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アニメを見たのですが、クラナドのストーリーがよくわからないのです。
わからないのは、主にAfterStoryの22話です。

・汐が死んだあと、最初の桜並木の道でなぎさが「あなたはこの街が好きですか?…」と言っていたところに戻ったようでしたが、あれはどういうことなのですか?
・街と渚の関係は結局なんだったんですか?
・寮母のみさえさんの高校時代に会った少年とみさえさんのネコは同一人物のようでしたが、誰だったのですか?


だいたいこのような点なのですが、
これをふまえて最初から最後まで説明していただけるととても助かります。
アニメは僕なりにしっかり理解しようとしたのですが、やっぱりわかりません。。

お願いします、、

A 回答 (4件)

メタ的、ゲーム的に解説すれば、


光の玉(=フラグ)が全部そろって真のエンディングに到達した
ということです。

物語に時折挿入される幻想世界が「別次元にある」というのはなんとなく分かると思います。
渚が死に、汐が産まれ、汐と朋也が消失した。ここまでが1つの次元。原作ゲームではAfterStory1週目。
汐出産までが同じ道(アニメでは省略)でそこから渚が死なず、汐が無事産まれ、3人で朋也の祖母に会いに行く。ここまでがまた別の1つの次元。原作ゲームではAfterStory3週目。

アニメでは3つの次元が存在すると言うことですね。
DVDに収録された「もうひとつの世界 智代編」もまた別の次元。
ゲームでは杏と付き合う次元、智代と付き合う次元、など複数の次元が存在するわけです。(マルチシナリオ・マルチエンディング)

なので、渚が復活したわけではないのです。
最初の次元で消失した汐が幻想世界の少女でありまた別の次元で病院の期に現れた少女(精霊的なもの?それとも街そのもの?)
風子が匂いを覚えていたことから汐であるのは間違いないです。

1)原作のゲームでは、そこで渚を呼ぶか呼ばないかで物語が分岐する場面です。

2)そこは解釈がわかれるところですね。
曖昧に言えば、クトゥルフ神話の宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)ということでしょうか。
街という大きな存在、力、恐怖、みたいな感じで(自分でもよく分からない^^;
作中もことみがクトゥルフ神話に関する呪文を唱えていたのでちょっとは意識してると思う。

3)美佐枝さんが高校時代にあった少年は猫が人間の姿になった存在。
志麻賀津紀を名乗るが見た目は別人。
猫の飼い主は志麻賀津紀。彼が入院中にお世話になった美佐枝さんに恩返しをしたかったが出来なかったため、飼い猫に願いを託した。
美佐枝さんと出会い、願いを叶え、猫に戻った。寮にいる猫がそれ。
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追記。

というか補足。

智代編の話しましたが、これは全く関係のない次元ね。
劇場版もゲーム版もそれぞれ関わりのない全く関係ない次元。
アニメの3つの次元はそれぞれ関連性があります。
それが光の玉だったり、朋也の記憶だったりします。
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光の玉の伝説があって、それを手に入れると願いがかなう、…とかそういう話があったと思うのですが。

主人公はそれを自分でも気づかないうちに手に入れていて、汐が死んだときに無意識のうちにそれを使うことができたのではないでしょうか。汐を抱きかかえたまま倒れこんだときに、まあ夢だと思うのですが、昔渚と出合ったときに戻ったのは、おそらく運命の選択だったんだと思います。あの夢の中で声をかけなかったら、本当にその過去に戻っていたのではないでしょうか。

個人的には、渚が死んだときではなく、汐が死んだときに戻ってほしかったですが。
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最後の辺りは、そもそも原作でもよくわからない部分がありますので、


アニメでわからないのも仕方無いと思います。
とりあえず、コピペ貼っておきます。
ただ、これも1つの解釈であり絶対の正解というわけではありません。

CLANNADのテーマとは?
「街(社会)の住人が、それぞれの幸福を祈り、家族のように支え合って生きていけば、不条理な悲劇には見舞われず、
みんな当然の祝福を受けた人生を送る事が出来る」というのが本作のテーマ。要するにだんご大家族のこと。

■何故、渚は死んで、生き返ったのか?
・物語中の理由:渚は幼い頃に瀕死になり、街の想いにより生き延びる。ここで街と渚が繋がったが、
街が弱化する事で、渚も弱体化し、出産に耐えられなかった。同様に、汐も街の想いが無ければ存在しなかったため、
街と繋がっている。朋也が、住人の幸福な想いを集めて、渚の死を回避するという奇跡を起こした。
・物語構造上の理由:悲劇を回避し、当然の祝福を受けた人生を送るという過程を表現するため、
妻子の死という奇跡でもなければ修繕出来ない悲劇を演出した。

■渚と汐が死に、父親と和解する世界は無駄だったのか?
様々な住人の問題を解決し、街の想いを集めた朋也だが、彼は渚の死に直面し、渚との出会いそのものを
否定し、そこから逃避した。従って、この理不尽を生み出し、自分達を翻弄する街を嫌い、住人の想いを奇跡に
変えるに至らなかった。しかし、最終的に朋也は、汐との生活および父との和解によって、渚との出会いを肯定する精神的材料を得た。
この朋也自身の成長と教化の過程が汐編であり、無印第一話から繰り返される「この街は嫌いだ」という台詞を
否定するための通過儀礼が、汐が死ぬまでの世界の物語上の意義。

■光の玉とは?
由紀寧が言及したように、幸福の瞬間に現れる、想いの象徴。現実世界では、少女の想いであり、
幻想世界では、現実世界の住人の想いを象徴している。従って、街の住人を幸福にする事とはすなわち、
光の玉を集める事に等しい。そのため、朋也は甲斐甲斐しく色々な人間の問題を解決
(藤林姉妹は、恋愛感情の決着と解消。これが激闘編)して回った。

■幻想世界の少女とは?
現実世界で衰弱死し、渚と汐は街と同化した。少女は、このうち少なくとも、多く汐の成分を持った意志。

■時系列は?
世界の統合説、パラレル説、ループ説があるが、いずれにせよ、朋也の視点では
紆余曲折→幻想→現実(光の玉集め)→汐死亡→幻想→(渚との出会いの肯定)→現実(最終回)。




少年=ネコです。
志摩君は、自分で言っているように昔はげましてもらった人です。
彼のネコが、彼に代わって、彼の姿でそのお礼を言いに来たということです。
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