プロが教えるわが家の防犯対策術!

夫を影で支えていた、などのお話は良く耳にしますが
実際に、現地(戦場など)に赴いた女性は日本にいるのでしょうか?

日本の女性は刀など持たないのが常識でしょうが、そんなことも考えずに、「私が世の中変えてやる!」ぐらいの気持ちを持っていた女性を知りたいです。

個人的に幕末が好きなので、そのあたりの時代で出来ればご回答ください。
勿論それ以外でも構いません。

それと、日本史には、活躍はしていなくても良いのですが、女侍っていたのでしょうか?


ご回答お待ちしています。

A 回答 (7件)

中野竹子:会津藩 娘子隊隊長


『敵に捕らわれ辱めをうけぬよう、そのときは自害する』という覚悟を抱きながら薙刀で薩長軍に立ち向かい、22歳の若さで銃弾に倒れた。

新島八重:幕末のジャンヌ・ダルク
会津戦争(スペンサー銃の使い手)、日清・日露戦争(看護師)などの修羅場を潜り抜けてきた。夫は同志社大学の設立者である。

http://www.bakusin.com/takeko.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お二方とも初めて聞く名前でしたが、有名な方なのですね。
丁度、NHKの番組で新島さんを取り上げていて、すごく興味がわきました。
早速図書館などで調べたのですが、資料はそんなに多くないようで…
今度はインターネットで調べてみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/01 09:54

>個人的に幕末が好きなので、そのあたりの時代で出来ればご回答ください。



幕末、新政府軍と会津藩との戦闘(会津戊辰戦争)時の「会津藩士の奥方・姫」ですね。
多くの女性の氏名は(逆賊とされたので)公表されていませんが、会津魂で戦っていたようです。
個人的に調べると、良いかもね。

>勿論それ以外でも構いません。

常山城の「女城主」という話があります。
城主(旦那)が留守の間に敵方から城の攻撃を受けたとき、奥方(妻)が鎧を着けて城主代理となって戦っています。
また、瀬戸内海の海賊で有名な「村上水軍」では、鶴姫の話がありますね。
大三島神社には、当時姫が身に着けていた赤い鎧が残っています。
日本で唯一残っている「女性用鎧」らしいですね。
バスと部分が広く、ウエスト部分が狭く作られていますよ。

>日本史には、活躍はしていなくても良いのですが、女侍っていたのでしょうか?

女侍の定義にもよりますが・・・。
各藩には「シコメ」と呼ばれた「男装した、武芸に優れた女性」が居ました。
通常は、奥方・姫の身の回りの世話及び警備を行なっていたようです。
(時々、殿の夜伽も行ないました)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座います。
会津の奥方…初めて知りました。
確か江戸を落とされてから幕府側は逆賊扱いにされてしまったんですよね。
私が調べた中で、奥方様はあまり良い情報は得られなかったのですが、会津戊辰戦争については色々な事が学べました。
幕末時代は調べれば調べるほど悲しい事がたくさんありますね。
でもその悲劇の上に私達の生活があるのですから、もっと頑張らなくてはと思います。


女侍がシコメと言われていたのは知りませんでした。
確かシコメとは、醜い女と言う意味合いだった気がしたのですが…
それが本当だったら、そうまでして藩に仕えた彼女達の心情が気になります。
こちらも調べて見ます。

ありがとう御座いました。

お礼日時:2009/06/01 10:10

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E9%A1%8D% …
鎌倉期の奥山荘 平氏の親戚の城氏の板額御前
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座います。

女性の武将…
凄いお話ですね。
武術も参謀としても優れているとなれば、武将は当たり前なのかも知れませんが、それは男性の話であって
女性が武将になるとはきっと相当の苦労をしたでしょうね。
昔の日本は男女の格差が激しいと聞きますから…
武将となってからも軽蔑されたりしたのでしょうか…

とても興味深いお話、ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/01 10:18

幕末ではないですが、江戸期に君臨した女帝についてが、世間的評価からこぼれ落ちている気がします。



後桜町天皇は、幕府政治によって飾り物に過ぎなくなった皇室の地位向上に努めた女帝です。その意味で、「世直し的」気概を持っていた人物だといえると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

丁度今、学校の授業で、女帝を勉強していました。
が、後桜町天皇については、「中継ぎ」としか教えられませんでした。
まさか、皇室の地位向上を努めていたとは…

明治以降は、皇室典範によって女帝が認められなくなってしまったようですが、近年、見直されようとしているらしいですね。

私としては、男女の違いで決めるのではなく、本人の器を見て判断して欲しいので、じっくりと、少しずつで良いので改正していってくれると嬉しいです。

とても興味を引くお話でした。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/01 10:41

女侍の代表は巴御前でしょう


木曽義仲とともに戦ったので有名です
史実として信憑性は難しいところです

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4%E5%BE%A1% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座います。

巴御前については、名前ぐらいしか知りませんでした。
平家物語は、学校の教科書に載っている事しか知らなかったので
とても興味がわきました。
古文は苦手なのですが、木曾についてのお話だけでも読んでみたいですね。

興味のわくお話、ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/01 10:46

神功皇后:成務40年(170年)~神功69年4月17日(269年6月3日)


 夫の仲哀天皇の急死(一説には神功皇后と武内宿禰により暗殺とも)により政権を握り、朝鮮半島に出兵した。

持統天皇:大化元年(645年)~大宝2年12月22日(703年1月13日)
 壬申の乱で夫と主に吉野から美濃に移り近江軍と戦い、夫の死後天皇に即位、この時期に天皇が絶対的な権威となる。

立花ぎん千代:永禄12年8月13日(1569年9月23日)~慶長7年10月17日(1602年11月30日)
 関ヶ原の敗戦で押し寄せる東軍に対峙して城から出陣したとか。

おつやの方:生年不詳 - 天正3年11月21日(1575年12月23日)
 岩村城主、武田の武将秋山信友と戦い、講和の条件として秋山信友の妻となる、後に甥の織田信忠に攻められ、磔にされる。
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「中野竹子」・・・!

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