プロが教えるわが家の防犯対策術!

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平和ボケしてました。
POSOという動画を見ました。
インドネシア・ポソ県POSO宗教紛争のようすを
映した映像です。
悲しみと怒りでいっぱいです。
宗教紛争の原因はなんでしょうか?
宗教は自分にとってのもので、人それぞれ価値観?で、それが衝突する意味を感じません。
宗教を差別したり、強制したり、信教を理由に処罰食らったり、
宗教をなんやとおもってるんですかね?
ほとんどの宗教にそんな教えはないですよ。
偽善者、それ以上に自分勝手で非情悲惨です。
命をなんやとおもってるんですかね。
国とか、街とか、いろんな環境がこういうことをうみだしているのですね。
このような過酷な環境にうまれたがために自分に都合の悪い人を平気でおもちゃみたいに殺すにんげんになってしまったり、殺される運命になってしまったり。
環境が及ぼす物はすごいです。っていうか環境がすべてですね。
世界中が平和ぼけすればいいのに。
まぁ無理な気もしますが。
どうすればこういう事態は減っていくもんですか?

ほとんど愚痴になってしまいましたが、皆様が思われていることなんでもいいので、おねがいします。

A 回答 (10件)

シンプルに意見します。


1、宗教はその昔、犯罪多発の状況を改善して、平和な世の中を構築するために預言者であるモーゼとかマホメットとかキリストが広めた社会戒律です。
2、従って、内容は厳しいアメとムチ、すなわち戒律を破ると地獄に落ち、守れば天国に行けると説く。
3、簡単に改宗されると統一が乱されるので、他の宗教排斥を戒律に織り込む。
4、従って、他の宗教信者を攻撃する。

こんな具合です。特にイスラム教の戒律は厳しく、戦争になります。

現代は法治の時代ですから宗教は不要です。皆が幸せになれる社会システムの構築、すなわち、労働環境、子育て、福祉の改善充実、医学薬学の進歩等により宗教に依存しない社会を構築できると思います。
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まず宗教戦争の中でも多いのが宗派の違いによる争いです。


元々キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は同じ神を信仰している宗教で、さまざまな解釈の違いで違う宗教になっているものです。
宗派が違うといっても良いものです。
まるっきり神様が違えば、あいつの信じる神は違うという考えで済む場合もあります。
しかし同じ神を信じているのになんで違うんだ、あいつの解釈は神を冒涜している。という考え方になると、その神を冒涜している者=悪魔を叩きのめさないと神に申し訳ないと言う話しになってしまいます。

また、この考えがもっと範囲が広くなると、この神を信仰しない人間は神を冒涜している=悪魔を叩きのめさないといけない。
という考え方になってしまいます。
特に日本のような元からが多神教の国の考え方でなく、一神教の考え方だとそういう考えになる人が多くなります。

仏教も日蓮宗のようにあるお経だけを信仰するという宗派は他の宗派に対して非常に攻撃的になっている面もあります。

日本の宗教観は世界の中ではかなり異質なものです。
元々が多神教な上に同時に複数の神様を信仰することも問題ではありませんでした。
山に入るときは山の神に海に出るときは海の神に田畑の仕事をするときは農耕の神に・・・とその都度その都度自分に都合のいい神様にお祈りをして感謝をする。
そのために外国の人から見ると日本人は信仰心がないように見られ無宗教と思われたり、なんでも都合のいいものだけを取り入れるおかしな人種のように思われています。
しかしそうでなく複数の神様を祭ることが出来るから、年末などクリスマスをして、除夜の鐘を聞いて、初詣に行き、初日の出を拝み、子供にお年玉を上げて・・・というような複数の宗教行事を行うことに違和感がないんです。

そういう国に生まれそういう宗教心があるものから見ると、外国の宗教戦争はなかなか理解できないのが当たり前です。
逆にいうと日本のように複数の宗教や宗派を信仰して良いじゃんと世界の人が思えるようになれば、今よりも宗教戦争は少なくなると思います。
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(えらい長文になってすみません。

おつきあい頂ければ幸いです)

まず…よくPOSOをご覧になりましたね!?
私も小耳に挟んだことはありますが、あまりの衝撃とグロテスクさで
トラウマ確実と聞いて、決して見るまいと誓いましたよ。

それはさておき宗教紛争ですね。これから書くのは
あくまで私の個人的な見解であって、議論する意思はさらさらないことを
最初にお断りしておきます。既にお気づきと思いますが、
それくらい宗教というテーマは厄介なんです。
というか、だからこそ戦争になるんです。あ、半分くらい答えが出た。

阪神ファンと巨人ファンってたいてい仲が悪いですよね?
同じ分野の違うものを軸にしてできた集団同士って
互いを敵視する傾向が強いんです。加えて宗教というものは
個人の生き方・価値観を決めてしまうものです。そういうことを
「アイデンティティーの基礎が宗教にある」と言います。
○○教あっての自分、ということです。そこへもってきて
違う教えをアイデンティティーとする集団同士が出会ったら?
絶対とは言いませんが、仲が悪くなりやすいのは事実です。
私が先に「議論はしません」とお断りしたのはそれを避けたいからです。
よく似たものに「民族」もありますが、それは置いときます。

ただ、よく「宗教で争いになるのは一神教が他の神(神々)を認めないからだ」
と言いますが、これには疑問を持っています。はっきりとは反論できませんが、
「本当かな?知ったかぶりみたいな気がするぞ?」という気がするのです。
それは大体以下の理由によります。

・ローマ帝国(ローマ神話=多神教)がキリスト教を弾圧したこともあれば
 ヒンドゥー教(多神教)とイスラム教が対立することもあります。
・ヒンドゥー教のテロリストもいます。
・ユダヤ教は何でも程々をよしとするので
 ユダヤ教には原理主義はないと聞いたことがあります。
・キリスト教も他の宗教を偽りの神と非難しますが本来は愛と平和を説く教え
 (特に新約聖書)です。 事実、キリスト教を題材に書かれた小説
『カラマーゾフの兄弟』『クォ・ワディス』は隣人愛と平和を主張しています。
 例えば十字軍とか魔女裁判とかは
 クリスチャンがキリスト教を誤解した結果ではないかと言う気がします。
・私はイスラム教にはうといのですが、イスラム教で有名な
 「目には目を、歯には歯を」は本来、復讐のやりすぎを抑える教えと
 聞いたことがあります。「目を潰されたら目を潰し返すだけにしろ、
 命までは奪うな」と言う意味だそうです。

また宗教が人間性を磨いてくれる実例も無数にあります。
例えばマザー・テレサやマハトマ・ガンジー、シュヴァイツァー。
そして戦争の原因となるものは宗教以外にも多数あります。例えば
民族の長い年月にわたる対立、麻薬の生産・販売をめぐる利権など。

科学を推し進めて宗教をなくす、と言うのは恐らく不可能です。
科学者が科学の最先端を突き詰めることで逆に信仰に目覚めることも少なくありません。
また、人間という生き物自体が宗教を必要としています。
でなければ初めから宗教は存在しません。

くだくだ書きましたが、一言で言えば私の考えは
「宗教そのものは決して争いを生むようなものではない…はずだ」
ということです。でも現実には起きてますよね。だから厄介なんです。
人間同士がもっと広い心を持てればいいのでしょうけど…。
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世界の主な宗教は始原が殆ど一千年以上前のもので、その宗旨には現代の科学や常識と隔たっていることが多いです。

宗教の最もいけない点はそれらの教えを社会ぐるみで幼児教育として現代科学や世界共通の倫理に先行して教えこみ、彼らの人格形成の骨格になってしまっていることです。日本などは例外的に無信教的な社会ですが、欧米などの先進国も例外でなくキリスト教的な考え方で固まった人間が多数を占めた社会です。彼らは信仰の自由を理性では理解しても、感情的には自身の信教から離れがたく、宗教紛争の危険性を常に持っているといっていいでしょう。宗教は百害あって一利なしという立場からいろんな科学者が主張を始めています。私も世界から紛争をなくすには哲学としての宗教研究を除くすべての宗教を根絶する以外ないと思います。
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この回答へのお礼

育つうえで根っこの部分ってたいせつですよね。
先進国でもそのそうなかんじなのですね。
でも発展した方がましにはなるんですね。
人のこことろかに結びつく問題って難しすぎます。
宗教を取り除くのは不可能でしょうね。
回答ありがとうございます!

お礼日時:2009/05/28 12:00

>信仰していても人をころしてないひとだっておおぜいいる。


無論、そうです。しかし宗教でも熱心な人、いわば原理主義という方は宗教の為には殺人すら厭わない方も大勢いるのです。

>宗教ってもともと人をココロをいやす?ためにあるんじゃないんですか?
 少し違います。最初の宗教と言われるのは精霊信仰といえるのが最初の宗教と言われてます。
 大自然への恐れ、畏怖を神にみたてて、恐怖を抑える為に発生したのです。
 ギリシャ教(ギリシャ神話)とかそうですよね、太陽の神アポロンとか・・・北欧神話もそうですし、日本の神道もそいです。
 その後発生した一神教は違います。今、多く普及している一神教の神は全部同一人物で『ヤーウェ(エホバ)』と呼ばれる人物です。それを広めた人物によって宗教が違うだけです。
 そして元々、そのヤーウェの教えは人を救済するのが教えではないのです。神の教えどおりに人々は生きる・・・それが基本です

>そういう宗教を作っていった人たちは何を考えてそういうことにしたんですかね?商売ですか?
 色々理由があるのですが、一番多くの理由が『神の教えどおりに人々は生きる』という定義なんです。
 これは国家が国民を支配するのに非常に役に立ちます。
 ですので例えば現在のキリスト教は、国家を運営しつつ、国民を自由に操る為に都合よく変えられているのです。
 例えば『死海文書』はご存知でしょうか?、1947年から1956年にかけて、イスラエルの死海北西の要塞都市クムランの近くの11箇所の洞窟で発見された、ヘブライ語聖書の断片を含む約850巻の写本の集まりです。その中に紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれた聖書が含まれていました。
 その中に今の聖書とは異なる文書がいくつか発見されてます。例えば輪廻転生の記述です。これは今のキリスト教にはないものです。
 このように時の権力者に都合よく改変されたのでしょう。
そして権力者の都合の悪い宗教は異端の名の元、粛清の対象になりました。
 例えばキリスト教『カタリ派』なんかは有名ですね。これは時の権力者の嗜好に合わない為、数万~数十万単位で信者は処刑されました。

>なぜ信仰していても殺人をしない人がいるのでしょう?
 信仰の内容にもよります。
 例えば米国のキリスト教副音派というのがあります、これば米国に3000万人ほどいますが、この宗教は対外的な侵略戦争や核戦争を望んでいます。
 この宗派にとって侵略戦争とはキリスト教以外の宗教を根絶する為の聖戦にほかなりません。また核戦争が発生すれば神に祝福された自分たちが神の地にいけると・・・・本気で信じています!
 尚、この宗教を舐めてはいけません。米国前大統領のブッシュもこの宗派ですw
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この回答へのお礼

ていねいなかいとうありがとうございます!
No5~No1とよんでいってけっこうりかいしてきました。

たしかに昔は天気予報なんてないし、科学技術の発展もないですから、その予測不可能な自然現象への恐怖を抑えてくれる宗教。
人々にとってはかけがえのないものだったんですね。

1つのものから、かなり枝分かれして今多数の宗教があるってかんじですね。
国民支配ですか。恐怖を抑えてくれるありがたい宗教を手段に使うとは。
たしかに賢い方法ですが(汗
すべては統制のため。都合の悪いものを処刑するとは、どん欲さにはあきれますね。
ブッシュ!!やっぱりそうなんですか。
・・・・外的な侵略戦争や核戦争を望んでいます・・あたりで
ブッシュちゃうん??っておもいました。
こわいですね。
それを考えたら9.11の事件はブッシュにとっては、多大な犠牲が生まれた怒りの他に、宗教的な怒りもすごかったでしょうし、攻撃するチャンスだったんですかね。
宗教が人に及ぼす影響は、すごいです。
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2009/05/24 20:30

>ほとんどの宗教にそんな教えはないですよ。


ありますよ
 イスラムの有名な言葉に『右手にコーラン、左手に剣を!』
 というのがあります。
  要はイスラム教でない人には改宗を迫り、なければ殺してしまえってのが考えです。

 多神教である日本神道、仏教、精霊信仰にはない考えですが、イスラム教を初め、キリスト教、ユダヤ教のような一神教ではそのよな考えが根底にありません

>命をなんやとおもってるんですかね。
 神の教えの前には、人の命なんて些細な物なんです。例えば、キリスト教におけるノアの箱舟伝説のように、キリスト教の教えを守らないものは死して当然な命なんです。

>どうすればこういう事態は減っていくもんですか?
 世の中から一神教がなくなれば減ります
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この回答へのお礼

イスラムってそんなんやったんですねぇ。
きりすとも。
でもそれをいったら世界中が殺人です。
信仰していても人をころしてないひとだっておおぜいいる。
宗教ってもともと人をココロをいやす?ためにあるんじゃないんですか?
そういう宗教を作っていった人たちは何を考えてそういうことにしたんですかね?商売ですか?
人が作り上げた物に振り回される人。

なぜ信仰していても殺人をしない人がいるのでしょう?
地域や国によっての宗教依存度の違いのりゆう。

こういう事態を減らすにはそういう一神教を消すことですね。
環境を良くするには。人間が全員死ぬ。
でもそれが出来ないのが人間。だからいろいろハイブリッドやらでがんばってる。
宗教を学ぶ環境、周りの治安、社会の事はあんまりわからないのですが世界のトップがちゃんと管理とかしていけばなんとかならないんですかね?
黒人差別とかもだいぶ今ではましになりました。
まわりの意識をかえないと。
僕はこの事について悲しみを覚えたり怒りがわいたりしていますが。
やはり価値観で、自分の大切なもの、信じてる物は守りたいですよね。
この問題はほんとうにむつかしいです。
方法ないですかね。

お礼日時:2009/05/24 19:26

ええと、


世界の大多数派であるキリスト教、イスラム教、そして大多数ではありませんがユダヤ教。
キリスト教もイスラム教もユダヤ教から派生した一神教で、一神教というのはどこも他の神を信じる事を禁じています。彼らにとって「改宗」というのは人殺しにも並ぶ重罪なのです。
だから原理主義者にとって異教徒は「人間ではない」のです。だから殺すことも厭いません。

インドネシアで大津波が起こった時にアメリカのある議員(複数)が「異教徒が神の怒りに触れて流されただけの話じゃないか、何で彼らを救う必要があるのだ?」と言ったひとが居て、彼らは発言を取り消していません。

このようなキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒もほとんど大多数は隣人に異教徒がいてもふつうに生活して交流できる一般市民です、ごく一部の原理主義者が先鋭的になっているのです。しかも彼ら先鋭的な原理主義者は、一神教である限り排他的な考えを捨てないのです。

いちばん効果があると思われる方法は、彼らに「神を見せる」ことです。それができれば根本解決になると思いますが、悲しいかな誰にもできないのはわかりますよね。
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この回答へのお礼

no5から回答し始めて、今やっと一神教をりかいしました。
人を殺すことを罰せない地域だからだめなんですかね。
そこまで治安とか環境が整ってないんですかね。
そういえば、こういったお国法整理とかってできてなさそうですよね?
法整理すれば殺人減らせるんでしょうけど、また法について争いとかありそうですねぇ。どこから手をつけていいのやらですね。
一神教とは奥深いです。
一神教がある限り、最低でもアメリカ議員さんぐらいの考えになるのでしょうが、そのほうが全然平和ですよね。
確かに神をみせれたら、手っ取り早いことこのうえないですね。
しかし価値観ってすごいですね。
僕は無宗教なので、こういう宗教によっての命の消しあいは「え?あほちゃう?」っておもいますが、その差が価値観の違いの力なんですねぇ。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/24 19:50

宗教というのは、人の考え方そのもの、と言えます。


例えば、金銭的なものであれば、どちらかが妥協するなどによって武力的な衝突を回避することもできるでしょう。しかし、「自分たちの宗教以外の考え方は邪悪な存在である」というような宗教を信じている人には、妥協はありません。相手方が自分たちの宗教に改宗する以外に、妥協点がないからです(しかし、それは相手の考え方そのものを否定してしまうので、相手も同様の考えを持っている場合、対立するしかなくなります)

また、No.1さんが仰っているように、宗教というものは世俗と無関係であることはあり得ません。
宗教施設を建てるには、土地や建設費などの費用が掛かりますし、また、信者からのお布施であるとかもあります。また、そのような宗教が、もっとも布教活動、宗教活動がしやすいような制度を作る、となれば、今度は政治への介入などもありますし、逆に政治の側が宗教へと介入することもあります。
歴史を紐解けば、欧州でキリスト教が広まったのは、ローマ帝国が国を支配するために、キリスト教を国教としたのが始まりです。
また、イスラム教との戦いである十字軍は、宗教の名を借りて、商人などがもうけを得るために、また、そのような外的を作ることによって国をまとめる、などということが背景にあります。

また、中東、イスラエルを巡る争いは、聖地を巡る争い、という部分も大きくあります。
イスラエルの首都・イェルサレムは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地になっています。それぞれの宗教を信じる人にとって重要な土地です。
しかも、そこにイスラエルの強引な建国によって難民となってしまったパレスティナ難民たちの憎しみ、彼らの正当性への訴えが加わります。こういう形で泥沼化していっているわけです。

原理主義は、実は、戦争の原因とはあまり関係がありません。
仏教原理主義は、実は、全く戦争とは無関係です。原理主義というのは、その聖典などに書かれている言葉を忠実に守ろう、という動きだからです。
仏教の場合、釈迦の教えに従って輪廻の輪から抜け出すために修行をする、ということになるだけなので、戦争になりようがありません(僧兵などがいるのは、むしろ、世俗化したことによります)
イスラム教原理主義が、戦いを、というのは、イスラム教が政治などについても触れている宗教だから、ということがあります。コーランなどには、「このような犯罪者にはこの刑罰を与えよ」など、統治などについても、細かく記されています。ところが、多くの「イスラム教国」は、それを守っていません。そして、多くの「イスラム教国」は経済的に遅れをとった状況にあります。すると、彼はこう思うわけです。「自分たちが貧しいのは、国が教えの通りに統治しないからだ。そんな国は潰してしまえ」 これが、イスラム教原理主義によるテロなどが起こる理由です。もっとも、そこには貧困問題などが深く関わっているので、完全に宗教だけ、ということは出来ないわけですが。
つまり、原理主義が危険である、というんは、その宗教の性質によるものとなります。

衣食足りて礼を知る、ではないですが、やはりまず大事なのは、それぞれがある程度、豊かになる、ということが大事なのだと思います。
ただ、経済状況などはどうしても相対的なものになるので、完全になくすことは難しいでしょう。ただ、それでも戦争を起こしづらい、起きてもなるべく軽い被害で済むような、そういう対処療法的な方策を重ねていくしかないのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!
的確な解説と考え、たすかります!

たしかにそれぞれの聖地でそれぞれが暮らせば平和ですね。
人のどん欲なきたないものがそれをよごしていったんですね。
KYってやつですね。
政治と宗教のかんけい、難しいですね。
国をも潰してしまう、おそろしいですね宗教心。
宗教に頼ってばっかりで、自分で何もしなけりゃわからないってこと、わからないんですかね。争ってちゃ、いきづまりです。
国もしっかりしないと
っていうのが簡単にはできないんですね。
たしかに経済はそれぞれの国で今は結構精一杯ですよね。
様々な面からコツコツとやっていくのが一番なんですね。
ワクチンとか学校とか水、食料などの支援は、人々に希望とか、安心?をもたらしたり。募金とかってそういう効果もあるんですね。
病気とか食料とかの支援って体面だけじゃなくて、争いもへらせたりするんですね。
すごく丁寧な回答ありがとうございました。
べんきょうになります。
人ってむつかしいですね。

お礼日時:2009/05/24 20:10

原理主義が問題だと思いますよ


日本も延暦寺に僧兵がいた時期もありますし、キリスト教は十字軍で他国を攻めて戦争してますから、イスラム教は今でも聖戦をやっています
宗教があるかぎりこの手の戦争は無くならないでしょう
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この回答へのお礼

宗教ってほんとうにむつかしいですね。
僕のイメージイスラム=争いのしきができてしまいました。
ニュース見ててもめだちますよね。
回答ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/24 20:13

宗教戦争というのは見方によって考え方も変わってきます。


例えば戦争をするとかなりの金が動きます。これによって儲かる国や人もいるでしょう。(かつての日本も朝鮮戦争で経済成長しました。皮肉なものですが。)
戦争をしたいがために宗教を理由として戦争を起こしている人もいるでしょう。

他には、宗教の教えに従って戦争になる場合があります。おおげさですが、もし『多くの人を殺して天国へと楽園へと送ってあげなさい。それが他人に対する善である。そしてこれを実行する君たちはこれを実行するためにこの世に残らなければいけない』という教えの宗教があったらこれは他から見れば殺人の理由にしかなりませんが、この宗教の教徒はこれが当たり前なのです。

アメリカの9・11テロがありましたが、あれも宗教が起こした犯罪と呼べるでしょう。ただ、この行為はアメリカを嫌う中東辺りの人からすれば英雄の行為です。

まとめて言えば、英雄の考え方・善の考え方の違いから宗教戦争は起こるのかもしれません。どちらにせよ戦争は許し難い行為であり、あってはならない言葉であると思います。
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