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人は死んだらどうなるんですか?
学校で先生に聞いたのですが、よくわかりません。

A 回答 (12件中1~10件)

11の補足というかあくまで自分の希望なんですが、もしPC間でデータを移すように脳内のネットワークを外部のハードウェアに移す技術が発明されれば、永遠の命が手に入るんだろうなーってたまに考えます。


仮にそんな技術が発明されても倫理的に許可されない可能性も大きいですし、出来たとしても数百年後だと思いますけどね。
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人の意識とは脳にある沢山の神経によって構成された電気的なネットワークです。

つまり様々なソースコードが組み合わさって出来ているソフトウェアのようなもので、それ自体が一つの物ではなく集合体なのです。よって一部の神経が死に始める事によりネットワークの崩壊が始まれば、痴呆症等のように記憶が曖昧になったり、急に性格が変わったようになる人も出てきます。そして崩壊が進むとネットワークを維持できなくなり、一般に意識と言われるものは何処に行くでもなく完全に消滅します。逆にこの神経を増やしてネットワークを構築していくように、ソースコードを組み合わせて人工知能を作ろうという研究も進められていますよね。
ですから死を怖がりそのことばかり考えるのではなく、楽しい事を考えて一度きりしかないこの生を大切に生きるべきだと思いますよ。

まぁこんな時間にネットを見ている自分が言えたことではないんですけどねwwwww
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死後のことを説明するには宗教的な考えが入ってきます。

公立の学校では深入りしてはいけないことになっています。

宗教を信じている人は、魂は生き続けると信じています。「魂」というのは、「心」「精神」のようなイメージでいいと思います。体は火葬されて灰になったり、土葬なら腐って土に返りますが、魂は生き続けるとされています。

生前の行いによって天国か地獄に行くと説明されますが、「褒美として天国、罰として地獄」という意味ではないようです。

魂は性格によって済む場所が明確に区切られています。異質な魂が紛れ込むことはありません。ここが人間界と違う点です。天国には善人だけが住みます。何かあった時でも、完全に意思が統一されます。微塵の差もありません。

ゴキブリが暗くて狭い場所が好きなのは、そこが生活しやすいからです。明るく広い場所には天敵が多く、生き残れないのです。地獄行きの死者が地獄を選ぶのは、地獄が自分に合っているからです。日本では血の池地獄とか、針山地獄とかが地獄絵図などに描かれています。キリスト教などでは地獄ではライオンに喰われてしまうそうです。しかし、そのような光景を見ることが好きなタイプの人間なので、ついそちらに行ってしまうのです。やがては自分もその苦しみを味わうということも知っているのですが…。麻薬と同じで、たとえ自分が苦しくても、人の苦痛を見ることが止められないようです。
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人は死んだらどうなるのか、来世は存在するのか、


人はどこから来てどこへ行くのか、自分とは一体何者なのか、
といったことを、万人が理解できるように解説した書籍が存在します。

ネタバレになるので内容は解説しませんが、
こちらの書籍の著者は内容を信じてもらうことを求めていません。
理解することを求めています。
きっとあなたも理解できると思います。

[須月悠喜] 死んだらこうなる
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products …

参考URL:http://profile.ameba.jp/ifyoudie/
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これは非常に重要な問いです。



多くの人は、死んだら死んだとき、考えても仕方のないこと
と思われていますが、

死は100パーセント確実な未来、その死んだ後がわからないと言うことは着陸地がわからず
飛んでいる飛行機と同じで、不安です。

仏教では、この死んだらどうなるかわからない心が苦しみ悩みの根源と教え
その解決を教えたものです。


私のサイト、でもそのことについて布教使から聞いた話を載せていますので
ぜひご覧ください。

参考URL:http://ameblo.jp/kometti20/entry-10407187011.html
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多分、意識的には「熟睡」というのがそれに近いのではないかと思います。

夢は見ません。
毎晩ひとは死んでいる、ともいえます。一旦仮死状態になり再び、目覚めます。
死んだら2度と目覚めないということでしょうね。ま、何分きちっと経験した人が現世にはいらっしゃらないのでよくわからないところはありますが。

一旦死んだ以上、再び生き直したいとは思わないほうが良いと思います。それがかなっても、大方の場合周囲の人を不快に、おそらく恐怖に陥れるだけだと思われるからです。
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それがわからないから、世界中に、数多くの宗教が生まれてきました。


学校の先生も体験したことが無いのでわからないのが当たり前です。
あなたも死んで見ればわかるかもしれませんが、それを現世に伝えることが出来ませんので、結局この世の人間にはわからない事になります。
あの世なるものがあるかどうかすらわかりませんし。
少なくとも、こんな場所で質問して”正しい答え”が得られる問題ではないことだけは確かです。
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生まれる前に戻ります。


母なる地球と父なる太陽の下で。
私自身は「関係ありません」。
昔ギリシャの哲学者エピキュロスは言いました。
「死ぬ迄は死んでいない」
「死んだらもう関係無い」
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まず身内に迷惑がかかります。

入院していれば病院を往復する身内や知人がある可能性は高いわけですし、その後も葬儀屋やお寺に連絡して、どういうものであれ、葬式をする、ということになるのかもしれません。私の死ごときで、人の手を煩わすのは心が痛みます。できるだけ、まだこれから生きていかなければならない人たちの迷惑になりたくないです。できれば彼らの中の私の記憶も一緒になくなって欲しいと思っています。放っておくわけにはいかないでしょうから、私は遺体を焼いたら、その骨を大きな河にでも捨ててくれれはいい、あの冷たい石の墓に入れた方がラクだとうのならそうすればいいと妻や子供たちにしつこく言っはいます。でもこれはご質問の趣旨とは違うのでしょうね。
で、ご質問の趣旨をくんでお答しますと、死ぬということは、この糞社会からいったん逃れることができるということです。私は子供の頃から死に憧れていましたが、仏教的にではなく、私のカンとして、医学的な脳の死や身体の死の後も、魂(意識)が残ってしまうのだろうと嫌々ながら思っています。これだけの経験やねじ曲がった人格、悪意や善意が死んだらなかったことなるとは到底思えません。もし死によって何もかもがなくなると考えるのであれば、私の場合、生き方もずいぶん変わってきます。カード破産するまで、好きなだけ借金をしたり、気に入らない人間にも合法的に惨いことをするかもしれません。たぶん人を騙して金をせしめるかもしません。誤解しないでほしいのですが、これは仮説です。死後の世界がないと考えるのなら、つまり社会的倫理観や社会のルールを守る気持ち、というかそれらを破ることに罪悪感がなくなると思われます。当然、そうでない人もいるでしょう。これは自分を顧みたときの単なる可能性です。いい女がいれば強姦をするかもしれませんし、できうる限りの社会の不正に手を染めるかもしれません。死ねば何もかもなくなるなら、社会的モラルなど気にとめる必要はないでしょう?どうせ死ねば何もなくなるのに、どうしてこの社会のために働いたり、ルールを守ったり、ましてやボランティアなどの一銭にもならない社会貢献をしなければならないのでしょうか?「ここに生きている限り、よりよく生きよう。良い社会を作ろう」なんて崇高な精神をお持ちの方がいらっしゃるなら、会いたいものです。まったく見返りを期待せずに懸命に働く人がいることは私も知っています。そういう人は、現世的な枠を超えた見返りを期待されているか、良いことをしていると実感することが快楽なのでしょうね。それが彼らの利益なのでしょう。金が一銭もなく、死ぬほど腹が減っている時に、タダでおむすびをくれるコンビにのお姉さんはどれくらいいますか?この社会はギブ・アンド・テイクの精神にどっぷりとつかっています。それも物々交換ではありません。お金と品物の交換、あるいはサービスということが常識になっています。崇高な精神の人ではないなら、なぜ一生懸命勉強して少しでも良い大学に入ろうとするのですか?良い企業に入ろうとするのですか?いったい何のために芸術はあるのですか?あれは単なる時間つぶしの道楽ですか?涼しい顔をして芸術を語る、ああいう人たちは、その芸術の衣を借りて自分のステータスを上げて喜びを感じているだけでしょう?なぜわざわざ高い金を払ってセックスをしに風俗行くのですか?なぜ少しでも権威のある人物になりたいと思うのですか?どうせ死ねば消え去ってしまうのに。この世に本当の、イッツ・マイ・プレジャー(英文でなくすいません、教養がないもので)はあり得ません。「それが私の幸せです」と人のために働いたり、サービスをして、心に一点の曇りもなく「それが私の幸せです」と言える人がいますか?非常に疑わしいですね。良い人を演じることに喜び、つまり利益を得ているのですよ。それが金でないだけです。どうせ死んで何もかも失ってしまうのに。
つまり私の結論は、ほとんどの人が死ねばすべてが失われると考えているわけではなく、来世やあの世になんらかの期待(金でない利益)をしているということです。みな無意識のうちに、そうやってまっとうに生きることへの見返りを期待しているのですよ。だから、死ねば何もなくなるというのは詭弁です。死後の世界があるかないかは私にはわかりませんが、世界の圧倒的な人々が死後を恐れ、期待しているのですよ。ですからこんな話はそもそも不毛ですね。個人的な見解は、それぞれが持てばいいことですが、現時点での死後の解釈を知りたいのであれば、有能な哲学者に訊くしかありません。
私はおそらく死後の世界がないと、死ねば魂や意識まですべてが失われると、多くの人が考えているとすれば、怖くて外を歩けませんよ。なんだか世界の秩序を保つために、生と死があるように思います。これは何かの大きなカラクリがあるに違いない私は懐疑的に考えてしまいます。
これはすべて世界の偽善者たちへの皮肉として書きました。これが私の答えです。私は肉体は死んでも、何がしかもものは残ると、続きがあると考えています。
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「人」は死んだら動かなくり、やがて腐り、土になります。


人は生物だから他の生物と同じように生命活動が停止すれば分解されるだけです。

問題は、「自分」が死んだらどうなるか? だと思います。
ものを考え、自分は死んだらどうなるんだろうと考える自分は、
死んだらどうなるのか?
「人」という生物は、腐るらしいが、「自分」も腐り土になるのか?
今考えている「私」は消えてなくなるのか?

物質的な現象としては一般名詞の「人」とおそらく変わらないでしょう。
有機的活動が停止し、やがて腐り、分解されます。
それとともに「私」という脳の自我認識のシステムも停止する「であろう」と考えられます。
ここで「であろう」というのは、「自分」はまだその事象を体験しておらず、自分と構造的によく似た「他人」の例から推測しているに過ぎないからです。

つまり、「自分」から見れば、「死」という概念は経験されるものではなく、永久に自分の周りで起こることから「推測」される現象でしかないのです。
自分にそれが訪れるかは永久に「推測」でしかありません。

そして自分に死が訪れた時、自分はそれを経験することはできないでしょう。

話は簡単です。

・「人」は死んだらどうなるか?>腐って自然物に戻る

・「私」は死んだらどうなるか?>「私」が死を経験することはない

また、俗に<「魂」というようなもの=「私」という自我>は、
有機的物質の複合システムによって発生します。
故にそのシステムが停止すれば「私」という現象も停止します。
故に肉体が滅べば、その個体においての私という現象も停止すると考えられます。
しかし、「私」という情報は死後も他者が記憶し、他者の記憶という形で、「私」の姿は死後も存続し、誰かに影響を与えるでしょう。また自分の子どもも「私」の情報の一部である複製されたDNAを持って生き続けます。
かなりはしょりますが、そういった意味においては、
定義によっては、死後も「私」の一部は生き続けるともいえるでしょう。
ただしもちろんそれは現実世界においてあくまで科学的な現象として生き続けるわけで、
死者の魂のみが集まる死者の国というようなものは恐らく存在しないでしょう。
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