プロが教えるわが家の防犯対策術!

悩んでいますので、皆さんのご意見をお聞かせください。

社会的なルールは秩序を乱さないために守らなければならないというのは前提です。しかし全てのルールを常に守れないというのも事実だと思います。そこで、ルールを破る際にどういう気持ちであるかが私は重要であると思っています。
例えば、自分以外見渡す限り誰もいない交差点では私は「信号無視」をします。でも心の中では後ろめたさを持って、「この場面では仕方ないんだ」と言い聞かせています。
こういう考え方(ルールを破るときは後ろめたさを持つ)がないと、「どこまでルールを破ってもいいのか」という判断ができず、ルール破りがどんどんエスカレートしていくのではないかと考えます。

しかしこの考え方を周りの人に言うと、「破っているという認識がない方」が「ルールを破っていると認識しながら破る」よりましだと言われるのです。

こういう考え方はおかしいのでしょうか。

A 回答 (5件)

そもそもルールとは人間の行動を制限したり縛り付けるものでなく、それがあることでより暮らしやすくなるものであることを理解する必要があります。



誰も居ない交差点は良い例で、後ろめたく感じるのは、信号の存在意義を理解しないノルマ優先主義の警官が往々にして隠れて見張っていることがあることを知っているからです。

認識があるなしでなく、ここはこうした方が私にとっても(他の人にとっても)ベターであると確信できるものかどうかです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

こういう内容をまとめた本をご存知でしたら教えてください。

お礼日時:2009/05/18 19:04

>意見をいただきたいことが伝わっていないようですので、補足します。


ってまず、これについて謝罪はないの? 案の定という気もするが。
そもそもどこに歩行者って書いてあるのですか。書いてないですよね。
これで相手に真意が伝わると思い込んでいる貴方は、子供のように甘えてますね。
それを示唆しようと、冒頭でつまらないギャグ飛ばしましたが。
こういう混乱を招く曖昧な質問文をアゲていることに対しては、
「後ろめたさ」は無いんですよね。普通多くの場合、ここで謝罪がありますよ。

その周りの人の意見というのが、何なのか? どういう意味を持っているのか?
貴方がその周りの人の意見というものを、貴方の頭の中ではどう捉えているのか?
まずは、そこが明確でない。
その周りの人の意見と、そしてそれに対しての貴方の意見との対比ですよね。
対比しようにも分からんことだらけでしょ。

貴方がそういう人だから、だからこういうことで混乱しているのだ、と。
私からの回答は、そういうことにしておきます。
後はご自分のために、ご自分でよく考えて答えを出すことです。
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信号無視って車で? ということは貴方は暴走族。

そして893の舎弟。
まだ未成年なので、悪いことをするのは気がとがめる。
そして893に怒られる。「やっちまえ。悪いことを悪いと思うな」
そう読まれても仕方ない文章だな。
管理者に通報して警察とも連携してもらい、信号無視の常習犯をアゲないとイカンな。
これを見過ごすことは、見過ごす側も罪を犯していることになるな。(冗談)

そもそも信号無視といえばニューヨーカーだ。何十年か前によく話題になった。
ニューヨークの人間はとてもよく信号無視をする。勿論歩行者の話ね(笑)。
法とはそもそも、人の為にあるものだ。しかし法は時に無用に人を縛る。
だから自己責任においてのみ、これを破るのは、それはそれでいい。
ニューヨーカーはそのように考える。それは彼らにとっては「合理的」という解釈。

そういう意味じゃないかという気もするが。その周りの人が言ってることは。

それ以上言いたいことも実はあるが、一旦ここまでと。
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この回答へのお礼

意見をいただきたいことが伝わっていないようですので、補足します。
ニューヨーカーが合理的と思い自己責任においてルールを破るのはそれで構いません。日本人でも。
しかしその場面で、本当にその行為が合理的と考えたのではなくて、何も考えずにそれを行っているとしたら、危険度が増した場面でも「この前信号無視したから今回もOK」という考えになるのではないかと思うわけです。(伝わりにくいとは思いますが。)
意見をいただきたいのは、その考え方がおかしな事であるか、またおかしくなければ、「何も考えずに信号無視する人」に対してどういう忠告をすれば良いかということです。
そのため、この考え方がおかしいということであればそれはそれでも構いませんので、また意見を下さい。

お礼日時:2009/05/20 14:14

「破っているという認識がない方」が「ルールを破っていると認識しながら破る」よりまし…とんでもない愚かさですね。


最近の人は(年寄りも若者も)赤信号でも平然と渡っていきます。車で青信号で通過しようとしていても車の目前を平気で渡るのです。驚いて止まるならまだマシで、中には逆切れする馬鹿までいる。そんな人間がこのような考えでいるのでしょうね。

最早、車は強者でも加害者でもなく、一番の被害者です。なぜならどんなに歩行者がルールを守らなくても警察は事務的に車の責任にしてしまうからです。
また、この考えで行けば、酔払い運転も全て無罪と言う事になります。酔っ払って判断が出来なければ何をやっても善い事にあるからです。
「限度がある」と弁解するかもしれませんが、酔ってしまって公園で裸になっても気がつかないのですから、酔っ払った人間に限度などあろう筈がありません。

地球は生き物のものです。決して車のためのものではありません。だから、歩行者が第一にあるはずです。ところが高度成長期より車が第一になってしまいました。
公安委員会は歩行者の安全より、車の渋滞を考慮して信号の変更時間を決めています。なので歩行者は雨の中でも雪の中でも延々と待たねばなりません。
第二に大事なのが予算です。企業の為には膨大な予算を使うのに、歩行者や生き物の安全のための予算は1円でも惜しんで出しません。
だから基本的に成人が誰も居ない夜中に信号を守る必要性などどこにもありません。逆に車は、車の規制の為に設けられた信号を護る義務があります。だから、誰もいなくても、車は信号を護らなければなりません。

ただし、車と人がいる場合は人も車もルールを護る義務を生じます。だから人も信号や横断歩道を守らねばなりません。私は、歩行者の法律違反が明確なら、車を無罪としてもいいと思っています。
そのために車は車載カメラを義務付けるべきだと思っています。自分の無実を証明するために。

昔アメリカの地方の学園都市に行った時、ほとんど信号がないのに驚きました。信号どころが横断歩道も街中には皆無です。そこは街中の上下2車線幅、日本なら絶対に30~40km制限であろう道が50~60キロ制限(換算)なのです。
不思議に思って聞くと「道路を渡るのは自己責任が当然でしょ。たったこの幅の道を渡るのに信号なんか必要ないでしょ」と逆に不思議がられました。
大人や子供もキチンと安全確認をして渡る。老人さえも確認して渡ります。車が混んでいる時は、適当な感覚で止まる車が現れる。歩行者が手を挙げて止まるように促したり、見るからに年寄りが渡っていれば、車は止まって待ってくれます。
すいている時はワザワザ車を止めてまで渡ろうとする人はいません。

なんだか設備が整っていてルールだマナーだとやたらに厳しい日本より、この町の方が遥かに礼儀正しい、ゆとりのある町であるような気がした。(ちょっと昔の事で、今のアメリカにこんな善い町が存在するかどうかは判りませんが)

本来は自分がどんな立場で、何をしているか判っていれば、夜中に信号無視して渡っても罪悪感などでないでしょう。私は、全信号を押しボタンにし、時間限定で、押したらすぐに車の信号は全赤にすべきだと思っているくらいです。
でも罪悪感があるということは安全を確認して渡るのだから、意識しないよりはるかにマシです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ルールを破っているという認識と言いますか、ルール自体の存在意味についての理解をせずに「ルールだから守る」というような考えの人に困ってしまいます。
はやりのインフルエンザへの対応についても、そういう人は訳がわからずにマスクをしているのかなあと思ったりもします。
こういう思想について詳しく書いてある本がありました紹介していただきたいです。

お礼日時:2009/05/18 19:23

おかしくはありません。



結論を言うと

「あなたの周りの人がおかしい」のです。

付き合いは考えたほうが良いでしょう。
「朱に交われば赤くなる」ともいいますし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
周りの人がおかしいとは思っても、そういう人が多ければこちらがおかしいと言われてしまいますので、対応を考えてみます。

お礼日時:2009/05/18 19:01

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