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こんにちは、僕はプロテスタント教派のクリスチャンです。聖書の解釈について質問させてください。

レビ記3:17(新共同訳)
脂肪と血は決して食べてはならない。これはあなたたちがどこに住もうとも、代々にわたって守るべき不変の定めである。

とあります。クリスチャンでも脂肪の類は毎日摂取しているでしょうけど、主の命令に反する事にはなりませんか?
キリスト教には一般的に脂肪摂取の禁止がないように思いますが、旧約聖書を軽視しているという事ですか?

A 回答 (4件)

そうですね。

私は自分を真面目だと思っていますが、それは神に対してであって、聖書に対してではありません。だから、神父様とも何度も喧嘩をし、距離を置いています。福音派(原理主義者)などに言わせれば悪魔そのものかもしれません。

旧約聖書の多くは歴史書であり、レヴィ記はレヴィ族の記録です。また、3章は生贄に関する決まりであって、日常の決まりではありません。火の生贄において捧げる部位を示しているのです。
現代的に理由を解釈する事は様々に試みられていると思いますが、美味しい部分を神に捧げよという事でしょうか。

聖書の一説だけを取り出すとどうにでも解釈が成り立ってしまいます。それに聖書はあくまでも説法の方便であって、絶対的なものとは限らない事を知らないと、科学も人も異教徒も同教の者まで受け入れられなくなってしまいます。
聖書における文章はどのようなシチュエーションで書かれているか、前後を含めた文章として理解しなければ、とんでもない間違いを犯してしまうと、私は確信します。
大切なのは「それが何を目的に書かれているか、何が言いたいのか」だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
文字を読むのではなく意味を読むのが大事だという事ですね。大変参考になりました。

お礼日時:2009/06/06 22:45

わたしもmichael-mさんの意見に賛成です。

(michael-mさんはおそらくカトリックの方かと思います)今度はプロテスタント信者であるわたしから。

聖書の解釈において人言性と神言性の二つの見地に分類するのは雑かと思いますが…。
「聖書は人間が作った(書かれる以前に長い口伝承の歴史があってこれも大切ですから、「作った」と表現します)書物」という立場でお答えすると
レビ記の資料は、P(祭司)資料と呼ばれて紀元前6世紀から4世紀の時代を背景としています。そして、内容は礼拝制度に関する規定です。

レビ記は、その時代の必要、その時代の限界、そして、レビ記の作者(レビ記は特定の執筆者の書き下ろしではなく、編集者というべき。)の意図を持った書物であると言えます。

レビ記にはすぐれて疫学的、衛生学的見地から「神からの禁止条項」として記述されている箇所が多いように思います。(特に11章から15章までの「清浄戒律」と呼ばれている箇所)「脂肪と血は口にしてはいけません」は供犠規定部分ではありますが、この見地からの禁止条項であると思います。
*ちなみに、紀元前4~6世紀にこんなこと書かれて読まれていること自体、日本の紀元前4~6世紀がどんなだったかと思うとすごいと思います。

旧約聖書ばかりではなく新約聖書においても、その「生活の座」を考察しないとmichael-mさんが言われる「それが何を目的に書かれているか、何が言いたいのか」がはっきりしないと思います。

ここまでがご質問について、聖書の人言性という見地からわたしが考えることです。
質問者様が問題としているのは「聖書の神言性」であると思います。
神の言葉として聖書の言葉を読み、それに従おうとされているわけですね。わたしもそうです。

わたしは、聖書に書かれてあることを神の言葉として読み、それに従おうとする時に、先に書いた「聖書にある人言性」について考察してからクリスチャンとしての行動を決めます。
紀元前4世紀の人が礼拝式をどのように行うのが一番良いのかと考えながら読んだこの箇所を21世紀の日本に住むわたしが、どのように読み、行動したらよいのか、と考えながら。

プロテスタント教会のわたしたちには、聖書を読んで、自分がどのように行動したよいのかについて判断する権利を一人ひとりが保持している教派的伝統があると思います。(カトリック教会がそうではないとは言いませんが 汗)
あなたがレビ記を読まれて、「脂肪と血は決して食べない」と決められるのであれば、それはそれでりっぱな信仰的態度であると思います。

でも、キリスト教って、プロテスタント教会であってもそのセクト(教会や教派)にいる人たちが同じように考え、行動しないとイライラしてしまうことありますよね。極端ば場合「おまえは異端だぁ」なんて断罪したりして。なんかおかしくて笑ってしまう時があります。

 わたしはまじめなクリスチャンとしてこれからも肉を食べます。21世紀の今は、日曜日の礼拝後の食事会の時に、スーパーで買ったお肉をたべて病気になるとは思えないので 笑)

あまりに大雑把な話ですみませんm(_ _)m。
ちゃんと聖書学を勉強された方が答えてくださいませんかね~。わたしの答えの反論もたのしみです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。旧約聖書を教典にしている他宗教でも肉全般が禁止というのは聞いた事が無いので、僕の読み方が悪いのだろうと薄々気付いていました。
仰る通り、現在僕は聖書を神の言葉と受け入れています。蛇足ですが、実を言うと僕は洗礼を受けた後も聖書を『神の言葉』とは受け入れられなくて、暫らく聖書の間違い探しをしていた時期があります(笑)

お礼日時:2009/06/06 23:34

旧約 古い約束ですね。

基本は新約聖書です。
新約聖書を読んでごらん、まったく反対の言葉がありますから
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
『聖書には矛盾がない』というのが僕が通う教会の教理なので反対の事が書いてあったらそれはそれで悩んでしまいます(笑)

お礼日時:2009/06/06 22:48

それをことさら強調してるのは、エホバの証人だけでしょうね。

また、刺激物という解釈では、モルモン教。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。なるほど。

お礼日時:2009/06/06 22:34

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