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幕末、ペリーの黒船以降、外国と無理難題な条約を締結しましたが
形上は、日本と外国は友好関係を築いたわけですよね?
攘夷浪士はともかく、日本の武士たちは今で言う政治家のようなものなのだから(武士の国家だったことからそう解釈しています)、外国人とは仲良くやっていかなくてはいけないのに、とてつもない敵対視を持っていたというのは本当ですか?
まして、外人を見るなり斬りつける、ということがあると聞いたのですが…
それって条約上いけないことではないのですか?
昔日本史で、日本で外国人と事件が起こったら、外国の法律で裁かれると聞いたのですが…

いまいち、幕末の一般市民・武士たち(新撰組など)の外国人に対しての気持ち、考えが分かりません。

どなたか教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

>外人を見るなり斬りつける、ということがあると聞いたのですが…


これがそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%9C%9F% …

これは隊旗を倒したのが原因。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E4%BA%8B% …

これは隊列を横切る行為。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8% …
現在や西洋ならば「すみません。」で通る物。

これは大名行列の横を通っただけ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%BA%A6% …

井土ヶ谷事件以外は計画的な犯行ではなく、突発的な物です。

言葉が通じなかったや、日本のしきたりを知らなかった。
が事件を更に大きくしています。

隊旗を倒す事は神戸事件を見ると無礼討ちに該当しないでもない。
が、元来殺意的であった可能性は高い。

神戸事件は注意、制止を振り切っています。
生麦事件では危険を察知したが対応しきれなかったようです。

これを見ますと、
外国人が一方的に横暴(高飛車に接した)であった例は
神戸だけだと思います。

>昔日本史で、日本で外国人と事件が起こったら、外国の法律で裁かれると聞いたのですが…

神戸事件では神戸を占領されてしまいます。
怒りに燃える外交官に対し、隊の代表を切腹させて問題を解決します。

体長は、切腹は非を認めた事になるので出来ないと拒否します。
しかし、日ノ本の為にならと切腹を承知します。

この問題に対し、国際法で始めて日本が対処したのです。
国際法で対応した日本に対し、諸外国は神戸に留まる理由が見つからず撤退します。

これ以降、日本は問題は国際法で対応すると宣言します。

治外法権に対しましては、
横切ったら「死刑」的法は近代法とかけ離れています。

その結果、
イギリス人が殺人を起こしても日本の法で裁けないようになります。
理由は、近代法(国際法)と日本の法がかけ離れていると言う物です。

これだけ一方的に殺傷事件を起こし続けますと
言い分は言い訳同様となり明らかに不利になります。

日本は近代法の作成と諸外国に不公平条約を撤廃させる
努力が必要でした。

明治政府は努力の末、イギリスと公平な条約を結ぶ事に成功し
次々と諸外国と条約を改正して行きます。
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この回答へのお礼

解りやすいご回答ありがとうございます。
なるほど。
外国人を切り殺したのは、そういった訳があったのですね。
確かに言葉や文化の違いだけで、人は相手を理解できないことが多いですよね。これは現代の社会にもつながっているような気がします。
昔の治外法権は近代のほうともだいぶ離れていることも理解できました。近代法の作成には、きっと日本人は並々ならぬ努力で作ったのでしょうね…。
そちらの方も、興味が沸いてきました。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/04/18 08:37

 幕末も含め江戸時代は天皇から国政を任された将軍家(徳川家)と将軍家に使える諸藩(大名)という形式で諸藩は一つの国として機能していました。

つまり江戸時代は連邦国家だったわけです。
 それと徳川幕府によって作成された公事方御定書等によって武士の名字帯刀、切捨御免などの日本独特の慣習が当時の日本人の法律であり文化であったのです。
 外国人をいきなり切り捨てたとする事例を見てみると、
1.生麦事件
 江戸から薩摩へ帰還する薩摩藩主の行列の中へイギリス人の一行が馬に騎乗し藩主のカゴへ近づいたので、護衛の薩摩藩士が斬りつけた。

2.堺事件
 フランス領事を迎えに来たフランス軍船の水兵が、幕府から堺警護を命ぜられていた土佐藩士ともみ合いになり殺害された。
 この2つの事件をみると、いかにも日本側が乱暴に見えますが、どちらも斬りつけた当人たちは、当時の日本の法律に従って行動したまでなのです。
 もう一つは言葉の壁です。生麦事件では薩摩藩の隊列の先頭の武士が「藩主が通るので下馬して道の脇で待つように」と身振り手振りで頼んだが、イギリス人は意味が分からず隊列に逆らうように進み、藩主に近づいた。当時の警護の武士としては、無礼討ちをすることが自然でした。
 堺事件でも土佐藩兵はフランス水兵に帰艦を命じましたが、言葉が全く通じなかったのと水兵が酔っていたこともあって、混雑の中土佐藩の旗が倒されたことが引き金となって、土佐藩士として自然な行動に出たまでです。

 特に外国人だからと言って、むやみに斬りつけたわけではないのです。
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この回答へのお礼

分かりやすいご回答ありがとうございます。

外国の方だからってむやみに斬りつけた訳ではないのですね。
上の方のご回答を含めて考えますと、やはりこう言った事件が度々重なって、日本人に外国人のおおきな印象を与えってしまったのでしょう…
異文化の違いって恐ろしいですね。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/04/18 08:42

今のイラク情勢をみれば、多少は類推できると思います。



また、武士は階級の一つです。浪人はどう解釈しますか?
それに、今の概念でも、政治家と公務員は別ですよね。
もっと後ですが、昭和の初期にも、公務員たる軍人がクーデターを画策しましたよね。

さらにいえば、政治も今と幕末とでは、ずいぶん違いますよね。
中央政府に当たる幕府(さらには朝廷)と、地方に当たる藩の関係はどうだったでしょうか?
また、幕府や藩の中も一枚岩だったのでしょうか?

そういうことを確認していけば、別に不思議なことはないと思います。
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この回答へのお礼

考えさせられるご回答、ありがとうございます。

確かに、幕末時代は皆ばらばらで、考えもそれぞれの波乱な時代でした。
やはり、他の方や貴方の言うとおり、異文化や考えの相違からこういったことになったのですね。
とても考えさせられました。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/04/18 08:45

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