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水戸黄門という時代劇で「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい!」と黄門様が言う定番の台詞がありますよね?

ところが先日夕方の水戸黄門再放送(第13部、昭和57年10月18日~昭和58年4月11日放送、東野英治郎黄門)の中で東野黄門様が「助さん、格さん、懲らしめてあげなさい」と言っていました。

「懲らしめてやる」ことはあっても、「懲らしめてあげる」ことはあり得るのでしょうか?
私の持っている国語能力では「懲らしめてあげる」だと、何か後の反省材料となるように敢えて懲らしめるようなニュアンスを感じてしまいます。しかし物語の最後では、悪代官(?)とその一味は「重き沙汰下されると覚悟いたせ」と言われてたはずです。だったら最初から「懲らしめてやりなさい」でよいように思うのは私だけでしょうか?

懲らしめて「やる」と「あげる」の使い分け方があるのでしょうか?

なおその台詞は第14話堺以降のいずれかで言っていました。

A 回答 (6件)

敬語の使い方の話題だったので、思わず反応してしまいました^^ 元国語科教師です。



敬語敬語と言いますが、敬語には、単に丁寧な言い方(です、ます等)の「丁寧語」、他人や尊敬すべき人の動作を表す時に使う「尊敬語」、自分や自分の身内の動作に使う「謙譲語」があります。
文法的には、「やる」は普通の言葉、「あげる」は謙譲語です。

この場面では、黄門様にとって助さん格さんは身内に当たるので、彼らの動作に謙譲語を使うのは、ごく自然なことです。また、この時点で周囲の人々は、助さん格さんは代官よりも身分の低いただの町人だと思っている(はず)なので、尚更適切な表現と言えるでしょう。
しかし、最後に黄門様の正体が判ってからは「覚悟いたせ」と、覚悟するのは(自分ではなく他人の)代官の動作であるにもかかわらず、「いたす」という謙譲語を使っています。これは、黄門様が代官より偉いことが周知の事実であるからだと考えられます。

つまり、印籠を出すと黄門様の立場が一変するというお話の痛快さがこれらの言葉遣いにも表れているのですね。
皆様のおっしゃる通り、黄門様に茶目っ気があるからこそ、正体がばれる前は謙遜してみせているのでしょう。

但し、脚本家がそこまで考えていたかどうかは、う~ん…
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この回答へのお礼

謙譲語…遠い昔学校で習ったハズなのですが、すっかり忘れていました(笑)
caiziさんはさすが元国語科教員ですね。専門家からの回答が得られて良かったです。お陰様でモヤモヤが晴れたような気がします。
ところで私は生まれてから三十余年、日本語のみで生きてきましたが、敬語は難しいですね。・・・など言いつつも、「最近の若者の言葉遣いがなってないなぁ…」と思ってしまうのですから、自分勝手な生き物です。

お礼日時:2003/03/05 01:43

あれれ、いつのまにやら、「やりなさい」になっていたんですね。


「あげなさい」が定番かと思っておりました。
「あげなさい」は私の感覚では、えらいお坊さんやお釈迦様がおぼしめしをあげる、というニュアンスに聞こえていました。
そして、それは罪を憎んで人を憎まず的精神からもかけているものと思います。

それだけ、黄門様は天の上の人という意味かと思います。
ちなみに、専門知識からではなく、あくまでも素人考えですのでご容赦を。
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この回答へのお礼

あれれ?そうでしたっけ?ちょっと自信がなくなりました(笑)
確認しようにもビデオには撮っていないし、今週は佐野黄門(第25部)に変わってしまったので分かりません。でも私の記憶では他の話では東野黄門様が「やりなさい」と言ってたような気がします…。
ちなみに佐野黄門様は「やりなさい」でした。

お礼日時:2003/03/05 01:33

「懲らしめてやりなさい」を「懲らしめてあげなさい」と


どちらかというとマイナスな意味の言葉に「~してあげる」と
丁寧にすることによって悪者に対して皮肉っているように聞こえます。

「~してあげる」だと、普通は助けてあげるとか、手伝ってあげるとか、
その人のためになることをしてあげるイメージですが
懲らしめる→悪者たちのために懲らしめてあげてねん、という
ちょっと小馬鹿にしたというか、茶目っ気のある言い方になるような気がします。

コケティッシュな東野黄門様にぴったりですね!

「懲らしめておやり」→「懲らしめておあげ」にしてみると
ちょっとニュアンスが違っているのがわかるような・・・。
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この回答へのお礼

そうですね、黄門様による皮肉を込めた言い方だったとすると納得できます。

お礼日時:2003/03/04 19:24

文法的な根拠はなにもないのですが、僕には「懲らしめてあげる」という言い方には、なにか助さん格さんと悪者との間の力の差を表現しているように感じます。

「赤子の手をひねる」くらい簡単に悪者に痛い目を味あわせることができるというニュアンスを感じます。その差を黄門様が皮肉った表現なのではないでしょうか?
その話での脚本家か演出家の表現したかったことなのか、またはいつもと違う人だったかということも考えられるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

なるほど、皮肉ですか。確かに黄門様は「歳を取ると悪戯好きになる」という台詞をいつか言っていましたからね。

お礼日時:2003/03/04 19:20

流して見てしまいそうなのに・・・すごいところに気がつきましたね!


黄門様も結構言っていますよね。

私はありだと思います。

「あげる」は「やる」の丁寧な言い方だから・・・「あげなさい」で丁寧かつ、
格さん助さんに「~なさい」とお偉い立場からの命令をして
いるのかしら、と感じました。

本当はここで反省してもらいたいけど、裁きはお白砂で・・・
黄門様は裁く立場ではないですから。

こんな回答じゃダメですか?!
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この回答へのお礼

気付いた理由は#1の回答のお礼に書きましたが、なぜそれ以降も気になってたかと言いますと、以前マラソンの有森裕子さんがインタビューで「自分をほめたい」と言ったのに世間では「自分を褒めてあげたい」と誤って表現されることが多く、その誤りを検証せず「自分に対して敬語を使うのは何事だ!」と噛みついた人がいたことを覚えていたからです。
一応手元の辞書で「あげる」を引いたのですが、「『…てやる』の丁寧な言い方」と書かれていたので混乱しました。

お礼日時:2003/03/04 19:18

ずいぶん細かいところに気付いたものと、感心しました。


私なら間違いなく聞き流しで終わってしまうところですが、あらためてそう言われるととても引っかかる表現ですね。
言葉の使い分けについては私は知識が無いのでお答えできませんが、私の考えでは、単純に「言いまちがい」ではないかと思います。
台本ではどうなっていたか分かりませんが、東野氏のセリフに現場の誰もがその場で何の違和感も感じなければ、そのままOKということは十分に考えられます。映画なら綿密なチェックもするでしょうが、テレビドラマともなれば、あるいは後から誰かが気付いても、「ま、いいかぁ。」ってな事になったのでは?と思います。
「懲らしめてあげる」の言い方をその後も度々使うのであれば話は別ですが、1回や2回ならば特にその可能性は大きいと思います。
でも全く自信無しです。
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この回答へのお礼

私も普段の言葉遣いには自信がありませんし細かいところまで気を配る人間ではないのですが、久しぶりに見た水戸黄門で、「おっ!そろそろ例の台詞を言うぞ!」と思っていたら、私が記憶してた「懲らしめてやりなさい」じゃなく「懲らしめてあげなさい」だったので気付きました。
おそらく「ま、いいかぁ」だったのでしょうね。

お礼日時:2003/03/04 19:03

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