アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 律令下の、古墳造営、造都、そして道の造営などの労役は土地の一般民衆の強制労働だったのでしょう。
 でも技術などは渡来の方なのでしょう。その技術の後世への継承のされ方はどのようなものでありましたでしょう。
 どうかよろしくお願い申しあげます。

A 回答 (1件)

技術の継承は、現代にも通じる話ですね。


技術屋の端くれだったのでとても興味深いです。

技術の継承がうまくいっている例として、伊勢神宮の式年遷宮があります。
20年ごとに内宮、外宮の正殿など数十の建造物をそっくり同じ姿に建てかえることが営々
と続けられて、62回目となる次回は2013年です。
同時に、装束や太刀、馬具など714種1576点も新調されます。
テクノフォーラム21
http://www.techno-forum21.jp/science/sc060302.html

伊勢神宮には、「火起こしの儀」や稲作にまつわる祭典が今も続けられていますが、大昔の最高のハイテク技術を継承するために「儀式」という形で技術を伝承していると思います。

さて本題の古墳造営といった土木技術の継承ですが、よく分かりません。
以前「古墳時代の人のコミュニケーション方法」という質問があって回答しましたが、少し関連がありそうなのでその一部をもう一度書きます。
http://okwave.jp/qa3980369.html

古墳時代は、古墳だけに大きな関心が寄せられる傾向にありますが、この時代は、日本列島の大開発時代であると思います。
古墳築造以前に、住むための環境を整備することが先決ですね。
土木技術をもつ人々が大陸や朝鮮半島から渡来してきて、原野を開墾し、河川に堤防を築き、用水路を開削し、ため池を造成して農地を拡大していったと思います。
これらの技術は、石材と木材が豊富な日本の風土に合うように改良され、発展して、蓄積された技術・技能は、「口伝」で集団の一部有力者に残されていったと推定します。
この技術の蓄積、例えば荒れる河川を土木工事で制御した経験の積み重ねが、古墳の造営につながったと思います。

反対に、技術の継承ができていなかった例として、鎌倉初期の「大仏再建」があります。
焼け落ちた大仏の頭部と腕を造ることが当時の日本人の技術ではできず、宋人・陳和卿を惣大工に頼み込んでいます。
そして弟の陳仏寿以下中国人七人、日本の鋳物師草部是肋ら十四人の工人たちで再建しています。
防長歴史紀行 大勧進・重源の足跡
http://www.i-unic.com/web-content/boucho/chogen/ …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとう御座います。
 
 後代のいろんな技術の中に、応用などがなされながら引き継がれているかもしれませんね。

 師弟の絆の中で、相伝され、外部に出ないこともあるでしょうね。

 どうもありがとう御座いました。
 ずいぶんと参考に為りました。

お礼日時:2009/04/21 15:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!