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皆さんに広く聞きたいと思います。
無銘の一品と、周知の一流ブランドによる一品。
どちらが欲しいと思いますか?
不況にあえぐ企業、これから進出を図る企業、共にブランドに力をつけようとしています。
つまり、高名を得ることで、生き残ろうとしているわけです。
この傾向は、よくないと思います。幾度も、繰り返されてきた過ちです。
そう思います。なぜなら、名は廃れるからです。
 
私ならば、無銘の一品が欲しいと思います。なぜなら、そこには、心血の注がれた物との、出遭いがあり、必然性を超えた何かを、感じるからです。
大量生産大量消費時代は、ブランドを鍛えることが、合理的でありました。
品質の安定したものを、安定した収益の上げれるコストで売ることで、商品の普及を図ったのです。商品が普及することが、更なる安定を生みました。
買い換えを無理やり促す車検システムや、生活様式の固定化、そういうのは、商業家の意図で行われたものです。
ですが、現代以降、ニーズは個より、組織より問わず多様化し、その多様化に対応できる合理的生産方法は、「無銘の一品」かも、と、思うのです。
この、無銘の一品が実現するための考察を、したいと思います。
無銘の一品を、殺さないまま、広く一般に認知されるものとするにはどうすればよいでしょうか?(つまり、無銘の一品のニーズを高める)
無銘の一品の命は、無銘であることなので、物の由来を問わずに、そのものを得れるようにできればいいとおもいます。インターネットオークションでは、意味は果たしているが、味気がないと思ってます。
無銘の一品についてのご意見、よろしくお願いします。一応、経済系哲学の質問です。

A 回答 (10件)

非常に難しい問題ですね。


まず、ブランドとは広義の商品名ないし製造元あるいは販売元だといえるでしょう。ブランドの意識がなくとも、話題になった時点で、そのいずれかがブランドと見なされると思います。
これを徹底的に避けるには、商品分類と品番をアルファベットと数字の組み合わせなどで表記し、会社名も同様に製造メーカー、流通業者ごとに割り振られた記号表記とします。記号もまたブランドへと発展する可能性を否定できませんが、現在の社名を表に出す事よりは印象が薄くなるはずです。
消費者の商品特定は専ら図像によるもの、あるいは実物を棚で見て行うということになるのでしょう。こうすれば、ブランドの功罪共に、生産-消費-保有-廃棄の過程から消えていくと思います。
しかし、昨今、話題となっている企業の不祥事、特に製造物が原因で食中毒や事故等を引き起こすような問題に対しては、コード化はかえって無力です。企業は自信を持って商品を市場に送り出すと共に、製造物に関する責任を負う義務があり、そのためには社名を明示するべきだと思います。商品名も同様です。
また、ブランドを大切にするファッション等の業界についても考えました。この業界では知名度が高く実績のあるデザイナーの引き抜きをたえず行っていると聞きます。デザインのセンスを磨くには、デザイナーは基礎教育から実務まで、そうとうの研鑽を行い、多くの試行錯誤をしていると思います。商品本体のイメージを形成する重要な役割をデザイナーが担っています。このように考えると、デザイナーの名前を織り込んだブランドや、そうではなくても、有力デザイナーをいつも抱えているという印としてのブランドを消費者が嫌悪する必要はないのだと思います。
もちろん、この回答に対する反対意見も予想されます。大量生産、大量消費を支え、商品製造にかかる実費よりもはるかにコストを上げる元凶がデザイナーを抱えるブランド企業だという意見でしょう。たしかに広告産業と密着したそういう企業の展開は、いまだにバブル期の様相を呈しています。しかし、そのような多大な影響力の中にあってもブランドの知名度だけに迷わされずに商品を選別する判断力を持つことは可能ですし、デザイナーや広告産業への膨大な出費を前提にした商品生産の仕組みを理解した上で、気に入ったブランド品を買うことも可能です。
このように選択の自由が一人一人の消費者に許されている上に、冒頭触れたような事なども斟酌すると、消費者のニーズ多様化に対応できる合理的生産方法は必ずしも、あれかこれか、二者択一する必要はないと思います。
質問者のご質問に含まれる考え方には共感を感じますが。
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この回答へのお礼

実に明快な回答であり、感心させられます。
無論、私も、ブランドを否定しているわけではありません。
ブランド主義を否定しているのです。ブランドには功が明らかにあり、あなたの回答にもあるように、よいことが多くあります。
しかし、ブランド主義に転ずると、災いが不って沸いたように出てきます。
今回の質問によって、私が思考するのは何のためかというと、よりよい経済、よりよい市場のヴィジョンを見るためです。
>消費者のニーズ多様化に対応できる合理的生産方法は必ずしも、あれかこれか、二者択一する必要はないと思います。
 
最もなご意見で、私もそう思います。二者択一の必要は無い。
しかし、次に私が言うことにたいして、多くの方の理解が不明瞭になってしまうことになろうが、言おうと思います。
 
無銘の一品には、選択がありません。
実に、選択の余地がありません。
そのこと、選択の無さが、自由であると、知られていないのが現代の一般常識ですが、。
だから、私は、無銘の一品の市場を、未来の次だと言い、同時にその明確でないヴィジョンを意識し、同時に考えるのです。
未来の次は、未来に種としてあるのであり、未来は、今に種としてあるという、観点からの発言です。
現代、我々が次の時代と呼んでいるものは、萌芽です。
 
ここでいただいた全ての回答は、そのヴィジョンのために全面的に有益であり、その益の多くは、未来の構築に費やすつもりです。
なぜなら、無銘の一品は、その未来を越えて、到来するものであると、思われるからです。未来なくして、NEXT未来はありえません。
ですから、回答していただいたみんな、このQAを見たみんなにも、なんらか、よい思考を、持って帰ってくれたらと思います。
私だけが、独特の言語(現代の公共の知識に乏しいため、もしくは、私の持つ公共知識が、私の言語に及ばないため)で、勝手に思考しているのでは、私は回答者の重荷、足引っ張りにしかなっていないことになる。
質問当初に比べ、私の思考が更新されたことは、私自身認めるのですが、更新以前の思考による言行と、今の言行が、一致しないように見える(思考が以前より明瞭なために)ことは、事実であり、仕方なくも、申し訳ないと思っています。
ご回答、ありがとうございました。 
 
追記;ヴィジュアルネームや、サウンドネームに似た発想が、数式ネーム(dragoさんの意見を基にしたイメージ)にはあると思います。
ヴィジュアルネームはその名のごとく視覚効果によって印象を付与するものであり、サウンドもそうです。国旗などにも昔から使われているのですし、サウンドネームともども、人の言葉(文字も含める)の起源から存在しています。現代のTVCMでも、多々見られます。発展の余地もありますし、別の利用方法もあるでしょう。
数式ネームは、私にとっては新鮮な発想であり、その具体的なはたらきが、まだよく分かりません。バーコードなどがそれに値するでしょうが、コードネームは、まさに市場のために用意されたような名(記号)であり、平等性を感じます。
 
端的に言うと、愛のある経済が成り立たんものかと考えています。
もし、すでにあるなら、表現されているもののうち、どこに愛が見出せるのかも、見ていくつもりです。

お礼日時:2003/03/15 22:08

つまり、競争をやめさせたい、ということですか?


名無しの有名人を作りたいのですか?

>いまや、金にまで名前がついています(笑。これは誰のもの、という具合です。
お金こそがだれかれかまわず差別なく、無銘の一品が、経済をまわす味方になるだろうとかんがえるのですが、もうお金は、$や\、ユーロ、株式、すでに差別化されています。純粋な、汚れてないお金という認識が、必要です。

>インフラ整備は、まさに、お金そのものを整備すべきだと、おもいますね。
無銘の一品は、名前がなくても、だれでも使えるのです。無銘の一品には差別がないために、ブランドをはるかに凌ぐアイデンティティがあります。

まあ、似たようなことは今でもありますよ、たぶん。
NUSKINとかアムウェイとか。無銘と言えば無銘。有名と言えば有名。
ほとんど広告を出さず、口コミで広がっていますね。
無銘の一品かどうかは消費者の判断で。

社会主義国みたいな発想ですか?
人類みんな平等。生活用品は選ぶというよりはそれしかないからそれを支給される、というか。
その商品が唯一で誰も真似した商品は作らず、他に似たものがないのなら、選べないということですよね?テレビならコレ、車ならコレ、と。
ドルで貯金する人もいる、円で貯金する人もいる、ユーロで取引する人もいる、
そういう選択肢をなくしてしまいたいのかしら?
資本主義経済についてイチから勉強しなおしたほうがいいんじゃないのかと心配になりましたが
それは私がしろうとだからでしょうね。すみません。
一般市民?というか消費者の一人としては、今の自由な選択ができる社会のままがいいです。

ブランド名だけで商品を消費している人は限られていると思いますよ。
企業のコンセプトが好きだとか、キライだとか、そういう背景で選ぶ人もいると思いますがどうですか?自由に選んでいる今の社会と違って、それぞれの個性も特徴も無視というかなし。みんな名無し。なんて呼び合えばいいんでしょうね。
「おいっ」とか「ほらっ」とか「おまえ」とか「あんた」とか「それ」とかかな。

競争を止めれば、無銘の一品が売れると思います。それしかないんだもの。
それはつまり、絶対的な価値をひとつに独占させる、ということかなと思うから。
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この回答へのお礼

>自由に選んでいる今の社会と違って、それぞれの個性も特徴も無視というかなし。みんな名無し。なんて呼び合えばいいんでしょうね。
 
あなたは、選択肢にないものを選べますか?選択というのは常に有限であり、無銘の一品には選択がありません。つまり、無銘の一品というものは、選択によって得れるものではなく、それは、ほかならぬ出逢いによってもたらされるのであり、それ故に、かけがえのないものです。
>まあ、似たようなことは今でもありますよ、たぶん。
NUSKINとかアムウェイとか。無銘と言えば無銘。有名と言えば有名。
ほとんど広告を出さず、口コミで広がっていますね。
無銘の一品かどうかは消費者の判断で。
 
両方知りません。しかし、似たようなことが今あるのなら、それはよい兆候でしょう。希望的観測が広がります。
>社会主義国みたいな発想ですか?
人類みんな平等。生活用品は選ぶというよりはそれしかないからそれを支給される、というか。その商品が唯一で誰も真似した商品は作らず、他に似たものがないのなら、選べないということですよね?テレビならコレ、車ならコレ、と。ドルで貯金する人もいる、円で貯金する人もいる、ユーロで取引する人もいる、そういう選択肢をなくしてしまいたいのかしら?
 
人類は皆平等、まあそうでしょう。しかし、社会主義的ではありません。無銘の一品の由来は、社会主義的社会ではないからです。選択肢をなくすのではなく、どの選択肢よりも「よい」ということには、どうあればいいのかという話です。ですから、選択肢を消したり、それに対立したりするようなことではなく、それらを超えていくということです。
>資本主義経済についてイチから勉強しなおしたほうがいいんじゃないのかと心配になりましたがそれは私がしろうとだからでしょうね。すみません。
 
回答をしにきてくださっているのに、あなたが謝る必要はありません。
そして、しろうとには、より生活感のあるリアルな意見がいえます。
専門家が、素人より優れているとか、そういうことは考えてませんので、心配する必要はありません。
現在の資本主義体制というのが、どのようなことを行って、どのような犠牲の上に成り立っているのか、そして、その責任を資本主義は負いきれるのか?ということを、私は考えます。
>一般市民?というか消費者の一人としては、今の自由な選択ができる社会のままがいいです。
 
そうですか。社会というのは常に進化していきます。私の意見も、その課程ととらえてください。今の、一定の枠内での自由な選択ができる社会、よりよいと思うことがあるならそれを検討すればいいのです。それが、自由です。ひとまずは、近い将来、無銘の一品の手前まで、枠が広がるだろうと見ています。
>競争を止めれば、無銘の一品が売れると思います。それしかないんだもの。それはつまり、絶対的な価値をひとつに独占させる、ということかなと思うから。
 
無銘の一品というのは、たくさんありあります。人、時、場所、それぞれに、それぞれの物語があり、それぞれに、かけがえのない出逢いがあるのです。ですから、絶対的な価値を、一つに独占させることではありません。むしろ、それよりもはるか遠いでしょう。どちらかというと、私の意見よりも、あなたの意見の方が、それしかないんだもの、というところに近いです。なぜなら、あなたの意見では、選択肢の中でしか、自由を行使できないからです。
ですから、この問いを、悪いように考えるのではなく、よいように考えてください。よいところが見えるかもしれません。
>自由に選んでいる今の社会と違って、それぞれの個性も特徴も無視というかなし。みんな名無し。
 
個性とは名前に由来するものではありません。赤ちゃんだって、生まれたときは名前がないでしょう?だけれども、確かにいるのです。名前の無い者が、そこにいるのです。その赤ちゃんに個性や特徴が無いといえますか?
むしろ、そんなことはどうでもよくて、かけがえのない者だ、ということしかないのではないですか?
人のつける名前は、社会的であるといえるでしょう。
ですから、本来的には、みんな名無しです。品も同様です。これは、当たり前のことです。
無銘の一品は、かけがえが無く、代わりが無いのです。
それには、命があるといってもいいでしょう。
かけがえのないという意味で。
高い高い、理想です。それを、今ある現実と関連付けて考えています。
>なんて呼び合えばいいんでしょうね。
目の前にあるものを、すぐそばにあるものを、何故呼ぶのですか?
無銘の一品とは、そのようなものです。遠い、知ることのできない遠い存在ではなく、むしろ、それを知ったときには最も近いといえます。だから、出逢いです。
それを、正統的に生かすために、今、質問を立てたのです。
この試みは、それなりに壮大です。そのようには見えませんか?
名前を経由することなく、その存在にたどり着こうという試みでもあります。
>競争を止めれば、無銘の一品が売れると思います。それしかないんだもの。
ですから、これまで言ったような理由から、競争をやめても、無銘の一品にたどり着けるかどうかは分かりません。競争とか、競合とか、そういう話ではありません。ただ、現在の市場原理が、無銘の一品までのみちのりを阻んでいるというのは事実だろうと思います。現在の市場が、無銘の一品に至るまでは、二段の飛躍的な進化が必要だろう、と、考えています。

私は、小学生の時から名札をつけていましたが、それは本質からは遠く離れていることです。ただ、便利なだけです。そして、中学のとき、名札を三回連続で忘れたことで、それ以後口を利いてもらえなくなりました。
名前がそんなに大事かよ?って話です。
その現象と、似たような類似点を、市場に見たわけです。随分こじつけで、現実離れだと思われるかもしれませんが(笑。
これからの市場は違います。市場も、今と昔、これからがあります。
無銘の一品はこれからの、さらに先です。
二度目のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/08 21:09

無銘の一品・・・


その商品が消費者だけに広まればいいけれど、業者にも広まってしまいますよね。名前を言わずに商品だけを紹介すると、コピー商品が出回って、自分が売りたいと思っている無銘の一品じゃない品物が売れてしまうかもしれません・・・。
それをどう食い止めるのか・・・。
無銘の商品が無銘であり続けるのは、世間に広めないことだと思います。
たくさん売ると知名度は上がりますね。限定しても知名度があがりますね。
話題にならないようにしなければ。
無銘のブランド?であっても、何がしかの名前で呼ばれる商品になると思います。
無銘じゃなくなりますね・・・
これじゃ矛盾してしまいますね・・・。
ユニクロは安いですが、安いというブランドイメージがあります。
安い普段着を買おうと思えば、ユニクロに行けばいいと思いつきます。
そうやって選ぶのは手っ取り早いんですよね。
逆に、ユニクロの商品が高かったら買いません。
ベンツが安かったら買いません。
どちらも理由が明らかじゃないから、価値がわかりずらいので値段の相場というか値段がふさわしいかどうかわからないからです。
同じような商品が合って、比べることができればいいかもしれないけど。

無銘のものでもすごい営業マンは売ると思います。
テレビショッピングなどで紹介される商品はほとんど無銘の商品です。
が、その商品を紹介する際にはその製品のよさをアピールしています。
○○産、天然○カラットの・・・とか、○○産カシミア100%とか。
北海道直送とか。
それがそのくらいの値段が妥当なのかはわからないけど
きっといいものだからそれくらいの値段なのね、とか勝手に思います。
「良いな」とか「いやだけど仕方ない(税金とか)」と思わないと、お金は払わないと思います。
理由にお金を払っていると思うので。

オークションならyahoo、検索ならgoogle、パソコンならwin、いつのまにかそういうイメージができあがって、それに安心します。あくまでも私は、ですけどね。

無銘の商品はきっと、無銘なままどこかで売れているんじゃないかなぁ。
無銘なだけに気付かれず、ひっそり・・・。
それを探して自分だけが持っている、自分だけが知っている
知る人ぞ知る名品。
それこそが無銘の一品なんじゃないかなぁと思います。
企業が名前を売ったり、ブランド化するのは、たくさん売りたいからだと思います。
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この回答へのお礼

>無銘の商品はきっと、無銘なままどこかで売れているんじゃないかなぁ。
無銘なだけに気付かれず、ひっそり・・・。
それを探して自分だけが持っている、自分だけが知っている
知る人ぞ知る名品。
それこそが無銘の一品なんじゃないかなぁと思います。
 
そうだと思います。コピー不可能、まさに一品。
これが、経済をまわすにはどうすればいいのか?という問いです。
無銘の一品が、人知れず、正統的にまかり通るためには?という意味です。
飛躍すれば、名前がなくても社会で生きていけるようにするという意味です。むしろ、名前のないものが、社会を構成するのを許容するという意味です。
 
いまや、金にまで名前がついています(笑。これは誰のもの、という具合です。
お金こそがだれかれかまわず差別なく、無銘の一品が、経済をまわす味方になるだろうとかんがえるのですが、もうお金は、$や\、ユーロ、株式、すでに差別化されています。純粋な、汚れてないお金という認識が、必要です。
そもそも、どう使われようがお金はお金なのだから、お金自身は別に汚れるとか汚れないとかの問題はないのです。それを使う人の手が、人の手を動かすその意思が、汚れてるんではないかと、結局そこに行き着いてしまうのです。事実、お金は、誰のものにもなりえないのです。何だったら、個人の名前が金に書けたらいいのですが、それでは使い物にならないでしょう。
インフラ整備は、まさに、お金そのものを整備すべきだと、おもいますね。
無銘の一品は、名前がなくても、だれでも使えるのです。無銘の一品には差別がないために、ブランドをはるかに凌ぐアイデンティティがあります。
>企業が名前を売ったり、ブランド化するのは、たくさん売りたいからだと思います。
そう思います。そして、たくさん欲しがるように、ニーズ操作しているのです。最近はそれがうまくいきません。消費者が賢くなるからです。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/08 15:27

回答者に対するコメントで失礼します。


このテーマは、極論すると個々人の価値観に由来すると思われ
るので、たぶん厳密な解はたぶん存在しないと思うのですが・・・

>私は、一流ではなくともよいので、ブランドを選びます。
>下の方が、「徹底的に比較する」とおっしゃってました
>が、私はそんなことはしません。なぜなら、購入する物
>に費やすコストが過大となるためです。

私の本職はメーカーの社員です。
自分でモノも作りますし、他の会社の製品を買うことも
あります。

で、職業上の経験から言いますと、一流メーカーのブランド
といっても必ずしも信用できないということです。
もちろん著名なブランド品と信用度に比例関係があること
は、経験上わかっています。
しかしブランド品だからといって、それがベストな商品だと
いうことは、必ずしも当てはまらないのです。

それで徹底した比較を普段から行うクセがついてしまった
のですが、それは購入する商品の金額次第です。
毎月の小遣い程度で買える商品に、リサーチのための時間
と費用を費やしても必ずしもモトは取れませんので、そこ
は割り切って、有名ブランド品かあるいは単に安い商品を
買います。

しかし、ローンを組むまたはボーナスで購入するほどの金額
の商品になるほど慎重になります。
インターネットや雑誌で情報を入手し、知人・友人からも
使い勝手や噂話まで情報をかき集め、さらに試用できるの
であれば、自分で試します。

もっともこういう手間暇をかけられる、または商品の良し悪し
を自分で判断できる人間は、絶対数としては必ずしも多く
ないこともわかっていますので、ハズレが少ないという事実
から見ると、ブランドというものは軽視できない価値観で
あることは間違いないでしょう。
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この回答へのお礼

セレクトショップというものが、従来からあります。おそらく江戸時代、桃山時代、商人の原点に近いともいえるのではないでしょうか?
セレクトショップは、様々なブランドの商品を、店の任意で集め、販売するというものですが、ブランドに寄せられていた信頼性を、セレクトショップに由来しようというものだと思います。
色々なブランドから、色々な商品が仕入れられるのですが、そのあつめられた個性はショップの個性となります。

選択肢の多さが売りというよりも、どのようにショップの個性に幅を持たすか、いかに深みを持たすか、以下にそれを魅せるか?といったところが、彼らの経営のキーであると思います。知識、経験、教養、素養、説得力、総合的知性による商いであるでしょう。
セレクトショップは、ブランドを信頼、ではなく、ショップを信頼、なのです。ショップブランドという、眼力による、新たなブランドを確立する動きとも言えるでしょう。
無論、無銘の一品とは、何処でであうか分かりませんが(笑。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/08 15:39

私は、一流ではなくともよいので、ブランドを選びます。


下の方が、「徹底的に比較する」とおっしゃってましたが、私はそんなことはしません。なぜなら、購入する物に費やすコストが過大となるためです。
信頼性を求めるのであれば信頼できるブランドを、価格を優先するのであればとにかく値段の安いものを、選ぶでしょう。
その物が自分のニーズを満たすかどうか、ということをてっとり早く知る方法が、「ブランド」あるいは商品に付された情報なのです。

物の由来を問わずにそのものを得られる、ということは、購入者側に、そのものに対する豊富な知識を要求することでもあります。
そのもの(その特定の一品ではなくて、広くその種類のもの)自体をどれだけ深く使ってもらうか、そのものに関する情報交換をいかに深めるか、ということが、その分野で一品が生き残っていく方法だと思います。(そうすれば、その種類のものの中でその一品がどのような特徴をもつのかわかるわけです)
つまり、最初の話にもどると、自分のニーズに合致する品を見つけるための情報入手コストをどれだけ軽減できるか、ということが鍵になるのでしょう。

ちなみに、生活様式が固定化していれば、いつも使っている「もの」に対する知識は自ずから深まります(たとえば、毎日茶碗を使っていれば、どんな茶碗がいいのか、だんだんわかるようになります)
現代の問題点は、生活様式が極めて流動化しており、ひとりひとりが自分の使っている「もの」の正体を見極められないところにあるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>現代の問題点は、生活様式が極めて流動化しており、ひとりひとりが自分の使っている「もの」の正体を見極められないところにあるのではないでしょうか。 
 
それは、ものの正体を見極めれない問題点というよりも、自分の使っているものが、本来自分のニーズに適したものなのか?という、自分のニーズを知る力というのが、固定化された生活様式を続けることによって、失われたのではないかと、見ています。すでにニーズは多様化しており、現在横行しているような固定式ではとうてい、人々のニーズは満たせません。
これを使えばこんなに楽チン!というツールがあっても、「何」がどう楽チンになるのか?その何という行為を、その人はする必要があるのか?
物が生活を変えるのか、生活が物を生むのか?
生活の原点は何処なのか?そういったことを考えていくと、ブランドというのは、名前であり、ブランドを知ることで実質を知ることにはなりません。
ブランドに、実質を預ける形となります。
ブランドは、自ら、目立とう目立とうとしますから、実質がさらに見えにくくなります。 
 
こんなものがほしかったんだよ!こんなのがあったの!?のような、驚きとともに、その人のニーズを深部で満たすことができるのは、ブランドではなく、無銘の一品だと思います。
まして、こんなにもニーズが多様化を進んでいっている場合、一つの個性(名前)を主張するブランドでは、それに応えることは無理です。
ブランドはそのため、マスメディアによりニーズを操り、ニーズを単一化、対応しやすいようにします。だから、消費者は、煮え切らない思いで、消費を続けていかなければなりません。
現在の市場が、不完全燃焼しているのは、ニーズを深く、捉えれてないからです。消費者と、企業が、離れすぎています。
広くよりも、深くのほうが、結局は様々なニーズに対応できるのではないかとも思います。多様化するニーズ、風で波立つ水面ばかりを追っていてはきりがありません。多様化の根本に働きかけるのが、無銘の一品ではないか?と、考えました。無銘の一品は、実は、消費者から遠くないのです。
問題意識をはっきりと提示したご回答、参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/06 15:12

哲学的な回答ではたぶんないと思いますが(;^^)


私ならば、二つの品を徹底的に比較・分析します。

そしてデザイン・機能・使い勝手・価格など総合的に
勝る商品を選ぶでしょう。
(ブランドによる虚構のイメージは、意識的に排除します)

ブランド二の次の実証主義者の意見でした。
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この回答へのお礼

>ブランド二の次の実証主義者の意見でした。
おお。頑固実力派ですね。
>ブランドによる虚構のイメージは、意識的に排除します
これは一理あるし効果的だと思います。しかし、一定期間たたないと、わからないこともあります。大方の予測は、買う前にするものですが、。その製品類の、全般について知っていなければ、できません。
とある企業の製品は、ある一定期限が来たら、必ず壊れるらしいです。
SOMYタイマーだったかな?とかいうそうです。
嘘半分だとは思いますが(笑。 
若い女の子ばかりが、よくバイトに入っているコンビニのトイレは臭い(掃除していない)などもあります。
ブランド(知名)と、実質の因果関係は無視できません(笑。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/05 02:42

経済系哲学ってのが分かりません;ので


何を答えると一番質問者の意図に沿うのか、自信がありませんが
(でも、ブランディングは私の専門で御座います)
ブランドの解釈が間違っている
もしくは、非常に狭義に捉えています。
>大量生産大量消費時代は、ブランドを鍛えることが、合理的でありました。
>品質の安定したものを、安定した収益の上げれるコストで売ることで、商品の普及を図ったのです。
>商品が普及することが、更なる安定を生みました。
これはもともとブランドの問題ではなく、マス・マーケティングの問題
要するにマス・マーケティングのコンテクスト内のブランド論ですが
それにしても独断と偏見が過ぎるように思います。

>無銘の一品と、周知の一流ブランドによる一品。
>どちらが欲しいと思いますか?
すでにこの問いが「無銘の一品」をブランド化しています。

>どちらが欲しいと思いますか?
おそらく質問者の意図に沿うのであれば
●無銘か?ブランド品?を問わずに、イイと思った方を買う
と、するべきではないかと思います。

ブランドというのは元来「guarantee」であり
ブランド価値というのはguaranteeの実績(歴史)からくる「信頼性」な訳です。
だから現在、ブランド価値はequity評価をされる訳です。

>無銘の一品を、殺さないまま
>広く一般に認知されるものとするにはどうすればよいでしょうか?
それは、消費者教育をすればイイんです。
消費者が商品の良し悪しを判断しきれないときに
ブランドに「安心感」を見出すのであり
例えば、エルメスのバッグの偽物を見分ける目利きであれば
エルメスのguaranteeがなくても、エルメス・レベルの品質を見抜けるので
エルメスブランドに拘る必要がなくなる訳です。
ただし、それはあくまで前提で、というのも
ブランド価値には商品品質だけでなくサービスも含まれる訳ですから
品質を見抜ける、だけじゃなく、メンテ等の問題も残る。
そういったコトに自信がない人や面倒臭いと思う人が
ブランドに任せようとするんでしょう?

ブランドがスケールメリット戦略を組んで合理性を追求したりするのは
ブランドの問題ではなく「企業戦略」の問題だと思います。
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この回答へのお礼

ブランディングなる分野があるのですか?
知りませんでした。ならば、是非、このQAを、実社会において、ほんの少しでも役立ててほしいと思います。あなたの分野にぴったりだと思います。
>それにしても独断と偏見が過ぎるように思います。
マスなんとかの方法等、詳しく知りませんが、一理あるでしょう?
私の言うブランドとは、銘柄でもありますが、地位や高名、有名、出身地、産地、由来、歴史、将来性、実績、提供する物やサービス、人の実質(現状)に対する、「もろもろの理由付け」です。必要なものからそうでないものまで。その理由で、現状の価値を左右するというものです。
  
>>無銘の一品と、周知の一流ブランドによる一品。
>>どちらが欲しいと思いますか?
>すでにこの問いが「無銘の一品」をブランド化しています。
 
では、そのブランド化されたという無銘の一品を知ることはできますか?
知られざる一品→無銘の一品です。
出遭ったことのない、だけれども確かにあるだろう、という一品を想定して、それを無銘の一品と言っています。従来のブランド概念とは一線、二線を画しています。
また、そのようなものが確かにあるだろう、と、いえるだけの、無銘の一品を育むような土壌を実現したいと言うのが、この質問の意味です。
無銘の一品は、知られざる実力派ブランド、と、打たれるのもののことではありません。秘湯!○×谷!という、ものではありません。
誰かが、ふっと訪れ、それを吹聴することなく、ただ去る。
温泉で言えば、そのようなものです。
マス(情報)の意味が違います。
あくまで、無銘で、人々がそれを求めるように、なってほしいという願いです。
>●無銘か?ブランド品?を問わずに、イイと思った方を買う
と、するべきではないかと思います。
 
悪いと思ったほうを、誰も選ばないでしょう。
>>無銘の一品を、殺さないまま
>>広く一般に認知されるものとするにはどうすればよいでしょうか?
>それは、消費者教育をすればイイんです。 
それは、いい案ですね。消費者教育!これで、別の質問を立てることも検討してみます。どのように消費者を教育したら、よいか。ユーザー、消費者の自由を拡大し、業者を活気付けるようなものでしょうか。
案外、消費者同様、業者の教育も、同時に行えばいいかもしれません。立場を異にした者同士が、共によき市場を追求するという姿勢が、合理性を生むということが、知らされるべきだと思います。 
 
>消費者が商品の良し悪しを判断しきれないときにブランドに「安心感」を見出すのであり例えば、エルメスのバッグの偽物を見分ける目利きであればエルメスのguaranteeがなくても、エルメス・レベルの品質を見抜けるのでエルメスブランドに拘る必要がなくなる訳です。
 
だけれども、その安心感、デザイナーへの信頼などまで金の対象にするとは、仁義に反すると思います。無論、それ以上の付加価値が、ブランドにはつけられているのですが、。経済が、機械的すぎる。現実はそうだし、市場のグローバリゼーションから、文化を守れるかという話もあります。安心感を売りに、地元の野菜がよく売れるというケースもあるようで。
 
ヴィトンやエルメス、ああいう高級ブランドは、プライドが高いのか、いかに名前を守ろうかに、ずいぶん労力を費やしていると思います。
名前を守ることでしか、伝統を息づかすことができないというのなら、別の方法を考えればよいと思います。伝統は、とうとうと背後に流れる土壌的存在であり、名前が独占するものではないと思います。恥をかくことで、ヴィトンの伝統が汚されるなら、それは、名前に支配された伝統です。なぜなら、恥で傷つくのは名前です。伝統そのものの技術的な実質や、洗練された思想などは、恥をかくことぐらいで変わりません。
ヴィトンが何処の国か知りませんが、フランスならフランス、イギリスならイギリスに、根付いた方がよいのではないかと思います。名前的にフランスでしょうか?
 
企業の国際競争力、随分取りざたされていますが、市場のグローバリゼーションとはそういうものであったかどうかは疑問です。
フランスに行かなければヴィトンが手に入らない、ぐらいの、グローバリゼーションとは対極に見えるぐらいのほうが、バランスよく、文化的アイデンティティの発展が地球規模でなるのではないかとも、思いました。
そのほうが、買い漁り、偽造などから、ブランドの誇りを守ることにもなりそう。誇りは守りたい、金はより多く稼ぎたい、どっちかにすべきです。誇りを選んでこそ、一流と、思います。消費者、ユーザーのニーズに迎合しすぎるというのが、周知のブランドの欠点かもしれません。ニーズを操り、それに迎合することで、偶発性、意外性という創造力も失っているのかもしれません。だから、あえて意外性を追求するような羽目になるのではないのかとも思います。
そのニーズ操作で、多くの金を得ている→経済をまわしているんですが、。残念です。
 
誇りを守れば、むろん、ヴィトンの市場規模は、激減します。スタッフ数も。少数精鋭になりますが、そういう企業がたくさんあれば良いのではないかと思います。少数精鋭企業がたくさんあれば、多数精鋭になるということです。そこにさらに、無銘の一品が控えているわけです。そういう市場、絶対、かなり楽しいです。
かなり良いものが、それ相応の、多くの人の手の届く値段で、売買されます。無駄遣いもなくなるし、ゴミも減るし。
下駄箱に眠る報われない靴たちも、よろこぶでしょう。 
 
飛行機や、巨大な船ビル、情報産業(流通はこれに含む)、金融、ここら辺は、もともと地球規模、故郷に対する異邦を視野に入れた、そういうニーズの土壌で育ったものなので、どんどんグローバリゼーションを進めていけばいいと思います。これらが無銘である場合は、想像が及びません。無銘である必要もないのかもしれませんが、。
戦争は広がらなくていいのですが、戦争も、同じ宿命を持っています。
 
ご回答、ありがとうございました。
あ、徘徊型企業というのもよさそうですね。根無し草企業。グローバリゼーションで実現できそうです。

お礼日時:2003/03/05 02:24

こんにちわ。

ちょっと長くなりますけど、私の考えを述べますね。
まずお聞きしたいのですが、無銘の一品というのは、「ノーブランド」ということでしょうか?
例えばどんなもののことなんでしょうか。ちょっと具体例をお聞きしたいです。
また、「ブランド」の対象がよくわからないので、それも具体例がありましたら(例えばルイヴィトンのような服飾系とか雪印のような食物系とか)。

先に答えてしまうと、私なら「一般にはマイナーかもしれないけれど、一部で支持を集めていて、自分が良いと思ったブランド」を選びます。
ayamatiさんの二択の場合、私はどちらかと言えばブランド志向ということになるのでしょうね。
ただし、周知の一流ブランドを選ぶというわけではありません(気に入れば買うかもしれませんが)。
知名度云々ではなく、信頼でき、自分の好みにピッタリだと思ったブランドを選びます。
ブランドと言うと語弊があるかもしれません。
さえない小さな工房だけれども歴史があって良い腕の職人がいる所とか、
変わった素材やデザインを延々作り続けている所だとかに惹かれます。
それと、「なぜかここが合う」という理由で買い続けている所もあります。慣れもあるでしょう。

名前を買うのかとおっしゃるならば、それは穿った見方だと思います。
その名に付随する歴史と信頼が名前に集約されているだけではないでしょうか。安心感もあります。
あるいは、デザイナーの才能を買うとでも言って良いかもしれません。
名前の無いものには裏づけがありません。前例がわかりません。余程のことが無い限り、手を出す可能性は少ないでしょう(これは、買うモノによっても違ってきますが)。
また、そのブランド名が特定できれば、評判を探ることも簡単です。そういった意見も参考にします。

「名前は廃れるから良くない」とおっしゃってますが、廃れるもの=悪い、過ちなのでしょうか。
私は普遍的価値の存在をあまり信じていないので、現在の自分の価値感に最大の信頼を置きます。
どんな時、人、時代にも合うものなんて無いでしょうし、きっと面白くありません。
部屋の模様替えをしたら今までと違うデザインのリネンが欲しくなったとか、髪型を変えたら服の好みが変わっただとか、そういうことからも言えると思います。
それに、例えば人生に「盛期」があるように、良いモノを作れる時期というのはあると思います。その良い部分を見ずに廃れるから悪いというのはどうかと思います(対象が企業なので、一概には言えませんけどね)。

そもそも、ayamatiさんがおっしゃりたいのはブランドへの盲目的信仰の危険なのではありませんか。
確かに、吟味を忘れてしまっては消費者として失格です。質の悪いモノが売れるのは人類においても損失です。
だからこそ、批判ではなくて意見を述べていきたいですね。
良いものを作って欲しいからこそ、気づいた意見はメールします。心の中で思ってたってわかっちゃくれませんから。
そういった支持者の意見がきちんと反映されるところが理想ですね。
そして駄目だと気づいたらスパっと捨てること。淘汰なくして良いものは生まれません。

要するに、誰が何と言おうと単に自分の好きなものを購入するというだけなんですが(笑)。
価値観は変わるものです。どんなものもいつかは滅びます。結論としては、ブランドであろうがなかろうが、そのときの自分が良いと思ったものを選びたいと思います。
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この回答へのお礼

わかりやすいご意見を、ありがとうございます。 
この二択を通して、二つとも選ぶことよりも、よいと言うような方法を考えようと思い、皆さんの意見を求めました。それが私の本意です。
 
名が廃れると同時に、技術が霧散してはいけないと思っています。
名が廃れるのがよくないとは、それと同時に、その技術が、文化として継承されるか否かがあるからです。される場合もあるし、されない場合もあります。現代の大企業(超有名ブランド)の技術は、半々で意味を成さなくなると思います。無用の長物になると言うことです。それはそれでそうなのだから、いいのですが、これからはそうならないようにできないだろうかと思います。技術を、ブランドが保有し、誇示することを避けなければならないと思います。ブランドが、技術のために使われなければならないと思います。
なぜなら、技術は実質であり、ブランドは地位だからです。人間でも同じことが言えると思います。
名前によって、技術が発展したなら、もう名前は必要ないと思っています。
ブランドと、ブランドが、技術を結集、協力してつくった場合は多くありますし、異分野の最先端が、協力してことをなす場合もあります。そういう試みは、パイオニア的です。
そこに、淘汰(生存競争)による練磨は見当たりません。競争で、耐力を減らすと、本分が果たせないからです。
お互いに必要であり、両者共に、すでに鍛え抜かれてなお、上を目指すもの同士です。新しい分野としての、新技術という場合もあります。
>そもそも、ayamatiさんがおっしゃりたいのはブランドへの盲目的信仰の危険なのではありませんか。
 
こういう傾向は、宗教でも企業でも、国家でも、身体的特徴でも、何でもあると思います。ようは、差別化を図っているのです。
このような傾向は、ほっといても勝手に消えていくと見ています。皆が賢くなり、騙されなくなるからです。私が考えようとしているのは、その後です。名前を使って、生きてきたことは事実です。その後も、固有名詞が消え去るとは、思いつきません。しかし、差別化はなくなります。個別を残して、差別を消すのが、私の考えれうる、一番近い、未来です。

無銘の一品のイメージは、一子相伝とか、初代で最後、みたいな、希少性のある、言い過ぎれば、伝説的イメージを覚えられるかもしれません。私のイメージはそうです。中東の地方都市でのスークや、行商の家を訪れたときに、偶然的、運命的においてそうな宝飾物などです。もしくは、東南アジアのど田舎を訪れたときに、ご馳走してもらった、ビンビンの野鶏などです。
漫画風に言うと、伝説化した流浪の賞金稼ぎには、実は息子が居て、その息子に託された銃がすごいらしい、見たいな(ある意味ブランドだけれども)。
こういうイメージにあるような、無銘の一品のよさが、経済をまわすにはどうすれば良いかを考えます。
無銘の一品と恒常性とは反対のように見えるかもしれませんが、むしろ同質、裏と表、そういう風に思って、見ています。
 
分野と分野が合わさり、新しいフィールドが生まれてきている社会(いつの時代でもそういう面があったとは思います)にこそ、無銘の一品が現れる条件があると、見ています。
むろん、条件をもつのはそれだけではないですが、。
出遭いのような、必然性を超える何かを感じると言うのが、無銘の一品のキーだと思い、このような、言いまわしをしました。
ブランドにはない、決定的なアイデンティティを隠し持っているのではないか?と、かなり思っています。

お礼日時:2003/03/05 00:12

経済系哲学の答えではありませんが・・・



どちらも「一品」なのですよね?
どちらも心血の注がれた物には違いないと思うのですが・・・

で、もし双方を購入前に比べることが出来るのでしたら
必ず比較し、購入を決めたいと思いますので、一概に無名がいいとも
一流と言われるブランドがいいとも言い難いですね

それに、現在一流と言われているメーカーも、元をただせば
無銘のメーカーではないでしょうか?
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この回答へのお礼

>どちらも心血の注がれた物には違いないと思うのですが・・・
もちろんそうです。ただ、無銘の一品には、出遭いが必要です。
>必ず比較し、購入を決めたいと思いますので、一概に無名がいいとも
一流と言われるブランドがいいとも言い難いですね
 
そうですね。結局は、物を見るのですから。
>それに、現在一流と言われているメーカーも、元をただせば
無銘のメーカーではないでしょうか?
 
こういえるかもしれません。無銘の一品、埋もれた才能。
人知れず咲く、高嶺の花。
こういうものは、世界に無数にあるはずです。人も、文化も、自然も。
これらを、経済の犠牲にはしたくない。むしろ、これらが、経済になれば良いと思っています。これらは、人知れていては、いけないのです。
  
才能を埋もれさせる社会に、よい未来は来にくいと思っています。
現実をよりよくするには、どういう観点と、どういう方法が有効なのか?
才能を、舞台で踊らす必要はないけれど、埋もれさしてしまうわけにも行かないと思います。それらは、意思と未来のエネルギーだと思っています。
有名が必要なのではなく、無銘が必要なのではないのか?というのは、そういうわけです。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/05 00:49

無銘の一品と、周知の一流ブランドによる一品。



う-ん。無名・ブランド...
いや、ここの質問を拝見してふと、「名前」ということばが頭に浮かびました。
名がない-カオなし-透明人間...「あなたはだれ?」「わたしはだれ?」と、

ときに、「名もなき英雄」なり名がないことが美化して扱われることもありますが、反対に名がない故に流浪の生涯を終える者もあります。

クロ―ン技術が盛んになりつつありますが、同一の遺伝子をもち生み出されたのだから同一という見方もありましょう、しかしながら、同一の遺伝子を持ち生み出されたとしても個々に独立したものではないでしょうか?個別に名がないとしたら、そのひとつひとつの生み出された同一遺伝子をもつものは単に複製モノとしてあるのでしょうか?
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この回答へのお礼

名もなき英雄が、乞食として生きていく必要のないように、名のないものも、正統的に生きていけるように、この質問を立てました。
>個別に名がないとしたら、そのひとつひとつの生み出された同一遺伝子をもつものは単に複製モノとしてあるのでしょうか?
 
そうではないでしょう。複製でしょうが、それには、個性があります。社会における名というのは、便利なだけであり、その人やその物の、存在の根幹では、到底到底、ないのです。
 
星の王子さまで、王子さまが、自分の星にあるバラが、たった一つだけしかないと思っていたのですが、地球に来てみると、大量に咲いているのです。
それを見て王子さまは涙します。
ですが、十万本のバラたちも、王子さまの星の一本のバラも、どれも「本物」なのです。王子様、泣かなくて良いよ、と、思います。
クローン人間にリアリティが欠けているなら、それは、親のないことだと思います。
複雑な生命体が、単純なアメーバのように分裂すると、ロジック(文法)が混乱するように思えてなりません。遺伝情報には、単語と、ロジックと、意思(遺伝子にあるかは不明)があるはずですから。
立体と平面ぐらいの違いが、人とアメーバには認められます。同じ生物でも、次元が違うのに、生殖という根本よりも少し手前の行為を同じにすると、行き着く先はずいぶん違うものになると思います。
大砲を撃つのに、射角を少し変えただけで、数キロ先の着地点はぜんぜん違うのです。まして、クローン人間は、砲弾を風船に変えるような、ことかもしれません。わかりにくい御礼ですね(笑。自分でもよくわかってません。
 
ご回答、ありがとうございました。

 

お礼日時:2003/03/05 00:37

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