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中島義道先生が著書やコラムなどでくりかえしとなえられている、「わが国の社会現象つまり、列車内の放送、町中の無様な数々のたて看板、のぼり旗、標語、BGMの氾濫」に反感を持っておられる方は日本人の何割くらいおいででしょうか。
多くの人が我慢しておられるのか、慣れてしまってなんとも思っておられないのか。この社会現象は私は一種の公害だとおもっています。

A 回答 (13件中1~10件)

karommad様、おそれいります。


恥ずかしながら今は離婚して独身暮らしです。

そんなに悲観的にならないでください。外国を知れば知るほど、逆に日本のよさが見えてきます。
私は日本ほど住みやすい国は世界にはない、と思います。どんな国にも一長一短、裏表があるものです。
大先輩のkarommad様にエラソーなことを言って申し訳ありません。ちなみに私は53歳です。
今の日本の若い人たちも捨てたものではないですよ。真面目に一生懸命生きている人もいっぱいいます。
日本の良さを再確認しよう、という流れも起きつつあります。
ただ、やりたいことが見つけにくい、夢が持てない、というのがあると思いますが。
それと、核家族化で祖父母の生活知恵や生き方が伝承されていっていない、団塊世代の子供に対するしつけ方が甘すぎた、というのが現代日本のモラルの低下、精神性の未発達の原因だと思います。

しかし、集団で騒ぎ立てるといえば、私から見れば、海外旅行などでは中年以上のおじさん・おばさんツァーの醜態の方が目に余るものがあります。ほんとに同じ日本人として恥ずかしいです。確かに外国人と比べて子供っぽく見えます。

でも私は日本が好きですよ。優しい国です。自己主張やリーダー力が不器用な歯がゆい部分もありますが、美しい国だと思います。
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karommad様、お礼文ありがとうございます。


日本人の精神的成熟度が質問のポイントのようですが、私も過去にドイツ人と結婚したこともあり、海外旅行もそれなりに行ってますので、日本と外国との違いはよく見えますが、とりあえず質問のタイトル「日本人は西欧人に比べて美しさ、音、景観に無神経ですか」について言えば私は日本人ほど繊細な民族はいない、と思っています。ただ、公共のものに対してはおそろしく無神経であると思います。

戦前と戦後で教育方針はガラリと変わり、また60年安保の頃は厳格な規則を軍国主義的だと短絡的に捉えて否定して自由と勝手を混同したり、バブル経済の頃から権利ばかり主張して義務を遂行しない自己中な人間が増えだしたり、ようするに世代によって日本人は変わってきてると思います。というかすごく子供っぽくなってきている、と感じます。精神的に未熟な人が増えつつあるようですね。

興味深い話ですが、私がドイツ人と一緒に生活していた頃ちょうど阪神大震災が起きまして、そのニュースを見ていたとき、彼女が驚いた事は、コンビニの前で被災者たちが順序良く列を並んで物資の配給を受け取っている場面を見て、ドイツでは絶対ありえない! と、ドイツではまず暴動が起こる、我先に物を取り合う、と言うのです。
例えば、ホテルのロビーなどで荷物を置きっぱなしにすることなど、外国では考えられないことで、まず盗難にあいます。
それだけ日本はおとなしいというか安全な国なのですね。

本題に戻れば、多分多くの人は我慢しているのだと思います。
自分が言わなくても誰かが言うだろう、という人任せ、気が小さい所かあるような・・・面倒なことに巻き込まれたくない、という長いものに巻かれろ思想からきているのか・・・
やはり周囲に自分を合わせる、という日本人特有の順応性が裏目に出てしまっているような、難しいところですね。
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この回答へのお礼

再度ご意見有難うございます。ドイツ人と結婚されているのですね。
私は77歳ですが、お説のように日本人は戦前に比べて劣化していると実感します。昔は、親は子どもに『学校の先生の言いつけを守ってしっかり勉強しなさい」と子どもを送り出し、たとえば先生が「静かに」と言えばすぐ静かになりました。現在は、『何じゃあ、えらそうに』とか「先公うるせえ」と怒鳴り返す。若者の合コンなど称する若者の集まりにははた迷惑な大声でさわぎたてる。
ドイツの南部にcalm lakeを訪れました。湖のボートは電気モーターで音もなくすべるように湖の中ほどに進む。そこには垂直に切り立った石の壁。guide兼船長が壁に向かってラッパを鳴らす。こだまが返ってきてそのあと静寂が訪れる。客は静寂を楽しむ。静寂は音楽よりも価値があると言ったのはモーツアルトでしたか。
とにかく日本人も過去では静寂を楽しむ文化がありましたっけ。しかし現在は何事も過ぎたるは及ばざるが如し、ローカルの列車で旅をしているとき客は数人、皆さん静かに窓の景色を眺めて堪能しているとき「車内での携帯の誤使用は・・」などと放送が入る・・というような間の抜けた車内放送がある。間の抜けたというかまあ無神経なはなし。でも多くの人は車掌さんが一生懸命放送している、仕事熱心サービス精神大と高評価。そうそう、先ほどテレビで「なにこれチン百景」で車掌さんがハーモニカを吹いて客がそれにあわせて合唱。車掌さんのサービスというわけ。そして皆さん喜んでいる。でも私がそこに居合わせたら「うるさいなあ」と思います。ですからやはり皆さんにこのような相談をした私は「環境不適応人間」というわけでしょうか。When in Rome ,do as the Romans do. ですからね。私に残された選択はどこかの孤島に一人住むことですね。劣化する日本社会を横目に見て・・・。悲しいなあ。孫たちに高い精神文化の社会をのこせなくて。老兵は消え去るのみか。bodhi様のようにご理解をいただけた方がひとりでもおいでになることを知って私の心は安らぎました。
この相談箱はカウンセリングの効用がありますね。皆様有難うございました。

お礼日時:2009/05/06 22:24

たしかにサービス過剰という感はあります。


たとえば列車内の放送もしつこく、うるさく感じますが、外国の列車内など、たとえばインドなどは車内放送はまったくありません。それどころか時間通りに動きません。遅れることが当たり前です。
ヨーロッパの列車も、ドイツ、オーストリア、イタリアと乗りましたが、次の停車駅のアナウンスは一言だけボソッと言います。聞き逃したら不安になります。

街中の看板などは外国もそんなに変わりません。あるところにはあります。ただ西欧のほうがセンスはいいですね。街の中に溶け込んでいる感じです。
日本は戦後の復興、高度成長時代で急いで効率よく街作りをしようとしてきたためか、便利だけど面白みや味わいのない街になってきたように思います。地方のどこへ行っても似たような町並みですからね。
景観や個性よりも効率・合理性を重視した結果なのでは、と思います。

BGMの氾濫については地方・田舎の方もひどいです。電信柱にスピーカーが付けられていて、大音量で街の行事を放送します。
だいたいは気にならない人のほうが多いみたいですね。
静かで何もない環境を、逆に寂しい・暗いと感じるのかもしれませんね。
人それぞれの感受性の違いによることだと思うので、日本人、とひとまとめに扱うのはどうか、と思いますが、確かに感受性の強い繊細な人にとってはキツく疲れる現象だと思います。私もそのひとりです。
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この回答へのお礼

bodhi様 ご意見有難うございました。
基本的に特に日本人はやはり「まね文化」「右へ倣え文化」「指示に従う受身文化」つまり農耕民族の特質が社会生活に現れていると思うのです。
テレビでも新聞でも政治を論ずる人は「アメリカでは・・「フランスでは・・「イギリスでは・・が発言の頭につきます。それをつけると皆さん納得するからでしょう、私もヨーロッパではとかウイーンではとつけました。ところが、日本は日本じゃ。駅員だって皆さんのことを思って一生懸命放送しているのじゃ。と反論されます。
このごろ「禁煙」が市条例になったところがあります。でも恥ずかしい話です。
今から40年前(半世紀前)私はアメリカの大学にいました。食堂に喫煙室が付属していました。そこには新聞雑誌がありました。私はタバコを吸いません、新聞を読んでいると「May I smoke?」とバリトンの声が聞こえました。大柄のカウボーイのような男でした。
小柄な日本人の私にこの男が、そんな気遣いをしてくれたこの一言を今でも忘れることがありません。
それから40年。やっと他人に迷惑をかけないようにと「条例」を制定するという日本の社会。条例を作るなどはずかしいことと気づかない人々。それを守らない人の多さ。マッカーサーが日本人は12歳との評価は正しいです。皆さん高度な社会をつくり快適な生活をしましょう。「そんな固いことを」と言わないで下さい。

お礼日時:2009/05/06 10:12

日本もヨーロッパも、お互いいつまでたっても、特に音に関する環境に関しては、発展途上だ、と最近私は考えています。



環境で流れる音楽、音と、情操に及ぼす影響については、現在あまりにも研究不足のジャンルです。それぞれ、「さもありなん」という納得できそうな仮説ばかりが横行しています。科学的データ、聞いたこともありません。また、自閉症の子などは特にこうした音環境について敏感なようです。むしろ彼らに学ぶことも多いです。

日本の町中のBGMは行き過ぎです。で、私たち日本人はそれに対して鈍感です。BGMは、いわば「軽いお菓子」です。何も音がなければ、何か満たされていないような気がする。そんな心の微妙な空腹感を、埋めてくれているわけです。ヘッドフォンステレオをしながら街を歩く子たちの心理です。「満たされて、なんとなくよい気分」を与えてもらっているわけです。

ヨーロッパでは、極力それを流さない。埋まらない心の空腹感は、自らの思索、感受によって埋める。私も昔イタリアに旅行した時、感服しました。
しかし人間、そんなに「おれは流されないぞ」という緊張感ばかり持ってもいられません。時には流されてみたいものです。日本は行き過ぎですが、多少はBGMもほしいですね。

10年、20年前の日本のテレビドラマを見ると、そのBGMの押し付けがましさに驚く人も多いと思います。かつてはドラマの、ほとんどの時間が何らかの音楽で埋められていました。でも、いい加減気づいたのでしょうね。セリフのみ、無音の価値、無音と有音のバランスこそが重要である、と。このジャンルも、現在発展中だと思います。

トイレの音楽、水洗音、前の方の回答にもあるような風鈴の音など、日本人ならではの、優れた、音に関する感受性もあります。より多くを、お互いに学びたいものです。
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何とも思ったことがありません。

それがありのままの日本社会であり日本文化そのものだと思います。

また、日本のどこでもガチャガチャしている訳ではありません。日本社会というよりも、都会特有の現象ではないですか?田舎に行けば、緑一色の田園風景や川のせせらぎや小鳥の鳴き声がいっぱいです。

外国人から「日本の選挙の時の大音響にびっくりした」と指摘を受けたことがありました。選挙の大音響は確かにうるさいです。行き過ぎだと思います。電線による景観も日本はまだまだ遅れています。
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おっしゃることはわかります。

でも、ちょっと考えてみてください。例えば電車の中やお店の中などで大声で携帯電話でしゃべっている人がいて「うるさいなあ」と思ったとします。こういうとき、世間一般の人はどういう行動に出るでしょうか。
ほとんどの日本人が店員や駅員に「あの人を注意してくれ」というと思います。こういうときに他人を頼るのが日本人の性なんですね。で、そうなるとおごそかに店員さんなんかが「他のお客様のご迷惑となりますので・・・」となるわけです。
やったことはないですが、多分これが欧米だと「文句があるなら自分で言え」といわれると思います。

ここだけを見れば「欧米人は大人」ということですが(まあそうであることを否定はしません)、例えば酔っ払って寝込んでしまって財布を盗まれたりしたときに欧米では絶対誰も同情さえしてくれません。「そこまで酔っ払ったお前が悪い」で終わりです。
そういう意味では、親切なんです、日本人は。「小さな親切、余計なお世話」が横行しているのが日本人の、ま、いいとこでもあり悪いとこでもあるわけです。
しかしながら猥雑さに関していえば、東京だけではなく香港やマカオ、上海、ソウル、台北、バンコクなんかもなんだか妙に賑やかで毒々しいものがあります。アジアの多くの国々ではクラクションを鳴らしながらじゃないと車が運転できないそうです(クラクションを鳴らさないと誰もどいてくれないとか)。たぶん、アジア人が本気になったらああいうふうになるんじゃないでしょうか。
日本じゃ選挙のときの車の声がうるさくて、「ただひたすら名前を連呼するだけで立候補者の政策なんて誰も見ない」なんていわれます。しかし台湾では国会での乱闘が名物となっていますし、ある日テレビを見たら名前の入ったベストを着た議員がいた。あれは何だろうと思ったら「乱闘している様子がテレビに映って名前をアピールするため」だそうです。かの国では国会で乱闘すればするほど人気が上がるとか。
まあどこの国も似たり寄ったりということですわね。
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かなり少数だと思う。


私もそうだから。私は看板よりも音のほうが嫌い。
選挙や古紙回収や焼き芋屋が、スピーカーで流す音が一番嫌い(住宅地に踏み込んでくるし少々どころではないから)。
病気で寝てるときなど最悪だ。
列車は極端なことを言えば利用しなければいい(もちろんそうもいかないが)。
できればヨーロッパに永住したいもんだ。
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この回答へのお礼

ヨーロッパに移住したいと言うお気持ちは同感です。
他人に迷惑をかけ事はしない。人に言われなくてもしない。気づかずそういう行為をしている人には声をかける。声をかけられた人は素直に受け入れる。ごめんなさいと言う。そレらの人々の集まりは高度な社会生活であると思います。
夏の暑い日時折鳴る風鈴の音が耳に冷たいカキ氷を前に大好きな相手とひと時をすごす。これまた至福のひと時であります。ところが近所の家の風鈴が一日中夜中もあちこちから鳴っていたらもう煩い我慢ならんというわけです。
駅や車内の放送「駆け込み・・「携帯・・「お忘れ物の・・などなど、押し合いへしあいで息苦しく生理的に苦しんでいるときに、これでもか、これでも放送の注意を聞いてくれないのかとばかりに繰り返されるスピーカーのおと、・・・ところがこれを「駅員が親切心で熱心に遣っていてくれるのだから」とか「ありがたい」とか」言われる人が結構おられる。」やはり日本人は高度な社会づくりはできないと考えています。

お礼日時:2009/05/06 09:34

日本人は「侘び・寂び」の概念や写真の「ボケの美しさ」に気づいた潜在的な美的感覚と


争いを避け調和を期す精神が商工業的な合理主義と複合した気質との両方を、特性としてもっています。
現代はたまたま後者のほうが優勢になっており、社会の表象もそう見てとれるだけです。

件の「列車内の放送、町中の無様な数々のたて看板、のぼり旗、標語、BGMの氾濫への無神経」には
わたしも問題だとは思っておりますが、こういった社会的不和をすぐにそうやって精緻な分析を経ず
いわゆる日本人論的問題にすり替えてしまう日本人の「無神経さ」も、わたしはどうかと思います。
まあ、そのへんも含めて日本人は愛すべき日本人なのでしょう。
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この回答へのお礼

お説拝聴(拝読)有難うございました。
暴走族の騒音はどなたも迷惑といいますが、彼らにとってはエキゾーストノイズは快音です。迷惑しているから取り締まれといいます。同様に車内放送に迷惑している人もいっぱいいるのに、やめてくれと言う意見にははんたいの人がいる。
タバコや携帯のように迷惑している人が一人でもいたらやめるのが正しいと思うのですが。ここのところおかしいな話と思っています。

お礼日時:2009/05/04 00:50

西洋人は静粛を心がける民族であり、キリスト教の影響があります。

(修道院などは声をたてること笑うこと自体が禁忌で、話すときも小声で笑うときは歯を見せずに微笑むだけ)

それに比べてアジア人はそのような習慣がありません。日本人だけでなく、中国人などは祝い事のときに爆竹を鳴らしますし、中近東に行くと騒音だらけです。(逆に中近東はコーランの時間をスピーカーで大声で呼びかけますので、その影響があるのでしょうか)

美しさ、音、景観の基準を西洋に置くこと自体が妥当かどうか分かりませんが、西洋から見たら日本の文化は「音」に対しては少々無神経・中近東はかなり無神経といえるでしょう。

また、日本人には「音」に関して別の美的感覚を有しています。例を挙げれば風鈴でしょう。
外国では(西洋も中近東も)「音を感じて涼をとる」という美的感覚はありません。これは日本人独特の美意識であるといわれています。

次に景観について、
西洋の景観の基準はギリシャ文化から受け継いだ黄金比率や対象性を重んじるものです。イギリスのローズガーデン、フランスのベルサイユ宮殿など庭や、建物を見ても、これらの美意識を感じることができます。
それに対して日本の美意識は違います。言葉で言えば「侘び・寂び」でしょうか。日本庭園は庭師が設計したとおりに造形物を配置した上で、木々が伸びるのを待ち、岩が苔むしるのを喜びます。
なにも知らない外国人が見たら、なんでこんなに古臭く(まるで手入れをしていないように)しているのだろう、と感じるはずです。
日本のお寺なども(昔は東照宮並みに装飾していたのに)苔むして、柱がすすけた色をしているほうが、ありがたい感じがするのです。
全部西洋並みにしたら、日本庭園のよさや古寺仏閣のよさがなくなってしまいます。
(外国人は金閣寺が好きですが、日本人は金閣寺を含めた日本庭園そのものに良さを見出します)

西洋人と日本人、またほかの外国人では「美しさ」の概念や感覚が違います。
個人的には、日本の放送案内・のぼり・たて看板などは少々うるさいと思っています。しかし日本には、相手の望むサービスを先に提供するという文化もあり、列車案内をしない文化というのは、たとえばレストランでお水が空になっても「お注ぎしましょうか」と声をかけてくれない(またはそれによりチップが発生する)文化といっしょなのです。つまりほしいサービスがあれば自分からリクエストしないといけない、または他人にリクエストをすると対価が発生するということです。
個人的には日本の案内は過剰に思えますが、これらをやめたら大多数の日本人は物足りなく感じることでしょうし、中国や中近東に比べればまだおとなしく美的センスもいいほうです(香港の町並みの看板の多さはすごいでしょ)
西洋並みを求めるなら、中島義道先生の言うとおりにすればよいでしょうが、日本人がそれを望んでいるとは思いません。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答有難うございます。
先日近くで交通事故があったので人ごみの中にはいっていきました。
「ここは信号がないでつけてもらわなあかんわ」とおばさんが言ってました。でもすぐ近くに信号があります。おばさんの言うことに従っていたら10mおきに信号が必要です。このおばさんの発想のように日本人は「指示してもらわないと」「教えてもらわないと」「注意されてはじめてしった・・」など農耕民族の特性が社会現象に反映しているように思います。
デズニーランドは大盛況です。西欧文明の凝縮されたものでありながらなぜ日本人はそこに押しかけるのでしょうか。「ごみはゴミ箱へ」とか「喫煙禁止」などの表示は一切なく、それでいて綺麗に保たれています。ごみはすぐ排除されごみをしない雰囲気を作り出しているからです。ここに私は西欧文明の高く評価するところです。デズニーランドの宣伝をしているわけではありませんがここは一種の教育施設になっていると評価できます。開設されたころ「持参した弁当を広げることもできん」と多くの人が不満を述べていたひともいまでは喜んでリピーターになっています。
あのローマは町ができるときに上下水道などつくり、現在でも電柱電線がほとんど見当たりません。高度な社会はやはり西欧文明だと思います。

お礼日時:2009/05/03 11:16

電車のアナウンスが必要かどうかについて一つ。



最近トイレに「綺麗に使って頂きありがとうございます」と書いたカードやシールがよく見かけますが、
あの文字を貼るだけで、実際トイレの汚れは減るそうです。

理由は、心理的に何らかの呼びかけが存在していると、無意識のうちにその呼びかけを意識してしまう。
催眠術ではありませんが、無意識のうちに意識してしまうから、無意味に見える物でも無意識下では意識として入るので、効果としての役割を果たしてしまう。
電車のアナウンスもそういう効果があると言えます。

ロングスパンで見たら、アナウンスが無かったら、電車の遅延とか事故とかはかなり増えるでしょうし、苦情も相当増えるでしょうね。
電車のマナーというのは、実際に電車に乗った所で自然と学ぶ物ですから。
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この回答へのお礼

無限の種類の人格を持った人々の集まって生活する社会が、いろんな軋轢なく生活して出来るということは不可能でしょう。
でも日本中にあふれる、注意書きや宣伝広告、標識、びら、ポスター、宣伝カーの音、注意の放送音などなど「私はこれを雑文明となづけました」人々に刺激となって人格を蝕み、むしろ人々の日常生活に軋轢を高めているように思うのです。
人のいない海岸の砂浜。山の頂上、緑の草原のなか、広い稲田のあぜ道・・・といったところに身を置くと心癒され、健康に生きる喜びを感じます。
秋葉原で殺人をした男は結局は”騒音のような雑文明」に人格を壊されたのだと思うのです。
登山の途中で向こうから来た人とすれ違うとき、「こんにちわ」と声をかけます。雑文明から隔離された人々の行動です。そうおもいます。
ご丁寧なご意見有難うございました。なお、お礼が遅れましたことお詫びします。ずううっと外国にいましたから。

お礼日時:2011/01/24 12:00

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