歴史認識、とくに近代史に関してお互いに対立する主張をしている人が
学者であれ新聞社であれ、また一般人であれたくさんいます。
まあ歴史認識に限らず憲法問題とかでもそうですが。
しかしそういう人たちに関して思うのですが、自分の著作とかサイトとかで一方的に主張してるだけに見えます。
その中で対立する意見への批判があってもやはり自分の土俵の中での一方通行です。
時に「○○を考えるシンポジウム」とか「××の集いとか」やっていますが、やはり同じ意見の人が集まって
結論の決まってる主張を確認し合ってるだけです。
対立する両者が討論会を行って決着をつけたらどうかと思うのですが。
テレビの討論番組などはグダグダになりがちだし、編集などが入るのであまり意味はないと思います。
進行の仕方などに公正なルールを作ったうえで多くの人に公開して徹底的にやりあったらいいと思います。
もちろんそういう対決を行ったからといってそれで全ての論争が解決するわけじゃないですが
何かの意義、世の中への何かしらのインパクトはあるのではないでしょうか?
当事者が納得するルールとか中立の場が見つかりがたいのでしょうか?
それとも、自分のフィールドではいろいろ言っていても、対決を行って負けた場合のリスクを
負う度胸は誰しもないものなのでしょうか?
歴史認識に関しての主張に異論がある学者、あるいは新聞社の記者やら論説委員やらと
直接対決できるとしたら皆さんは受けて立ちますか?
また勝つ自信はありますか?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
うーん。
口がうまいことと、相手を納得させる技術と、真実を言い当てる技術、聴衆を納得させる技術はそれぞれ別だと思います。歴史学者の中には、論文を読む限り真実を言い当てるのに優れた能力を、人前に出るととても口下手になる方もいらっしゃいます。
「えー、あのーそのー」と途中で言葉を探し出したり、壊れたテープレコーダーのように繰り返し同じことを繰り返されたりする教授もいらっしゃいました。
また、正しい歴史認識を探るのに討論するのは必ずしも向いていない。
たとえば「あなたはXXといっているけれど、ここにそうではないという資料があります」といわれたとき、その資料が真実のものかそうでないのか、すぐに確定できないと思うのですよ。
すぐに確定できるのは、超能力者か詐欺師かどちらかだといってもいいのではないかと思います。
学者は慎重であるべきだと、私は思います。
私自身は直接対決できる勇気も勝つ自身もありません。
ですが、他の方同士が、直接対決するなら、論文でのやり取りがいいと思います。
そのほうが読み手なり、聴衆なりにとってより有益だと思います。
ご回答ありがとうございます。
確かにそういう対決をやればディベートの技術の優れた方が有利になりがちでしょうね。
だから別にそういう場で本当の真実や正義を明らかにできるとは思いません。
ただ本や論文だとお互い自分に有利な材料を持ってきて一方的に主張してるだけで、
反論を想定した論旨になっていないと思うんですね。
例えば南京事件ならそれがあったと主張する人は無かったという人からのツッコミにどう切り返すのか、
逆はどうなのかを見てみたいのです。
そもそも物理や化学などの学問の場合、反証可能性のない立論はトンデモだとして、切り捨てられるし
何度も反証実験に耐えて残ってきた説が定説となっていくものなのに、
歴史という分野では恣意的な根拠ばかりの好き放題な主張がまかり通っているように思われてなりません。
No.6
- 回答日時:
学者レベルの議論と記者・評論家と名乗る方々やデマゴーグの方々との議論の基盤が全く異なるので、同じ土俵での議論は不可能でしょう。
特に南京虐殺否定派や731部隊による虐殺否定派は、全体の資料を見ず、細かな一点証言や写真を挙げて全体を否定しようとします。どれだけ資料を積み上げても例外を一つ挙げて、だから全部ウソだと言われてしまえば、議論になりません。日本の兵隊が○○を殺したと言う証言が100と中国国民党員が○○を殺したと言う証言が1あったとします。(もちろん実数ではありません) すべての証言が「証言の真偽性」という意味で同等に評価されなければなりません。全部が真実ではないでしょうし、全部が嘘ではないでしょう。しかし、1の証言のみを真実として他すべてをガセだと言うことは不可能です。領域定義の問題や便衣兵、人口と犠牲者数の問題も絡んできて「実際の虐殺規模」と言った時に、絶対的に「これが真実」という数字は出ないでしょう。それでも虐殺は存在します。しかし、どれだけ資料を積み上げて議論する学者も、一つの証言を元に全部否定しようとする評論家を名乗る方々や作家と言う肩書きで学術的手法に拠らない意見表明をする方々に歩みよることはできません。テレビの討論会などでは、後者の方が声高に、かつ断定的に自説を主張していますが。
同様の状況はナチのユダヤ人虐殺に関する議論でもあります。これはもっぱらドイツ国外での議論が中心ですが。(ドイツ国内ではナチ犯罪の事実を無かったかのように喧伝することは刑法罰にあたるため)
ご回答ありがとうございます。
>しかし、どれだけ資料を積み上げて議論する学者も、一つの証言を元に全部否定しようとする評論家を名乗る方々や作家と言う肩書きで学術的手法に拠らない意見表明をする方々に歩みよることはできません。
なんで歴史の分野ではこういうプロも素人もごっちゃの状況があるのでしょうか?
別に近現代史だけではなく、古代史でも戦国時代でも真面目な学者の本も、門外漢の作家等が書いた
トンデモ本も同列で書店に並んでる状況があります。
もちろん天文でも数学でもアマという肩書きの人はいますけど、それはその学問を仕事にしてないというだけで、
基本的な手法や知識を無視した「素人」という意味ではありませんよね。
No.5
- 回答日時:
>テレビの討論番組などはグダグダになりがちだし、編集などが入るのであまり意味はないと思います。
進行の仕方などに公正なルールを作ったうえで多くの人に公開して徹底的にやりあったらいいと思います。
どんな討論番組をみて結論出しておられるかわかりませんが、決められた時間内での討論というのはどうしても最終結論に達しませんし、平行状態で終わるのが常態です。それでも、その議論を聞いて歴史認識を作るのは聞き手なので、一方的な歴史認識を聞かされるより、反対意見も聞けていいと思います。
要は聞き手の歴史認識が偏向せず、選挙権を行使するための政治的決断ができるようになれば、テレビの討論会の目的は十分果たされていると考えます。
>歴史認識に関しての主張に異論がある学者、あるいは新聞社の記者やら論説委員やらと直接対決できるとしたら皆さんは受けて立ちますか?
また勝つ自信はありますか?
ゲームを楽しもうとしておられる感覚で私は質問の趣旨に賛成できません。「勝つ」「負ける」の問題ではなく、民主主義社会では、多様な意見の持ち主がむしろ存在するのが望ましく、民主主義は多数意見で政治が動いていくシステムです。一時的な議論の勝者がかならずしも歴史的に正しい判断を下したかは別問題です。
ご回答ありがとうございます。
>ゲームを楽しもうとしておられる感覚で私は質問の趣旨に賛成できません。
おっしゃる通りです。
ただ、全ての人がそうではありませんが、近年ネット上でのみ思想がかった意見を述べ、
特定の新聞やテレビ局を批判している人が見受けられます。
しかしそのような人が出てくるのはネットの、かつより匿名性の高い場所のみであり、
主張している内容も聞きかじりが多いように感じます。
そういう人たちには、批判したりバカにしてるメディアの人と面と向かってその主張をぶつける度胸はあるの?と思ってしまうのです。
おっしゃるような民主主義や国や社会について真摯な姿勢で、言論活動を行おうとするのならともかく、
ちょっとした鬱憤晴らしや優越感を求めての書き捨ては、まじめにやっている人に失礼に感じられます。
ネットが普及したことで、誰もが思うところを世の中に発信できるようになった半面、
こういう「思い上がり」や言論活動の娯楽化みたいな事も目立ってきてるのではないでしょうか?
自分は自分の信念や主張にそれほど自信はありませんし、素人に過ぎない分はわきまえたいので、
特定の政治的主張は避けています。
No.4
- 回答日時:
すみません、もしかしたら、質問者様が勘違いしてるかな…?
と思ったので、補足します。
もしかして、質問者さまは、「事実」と「認識」と取り違えてるのではないか、とふと思いました。
たとえ話として、Aさんの身長が175cmだったとします。
それで、Aさんの身長を「高い」とみなすか、「低い」とみなすか、というのは「認識」の問題です。
高いと見る人もいるし、低いと見る人もいるでしょう。
ただし、大部分の人には、175cmという「事実そのもの」には異論をはさむ余地はないと思われます。
そして、「事実」の面で言えば、結構なレベルで公正な立場で議論できる場があります。
例えば、
日本歴史学会
http://www.yoshikawa-k.co.jp/gakkai1.htm
では、事実関係が誤っている論文はきちんとした専門家によって弾かれますから、「事実」のレベルで錯誤が生じることはありません。
ですので、「きちんとした学会の論文発表」では、事実に関する点については、公正なルールの上での決着はつけることができると思われます。
これが「認識」の点になれば、繰り返し申してるとおりグダグダになりますが。
それで、質問者様が例に出された、「南京事件があったか?」という問題は、「事実」の範疇にカテゴライズされるものです。
それで、日本歴史学会で、「南京事件はあったか?」という論争が繰り広げられているか、と言えば、Noです。
というのも、日本の歴史学者で、「南京事件は無かった」と言っている人は、いないんです。
ゼロなんです。
なぜなら、「南京事件はなかった」という論(漫画家や元自衛官が言ったりしてますが)は、事実に基づいていないからなんです。
それで、
「南京事件は、世界史のなかのいろいろな虐殺に比べて大規模なものだったか?」
「南京事件を起こした責任はだれにあるか?」
「南京事件の実行者は残酷だったのか?」
と言ったような、「認識」のレベルの話になりますと、話は大きく違って、言いっぱなしで収拾がつかない状態が続いています。
まとめると、「事実」レベルでは、大学の史学科なりに進んで、論文を査読する人(レフェリーといいます)に見てもらえば、それなりに公正なやりとりができます。
論理が破綻していたり、事実を無視したりしていないかぎりは論文が通りますから。
しかし、「認識」のレベルでは日本のどこでも建設的な討論は行われていません。
(蛇足ながら、「南京事件は無かった」のような本が堂々と出版されているのは「血液型占い」や、「アポロは月にいっていない」の本が出版されているのと同じで、「そーゆーのが好きな人(信じたい人)」向けに書かれているだけで、学問的な話とは全く別だと思われます。)
ご回答ありがとうございます。
ちゃんとした学問の分野では事実認定の部分では厳密にされてるんですね。
恣意的な内容の出版物やネットの書き込みなどがつい目に入ってしまうのですが、
そういうものはトンデモと思った方がいいでしょうか?
一方、確かに認識の部分は個人個人の思想や信念が関係する問題ですから、討論で白黒つけるのは難しいかもしれません。
しかし、多くの場合こういう事は単に自分の主張を述べるだけでなく、
相反する意見の人への批判がセットとなっている事が多いと思います。
それならば自分のフィールドで一方的に言い合っているより、面と向かってやりあってはどうかと思うのです。
No.3
- 回答日時:
訂正
歴史学者の中には、論文を読む限り真実を言い当てるのに優れた能力を、人前に出るととても口下手になる方もいらっしゃいます。
↓
歴史学者の中には、論文を読む限り調査するのに優れた能力を持っているのに、人前に出るととても口下手になる方もいらっしゃいます。
No.1
- 回答日時:
残念ながら、日本では「議論」という言葉は、
「あなたの意見と私の意見が違う。違う原因を探ろう。原因をつきつめたら、なぜ擦れ違いが起きるのか見極めて、説得できるところは説得して妥協できるところは妥協点を見つけよう」
という態度のことをいうのではなく、
「私の意見は完全に正しくて、あなたの意見は完全に間違っている。だから間違っているあなたは正しい私の意見を知りなさい。間違いを反省しなさい。」
という態度のことになるので、質問者様の意見は無理になってしまうのだと思います。
悲しい現実ですが。
いわゆる「左翼」だの「右翼」だの、極端なことをいう人ほどそういう傾向が強いですが、極端な人ほど「自分は正しい」という信念もまた強いですし、始末に負えないことが多いです。
>歴史認識に関しての主張に異論がある学者、あるいは新聞社の記者やら論説委員やらと
直接対決できるとしたら皆さんは受けて立ちますか?
対決するのは構いませんが、時間の無駄になることは覚悟しなくてはいけませんね。
「勝つ」と言う言葉が「論争の結果、相手が負けを認める」ということなら、絶対に勝つのは不可能です。
何を言っても、相手が無理やりにでも反論(もどき)をすれば永久に議論(らしきもの)は続きますから。
ご回答ありがとうございます。
やはりそういう対決の場を設けるのは難しいでしょうか?
>「勝つ」と言う言葉が「論争の結果、相手が負けを認める」ということなら、絶対に勝つのは不可能です。
>何を言っても、相手が無理やりにでも反論(もどき)をすれば永久に議論(らしきもの)は続きますから。
そう思います。
一方的な勝利宣言や無理やりな反論で負けを認めないという結果は予想できます。
だからこそ公衆の面前での対決を求めたいのですが。
当事者がどう言い逃れしても、多くの人の目があればどちらに分があるかは自ずと明らかになると思いますし、
言った言わないによるごまかしもできないでしょうから。
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