プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

神道といって一口に括れないときは氏子の多い教団なり神社なりの考え方で結構です。一人一教団みたいな得体のしれない宗教は対象外です。

1 通常、神は何処に存在していますか。神事に際し、神は何処に存在しますか。天空であるとか、神殿の何処であるとか、祭壇であるとか答えられますか。

2世界を見ると神事には犠牲の儀式が珍しくありませんでした。歴史上、この風習は日本にもありましたか、今日でもありますか。あった場合、神の要求があって応じたのですか、人間の自発によって行われたのですか。

よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

1に関しては、『定本 柳田國男集』第十巻、筑摩書房、で詳しく論じております。

その中でも『先祖の話』は神道を理解するのに圧巻です。この巻には他にも『日本の祭り』、『神道と民俗学』、『祭礼と世間』、『神道私見』、『神社のこと』、『人を神に祀る風習』が載っています。

中世までは、神が人間のところに来るのは、春と秋などの祭りの時だけで、その時に人間が神と一緒に食事をすることが、大変重要な儀式でした。それ以外の時は、神は空や深山の高いところに居られ、高みから降りてくる時の道しるべが、巨木のご神木であり、また、祭りの始めに焚かれるかがり火であったそうです。昔は日本では一日の始まりが日没の後の暗くなった時であり、かがり火はその祭りの日の始まりであることをも示していたそうです。その証拠に、今でも夕べとは今で言う昨日の夕方のことですね。ですから、昔の正月は、大晦日の夜から始まったのだそうです。そして、祭りが終わると再び神様は空や深山い帰って行ったそうです。したがって、普段はお宮にはいなかったのです。ところが、江戸時代の頃からその豪華なお宮に神様がいつも居られると誤解されるようになり、お百度参りのような奇習も出来てきたたそうです。

質問に直接関係はありませんが、古代の日本では、正月は一日(月立ち)の新月に始まったわけではなく、十五日の十五夜が正月だったそうです。その後中国から伝わってきた、月立ちを正月の元旦とする習慣を取り入れた後でも、日本人は小正月を十五夜の日に祝う祖先達の習慣を遺し続けたそうです。

以上は、書物ばかりでなく、足を使って日本中の古習を拾い集めてきた日本民俗学の実証的な研究により得られた結論のようです。私は自分自身が自然科学の研究者ですので、柳田國男のような、実証的で帰納的なアプローチの方のが説得力があり、好意的です。それに対して、どちらかと言うと書物だけに頼り、更に、演繹的なアプローチをする折口信夫の主張は、面白いことは面白いのですが、今ひとつ、説得されないところがあります。これはまあ、各学風の文化や個性の現れでもありましょうから、私風情がとやかく言うことではないかもしれません。

上の研究とは別に、平田篤胤の『霊能真柱』によると、ご先祖様は実はいつも我々の周りにいて、こちらを見ているそうです。こちらからご先祖様が見えないのは、丁度簾の中を外から見えないのと同じだ、と言っております。篤胤は彼の先生の本折宣長の意見に反対でした。その宣長は、ご先祖様は黄泉の国に居られ、盆暮れに帰って来ると主張していました。

2に関しては、柳田國男は全国の生け贄に関する言い伝えや古書を一杯調べ、少なくとも人間の生け贄が本当に在ったとは考え難いと言っております。

上で紹介した柳田國男の全集を図書館などで、第十巻ばかりでなく、他の巻も調べていると、いろいろな面白いことが書いてありますよ。
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この回答へのお礼

どちらかというと、教団や神社などとして組織化されていない謂わば個々の日本人が思い描く原初的な神像に重心のあるご回答なのかなと読みました。もちろんそれで質問に適っています。

1 通常、神は天空や深山に存在し、儀式によって身近な何処かに呼び寄せられ、祭の期間だけ留まるのですね。多分、陰暦の場合、待ち望まれている行事は月の出(日没)を待って早々に開始されるのが世界共通で、人間の心理に適っているのだと思います。待ち望んでいた行事は日付が変わった瞬間に開始したくなるのが人情みたいです。

2 もともとは神託を伺う毎に神殿を造るのが正式なのではないでしょうか。粗略なものしか造れない間はよかったですが、広壮な神殿を造れるようになるにつれ常設されるようになったのではないでしょうか。私の言うことですから保証はしません。立派な神殿には神が常在していると思いたくなるのは理解できます。願い事は何時生じるとも限らないので常在してくれないと不便です。

3 祖神の存在場所には最少でも平田篤胤説と本居宣長説の2説あることが分かりました。今日の仏教は本居説に近そうです。

4 日本には人間はもとより、哺乳動物の本格的な犠牲の儀がありましたか。農耕民族には馴染みにくそうですが、私の見当ですから当てにはなりません。

5 『定本 柳田國男集』第十巻、筑摩書房は少なくとも存在を確認し、何が書いてあるのか、ぱらぱら程度には確認しておくことを約束します。

有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2009/05/23 09:42

 回答番号:No.14 そうですか。


 匂い菖蒲は葉が濃い緑で、精悍な切れ味ですから、十五メートル離れても一目瞭然です。

:No.13 
・「煙仲間」なんていう運動があったのは初耳でした。
 ○湖人は、状況から活動の場面を去らなければならないし、社会の隅々で支える若者に魅せられました。何か役立ちたいということで全国的に展開した活動でした。
 ○小脳は延髄と連関して生命や感覚、この世のことにより関る部署と、私たちの教えは伝えています。これは医科学のいうことばや知見と異なるかも知れません。ビンディは眉間に赤い化粧をいいますね。釈尊たちにもそういう験しがありますね。その背後にアージュニャという位置があり、ビンドゥという延髄の位置と連動して普遍意識の機能を受け持っています。
・騎馬民族の税制は人頭税でしたか。私は同じ頭なら牛や羊の畜頭税に賛成します。貧者寄りの発想です。
 ○私は福祉の大学に46年いまして、もう6年前にやめましたが、多くの宗教者、思想家、活動者にめぐり合いました。
 モンゴルの方たち、そこにいく日本人たち。そういう人がおっしゃっていました。財産ではないのですね、課税の対象が。
 テントを決してでない酒の話は、聞いただけで咽喉がなるのです。
・しかし、ヒンドゥの考えは複雑でさっぱり分かりません。分かる予感がしません。ガンジス河流域にもインダス河流域にもkryaさんみたいな方ばかりが生活していたのでしょうか。
 ○私当然もしがない、低俗・卑俗なego(人)です。小学校低学年ではインド人とかガンディとかいわれていまして、とても嫌でした。
 断食したガンディーに似ていたのでしょう。偉大な魂、マッハ・アートマのガンディーには失礼です。
 聖なるガンジスには乞食まがいの方も、聖なる方もおられるが、なかなか見分けはつかないそうです。
 ヒンドゥの理論くらい簡明で、透徹したものはありません。
 つまらぬ理屈や演繹は致しません。
 ただ山を登れば見えるだけのことで、登らないでとやかくいうことはばからしい話になります。
 (もちろん、ご対応は適当でいいですよ。)
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この回答へのお礼

それではお言葉に甘えて、お礼代わりに<史実>をお伝えします。大変なことを見つけてしまいました。

どうやらkryaさんの前世は解脱前のお釈迦様を導いたバラモンですよ。子供の慧眼恐るべし。
ガンジス河畔にベナレス(バラナシ=Varanasi、表記は平凡社に拠る)という都市があります。ここにはガンジス河の河口から9番目の橋が架かっています。この80km下流の左岸に史跡、サールナート(Sarnath)があります。
この因縁によって、kryaさんは荒川の河口から9番目の橋の近くの左岸に住んでヒンドゥの道を説いているのです。これで謎が解けました。

サールナート(Sarnath)
《鹿の園の意。漢訳では鹿野苑(ろくやおん)》インドのベナレス近郊にある仏教遺跡。釈迦(しゃか)が初めて説法を行った聖地。アショカ王時代創建の石柱頭部の獅子像などが出土。

それにしても荒川は10kmに9本の橋、ガンジス河は1000kmに9本の橋!(正しくない?)

色々とお世話になりました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2009/05/29 22:30

 回答番号:No.13補足:


 二十数分の試行錯誤むなし。
 ウィンドウズのワードでやっているんですが、プロアトラスW2というのがあって、東京都葛飾区四つ木一丁目をなぞり、コピーすると、当該の地図が出てきます。
 荒川、綾瀬川を後ろに、松戸方面に向かい水戸街道の右側に細い水色の細い表示があります。この表示がめだかの小川ですね。多分位置的には、此処辺りです。技術がなくて、地図が添付できませんが。
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この回答へのお礼

水戸街道沿いの小川の位置は確認しています。どれがサトイモ科のショウブかは確認していません。花をつけていない限り、外形からは識別できないと思います。何人かに訊いてみましたが、そもそも2種の違いが通じなくて判りませんでした。
船着き場の方は行っていません。船着き場の位置は判ります。しかし、もう十分です。アヤメ科のショウブとサトイモ科のショウブとは異なることも、薬効があるとされているのはサトイモ科の方で、端午の節句にはこちらの菖蒲湯であるべきことも分かりました。お手数を掛けました。
重ね重ね有り難うございました。

お礼日時:2009/05/28 20:36

 瓊瓊杵尊がアマテラス自身として享けたものなんですか。

所謂る形見・形代ですね。
どうしてもそういうのを必要としますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“煙の仲間”という字並びから下村湖人の“煙仲間”運動を連想してしまいました。
 ヒマラヤよりももっと人に近いよ、みんなの中にいるよ、という意味でしょうか?
 線香の煙は、地上の私たちの心を天の父と母に繋ぐものとされておりましてね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「神、人を喰らう」
 はぁ、異人論を書いた、赤坂 憲雄さんとお仕事されている方でして、異人論同様読みやすく、示唆的なものです。数時間で読了します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ☆ 共同体が平和な間は女性尊重なのが人類共通の認識みたいです。女性は豊穣の証みたいです。原始社会には見るからに豊満な女性像が存在しても男性像は見ないようです。(土偶も地母神もね、そんな女性がいますね)男性像が登場するのは共同体が平和でなくなってからではないですか。肉体労働の価値が高まって、つまり、ソクラテスの時代のようにポリス間の戦争に明け暮れるようになると男尊女卑に転化するみたいです。
○私もこのことを痛感しております。最初は女性性であったと。農耕の社会の最初には、特にこのことを痛感します。騎馬社会でも根底にはそのようそうですが、大規模な権力になると、男性性が出てきます。法というのは理性、定義、理論です。言語です。これは左脳の機能ですね。大規模な権力には必要な要素ですね。ちなみに騎馬社会のぜいきんって、そのテントに何人住んでいるか、なんですってね。ほんとうでしょうか。
○創造の当為、forceには相対的にpositive, negativeの磁性がある。上に向かうのが、つまりヒマラヤに向かうのが陽、呼び寄せられる側が陰という性質。相対的な、相互の相対的関係の性質です。シャンタヌ王を太極とすれば、本当は男女を超越しているのでしょう。でも一応男性となっています。そしてガンガが女性です。子供を生みます。八人。生まれると直ぐガンガ(川)につけて殺します。天界での約束ですから。これはみな原理で、ビシュマだけシャンタヌの懇請で残します。これは八原理の一つ、エゴです。エゴとしての自分性意識です。いろいろの原理が子供(offspring)として出てきますが、根源のシャンタヌとの血縁関係はビシュマを除いては途絶え、隠れてしまいます。それらは男性ですが、女性なるガンガ(ビシュマを残したときに、シャンタヌの許を去っています。)の中、その次元のことになります。精霊です。普遍意識、クリ(キリストやクリシュナの接頭語)意識のことです。平安でないとこれは意識できません。この世の根本はシャンタヌに対しては女性性のようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ★多神教の場合も、一頭地を抜く一神教的な「神の中の神」が必要なようです。人類には、どうやら序列が必要なようです。人類はチンパンジーの一種に過ぎないことの証明でしょうか。
 ○多分、これは論理性の一種かもしれません。どんな片隅もそれは最高神のforceと当為であり、全体が最高神の肉体と意識のなかである、という論理での認識です。ですからそこにいる、つまり置かれている主格は主格ではなく、最高神の意識が知覚している結果である、ということになります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ☆話は変わって、サトイモ科のショウブの件です。堀切の菖蒲園で確認しておきました。茶室の一輪挿しや渋好みの活け花には最適そうです。
水戸街道沿いの「めだかの小道(?)」と船着き場のものは未確認です。
 ○確認できなかった、ということですか?
 図版を添付します。うまくいくかな。あの地域は蓮池と竹藪、そして畑、農業用水路などばかりの「めだかの小道(?)」ばかりでした。もともとは浅草生まれ、育ちですが、学齢前後は荒川、綾瀬川をはさみ、あの辺り一体が私の遊び場でした。大きい人に連れらて、一日中遊びました。黄色い菖蒲は道端のどこにも咲いていました。
 多数の菖蒲もいいけれど、仰せのように茶室に一輪、二輪も捨て難いですね。
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この回答へのお礼

・ 乃木神社が乃木神宮になっていました。失礼の第一弾です。

・ とんだ煙違いです。私の高い所好きは「馬鹿と煙」の煙です。失礼の第二弾です。
「煙仲間」なんていう運動があったのは初耳でした。

・ 男社会を左脳の機能で説明するのは流石です。私は運動能力、小脳の世界だと納得していました。まあ、大脳の何かが何かだろうということは全然分からないでもありません。
騎馬民族の税制は人頭税でしたか。私は同じ頭なら牛や羊の畜頭税に賛成します。貧者寄りの発想です。

・しかし、ヒンドゥの考えは複雑でさっぱり分かりません。分かる予感がしません。ガンジス河流域にもインダス河流域にもkryaさんみたいな方ばかりが生活していたのでしょうか。

・ ショウブの話はNo.14で記します。都心から隅田川、荒川と川を渡る毎に空が広くなるのが判りますね。

有り難うございました。

お礼日時:2009/05/28 20:34

 ご質問とご回答に容喙する知識はありません。

読後の感想です。
 質問者さんをはじめ、皆さんのご造詣を興味深く拝読してきておりますという、参詣の拍手(かしわで)です。
・「皇室神道」の太陽神「アマテラス」祀りは、汎神論ではないのかも知れません。
 私はヒンドゥ発祥の教えを精進しておりますが、ご存じのようにかの地のそれは多神教です。それは一なる至高の意識の多なる様相ということです。一神教にして汎神論です。
 一なる至高の意識、一なる存在の無数の様相です。
 かの意識から発した語、清冽なるvibrationはヒマラヤの聖地から洋々として全てを抱擁する海原に没入していく、そのどの状態もかの意識の様相であり、当為force以外のなにものでもない、一にして多なる聖なる唯一存在です。
・神無月については、両神社の発祥と経緯がからんでいると存じます。
・人柱、そして人身御供ということばと、その事情を伝えるお話もあり、この両ことばがともにいろいろに使われてきております。
 古来も昭和に入っても私の近所にも大橋を架けるにあたり、犠牲者がでると人柱という言い方をしました。
 でも他民族のように祭壇上に人身や獣を裂く祭儀があったとは存じません。
 話を輸入してきていることは推量がつきます。
 また、創造界の実相をあからさまにする場面が、私たちのヒンドゥの教えに象徴的にあります。創造の最高神としてのクリシュナ(創造に入ることのない意識の面としてはクリシュナではないのですが、)が人を食するという相は、神が人肉を食するのではなく、教えの象徴です。 “神人を喰らう”という著述を10年くらい前に六車由美さんがだしていますね。これはどうも私たちのヒンドゥの状況ではなく、日本のことですね。( http://muguyumi.hp.infoseek.co.jp/ ) この事は連想して思い出したものです。
・ヒンドゥのでも、太極からの創造でも、太初存在が最初に出す(いだす)のは女性となっていますね。Shantanuが森で出会う第一妃(オウムvibration)SatyavatiはGangaですが、女性ですね。先ず女性。
 森というのはShantanu自身の意識の中という事ですね。
 何しろShantanu以外には存在はないのですから。主格も客体対象も、プロセスもまた行為もない。
・私たちも特定の願いを持たない、祈りでない祈りです。でも私は人品が卑しいのですが、悲しいことです。
・神の在所は(鎮まる座は)象徴的にヒマラヤです。でもあらゆる片隅が在所です。ただし、そういう信仰feelingとなって、そういう世界となるのです。
・日ユ同祖論を聞いております。共通のことがあることだけでは同祖は難しいでしょうね。真理、普遍的なことは、共通なことがたくさんなってもおかしいことではないですよね。交流とか、どう移動したか。この辺がも少し欲しいところと存じます。
・鏡:私たち子供の頃は、神社の鏡は人の心を見せるものだ、見るものだと、言われました。そして魂なんだと。鏡に関して、そこに宿るのかどうかを問題にされておられました。
 更に連想してきたのが、付喪神のことです。
 そして鏡は、子供のときはご神体だと教えられていました。ご神体を写し、象徴するものとして。
・最後に方位・方角のお話がありました。
 私たちは、人間の肉体がマイクロ宇宙であるといわれています。
 三重の体(三重の創造界)の内、幽体の頭蓋骨の中の一定の箇所がsahasrara、ここが神の在所です。北です。
 そして幽体の尾骶骨の一定の箇所が南。地上界ということです。
 最高当為の最高理念が梵の窪なる、百会。sahasraraに意識があり、地上である南を支配するのが理想ということです。
 そのための叡智が東、Ajna、眉間ですね。そういう方向となっている。ということです。しかし行は東に向かって行う。
 行と経験のことで、お話しするのは、部外者にはオカルト的でもあり、荒唐無稽でしょうから、省略します。
 (sahasraraとAjnaはDevanagariをアルファベットにしてありますので、スペルが違うかもしれません。)
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この回答へのお礼

――その後、判ったことーー
こういう記述を見つけました。
アマテラスが、瓊瓊杵尊が降臨するときに「この鏡を見ること、われを見る如くせよ」と言って授けた。
これで見ると、鏡はアマテラスの象徴で、鏡とアマテラスは同格のようです。鏡のある神社は確かにあります。アマテラスではなく、元々は人間であった者が神に昇格した天神社、東照宮、乃木神宮、こういう神社にも鏡があるのでしようか、忘れなかったら気をつけてみることにします。
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インドでも神々はヒマラヤという高山に存することが判りました。日本人の感覚と共通しているみたいです。私も高い所は嫌いでありません。但し、私の場合は煙の仲間で神とは無関係のようです。

「神、人を喰らう」は手にするところまでは約束します。読むか否かはそれからのことで、今は約束できません。

共同体が平和な間は女性尊重なのが人類共通の認識みたいです。女性は豊穣の証みたいです。原始社会には見るからに豊満な女性像が存在しても男性像は見ないようです。男性像が登場するのは共同体が平和でなくなってからではないですか。肉体労働の価値が高まって、つまり、ソクラテスの時代のようにポリス間の戦争に明け暮れるようになると男尊女卑に転化するみたいです。

多神教の場合も、一頭地を抜く一神教的な「神の中の神」が必要なようです。人類には、どうやら序列が必要なようです。人類はチンパンジーの一種に過ぎないことの証明でしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は変わって、サトイモ科のショウブの件です。堀切の菖蒲園で確認しておきました。色と大きさは食品のベビーコーン、形状はガマの穂に似て、野趣に富んだ俳味のある好ましい花でした。匂いショウブの謂れには納得です。好き嫌いに割れそうな香りですね。ハーブが流行ですから支持派も多いことでしょう。茶室の一輪挿しや渋好みの活け花には最適そうです。
水戸街道沿いの「めだかの小道(?)」と船着き場のものは未確認です。

有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2009/05/28 00:23

神社で宮司さんが祝詞をあげると、霊感のある友人が、北の方からパワーが来るといいました。

だから北東の鬼門の方の北斗七星が、神の場所かなと思います。犠牲、生け贄、身代わりについてですが、人が病気などの時、家の庭の植物が枯れたり、ペットに異変がある事が、身代わりかなと思います。
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この回答へのお礼

忘れもしない<2012年の人>ではないですか。
「貴人は南面す」といいますが、人ばかりでなく貴いものは南面するのでしよう。だとすると、神が北から来るのは正解みたいです。ただし、北斗七星は鬼門の北東ばかりとは限らず北西にある時間帯もあります。よって神の住処は北極星辺りに訂正してはどうでしょう。

「好事魔多し」といいますが、悪い事も重なります。つまり、「凶事魔多し」でもあります。つまり日常と異なる忙しさに見舞われると凡俗はパニクルのです。植物やペットのことは忘れてしまいます。連鎖反応で身代わりを差し出す羽目になります。うっかりすると己自身が生け贄になります。

お礼日時:2009/05/25 23:18

>誰が言い出したのか、多くの人が肯くのか否か、それは承知していませんが「J&J」という言葉があることはありますね。

JewとJapaneseの文化の共通性を認めたものでしょう。

参考になる自信はありませんが、私の個人的で大変狭い経験を紹介します。私はアメリカに住んでおり、ユダヤ人のある家族と大変親しくしております。彼等の身内の絆の固いことは大変な物です。アメリカではクリスマスより大きなお祭りがあります。それはサンクスビングデーという日で、クリスマスより約1ヶ月程前のお祭りです。ニューイングランド地方に初期に移民した白人達の飢えを救ってくれたインデアン達に感謝する日です。この時には、家を出て独立した者も含めて家族が親のもとに一同に会する日です。ところが、私の知っているユダヤの家族は、親戚一同が、なんと3、40人、場合によっては50人も集まってきます。そして、彼等の議論好きは大変な物で、この日には議論が最高潮に達します。たしか「ポーランド人が二人集まると、必ず3っの意見がある」という冗談がありますが、「ユダヤ人が二人集まると、必ず10の意見が出る」と言っても良いくらいな議論好きです。さすが、あの膨大は旧約聖書やタルムードを書き残す民族なのだ、と納得させられてしまいました。

ですから、私の狭い経験では、ユダヤの文化は、寡黙を善しとする日本の文化に似ても似つかない文化だという印象を持ちました。
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この回答へのお礼

最後の一行の、お説の言わんとするところには同感です。総じて言えば両民族は対極に位置するような印象です。

私の推測では、「J&J」には2通りの可能性があります。
一つはユダヤ人と日本人に対する否定的な観察です。つまりユダヤ人も日本人もいない場所での、こそこそ話です。都市生活者が資本主義の最先端部で、その仕組みを積極的に活用しようとすると何か臭みが発生するのかもしれません。
もう一つは土地を持たない人間や被差別民が都市で生活するためのノウハウは、高教育、専門職志向、資格取得、商業、金融などにあるのでしょうから、この方面から両民族に共通点が出てくることは考えられます。
私の体験ではユダヤ人成人男性から両民族のカルチャーといっていましたが、似ているといわれたことはあります。アメリカ国籍の人です。平均を下回ることはないと思いますが、まあまあ普通程度の知性の持ち主といってよい人だと思います。どの辺りのことを観ての発言かは判りません。
どちらにしても民族の特性として捉えるりは都市生活者の特性として捉える方が適切であるような気がします。ユダヤ人を云々する人は資本主義社会に於ける都市生活者を云々するべきだと私は思っています。
日本人の与える印象や評価も急速に変わってきている形跡があるし、何が本当かは私には判りません。

誤解はないと思いますが、これを読む第三者のためにお断りしておきます。No.9では
>>日本の神道はユダヤ教にすごく似ている。
日本の風習とユダヤの風習はすごく煮ている。<<
といっているのであって、文化が似ているか否かには何も言及していません。「J&J」を持ち出したのは私です。

有り難うございました。

お礼日時:2009/05/25 23:07

kamiという概念は、西洋のような人間っぽいものじゃないようです。



神道(あやしきみち)
あやしきなわけですから、正体がわからないってわけです。

ゲド戦記に<真の名>という概念が出てくる。
ゲドは人間の町を襲う竜の名前がわからず苦戦するわけです。
名前がわかれば招待がわかり、相手を手中に収められるのですが、相手の名前がわからないと、どう戦っていいのかわからない。

日本でも<諱>ってのがあった。
真の名なわけで、これは信頼した相手にしか明かさない。
本質そのものを現す言葉とされ、相手に真の名を知られると呪術で殺されると思われていた。

真の言葉 マントラ。
言葉が実体化して見えない世界から見える世界に現れ影響を及ぼすと信じられていた。

という考え方も神道の一部として取り込まれた。


山は神が住まうところとした土着の宗教も神道に取り込まれた。
出雲の概念も神道に取り込まれた。
出雲では不可知な領域を神の世界とし、特に死を人間の力では及ばない領域だとした。
だから 出雲大社では知っている人は大社の裏にある穴に詣でるそうです。

神社に鳥居ってありますが、一応 そこがこの世と神の世界の境目だと仮定している。
あくまで比喩であって、神社を潜ったら神の領域に入ったってわけじゃあない。
心構えを変えて、神聖な領域に入ったってことにしている。

通過儀礼の一つの成人式ってあります。
成人になったという見える線は無い。
が、いつもと違う格好をしたり、いつもと違う言葉を使うことで、通貨したとする。

ということで、心次第。


山を神の住まいとしていたが、そのうち山の麓に祠を作り、山に収穫した恵みの作物を届ける手間をはぶき、祠に備えるようになり、祠が神社になっていって、神社に詣でることで山に登ることなく、神に感謝を捧げられるって簡略化されていった。
神社に詣でる=山に住む神様に詣でる って同義にしたわけですね。

神社は神の住まいというより、神に感謝を捧げる場所として活用されたんじゃないかと。


生贄は古事記か日本書紀に土師氏が埴輪を作って殉死の風習をやめさせたって記録されているそうですが、実際は殉死(偉い人が死ぬとその部下も殺され埋葬される)ってのは無かったとわかっているそうです。

遺跡から葬られた馬の遺骨が出てきたとかありますが、だからといって生贄として使われていたと結論づけられていないようです。


日本の神道はユダヤ教にすごく似ている。
日本の風習とユダヤの風習はすごく煮ている。
だけど動物供養が無い。
何故ここまでユダヤ教の風習が浸透している日本において、動物供養が無いのかは不思議です。
仏教の影響があったのかもしれません。
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この回答へのお礼

1 ご回答にある「大社の裏にある穴」とはNo.7でいう日本で一番低い場所で、黄泉の国へ通ずる洞窟の入り口ではないのですか。うまく附合し矛盾するところはないように思えますが如何なものでしょう。

2 神は祭によって降臨し再び山へ帰る、こうだとすれば神社は神の住まいではなさそうです。「神社は神の住まいというより、神に感謝を捧げる場所」、この説には肯けます。

3 日本には犠牲は勿論、殉死の風習もなかったとの説ですね。権力者は相応に賢くて、損得勘定の現実論から人的損失の大きい大規模な殉死は望まなかったのではないかと思いますが、どうでしょう。何処の国も実際は兵馬俑とか埴輪などで代用させていたのではないでしょうか。身近な者や政治的に有能な者は己の分身として、この世に残しておきたいのが人情であるような気がしますが如何でしょうか。

4 誰が言い出したのか、多くの人が肯くのか否か、それは承知していませんが「J&J」という言葉があることはありますね。JewとJapaneseの文化の共通性を認めたものでしょう。神道がユダヤ教と似ているのでは当然です。
ユダヤ人は牧畜・遊牧民の末裔、日本人は農耕民の末裔、これで動物供養の有無が説明できませんか。日本には仏教が伝来する以前から犠牲の風習がなかったらしいことを考えると仏教だけでは説明がつかなそうです。己の仮説に拘るようですが、「犠牲の儀は狩猟・牧畜民のものであって農耕民族のものではない」、この法則は如何でしょう。ギリシャ、中近東の羊やアイヌ、北欧の熊など狩猟・牧畜民と犠牲の風習との相関がありませんか。中南米は、この法則から外れそうですが……。

有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2009/05/25 00:11

追伸2


1-2 霊界に関する、この考え方の出所は分かりますか。
事情が許せばご返事が欲しいです。

私の回答がずれてるようなので、再度、回答しておきます。
○ 宇宙空間の一部ではありません。 ということですが、その論拠は神道の教えには無く仏教の教えに見られますね。
龍樹『中論』に空(霊と同意語)とは「不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去」なるものであるとあります。「不来不去」がポイントですね。霊とは来るものでも遠くに去るものでもない。ということで質問者さんが住んで、生きている空間が霊界そのものということですね。
神道では鏡の向こう側の世界でしょうか。そこにある世界ですね。高天原もあるということで、日本以外、地球以外ではないということですね。地球外の空間ではないということを前提にすれば物理学上の次元と共通部分はまったく無いというのはないですね。一部訂正しておきます。
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この回答へのお礼

多分、読み取れたと思います。霊界の概念は仏教からきていて、高天原の存在する空間と同じ空間に存在することが判りました。
厳密化して下さって有り難うございました。

お礼日時:2009/05/24 08:18

再び、#3です。



>1-1霊界とは現代の物理学者がいう宇宙空間の一部にあるのですか、それとは共通部分がないのですか。

前に#3で挙げた平田篤胤の『霊能真柱』によると、本居宣長の主張する霊界の黄泉の国は物理学者が言う宇宙空間の中にあります。黄泉の国とは、月夜見の国とも言い、実は月のことであると言っております。篤胤はこの本の中で、天照大神の居られる天、即ち太陽と、伊邪那美(いざなみ) 命の居られる黄泉の国について、宇宙の創世及びその場所を図解入りで分析しています。

江戸時代、篤胤の頃はポルトガルやオランダからの知識が既に日本に伝わっており、地球が丸いことを知っておりました。その頃の日本の著名な哲学者の三浦梅園は地球の中心に向かって重力があることを受け入れて地球には上下がないことを主張していましたが、篤胤はその意見を受け入れることが出来ず、この宇宙には上下が在ると主張していました。そして、始めは一塊だったのですが、清い部分が宇宙の上の方向に向かって分離上昇して、天、すなわちお天道様(太陽)になり、汚濁の重い部分が下に沈んで黄泉、すなわち月になったと主張しています。昔まだ完全に分離する以前に、地球はその下にある月夜見の国と繋がっており、その繋がりの黄泉平坂(よもつひらさか)の洞窟の入り口が出雲の国に在ったと主張しています。伊邪那美命はそこから黄泉の国に降りて行き、また夫の伊邪那岐命は命からがら、その洞窟の入り口からそとへ逃れてきたのだと説明しています。

また、ヨーロッパや中国の故事を調べ、ヨーロッパにはノアの大洪水が在って、全体が水の底に沈んだ時が在ったこと、中国でも昔やはり大洪水が在ったが、中国の全体が沈んだとは書いていないこと、ところが『古事記』にも『日本書紀』にも、大洪水のことが書いてないことを証拠にして、日本はこの上下のある地球の最も高い、したがって最も天に近いところにあると結論付けております(注)。このようにして、日本が何故神国と呼ぶにふさわしいかを論じている訳です。日本から遠い程低い位置にあるので、ヨーロッパがその大洪水の時に完全に水に沈んでしまったのだと考えた訳です。日本も外国もこの地球上で海を挟んで上下に浮いているのですが、その日本の中で、最も低い部分が出雲であり、そこに上で述べた月夜見の国へ降りて行く黄泉平坂の入り口が在ったと考えております。

#3のところでも紹介したように、我々の周りに常に居るご先祖様の霊を我々が見ることが出来ないことを、簾の原理で説明したり、また、外国では在った大洪水の話が何故日本にいないかを本気で調べるなど、篤胤のこの本は、昔の人も一生懸命いろいろな知識を合理的に理解しようと努力していたことを示す興味深い本です。昔の日本人がこの宇宙をどう考えていたかの一端を教えてくれると言う意味でも面白い本です。

岩波文庫で手に入りますから、読んでみられることをお薦めします。古文で書いてありますが、最初の数頁を我慢して読み進めば、同じ日本語で書かれてあるので、そのうちにスラスラ読めるようにないますよ。江戸時代の日本語は、平安時代の日本語より遥かに現代語に近いですから、読み切れると思います。

(注)平田篤胤『霊能真柱』(岩波文庫、1998年版)pp139~144
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この回答へのお礼

霊界は現実の世界に共存しているとの説ですね。
お蔭様で、だんだん分かってきたような気がします。当否は承知しませんが、神道の背後には国学者が控えているらしいことに気がつきました。今まで神道の理論的指導者を意識したことがありませんでした。
cyototuさんの第一声はNo.3の「『定本 柳田國男集』第十巻、筑摩書房」ですから、これに目を通すことが先決なのでしょう。『霊能真柱』と併せ、所在を確かめておきました。
わざわざ有り難うございました。

お礼日時:2009/05/24 08:07

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