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旧日本軍が第一次世界大戦までの捕虜の扱いは世界が感心するほどすばらしいものでした。
(ステッセル将軍と乃木将軍の写真・交流による日本各地に残るドイツ職人直伝のパン・ドイツ人による収容所同窓会や第九等)
 しかし1945年時には「生きて虜囚の辱めを受けず」に変わってました。 もしWW1以前の日本人が捕虜になる事が恥ずかしいと感じたのなら、ドイツ人やロシア人に対してあれだけの親切さを示すことは無かっただろうと素直に思います。

 いったい誰が捕虜になった日本人に「虜囚の辱め」を与えたのでしょうか?
 便衣兵でしょうか? なにか知っていることがあればご回答ください。

A 回答 (2件)

日本は明治維新後、万国国際法を遵守する能力のある文明国であることを主張するためにも戦時国際法を遵守する必要がありました。

しかしそれは相手が文明国である場合であって非文明国に対して適用されるものではありませんでした。日華事変において支那は国際法を遵守する能力のない非文明国とされていましたから日本も遵守する必要はなかったのです。現に、1949ジュネーブ条約より前の戦時国際法には相加入規定がありましたから、相手国が調印批准していなければ日本も守る必要がなかったのです。

戦陣訓はむしろ武士道から来るものでしょう。しかし本来それは日本兵自身に向けられるものであって、敵軍兵士に向けられるものではなかったと思います。影響が無かったとは言いませんが。
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「虜囚の辱め」は、昭和16年の戦陣訓で述べられたものです。


直接には、陸軍省によって出されたこの文言が、自決主義の引き金となったと考えられています。

ただ、その伏流として、日本国内において、捕虜となった自軍兵士に対する冷遇があったという研究もあります(下記URLでまとめられている秦論文)。
>いったい誰が捕虜になった日本人に「虜囚の辱め」を与えたのでしょうか?
上記論文に即して考えると、日本の一般庶民ということになります。

参考URL:http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member …
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