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 新約聖書に、“金持ちとラザロ”の物語があります。ルカ16:19~31ですが、この物語を信仰心を考慮せずに、事実とする説明が出来ますか?前後のお話との関連も無く、単独で成立したお話です。突然登場する死後の世界観に、違和感を感じるのですが?  ※例:これは単なる喩え話とか。自論、説など乞う・・・。

A 回答 (1件)

聖書の主題は多くの偽り者達が言っているような愛と平和ではありません。

                                                                                                 聖書の主題は楽園と地獄です。                                                                               御言葉は真理です。真理では無いとそれは非審理です。                                                                                                         神様はアダムに善と悪の知識の木から出るものを食べると{必ず死ぬ}と言われました。                                                                                       しかし、エバはサタンに騙され{貴方達はそれを食べてもいけず、触ってもいけない。もしかすると死ぬかも知れない。創世記3:3}と自分勝手の解釈をし、罪を犯しました。                                                                                                               即「必ず死ぬ」に「食べてもいけず、触ってもいけない」を付け加え、「もしかすると死ぬかも知れない」と変改したのです。                                                                                                         このように神様の御言葉に付け加え、変改することが今も日常的になっています。                                                                                         地獄を分からないと何故 救われなければならないのか分かりません。                                                                                                  アダムは罪を犯した結果、神様との交わりが出来ず、悪魔に言われるままに生きていくようになりました。                                                                                                                 人はこのようなアダムに似て産まれるのです「創世記5:3」。                                                                                                 この世は悪魔によって支配されています。                                                                                                              コリント後4:4は悪魔をこの世の神だと教えてくれます。                                                                                                                                   だから、地獄について一回も説明しなかった牧師がいるならば、彼は悪魔の天使なのかもしれません「マタイ25:41」。                                                                                                        良い木から悪い実は結びません。                                                                                                                   純粋な葡萄の木からは純粋な葡萄の実が結びます。                                                                                                         救われてない牧師から救われた人は出ません。                                                                                                          カトリック、エホバの証人、統一教などに救われた人が一人もいないのはそういうわけです。                                                                                       この世の中の全ての人々は神様の似姿を失ったまま産まれます。                                                                                                 彼らの支配者は神様ではなく、この世の支配者なのです。                                                                                                         救われた人は光の子供です。                                                                                                                御言葉はこのような暗い世の中に輝く光です「ヨハネ福音1章」。                                                                                                                                       御言葉は神様です。御言葉は光です。だから、救われた人は神様の子供です。                                                                                             この世の子供は光の子供よりもっと賢いです「ルカ16:8」。                                                                                               世の中の子供は賢くてあらゆる手を使いこなし不意の財物を蓄えた人も多いでしょう。                                                                                                ルカ16:9はこのような人々にその不意の財物で友達と交わりなさい。                                                                                                    そうすればかれらが貴方達を永遠な住まい「楽園」に迎えるといわれます。                                                                                                                ここで友達は神様の子供であることは言うまでも無いでしょう。                                                                                                      光の子供は福音を伝える事が出来るからです。                                                                                                         神様の子供は地獄の説明が出来るからです。                                                                                                              13節はどんな人でも2人の主人に仕える事は出来ないといわれます。                                                                                              私達は神様と悪魔に同時に仕えることはできません。                                                                                                       金持ちが悪いとの意味ではありません。                                                                                                              救われた人ならある程度の収入があるとこの世の中の暮らしに金によって困ることは無いからです。                                                                                                                    酒も飲まない。タバコも吸わない。酒場には足も踏み入れない。派手な服にも関心が無い。流行にも無関心。異性からの誘いにも断る。                                                                                                   相手との結婚について宗教の違いで相談する人が多くいますが、彼らは聖書が言われるキリスト人ではありません。                                                                                                             どのようにして結婚寸前まで自分がキリスト人であることを隠す事が出来ただろう。関心するばかりです。                                                                                                                彼が真の神様の子供であるならば、何処に行っても、誰にあっても、相手が自分とはそして世の人々とは違う人であることを直ぐ分かるでしょう。                                                                                             16~30は旧約時代の地獄と楽園を教えてくれます。                                                                                                      旧約人はイエスキリストの十字架を信じて救われた人々ではありません。                                                                                                彼らは律法を守りながら羊や雄牛の血によって救われた人々です。                                                                                                  羊や雄牛の血はイエスキリストの血のように完璧なものではありません。                                                                                                 あくまでも後に来られるイエスキリストの血の模型に過ぎません。                                                                                                それにもかかわらず不潔な人々の罪をきれいに洗い流したならば、神様に捧げられたキリストの血が私達の罪を完璧に洗いきることが出来ないでしょうか?                                                                                             これがヘブライ9:12~14までの意味です。                                                                                                        ルカ16:31はもしモセと先知者達の言葉「聖書」を聞かないならば、例え誰かが死んだ者達の仲から蘇るとしても彼らを説得する事は出来ないと言われます。                                                                                                                    地獄は実在する処です。                                                                                       イエスキリストは十字架に処刑された後、地獄の隣にある楽園に行かれました。                                                                                                    そして、旧約時代の時に救われた人々に十字架の福音を伝え、彼らを空にある楽園につれて行かれたのです。                                                                                                      イエスキリストの血は羊や雄牛の血より貴いから、十字架の福音によって彼らは罪から完璧になることが出来たからです「エペソ4:8~9」。                                                                                               パウロは使途言語録4:19で迫害され死にました。                                                                                                         その時、彼は三番目の空にある楽園に行って来たのです「コリント後12:1~4」。                                                                                       地表から地球の中心部までは約80キロです。                                                                                                          いちばん深い海からは約2キロです。                                                                                                               その隙間から人々の泣き叫ぶ声が聞こえた。170センチぐらいの赤い色の虫みたいな者がそこから出るのを見たと証言する潜水夫の言葉がNational Geographic誌に載ったことがあり、TVにも放映された国もあるそうです。                                                                                                       「マルコ9:44 そこでは彼らの虫も死なず、火も消されない」。                                                                                                                    1989年4月10日、フィンランド新聞にはロシアの科学者達がシベリアで採掘のため打ち込んだ機械が空回り、そこから人々の泣き叫ぶ声が録音され、みな逃げてしまったと報道されています。                                                                                                         最近になって地球中心部の温度は6648度で太陽の温度より高いことが分かりました。                                                                                                                      地獄は聖書にしか無い御言葉です。                                                                                                                    死後について教えてくれるのも聖書だけです。                                                                                                         今まで北極の氷は60年後に完全になくなると予測されましたが、先週カナダのクェべク大学の研究者は2014年に完全になくなると予測しました。                                                                                                                           しかし、聖書はこの世は火によって滅亡すると言われました「ペトロ後3:10」。
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この回答へのお礼

  回答有難う御座いました。
質問とは違った回答もありました。
(1)アダムとエバに関しては、余りこだわりません。人間はその誕生の初めから死を迎える。それは、摂理でもあり罪でもあると思っています。
(2)聖書の目差すところは、神様の啓示としては、愛と平和でも良いと思っています。その意味では、御言葉は光と言えるのでしょう。
(3)地獄が実在するか否かは問題ではありません。故に、悪い牧師が居たとしても今は、関係ありません。医者ルカが書いたとされるルカ書ですが、このラザロの物語を、どのように誰から聞いたのでしょう?ルカが死後の世界に行って、実際に金持ちやラザロに遭って来たのでしょうか?イエスのお話としても、不自然に思われますが?30~31節に死者の復活の事が語られていますが、復活できるとは書いていませんよ。神の啓示とも取れますが、断定できません。地獄は否定しませんが、ラザロの物語の不自然さについて、質問しています。
(4)地球の半径は、恐らく6,370キロ位だと思います。(http://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/cul/cosmola …) 深海の最深も 10,900m位とされてますよ。(http://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/shizen/shizen …) 以下省略。

※聖書の神信仰や畏敬を損ねずに、疑問を解消したいのですが。

お礼日時:2009/03/17 17:16

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