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仏教など文化の伝来、そして宗派仏教

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  • 質問者:krya1998
  • 投稿日時:2009/04/20 11:34
  • 困り度:困ってます

 1. 稲作など、日本への文化朝鮮半島を媒介しての伝来だとの講義でしたが、朝鮮半島を経由しない太平洋沿岸から伝来した文化はないのでしょうか?或いは朝鮮半島を経由しない中国大陸からの文化伝来はなかったのでしょうか?(自治体のシニア対象講座を聞いていて判らなく為りまして、・・・。)

 cf. 大野普(誤字かな)さんの言語(と人)の伝播では、南アジア、南インドから、海洋を経由して伝播してくることも不可能ではないというようなお話も思い出しておりまして。

 2. 仏教が奈良時代に伝来したとの事ですが、これは何宗というものではないのですね。何宗でもない仏教とは、今の私たちには理解しにくいのですが、鎮護国家の仏教でもないのですね。どんな仏教なのでしょう?

 3. 宗派仏教は弘法大師(空海)の真言密教が伝来の最初でしょうか?

 4. 宗派仏教とはどこで何時ごろ生まれているのでしょうか?

 5. 他のアジア諸国にはこの、宗派仏教というのがやはり伝播しているのでしょうか?

  どうかなにとぞよろしくお願い申しあげます。

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No.1ベストアンサー20pt

  • 回答者:bungetsu
  • 回答日時:2009/04/20 18:28

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>1. 稲作など、日本への文化朝鮮半島を媒介しての伝来だとの講義でしたが、朝鮮半島を経由しない太平洋沿岸から伝来した文化はないのでしょうか?或いは朝鮮半島を経由しない中国大陸からの文化伝来はなかったのでしょうか?

非常に「たくさん」あります。
まず、中国から日本へ・・・。
(1)五行思想・・・春夏秋冬や節句(季節の変わり目)の考え方。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C% …
(2)陰陽五行説・・・「十二支」と「五行説」を合わせた考え方。二十四節気が分類されました。
日本に渡ってからは、やがて、日本独自の「陰陽道(おんみょうどう)」として発展。安部晴明らが活躍しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD% …
http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60130/jyun …
(3)漢字・・・これは説明不要でしょう。日本で独自にできたのが「平仮名」。
(4)音楽・・・次のサイトをどうぞ。
http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60130/musi …
(5)漢方薬・・・これは、朝鮮からも伝わりましたが、中国からも伝わりました方が影響力が強い。「漢」の時代に伝わったので「漢方」と呼ぶようになりました。
(6)衣服・・・養蚕の技術が伝来し、「絹織物」が発展しました。
(7)住居・・・仏教の伝来に伴い、寺院建築では主に「丸柱」。庶民の家屋では「角柱」が主流。
(8)お茶・・・昨今では、「中国茶」と言うと「ウーロン茶」などを頭に描くでしょうが、「緑茶」「青茶」「白茶」「黄茶」「黒茶」「紅茶」などが伝来。日本の風土に合って根付いたのが「緑茶」です。
(9)豆腐・・・中国で豆腐が生まれたのは、16世紀の『本草網目』という中国の書物に「紀元前2世紀に前漢の淮南王の劉安の創作にある」という説があることに基づいています。しかし豆腐について書かれた文献が唐の時代まで何もないことから、豆腐の起源は唐の時代の中期である、という説もあります。よって、豆腐は少なくとも唐代には造られていたと考えられています。

東南アジアから・・・。
これも、たくさんありますが、分かりやすいところで一つ。
(1)林邑楽(りんゆうがく)・・・今のヴェトナム南部地方の音楽です。
http://jtrad.columbia.jp/jpn/history01.html

>>2. 仏教が奈良時代に伝来したとの事ですが、これは何宗というものではないのですね。何宗でもない仏教とは、今の私たちには理解しにくいのですが、鎮護国家の仏教でもないのですね。どんな仏教なのでしょう?

日本への「仏教伝来」は、「上宮聖徳法王帝説」(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ=聖徳太子の伝記)や「元興寺伽藍縁起并流記資財帳」(がんごうじがらんえんぎ ならびに るきしざいちょう=元興寺縁起)では538年に伝来したと記されており、歴史の教科書などでは、こちらが主流。一方で、「日本書紀」では552年とされている。
日本に伝来した頃、中国でも百済(くだら=朝鮮半島の国)でも「宗派」は分かれてはいませんでした。
ただし、「大乗仏教」と「小乗仏教」の違いがあった。
※大乗仏教・・・修行した僧侶が仏教の精神を広く説き、何人(なにびと)であれ、「念仏」を唱えることで極楽に行ける。つまり、庶民は修行をしなくても「念仏」さえ唱えれば「極楽」へ行ける。と、言う考え方。
インドの「釈迦」から「三蔵法師」によって中国へ、中国から百済へ、そして、百済の聖明王から日本の欽明天皇に対して、仏像や経典、幡蓋(ばんがい=かざりの道具)などが献上された。と、言われています。これは「大乗仏教」でした。

※小乗仏教・・・大乗仏教に対して「差別的」にそう呼ばれるようになりましたが、本来の仏教は「上座部仏教(じょうざぶ ぶっきょう)」と言い、修行(苦行)をして「悟り」を得ることが目的でした。この教えは東南アジア(タイやカンボジア、ラオス、ミャンマーなど)で発展し、仏教を本当に信仰しているのは僧侶だけで、他の人々は「僧侶」を敬い、その僧侶の「修行」を支えるだけです。ただし、自分の信仰の証として、寺へも詣でますが・・・。
よくTVなどで、「黄」の衣を着て「托鉢」してまわる僧侶に庶民が「ご飯」や「金銭」を快く差し出し僧侶に向かって手を合わせるシーンがありますよね。これが「小乗仏教」です。

>>3. 宗派仏教は弘法大師(空海)の真言密教が伝来の最初でしょうか?

日本に伝来した当時は、先にも述べましたが「宗派」の別れはありませんでした。
仏教の受容をめぐっては、蘇我氏と物部氏(もののべし)との争いもあったと、いわれていますが、現在では「でっちあげ」の可能性有、とも考えられています。
やがて、聖徳太子が593年に摂政となり、斑鳩(いかるが)に法隆寺を造立(ぞうりゅう)607年完成。その完成以前の604年に「17条憲法」を制定し、その第2条に、
「篤く三宝を敬え。三宝とは仏、法、僧なり・・・」
と、書かれてある。
この聖徳太子の教えを今も伝えるのが「太子信仰」と呼ばれる人々です。こうした人々は鎌倉時代から徐々に勢力を広めていった親鸞の唱える「一向宗(浄土宗)」とほぼ同世代に隆盛を迎え、「太子信仰(太子講)」の人々は「寺院建築」「灌漑」「治水」「鉱山開発」などの「特殊技能」を持つ集団として「太子衆」と呼ばれ、各地で活躍しました。なお、現在でも「太子衆」はいますし、聖徳太子を祀る神仏混合の「寺?」「神社?」も各地で見られます。

>>4. 宗派仏教とはどこで何時ごろ生まれているのでしょうか?

奈良時代に「三輪」「成実」「法相」「倶舎」「華厳」「律」の6宗派に分かれ「南都六宗」と呼ばれましたが、「三輪」「成実」「倶舎」の3宗派はすぐに衰え、今日まで伝承されているのは「法相」「華厳」「律」の3宗派だけです。

※法相宗
入唐した僧侶、道昭が653年に持ち帰った。
宗旨は一切が心を離れて存在しないという唯心・唯識の立場にたって迷・悟の因縁を究めていけば執着からも次第に離れることができると教えています。「一水四見」が代表的な教えです。
本山は興福寺と薬師寺の二山です。戦後独立して聖徳宗を名のる法隆寺や北法相宗を名のる清水寺も、元は法相宗所属の寺院でした。

※華厳宗
唐の道せん(どうせん、日本には「せん」の漢字がありませんので平仮名で失礼します)が華厳経の注釈書を持参した時に始まるとも、また賢首大師法蔵に師事した新羅の審祥が良弁の求めによって本経を講義した時に始まるとも言われています。
宗旨は華厳経をもとに体系づけられたもので、全世界は因縁によって成り立ち、すべて仏の世界であり「一即一切・一切即一」の関係において成り立っているということを信じ悟ることができれば自在の境地にいたるであろうと説かれています。
総本山は東大寺で、我が国華厳宗では良弁、高弁、凝然、鳳潭などの高僧が有名です。

※律 宗
律宗は754年唐僧の鑑真和上によって伝えられました。
鑑真和上(688~763)は日本への渡航には暴風・失明などの苦難ののち六度目にようやく成功、東大寺に戒壇(戒を授けるために設けた壇)を設け、聖武天皇をはじめ多くの貴族たちも戒を受けたと言われています。
律宗は戒律を重んじ、それを自ら実践することをもって成仏の因とする宗旨で総本山は唐招提寺です。
律宗のなかで高名の僧は覚盛、叡尊、忍性、滋雲などで律宗系の寺院としては西大寺(奈良)・浄瑠璃寺(京都)、南京律の泉涌寺(京都)、安楽律の安楽院(比叡山)があります。

平安時代

※天台宗
天台宗は最澄(伝教大師)が804年唐に渡り、8ヶ月あまりの滞在中に円(円満完全な教えと言う意味で中国天台宗の教え)、密教、禅、戒の4つを学び帰国、翌年天台宗を唱え、806年に日本天台宗として公認されたものです。
法華経を根本とし、すべてに仏性(仏となる可能性)があるとし自ら悟り、他人をも悟らせる自利利他の実践を教えています。
天台宗の総本山は比叡山延暦寺ですが、平安初期に顕・密の優劣を巡って、円仁派と円珍派が対立し密教を優位とする円珍らが寺門派として分かれ、その本山を園城寺(通称三井寺)とし、室町中期には念仏に重点をおく真盛派が分かれ本山を西教寺(大津)としました。
天台宗の寺院では寛永寺(上野)、輪王寺(日光)、中尊寺(平泉)、浅草寺(聖観宗)、四天王寺(和宗)が有名です。
最澄の後継者として有名な僧として円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)・良源(慈慧大師)・慈円(慈鎮大師)・天海(慈眼大師)がいます。

※真言宗
真言宗は空海(弘法大師)が唐から帰朝した806年に開いたものです。
空海は密教に仏教の本質を見いだし、煩悩は否定ではなく浄化すること、即身成仏(人間はこの世で生身のまま成仏できること)を説きました。
真言宗は鎌倉期以後絶えず分派をかさねてこましたが、大別すると古義派と新義派に分かれます。
古義派は高野山真言宗(金剛峯寺)・東寺派(東寺)・御室派(仁和寺)・醍醐派(醍醐寺)などに、新義派は新義真言宗(根来寺)・豊山派(長谷寺)・智山派(智積院)などに別れています。
成田山新勝寺(成田不動)、金剛山平間寺(川崎大師)、高尾山有喜寺は関東における智山派の別格本山。戦後豊山派から独立し女人高野といわれる奈良の室生寺も有名です。
空海の後継者には、益信・聖宝・覚鑁などがいます。

※融通念仏宗
融通念仏宗は念仏宗の一派で良忍(1072~1132・聖応大師)が開祖です。
宗旨は一人の称名念仏の功徳には多くの人の念仏の功徳がおさまり、多くの人の念仏の功徳が一人に返ってくる。これは単に念仏だけでなく、一人の善行が万人の善行と融通して絶大な力となることだと教えています。

鎌倉時代(各宗派の説明は省略します)

「浄土宗」「浄土真宗」「時宗」「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」「日蓮宗」などが分派。

>>5. 他のアジア諸国にはこの、宗派仏教というのがやはり伝播しているのでしょうか?

これは、先にも述べたとおり「小乗仏教」が主体ですが、「日蓮宗」などは海外進出もしているようですね。

長文になりましたが、あなたのお役に立てたでしょうか。

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この回答への補足

 ありがとう御座います。
 久方に尊なる「歴史作家」さんの謦咳に接しました。

 考古学的に(講座のご担当の学芸員のご専攻はどうも考古学のようです。関連した質問に何度か、「そういうものは発掘しても出てこない。」とか言う台詞をくちにしておられますから。でも高齢者の私たちは、考古学を専門にしたいのではなく、特に歴史なんていう事は学際的なお話にも触れていただきたいのですが。)、朝鮮半島を経由して、実物ではなく伝播したという、質問回答でした。回答には稲作ということばが省かれていましたが、多分稲作については、という意味なのでしょう。
 でも私は稲作も、海洋沿岸をつたって、伝播したきた可能性はありうると理由も無く推測したいのです。全く根拠はありません。

 詳細な文化伝播のお話をありがとう御座います。

 宗派って、伝来当初はやはりなかったのですね。
 
 私の感情というか、夢描きですが、物部氏が伝統の神道心性や伝統を大事にして、仏教とその文化の公的認知になる事を抵抗したのではないかという、固定観念を墨守しております。
 これも理由も根拠も無く、ただ単に自分の理解が崩れるのを恐れているからなのかも知れません。
 ありがとう御座いました。

この回答へのお礼

 ありがとう御座いました。

 空海以前にもう、宗派仏教が伝来していたのだという理解ができ、先入観なくよく勉強していきます。

 そして宗派仏教、大小乗仏教(言い方は、不適切ですが)についてもお回答をよく勉強します。

 いつも詳細にして、明快なお教えをありがとう御座います。

  
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