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戦前の旧制中学では卒業時点(18歳前後)で英単語は1万1千くらいは要求されたらしいじゃないですか?
戦前の英語教科書の単語数が通算それくらいだそうですが。
今は3千以下ですか?あまりにも少なすぎじゃないですか?
3千じゃ何も読めないと思いますが。
英字新聞も読めないでしょう。
8千くらいにできないんですか?
小学校から教えるならそれくらいできると思いますが。

A 回答 (2件)

戦前の旧制中学はエリート養成学校の側面が強く、進学率は低く入学試験は難しいものでした。

その代わり、旧制中学の2年終了時で師範学校の入学資格が得られ、卒業すると旧制高校・大学専門部・士官学校などに進学することができました。

ようするに旧制中学とは、今で言う東大などに進学する超エリート高校のレベルだったということです。

今の中学校は、義務教育です。英語だけで1万語も覚えなくてはならないとすると、ほとんどの人が落ちこぼれるでしょう。
今の小中学校はあくまでも基礎学校であり、その後必要に応じて自分で勉強できるようにするための基礎学力を与えるのが目的です。
英語を話せるようになる、ということは高校や大学で学んだり、独自に語学スクールに行くことで目的を達成するものです。

日本語もまともに喋れない中学生が、英字新聞を読める必要はありません。
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こんばんは。



>戦前の旧制中学では卒業時点(18歳前後)で英単語は1万1千くらいは要求されたらしいじゃないですか?

Public Opinion 自体は、質問系のコーナーではルールに反していたような気がしますが、少し思ったことがあるので書かせていただきます。

結論から言わせていただくと、個人や一部の人たち(エリート)と、教育制度全般とは置き換えられないのではないかと思います。それは、明治時代でも、現代でも変わらないと思います。当時の人たちと、大きく違うのは、国語力の問題だけです。

現代でも、明治時代でも、誰もが英語の専門になる必要もないし、明治時代では、特別な教育を受けたり、学習した人たちは、社会的に評価を受けたけれども、現代は、ほとんど多くは官僚になってしまいますから、表面的には出てきません。特に、今は、主に外務官僚になるために勉強する以外はあまりいないのではないかと思います。一般庶民には関係のないというか、手の届かない話だと思います。

庶民で、少しお金がある人たちは、自分の子供を海外に留学と称して、英語圏で遊ばさせているだけの程度しかないと思います。挙句は、自由な生活の中でマリファナの喫煙を覚えて、その味をしめて、やがて日本で警察のごやっかいになるわけです。アフガニスタンで殺されてしまった、伊藤和也さんのように、日本で農業を勉強して、海外でその地域の人たちのために農業開発をしようと努力するようなことはありません。

以前、「お受験殺人」の時に、インタビューされた人たちの中には、「しょせん、(庶民が)子供に夢を託して、国立幼稚園など行くから、子供を殺されたり殺したりすることになる」という、とんでもない発言がありました。それは有名大学付属の私立幼稚園に通わせている母親の発言でした。私は、個人的に同じような思いをしたことがあったので、その発言を聞いたときに、とても悔しい思いをしました。

今では、差別的な内容だとされる『孟母三遷』も、それをする庶民の親は立派なのだと思います。英才教育を受けた人たちが必ずしも賢いわけではありませんが、外務省で、キャリア組と非キャリア組の差は、明治時代の貴族と平民そのものだと思います。今の社会は、階層社会が再び固定化し始めているのではないでしょうか。例の外務省の機密費を流用した人物などは、非キャリア組の単なるあがきであって、キャリア組は、冷ややかにみていただけで、自分たち自身の問題とは考えていません。

貧しいということでは、明治時代、野口英世さんは、英語に対する取り組み方はハンパではなかったようです。彼は、貧しい中で、苦学ということもありますが、貧しい中から這い上がろうと、強い意志があったのだろうと思います。彼の無心(お金を集めること)に関しては批判はあるのは聞きましたが、今の私たちの多くは、それぼとのハングリーさはありません。

現代において、明治時代とは比較できないほどの英語や語学を勉強する人たちは多いのですが、英単語の数の問題ではなく、語学によって何をするかという本来の目的なく勉強し続けることによって、何か大事なものが不足してしまうのではないでしょうか。
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