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徳川家光のお守り袋には「二世権現 二世将軍」と書かれていた紙が入っていたそうですが、どんな本を読んでもこれは父・秀忠を無視して自分こそ二代将軍なりという自負の表れとされています。しかし、単純に父・秀忠の名前をお守りにしていた微笑ましい親子関係という解釈は成り立たないのでしょうか? どんな本を読んでもそういう解釈をしている本が無いのです。いくら幼少時に忠長擁立云々で可愛がられなかったとはいえ、そこはやはり血の繋がった親子の情は絶ち難く…という人情の図式は考えられないのでしょうか?

A 回答 (1件)

ご質問者様の考えられている図式ですが、以下の理由から考えられないと思います。



・権現は本来日本の神の神号の一つであること。
・秀忠公は父の家康公と異なり、神ではなく人間として扱われることを希望していたこと。
・秀忠公は、正室お江与の方に頭が上がらず、お江与の方が溺愛していた
 弟の忠長公を将軍に擁立しようとしていたこと
・家光公は、父ではなく祖父家康公の傍にお墓があるように家康公を崇拝していたこと。
・秀忠公が亡くなった後、弟の忠長公を切腹に追い込んだこと。

以上から、微笑ましい親子関係とは考えにくいと思います。
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この回答へのお礼

そう言われてみれば秀忠公は権現にはなっていませんでしたね。納得です。ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/19 19:29

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