俳句は「言わぬがよし」それに~
俳句は「言わぬがよし」それに「下手がよい」のだそうですがわかるまでに相当な時間が要りそうですね。
で、この「言わぬがよし」「下手がよい」の意味するところをお示しいただければと思います。宜しくお願い申しあげます。
お詫びさせていただきます。ごめんなさい。
書きすぎました。言わぬが良し、とは、もしかしたらこの事かもしれない、と思います。
下手が良い、とは、本当は、"したて"に出る事(こうべを垂れる稲穂のごとく)が良い、と説教されている気持ちになりました。したてに出て語らない事が社会での生きる術ですね。
この回答へのお礼
ありがとうございました。
俳句には「読み方」があり、近年、俳句が読めない人が多くなっているのだそうです。ちゃんとした「言わない『作り方』」ができる人は「読める」と思いますが、そうではない俳人が増えているということでしょう。
主宰級(or 主宰)の onthewellさまには、この辺のところを雑誌の記事でお示しいただければありがたいです。
これはわたしの解釈です。主語をわたしにして「思っています」などと言った言葉を用いてはいませんが、わたしの考え方なので、ひとつの考え方として受け取ってみてください。……などと言わないのが美徳だったかもしれませんね。こういうのを不粋とか野暮とか言うんでしょうか。
「言わぬがよし」
あることをあまりに言葉で説明しすぎると空しさが残ります。空しいかどうかはともかく、言葉少なにしてそこからいかに奥深い世界を導くか、俳句の文字数はある程度限定されていますので、基本17文字でどれだけのことを言えるかの問題です。言葉で説明しなくとも、背景などを想像することができるのがよいというのです。
「下手がよい」
優等生ぶるのは鼻につきます。優等生とここで言うのは理屈先行型ということです。それよりも、人の感覚に訴える俳句というものは形式の美ではなくて感覚の美であるということです。だから、形式的には下手でもよい。むしろ下手な方が虚飾を払っていてよい。そうすることによって詠み手の素直な感覚が作品全体にみずみずしく映える。それがよいというのでしょう。ただし、もともとグロテスクな感覚を持っている人が「銀行強盗の目の前に一輪の菊の花」なんてのを詠んだとしたらいかがなものかと考えてはしまいますが。
結果として書いていることがonthewellさんと似通ってしまいました。重複する失礼をお許し下さい。
この回答へのお礼
ありがとうございました。
誤解を生じるといけませんのでコメントは控えさせていただきます。
言わぬがよし、がclementiaさんのことばであるとは、毛頭思っても居ません。これが日本の美であると思っています。語り尽くさない美が当然の美です。
お礼で、ひとつの考え方、と書かれましたが、そうではありません。clementiaさんは失礼な方ですね。私の書いた事、これがすべてです。
この回答へのお礼
非礼はお詫びします。
主宰の間の会話記録に取材したもので、それを一行目から切ってこられた御仁、やはり主宰級なのかなと想いつつコメントを書かせていただきました……onthewellさんのご高説は4番目になりますが、一つの考えというように書きましたのは他の多くのご意見を伺いたいからです。
どちらかといいますと受けた教育の影響で世の中に唯一絶対のコンセプトはないという考え方が身に着いておりましてこの点お含み置きください。『俳句朝日』『俳句研究』etc.の雑誌に普遍的な視座でお書きくだされば多くの人に資するでしょう。たのしみにしております。
言わぬがよし、とは、言い切らないことが良い、という事ですね。例えば、"桜の花びらが散るのが綺麗だ"、と言わずに、"落ちる花びらは、朝ぼらけに混じって消えてしまう"、というように相手にあぁこの事だったのか、と思わせる事が良いのだと思います。あぁこのことだったのか、と思う本人は、自主的に解明した喜びを自分の成果として喜びます。これが日本人風のやさしさなのだと思います。
下手がよい、は、技巧に走る事なく、純粋な着眼点が真実を語るという事だと思います。どんなにつまらないと感じる事でも、誰かが純粋に感じたことには、太刀打ちできない真実があります。下手が良いのは、真実はいつもカッコ悪いからであって、格好をつけた事は、確実に技巧の結果であると言い切ったのだと思います。
100人のうち100人がわかる事よりも、100人のうちたった一人がピーンと来る事が目的にかなった俳句なのだと思います。
この回答へのお礼
ありがとうございました。
ひとつの考え方として伺いました。
なお、「言わぬがよし」は私自身の言葉ではありません。
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示











