
だから、親に会わないという、新しい過去を作らないということを
自分で作ることで楽になっています。

また一通りやってみて、失敗して学んだところがあります。
友達が多ければ幸せかもと努力しました。
幹事役を引き受けて、
一緒に遊びに行ったりしましたが、それほど満足感なし。とか。
参考まで。
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この回答へのお礼

そうですよね。
許すなんて簡単なことではないし、
育った環境で染み付いたものも消えないですよね。

私も人づきあいができれば幸せになると思いましたが、
やっぱり一人がとても楽に思えます。
コミュニケーションは出来るのですが、
周りの人間がまともに育っていそうで
近くにいると悲しくなるしつまらないので
深い関係の友達はいません。
でも、一人になれて幸せです。静かで最高。

前向きに考えます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/05 16:44

<補足>拝見しました。


そうですか。(お姉さまのことや弟さんのことで
もっと知りたいことがあるのですが)……とりあえず、過ぎたことは
忘れ、○○しなければいけないといった意識から自由になり、
頑張らずに、他罰的・自罰的・過剰反省ないものねだりetc.も
止めて、可能な範囲で、チャリティ活動やヴォランティア活動etc.を
つづけていれば(ある種の不満・焦燥感・飢餓感etc.が自然消滅し)
美しい心をキープできて、穏やかな気持ちで静かに暮らせるでしょう。
構えず、飾らず、無理のないところで多様に活躍してみてください。

機会がございましたら、
世界の難民キャンプを訪れて、お役に立って参りますと
魂の底の底から救われるでしょう。
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この回答へのお礼

お話聞いてくださってありがとうございます。

美しい心はキープしたいですね、、
今はそこら辺を散歩して
花を見たりするだけで幸せです。
フラッシュバックがおきた後の上手い気分転換を見つけてがんばります。。

お礼日時:2009/03/05 16:46

きっと昇華はしていないと思うのですが、もうずいぶん前に苦しくはなくなりました。



でも時折意味もなく思い出して 苦しい…というか 何とも言えない感情になる時はあります。
恨み、許せないなどなど複雑な感情ですね。
縁を切りたいと思っていたけれど どんな親でも 親だと縁切りは無理なのですよね。

私の場合ですが、本当に大嫌いで
(大嫌いという一言で済むほど簡単な感情ではありませんが)
恨んでいましたが、恨んでいると言うのは、相手にまだ構って欲しいと言うか
相手にして欲しい感情が残っているのではないか
謝って欲しいなど、関わりを求めている…
そんな感情の裏返しではないか、と言う意見を若い頃何かで知り、
一気に熱が冷めたような気がします。
関わりたくない、相手にして欲しくない、消えて欲しい…
そう考えている事自体 関わっているんだと思い
考えることもやめました。

こちらからは一切連絡はとりませんが、一年に1、2度連絡があるくらいになり
10年近く会っていません。

自立し、会わない、話さない、関わらなくて済む環境を自分で作り楽になれたんだと思います。

質問者様の年齢がわかりませんが…
年齢とともに許せることとどうしても許せない事が、よりはっきりしてくるような気がします。
その時々、冷静に対処しようとせず自分の感情に流されず一歩離れて考えるゆとりを持てると楽になれると思いますよ。
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うちの親は天才(IQ150以上)だったので、すべてを取り上げられれ勉強だけを押し付けれて育ちました。


しかし、自分は頭が悪かったので偏差値70程度で頭打ちになり、それ以上成績は上がりませんでした。
「天才に生んだのに何でこんな成績なの」「何でこんな簡単な問題間違えるの」と言われ続け偏差値のみを気にして生きてきましたが、結局毎日の暴言・いやがらせから心臓停止の上に神経までやられてもう20年くらい自宅療養です。
体が駄目になる前は、刃物で手を切ったり、壁が血で染まるまで殴って憂さ晴らしをしていたものです。
結局、親は自分の病気の面倒を見続けなければならないし、薬代(月数万)も負担しつづけなければなりません。
これがある程度復讐になっているのかもしれません。
しかし報復のために自分も親の何倍も苦しみ続ける訳ですから、全然割りに合わない復讐ですね。

とにかく親への憎しみをつのらせて生きてきた人生なので、体調が悪くても親が憎くても必死に勉強して幸せな将来のことを夢見ていました。
結婚して家を出たら、完全に親と縁を切って生きていくのを目標に血を吐いても必死に努力したんですが、結局全て無駄になりました。

今は自殺も視野に入れてのんびり生きています。
基本的に体調のいい日など一日も無いので親が死んだら野たれ死にかもしれません。
それまでには死んでおきたいんですけどね。
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私は親ではないですが・・


長兄に育てられました・・長兄と兄嫁、そして私の3人での生活が始まって2日目から虐待が始まりました。
小学3年の時でした・・それから7年間・・家をでるまで虐待の日々でした。

卒業して家を出ればこの生活から逃れられる・・との思いだけで過ごしました。

が、後々分かりましたが、家を出た、長兄と物理的に離れただけでは虐待の影響から逃れられない・・事をそれから40年後に知りました。
長兄とは15歳違い・・小学3年の私とは、本当に大人と子供でした。

私は身体の大きな人が苦手なのでした・・もう、無意識で近づかないのでした・・・相手がどの様に優しそうな人でも、避けてしまうのです。
これも後々分かった事ですが、身体の大きな人は潜在意識が長兄と同じと感じてしまうのでした。
そして、大きな人も前に出ると、長兄からの様々な圧迫の様なものを思い出すのか・・身体が縮こまっているのを感じました。
つまり、人間関係がとてもいびつなのです・・
その他にも虐待の影響が色濃く私の人生を支配していました。

50歳の頃にある先生と出会い・・指導を受ける事となりました。
心理学的な指導も受けました(心理学ではないのですが、まあ説明のしようもないので・・・)
そこで自分と向き合う事を学びました・・・
最初の数年は何を言われているのか、自分が何をやっているのか理解ができませんでした。
もちろん言葉は理解できます・・・そうだろうなあ~と言う事は分かるのですが、納得できない・・感じがずっと続きました。

師とであって7年目・・ある事がきっかけで、それまで指導されていた事の意味が納得できた様に感じたことがありました。
別な言い方をすると、自分の心情が分かってもらえた・・・
何を言っているのか理解不能でしょうか??

まあ、ある心境を得られた・・と言うことでしょう・・
その日から、自分が・・自分の物の見方が変るのを感じました。

長兄を許す事が出来始めた・・が分かりやすいですね。
実は長兄を今も許してはいないのです。
そしてこれからの長兄を許す事はないでしょう・・
矛盾している・・でしょう。
でもそれが事実なのです。
長兄を許す必要などないのです・・許す事も出来ません。

では、許す・あるいは許しとは・・と言うことになりますね。
それは、自分の心の中の記憶を整理すると言う事なのです。

私に限らず、虐待を受けている時には、虐待から逃れることが第一です。
命を守る事が最大の課題となります。
その為には虐待を受けても無感動と言うか、心を閉じて辛さなどを感じなくする必要があるのです。
また、心はその様な作用を自動的に行います・・でないと心が壊れてしまいますからね。

しかし、表面的には無感動となったとしても、潜在意識はしっかりとその事を覚えているのです。
この潜在意識に蓄積された記憶が、時折顔を出すのです。
人はそれをフラッシュ・バックといったりもしますね。

フラッシュ・バックがあると、それを引き金にして過去の事をあれこれと思い出します。
そして、無限の闇に落ちるのです・・私なら長兄を恨に、憎むのです。

これは何の手当てもしなければ、死ぬまで続く事でしょう。

さて、今も虐待が続いているなら、別な話し方、手当ても必要です。
虐待が過去のこととなっている事を前提に話します。

フラッシュ・バックの様なとか、何かのきっかけで虐待を思い出すとあれこれ・・は先ほど話しました。

が、これを良く読んでくださいね・・解決のヒントはここですからね。

虐待は受けたことは事実です・・が、今ではないのです。
それは過去のことなのです・・では何故問題となっているのか・・
過去の事・・それは客観的に見れば記憶に過ぎないのです。
しかし、自分の中では今虐待が起こっているかの如くのリアリティがあるのです。
その様に感じてしまうのです、で、それに苦しめられるのです。

つまり、解決の糸口は、虐待は過去のことと理解する事・・感情的にも。
そして、過去のことをどの様にして許す・・忘れる・・実は忘れる事など出来ないので、どの様に考え方を転換するか・・なのです。
質問者さんの言葉で言えば、昇華でも良いでしょう。

虐待などはとても理不尽な事なのです・・しかし、その後始末はなんと被害者である我々なのです。
その様なことを明白に理解する必要があるのです。
理不尽ではあるのですが、自分が取り組まなくてはならない・・
この事も受け入れなければならないのです。

先ほども書きましたが、自分を苦しめている最大の原因は記憶なのです。
それも私なら40年も前のです・・
もう虐待は35年前に終わっているのです・・・
が、自分(脳のと言っても良いでしょう)の中ではそれが今も続いているかの如く感じるのが全ての原因なのです。

この記憶はなくする事は出来ません・・で方向転換をする必要があるのです。
これは、言葉ですと簡単そうですが、中々の難敵です。
感情の話ですから、そうそう簡単には感情は納得しないのです。
記憶と感情とは学問的に言えば別物かも知れません。
しかし、感情と記憶はべったりとくっ付いているのです。
殴られる時の恐怖などには、記憶がとても良くくっ付きます。
で、それと似た感情が出た場合など、走馬灯の様に殴られた時の情景が思い出されます。

私は、最初は継母を許す事から始めました。
長兄の虐待には最初は立ち向かう事ができませんでした。

継母とは5年ほど一緒でしたが、私が幼かったので殆ど思い出らしい思い出がありませんでした。
それが幸いしたのでしょう・・
数少ない思い出の中での嫌な出来事からチャレンジしました。
チャレンジ・・などと言う大げさな事ではなく、最初は恨みつらみを並べていました。
色々な人の考えも聞きました。
その様なことを続けていたある日、何故か分かりませんでしたが、継母側からの見方で私自身を見る事が出来たのです・・

ああ、自分からの見方だけでは、自分は生きにくいのだなあ~と少し感じました。
長兄を許せる様になったのはそれから更に5年かかりました。
それ位、長兄との事は恐怖と共に記憶に深く刻まれていたのだと思います。

その後、ゆるすと言う事と言う本の出合いました。
この本は百回位は読みました・・・
最初は書かれている事が受け入れられませんでした。
おい、それは無いだろう・・自分は被害者だよ・・と言う意識がどうしても払拭できないのです。

が、被害者であることはそのままで良いのです。
唯、自分は過去の嫌な記憶に支配されている・・その記憶に支配されたままで良いのか、嫌なのか・・だけなのです。

どちらを選ぶの良しです・・苦しみも良しなのです・・結構充実感があるのです・・生きがいであったりもします。

過去の記憶を昇華すると、平穏が訪れます・・これは言葉では上手く言い表せません。
あの長兄を恨んでいる時の充実感はありません・・・
しかし、こみ上げてくる様な喜び・・でもない言葉では難しいですが、強いて言えば満足感・・でしょうか。
何より、心が波立たないです・・・この感じは、感じて貰うよりないでしょうね。

支離滅裂になってしまいましたね、
もし昇華と言う事を話すなら、多分ですが、自分と向き合うと言う事だと思います。
先ずは、色々な人と話してみる・・他人の考え方、ものの見方を知ると言う事が第一歩かも知れません。
他人は十人十色・・本当に色々な考え方、見方をします。
次には本を沢山読むと言う事でしょう・・・

そして、自分と向き合う・・これが一番難敵です。
自分と向き合うと、良い所はあっと言う間に出尽くします。
そして残るのは自分の醜い所ばかり・・・
でもこれを抜きにしては一歩も先には進みません。

この部分で大抵の人は挫折するのです・・・自分の醜い所など誰も見たくはないですからね・・
覚悟をしても、直ぐに覚悟など崩れ去ります。
また覚悟をして・・の繰り返し・・です。

誤解しないで下さいね、自分の醜い所があるから、虐待などの事実をなしにすると言う事ではないのですからね・・・

虐待の事実など消える事はないのです。
しかし、虐待は虐待をした当人が立ち向かう必要があるのです。
それは、虐待をした人の問題なのです。

こちらは、その虐待を受けたことによる被害から如何に立ち直るかが問題なのです。
そして、それは多くの場合、記憶が全ての根源でもあるのです。
記憶が根源ではあるのですが、記憶を無くすことはできません。
で、その記憶への解釈と言うか、感じ方を変えるより方法がないのです。
これは簡単そうで、とても手ごわいのです。
大抵の人は今まで別の見方や考え方もあるかも・・などとは思わないのです。
知識では知っているかも知れませんが、その様に納得などはしていない・・と言うことなのです。

その見方・考え方を変えるには自分の根源と向き合う必要があるのです。
それをしないと、ある問題だけは解決したかの如くに見えますが、本当には解決していないので、少し目先が変った問題が出てくると、また問題として浮かび上がってくるのです。

それは、こちらに相談している人が一時はお礼などを書き入れても、直ぐに別の問題を持ち出してくることからも明らかと思います。
本当は別の問題ではないのです・・
解決した納得したかに装わないと、皆さんから色々言われますので、一度は質問を閉める訳です。
で、何度も何度も同じ様な問題を質問する・・と言うことを繰り返します。

まあ、この様な場所の宿命でもあるのでしょう。

私が15年程取り組んでいることの一部を紹介しました。
矛盾点も沢山感じられる事でしょう。
また、意味不明なこともあると思います。
それは補足でもしていただければお答えします。

物事の解決法は二通りあります・・と学びました。
根本療法と対処療法です・・・
対処療法は結果が見えやすいです・・一番良い例は病院でしょう。
しかし、いっときは治った、治まったかに見えますが、直ぐに再燃・再発します。
それを終わらせるには根本療法が必要です。
しかし、これは大変です・・根本療法などはないからです??
とっかかりは対処療法です・・・それしか糸口がありません。
が、方向性だけは、根本を見るのだ・・と言うことがなければ対処療法が根本療法への糸口とはなり得ないのです。

この辺の所は、僅かの行数では説明しきれるものでもないですが、さわりだけ・・

では、何れまたと言う事で、失礼します。
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しかしね、相手を憎むということは、結局は両刃の剣でね。


自分を絶えず傷つけ、苦しめるだけだと、わたしは気づいたんだ。
    〔 三浦綾子 『残像』 〕
自分はすべて被害者で、
相手はすべて加害者だという考え方は、
決して自分を幸せにはいたしません。
    〔 三浦綾子 『ちいさな郵便車』 〕
ということで、Sublimation をお考えになられるより、
親御さんは、親御さんの親御さんの世代連鎖なのかもしれませんし、
親御さんの親御さんは Victim of Circumstances であるかも
しれませんので、とりあえず、

親御さんの生育史、
親御さんの親御さんの生育史を広く知るところから
始めてみませんか。

許すのは、トータルでの人間力が
よほど強くないと許せないのが現実です。
生育史を理解し、遺伝etc.を含めた環境を考え合わせて
対応してみましょう。

※宜しければ親御さんへの恨みとはどのようなものなのか、
補足してくださいませんか。アナタさまの個人的な期待感や
与えられる(=受ける)ギフトetc.の多寡に関わることでは
ないのでしょ。
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この回答へのお礼

興味を持ってくださりありがとうございます。

母は幼い時に母を亡くし、
父も幼い時に父を亡くしています。
なので同性の親のモデルがないのだと思います。
会話は表面的なものしかありません。
外食でも、「おいしいね」とか「この野菜がいいね」という
TVの収録で学んだような会話しかしません。

私はそんな家庭でコミュニケーションを学んだので
学校では中身のある会話ができなくなり
次第に周りとの溝ができてきました。

大好きな祖母が一緒に住んでいて、今はいませんが
母がとても嫌っていました。
姉は自分がどれだけ私より可愛いかをいつも話し、
夜中になると暴れ、私を毎晩寝かせませんでした。
父は無関心。SOSはたくさん出したけど
全く助けてくれませんね。本当、ATMです。ATMありがとう。
新居がたつとみんなで私をいじめて家が成り立っていました。
弟に家に帰れ!といわれ、みんなでくすくす笑っていました。

まぁ、書けばたくさんあるのですが、
お金と外面はそんなに悪くなかったのでそこは感謝しています。
それに、両親も成長中だと考えて、たくさん許しています。

でも、たまに当時を思い出してしまうんですよね。。
父と母が作った精神的な連鎖の歪を
私の代で埋めていかなくちゃと思うのですが
なんでこんな目にあったんだろうとも思いますよね。
家から逃げなかったのはいわゆるイイ子ちゃんだったからです。
それと、両親にかまってほしい期待があったからですが
いつも死にたかったし、学校でもいつ泣いてしまうかわからないので
いつも黙って誰とも話さず避けるように生きていました。
それを両親は笑っていましたし、
成績が悪くなっても何も言わないので私は何もしなくなりましたが、
何を言っても馬鹿な父と母は何もわからないと思います。
しかし育ちもあるので仕方ないとは思っています。

お礼日時:2009/03/01 22:14

どう昇華しているのでしょうか?



試みに、しばらく批判することをすっかりやめて見てはどうでしょう?そして、いたるところで力のかぎり、すべて善きものを励まし、かつ支持するようにし、卑俗なものや悪いものを下らぬもの、かつほろびさるものとして無視しては?
そうすれば、前よりも満足な生活に入ることができると思う。
実にしばしば、まさにこの点に一切がかかっている。

的を射たアドバイスにはなっていないと思いますが。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

今は力の限り楽しく生きています。
けど、それでもやはり
ふとした言葉や日常の光景を見て
防波堤が崩れるように感情の波があふれ出てくることがあります。
そうすると邪心にかられて
死んでやろうかとか暴れてやろうかとか
自分を傷付けてみようか等思ってしまいます。

でも安息の時を大切にして前向きに生きてみますね。

お礼日時:2009/03/01 22:02

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