アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

日本において敬語は必要だと思いますか?あと上下関係は必要だと思いますか?

当方海外に住んで数年で英語をしゃべっていますが、やはり英語での会話は日本語で他人と会話するよりも気楽な感じがします。なんでかと考えたら、やはり他人にあまり気を使ってないでしゃべっているからだと思います。

今日本には先輩後輩関係をちゃんとするために敬語が使われていますが、はたして敬語または上下関係というのは社会に本当に必要でしょうか?興味があるのでみなさんの意見も聞きたいです。

よく聞きますが、敬語は人間関係を円滑にすると言いますが本当にそうでしょうか?なんかますます上下関係ができあがって溝を作ってしまいそうな感じです。たとえば上司に対するしゃべり方と友達とのしゃべり方は一緒ではいけません。でも英語圏の国ではほぼ一緒です。ただでさえ上司は偉いのにそれでなおかつ敬語を使わなければいけないのは苦痛ではないでしょうか?もし上司に対して気軽に友達どうしのように話かけられれば仕事はもっと楽しくなるでしょう。仕事が楽しくなれば意欲も増し、いい意見がどんどんでることでしょう。会社はますます発展すると思います。みなさんも同級生の友達とタメで話すのと上司やいやな先輩と敬語で話すのでは全然楽しさが違うと思いませんでしょうか?

上下関係ですが、部下は上司の言うことに絶対に賛成しなければいけません。でも英語圏では上司のことが間違っていると気づいたら部下であろうと、アドバイスしたり間違っていると指摘するのが普通です。自分は人間の本来の姿から考えて後者の方が正しいと思います。しかし日本では上司の言うことは絶対です。たとえば能力の高い部下が能力の低い上司に就いた場合、上司の全然よくない意見にも従わなければいけないのでそれで会社がだめになることも考えられます。体育会系でもそうです。日本ではちゃんと年ごとに上下関係があってたとえば野球部ではたとえ能力があっても年が下だから試合に出させてもらえないなんてこともあると思います。そのせいで能力のある有望な人たちが辞めていく可能性もあります。日本も海外のように能力主義になった方がいいと思います。今だんだんとなりつつありますが。

言葉というのは本来伝わればそれでいいと思います。でも上下関係などで下のものが上のものとしゃべれない状況を作ってしまうとそれはそれで問題があると思います。言葉は人間のコミュニケーションにおいて1番重要であり使わなければなんの役にも立ちません。もっとだれでも自由に喋れる場を作り、上下関係の垣根がなくなれば日本はもっと発展すると僕が思います。

前にバイトした時でも、上司の人が部下の服に落書きをしていました。部下の人はただただ笑顔でやめてくださいと言っていました。ただじゃれあっているのかいじめなのかは分かりづらかったですが、見ているこっちは見苦しかったです。これをニートの人に見せるとますます働く気がなくなると思います。でももし敬語がなかったら部下の人は今度はやめてよーとかやめろよーとか言うかと思います。第三者から見ればこれはいじめではなくただじゃれあう感じになります。さらに上下関係がなくなれば、部下の人は上司にやり返したりできることになるかもしれません。これは部下の人にとってはプラスですし、客観的に見ても平和で社会が成り立っているようにみえます。そもそも上司が部下になんでもしていいという文化がどうかと思いますがどうですか?

あと敬語のせいかどうか分かりませんが客と従業員の関係もかなり日本ではきついように感じます。たとえば店で働く従業員は絶対敬語ですが、客はタメでもいいです。もし客がハンバーガーを注文して中に虫が入っていた場合、客はただ怒鳴りつけたりしてもいいです。しかし従業員はただただ謝るしかありません。もし逆になにか言うと上司を呼びつけられてクビになるかもしれません。でももし敬語や客と従業員の上下関係がなければ客もどなることもないと思います。(勝手な発想ですが。)もし客がなにか文句をいってもタメなら客もあまり言わないでしょう。平等という関係性が成り立てばもっと従業員の身にもなって考え、怒鳴り散らしたり上から目線は減るんではないかと思います。実際海外にずっと住んでいますが、こっちでは逆に従業員の方が上の立場のときがあります。というより上とか下とか考える人が一人もいないと思います。

自分の意見は間違っていますか?もし日本から完全とはいいませんが敬語と上下関係がなくなれば良くなると思いますか?たくさんの意見お待ちしております。

長い文ですが失礼しました。

A 回答 (15件中1~10件)

敬語や謙譲語などは、必要です。


人として、人を敬う必要がある、謙る必要がある。
そして、それをきちんと言葉として表現する相手に伝える手段を持っている。
日本語ならではの、すばらしいところです。

英語だって敬意を払う時の言葉と、そうでないときの言葉はある程度違うと認識してますけど?!

あなたが言うのは、使う場面と相手の問題です!

また、上下関係でコミュニケーションを潤滑に行うのにもそれらの言葉が一役買います。
また、上下関係が無くなればと言われますが
それも日本に限らずどこにでもあるものですよ。
従業員が上の場合も、日本であります。
それは、社会的立場が下の者が実質上の立場というだけ。
上下関係は逆転してますが存在してますよね。
店長が従業員に敬語で話すってあるんですよ。

そして
従業員と客が共にタメ口でも店側の不始末に怒鳴る客が減るとは思えません。
それと、客と従業員は上下関係ではなく、店側が客に対して敬意を払ってる。
敬意を払うという行為、言動をまだ覚えてますか?
敬意を払う必要の無い相手と見れば、最終的には敬語使いませんよ。

アメリカで怒鳴らないとすれば、その場で喚き怒鳴らなくても訴訟して金取れば良いという慣習があるからでは?!
    • good
    • 3

私も米国に計10年近く住んでいますが思うのは(無論、質問者さんは、私よりずっと英語が堪能かも知れませんが)、やはり外国人には言葉のニュアンスが良く分からないのではないでしょうか。

英語には敬語、あるいは敬意を示すコミュニケーションが存在しないと言い切れるのでしょうか。

また、(日本では)「部下は上司の言うことに絶対に賛成しなければいけません」というのは絶対真ではありません。私は、下の意見を受け入れない上司も経験しましたし、逆にどんどん「部下の意見こそ私の意見」というぐらいの上司もいました。もし、上司が絶対的な決定権をもつことに関していっているのならば、それは組織には統一した決断が必要で、会社はそれを上司に与えているからしょうが無いでしょう。ただ決断に至るプロセスにおいて、部下の意見をくみ上げる人は、結構たくさんいると思います。

米国では民主的で、皆好き勝手言っているというのは、質問者さんの環境ではそうかも知れません。私個人の印象は、米国は直属の上司が採用し、評価する(人事部は日本に比べて干渉が弱い)ので、「自分のボス」に対してはかなりプレッシャーを感じている人が多いようです。無論、いやになって職場をやめれる自由度は米国のほうが圧倒的に高いですが。ただ、日本ならば数年我慢すれば組織替えがあったりする場合もありますが(大企業や公務員だけかもしれませんが)、アメリカは大企業でも結構「自分のボス」が絶対的な場合があります。

あと、質問者さんのバイト先の経験(落書き)は極端な話で、日本の平均的会社社会ではそんなことはありえないと思います。実際、これは裁判沙汰になれば勝てるぐらいの問題です。

また、ハンバーガー屋の経験を話されていますが、Unitedのサービスを知っている人は、質問者さんと反対のことを感じられるのでは、と思います。ハンバーガー屋で店員を怒鳴ったり、丁寧な言葉遣いができない客などというのは、品位が低い人間であり、そのような悪例をもって、丁寧な言葉遣いや、謙譲の心遣い自体をなくしてしまえばよいというのは(失礼ながら)少々短絡的ではないでしょうか。たとえ客(金を払う側)にあっても、相手への礼儀がある、これを主張し、啓蒙していくべきではないのでしょうか(個人的には自明の理だとは思いますが...小学校の道徳教育ぐらいに入れてもいいのかもしれません)。

散発的な回答で恐縮ですが、日本の上下関係の中でも、最低限のことを守りつつ、親しくなれた人に対しては(敬意を持っているというところは持ちつつも)、実は軽くからかったり、というくだけた関係が得られます。そういう経験が得られる場合には、日本人社会もなかなかオツなものだと考えて頂けると思います。
    • good
    • 4

No.5です。



>教える者と教わる者、指導される者指導する者みたいな関係だけでしたらいいでしょうけど今の日本上下関係を使い、いろいろ悪いことを部下にしたりする人もいます。日本もアメリカみたいに態度のみ示せばいいのではないでしょうか?
 それは日本に限った事ではないでしょう。上下関係があるからこそ、企業が成立するんです。
 それと、従業員が上になるような店は日本にもあります。しかしそれは定着しない。つまり、国民は皆分かっているんですよ。現状で満足なんです。


>従業員は命をかけてサービスしないといけないという事が生まれてきますが、もしも客も紳士に敬語で対応すればある程度プレッシャーは消えると思います。逆に客がヤクザみたいに接していると従業員の方もプレッシャーはかかるわでストレスが溜まってしまいます。これが今の日本の社会の悪いところだと思います。そこを直すために全員敬語を使うことを法律かなんかにすればいいのではないでしょうか?
 お客様も販売する側も、「買って頂く」又は「売って頂く」という姿勢です。これは礼儀であり、相手に対する敬意です。ストレスがかかる社会は当たり前です。緊張感を持って接するのが接客です。それらを今無くせば、まともに社会が動くとは到底思えませんし、敬語は各国の文化でもあります。

 では敬語を無くして、平社員が
 「社長。それは違うんじゃない?」
 と言えるんですか?それで通用すると思っているんでしょうか?上下関係があるから会社がまとまります。目上の人に敬語を使うのは、人生の先輩であり上司である人への敬意を払うという事です。
 私は、仮に法が変わったとしても敬語を辞めるなんて出来ませんね。

 No.12の方の意見。私もそう思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>では敬語を無くして、平社員が
 「社長。それは違うんじゃない?」
 と言えるんですか?それで通用すると思っているんでしょうか?上下関係があるから会社がまとまります。目上の人に敬語を使うのは、人生の先輩であり上司である人への敬意を払うという事です。

社長も部下に対して敬語で接してくれるのなら敬語でもいいと思います。でも部下が敬語で社長がタメっていうのは自分としてはあまり気に入りません。(どうこう言える立場ではないですが)下にも書きましたが、会社や社会全体でだれにでも敬語を使わなくてはいけないようにしるのはどうでしょうか?自分もいろいろ考えましたがやっぱり敬語は大事です。しかし上下関係があまり好きではなくみんな平等に話せる社会を見たいです。そうしたらもっとスムーズになりストレス社会も減るのではないでしょうか?たとえば上司がタメ口で怒るのと敬語で怒るのでは全然違うと思います。怒られた方もリスペクトを払ってくれているのでちゃんと聞く耳になっていると思います。でも上司がタメで部下のミスをいろいろ叱ってどなっているの見たら上から押し付けているようにしか見えません。この点はどうでしょうか?

補足日時:2009/03/18 02:38
    • good
    • 3

もし、質問者さんの文章を読んで10歳も若い人から「ウゼー内容だな」って言われたらどうします?敬語の1つくらいあった方が便利だと思いません?



察するに質問者さんは他人に屈するのが非常に嫌なタイプなんではないでしょうか?他人には存外にされたくないのに自分はOKという気がしてなりません。もう少し深く掘り下げた全体像を考えるべきかと思います。
    • good
    • 2

過度にならない程度の敬語は必要でしょう。


言語、会話も長い歴史があり、独特の文化ですから。

英語圏でも上下関係はありますよ。
言い方は日本よりストレートで、貴方から見れば同等のように思えるかもしれませんが、実際は厳然とした上下関係はあります。

転職が容易な分、自由に話せる部分はありますが、転職の際リファレンスが必要と思えば、表面上は対等に近いように振舞っても、言動や態度は慎むのが普通ですし、レイオフの判断は上司がしますから、対等に見えて見えないところでは、いびつな関係もあります。

アメリカでは責任を部下のせいにしたり、押し付ける傾向が強い。
GMやリーマン、AIGなどそうでしょう。
従業員を大量にリストラしても、自分は莫大な報酬を手にする。

日本の場合は、部下が失敗したとしても上司が責任を負う傾向が強い。
リストラする前に、上司の給料を減らしてでも雇用を守ろうとする傾向は、アメリカより強いと思います。

ハンバーガーですが、アメリカの場合は従業員に苦情を言わず、従業員に対して、マネージャーを出せといって、マネージャーに苦情を言い、裁判沙汰にする。
従業員は最低賃金のパートで働いているので、別にその職業にしがみ付く必要は無く、腰掛の仕事だと思っているので、責任感が日本人に比べて少なく、そんなの知ったことかという態度。
それに、責任者はマネージャーだから、パートの従業員に怒鳴っても無駄と客は知っています。

日本の場合は、作った人間が店長と一緒に謝る。
それは自分を含めて、店全体の責任だと言う考え。

質問者さんは、アメリカのマクドナルドと日本のマクドナルドの接客を観察したことがありますか。
アメリカのマクドナルドの従業員は、客の挨拶等を含めて、日本より質が落ちると思いましたが。

敬語は相手を敬う態度を表す言葉です。
英語で客は、カスタマー、ゲスト、クライアント等ありますが、日本語ではカスタマーもゲストも客です。
それは自分以外の人間は敬うに値すると言う意味も含まれています。

上下関係を逆手にとって、横柄に振舞う馬鹿な日本人はいますが、本来の敬語の精神とはそういうものだと思います。
ナイフと同様、使う人によって良いツールとなるが、馬鹿が使えばきちがいに刃物となる
    • good
    • 1

 どの国にだって上下関係はあります。

また,どの言語にも敬語はあります。
 敬語には,尊敬語・謙譲語・丁寧語があります。唯一,日本語にあるのは謙譲語です。
 争いを好まず,相手を思いやる心を持つのが日本人の美徳であり,自らがへりくだる謙譲語ができたのは,日本の伝統的文化です。

>上下関係ですが、部下は上司の言うことに絶対に賛成しなければいけません。
 
 この認識が誤っています。部下が上司の言うことに従うのは,上司が責任を負うからです。上司は責任を負うことを覚悟して部下に指示するのです。
 まあ昔から,手柄は自分のものにし,失敗は部下に責任を押し付ける輩がいることは周知の事実ですが。

>店で働く従業員は絶対敬語ですが、客はタメでもいいです。
 
 法律上,店と客は債権債務関係にあり,対等です。金を出す方が偉いと思っている人は,拝金主義者であるとも言えます。客が出す金と引き替えに,商品やサービスを提供するのですから。

>もし客がハンバーガーを注文して中に虫が入っていた場合、客はただ怒鳴りつけたりしてもいいです。
 
 引用例が悪いですね。この例ですと,店が提供したハンバーガーが,受け取った金に見合わないものですので,店・従業員が怒鳴られても仕方ありません。店側に瑕疵があるのですから。
 質問者がそのハンバーガーショップの店長であるとした場合,虫の入ったハンバーガーを客に出した従業員を叱らないのでしょうか。
 
 私の目から見て,質問者様の意見は間違っていると思います。
 敬語(特に謙譲語)と上下関係がなくなれば,世の中,住みにくくなるでしょうね。
    • good
    • 0

敬語「も」必要だと思います。


良いのです。
謙譲語だろうとタメだろうと敬語だろうと混ぜちゃえば良い。
へ?そんな事をして何になるかって?

大河ドラマで言ってたでしょ?
迷いだらけだからこそ見つけられるものがる。と。

上下関係とはこういう迷いやブレを楽しむゆとりが必要なんですよ。
そこに成長、革新があるのですよ。
ツッコミ出来ない人間関係は上下関係なんて築けませんよ。
    • good
    • 2

日本語にしか無いのは敬語じゃなく謙譲語のはずですが・・・


上下関係だって外国にもあります。

謙譲語は確かになかなか外国の方には理解してもらえず、こういう国際社会になってくると弊害もあるので考えた方がいいかもしれません。
しかし先輩後輩などの上下関係もそれに付随する敬語も必要だと思いますよ。
ただ、上下関係は絶対服従と違います。
上下関係と絶対服従を勘違いしている人がおかしなことをしているだけです。
    • good
    • 0

日本語中の敬語を無くすことは現実的でありませんし、


かりに無くしたほうがよいとしても絵空事にすぎませんが、
日本語の敬語表現システムは現状に対して複雑過ぎるとは思います。

日本人の「より丁寧に言おう、より相手を持ち上げよう、よりへりくだろう」
とでもいわんばかりの内面的な言葉遊びにはしばしば徒労感を覚えます。
教養のある者ほど敬語を華麗に使いこなせるという傾向が強く、その逆はからっきしで、
敬語なんて名前がついていながら、よくできた飾りだなあと思います。
もうちょっとシンプルでいいのに。

ですので新聞や書籍で「尊敬語・謙譲語が乱れている」などの記事をみると
わざわざそういった啓蒙記事を書かねばならない現実に対して
「よしよし、もっと乱れろ。敬語なんかなし崩しに一旦消滅してしまえ」と
わたしは心の中で嬉しくなります。

言葉は生き物であり、社会の変化を乗り越えて残るものが文化です。
わざわざ残したところで、野生動物に対する動物の剥製のようなものです。
    • good
    • 1

質問者様のご意見は間違っているとは思いませんよ。


上下関係・敬語について…。と、お考えになる意見を興味深く拝見しました。
確かに日本では、従業員もロボットのような対応ですよね。
例えば、レジ係の人に「今日は天気がいいよ~」なんていったら「???」変な人…みたいな。

これまで日本に敬語と上下関係が存続しているからには理由があると思います。

動物の種類と同じだと理解しているんです。同じ動物ですが言葉も違うし、性格も違いますよね。例えば犬や猫でもおとなしい性格のものやよく吠えたりする種類、頭のいい犬は盲導犬になったり…。その動物の習性と人種は同じだと理解しているんです。
人間には理解力はありますが、結局変えられない部分があると感じます。同じ出来事に対しても、国民性によって対応が違います。その国柄や宗教が大きく関係してくると思います。

敬語については、
敬語を話す事で、相手がみえず距離を感じる事もありますよね。
しかし、日本人は距離を置かないと、規制をしないと乱れてしまう習性を持っているようです。自由といわれても、白人の考える自由とは異なりますよね。
日本の敬語は、社会への知識と理解を表現する一つの方法です。
敬語でなくても、言葉遣いは、その人の内面・人格を表します。きちんとした言葉遣いは、周囲に信頼され、好感をもたれるようになります。
そして、話せると(話せるだけで)頭の良さや性格、育ちがわかる。
これは、どの国でも同じでしょう。
敬語をつかいこなすことで、相手に対する気持ちを表現し、そして自分の知識の見せ場にもなっています。
島国である日本の以心伝心、意思疎通の方法ともいえると思います。

敬語とはまた違うかもしれませんが、
オバマ大統領が「Yes, we can.」と言うと、私達にはできる力があると、皆の代表として国の為に頑張ろう!という感じを受けますが、日本の政治家達が「国民が第一。国民が国民が…」と“国民”と言われているだけで、距離感を感じてしまいますよね。
しかし、これが日本。海外生活で気付いた人は幸せなのか?不幸なのか?日本にずっといる人は、疑問に思うこともないことかもしれませんね。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!