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金大中大統領時代に、段階的に日本文化を開放していく方針があったようですが、
盧武鉉大統領時代ほど開放されて無かったですよね?
韓流ブームも無かったし。
当時、ウッチャンナンチャンの『ウリナリ』という番組内で、
韓国人の女の子をポケビかブラビに入れる企画がありましたが、
ウンナンやキャイーンが韓国の街中でかなり冷たい態度をとられていたのを覚えています。

父が昔からよく仕事で中国に出張するので、
行く度に海賊版かもしれない(!?)CDを数枚買って来ます。(注!かなり安いそうです。)
その中で韓国の曲を集めたCDで、何という歌手かわかりませんが、
作曲者が『ЯK』という日本人である曲がありました。
ハングルは結構読めるほうなので(読めてもほとんど意味不明ですが…)
確かに「イルボン(日本)」と書いてあるのはわかりました。

私はこれって「河村隆一」!?と思いましたが、
イニシャルがRKの人はいっぱいいるし…。
でもアールが反転してるところが河村ではないかと思われます。
歌詞カードは無く、裏ジャケットにだけ
その曲のタイトルが「I’ll be there.」と書いてあります。
聴いたところ歌手は男性ですが、名前が書いてないのが困ります。

日本の「ЯK」のWikipediaには韓国人に楽曲提供したとは書いてありません。
てゆうかその金大中時代に日本人の作曲者がK-POPに関わってもよかったんですか?
「ЯK」についても「これは河村とは別人」、とか少しでも情報を頂きたいです。

A 回答 (1件)

金大中政権当時は、北朝鮮への太陽政策と同時に、


日本のサブカルチャーも受け入れていこうという姿勢があったように思います。
BoAさんの日本デビューもその一環かもしれません。


では本題。
日韓混合グループではありますが、河村さんが「ASAYAN」を通じて韓国人に曲を提供したことはあります。
そのときの提供先は女性だったので、何かしらの形で許可が下りてカバーできたと考えるのが自然でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
「ASAYAN」は全然知らなかったので、
韓国人歌手に楽曲提供していたと初めて知りました。
金大中の頃から日本への扉は思ったより開いてたんですね。
まさか冬ソナ始め韓流ブームで扉がぶっ飛んでしまうなんて、
当時、誰が想像したでしょう!(笑!)

お礼日時:2009/03/17 00:49

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