プロが教えるわが家の防犯対策術!

人を殺すのが悪いことだということは世界の多くである程度
共通した考え方だと思っています。自分が人を殺すシーンを
実際に想像するととても気分が悪くなります。

小さいころから「人殺しは悪」と教育されてきたことや、
生物として同種を殺すことに本能的に抵抗があるのかも
しれません。

ですが世の中には快楽殺人を犯す人間など、他人の命など
どうでもいいといった人がいます。

そこで質問なのですが、もし「人を殺すことはいいことだ」と
教育され続けた人間がいたら、その人間は人を殺すことに
罪悪感や嫌悪を感じないのでしょうか?
もしそういった研究が過去にあったら教えてください。

A 回答 (2件)

何らかの行為を悪いことだと考えるのと、その行為に対して心理的嫌悪を覚えるのは少し別ですね。

例えば喫煙者でも公共の場での喫煙は悪いこと、マナー違反だと言うことは理解しているのですが、喫煙そのものに心理的嫌悪を感じるわけではありません。

大量殺人犯も全てが人の命をどうでも良いと考えているとは限りません。アメリカの連続殺人犯テッド・バンディのような人も居ますが、精神的に追い詰められたり社会的に孤立した人は他人のことを考えられなくなることもあり、特別なこととは言えなくなります。

チャイルドソルジャーの存在や狩猟採集民で殺人による死亡率が、いかなる産業化された社会よりも高い事を考えると、身の回りに殺人が多ければ、殺人への心理的抵抗が小さくなることはありそうです。一方で、彼らが殺人を良いことだと考えているとは限りません。チャイルドソルジャーだって殺していい相手(敵)と殺してはいけない相手(味方)を区別しているはずです。さらに言えば多くの日本人は、殺人は悪いことだと言いながら、犯罪者を死刑にすることには賛成しますよね。善や悪とは、「人殺しは悪だ」というように絶対的な存在として存在するのはなく、「○○な人を殺すのは仕方がないが、そうで無い人を殺すのはいけない」というように多くの人が是認するかどうかで自由に貼り替えられる「ラベル」だと考えた方が良いでしょう。

ナチや日本の731部隊で働いていた人も、無実の人を殺すことが良いことだとは考えていなかったはずです。犠牲者は自分と同じ人間ではない(マルタと呼んだり、ユダヤ人の汚れた血となど呼ぶことで)から殺しても良いのだとか、相手が先に攻めてきたのだというよな殺人に対する自己正当化を伴うようです。これもラベル張り替えの一種と見なせるでしょうね。

さて先行研究ですが、一般向けの著作では、人間には人殺しを避ける本能があり、兵士にその本能をどうやって失わせるかを論じた一冊。
『戦争における「人殺し」の心理学』
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81 …

一方で、人殺ししない本能とは何か?本能ってそんなに単純じゃないよ、殺人も、殺人を忌避することも本能の一部と言えるんだよという点から論じたのがこの二冊。
『人が人を殺すとき―進化でその謎をとく』
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%81%8C%E4%BA …
『「殺してやる」―止められない本能』
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%AE%BA%E3%81 …
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この回答へのお礼

詳しい解説だけでなく、本まで紹介していただいて
本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/04/22 11:12

日本の忍者が人攫いによって子供が連れ去られ、人殺しの術を覚えさせられる、と言った事があるように思いますが、過去事例を元にしてご自身の疑問を納得されたいのであれば、歴史のカテゴリーで聞きなおした方が良いかもしれません。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
考えてみます。

お礼日時:2009/04/22 11:13

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