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「計算論的脳科学への招待」という単発講義で、レポート課題が出ました。身近なところから脳についての疑問を上げてそれについて考察せよというものです。考察は計算論的脳科学に基づいていなくてもいいです。

それで、「時計の音が気になって眠れない」のは何で(どのような脳の機能のせいで)かを調べようと思います。

少し調べると、「注意」という神経科学の用語があるそうです。
それについて、入門的に解説してある本を紹介していただきたいです(できれば日本語でお願いします)。

他にも、そのテーマに関連しそうなことを解説してある本があれば、紹介していただきたいです。

A 回答 (1件)

それは、神経症の中の不眠症と言うものを調べてみると良いと思います。

神経症と言うものは意識脳が意識をしている状態と言えます。意識脳とは左脳に在る意識の事です。

神経症に限らず人間の障害を作っているものが何であるのかを調べた場合に一つの共通点が在ります。精心疾患、神経症、自律神経失調症、広い意味では、悩みや苦しみと言う事になります。これ等に共通している事とは、自我意識が困り果てていて、考えが堂々巡りをしているという事です、もう一つの共通点は、自我意識が心の中で「何かと闘っている」と言う事です。

この二つの点を詳細に考察した場合に、気が付く事が在ります。それはスペリー博士の研究成果です。てんかん治療のために左脳と右脳をつないでいる脳梁が切断された人達の研究成果の事です。分離脳の研究成果には「左脳に一人の人格が存在している、言葉を持っている、論理的に物事を割り切ってゆく能力」と言う事が言われています。

又「右脳にも左脳とは全く違った人格が存在している、言葉を持っていない」と言うように書いてあったと思います。この二つの意識が二つの心の矛盾を生み出していると考察できます。そして精神疾患や神経症や、自律神経失調症や悩み、苦しみの大元になっているのではないかという結論が導き出されます。

すなわち人間の苦しみとは、左脳と右脳に在る二つの意識の矛盾と対立がその原因ではないかと言う事です。自我意識の心に感じる「圧迫感や罪悪感、或いは心の病の症状は」右脳の意識が自我意識を圧迫しているのではないかと言う事になります。

眠れない原因は「意識」をしているためです。「時計の音が気になって眠れない」と言う事は自我意識が無意識になれない状態になっています。人間の最高の状態とは「意識をしていない処に在ります」それは意識が在りながら無意識に任せている状態です。最高に緊張してしまう場面で「意識」をしてしまってうまくゆかない事を誰もが経験していると思います。是は意識をして(左脳の自我意識)で何かをしたり、考えた状態です。

もし仮に高い処に畳をセットして歩けと言われた場合にはどうでしょうか?意識をしてしまって無意識にはなれません、誰も見ていない処では普通に歩く事は出来ます。大勢の人が見ていた場合にも言えます。上がってしまって行動が普通にはなれない場合が在ります。この意識をした状態が、「時計の音が気になって眠れない」状態と言えます。これ等に共通している事が「意識」をするという事になります。

意識をしている状態が左脳の意識でいる、という状態です。人生に障害が出ている状態とは「左脳」で暮らしている状態と言えます。この事は聖書にも出ています。「天国に一番近い存在は幼子」と言うところです、是は脳の機能が未だ分化していないためです、大人の脳になるという事は左右の脳の機能の分化が完成に近くなるという意味が在ります。

左脳の機能は分別するところに在ります、物事を明快に割り切ってゆく事です。従って割り切れない問題には無能と言えます。又感情や感動には無縁と言えます、言い方を変えたなら無縁というよりは、良く理解できないという言い方が適当かも知れません。又その分別脳だけでは人生は成り立ちません、何故なら人生には割り切れない問題の方が多くあるかも知れないからです。

明日の事は計算できません、何故ならば論理的に計算できない要素が在るからです。「この人と結婚をしたら幸せになれるのか?」「自分の心を論理的に幸せな心の状態にしておきたい?」眠ろうとする、眠れない、人前で上がったらどうしよう。永遠の命が欲しい、死にたくない。

これらの問題には左脳は無力です。何故ならば左脳の機能には限界が在るからです、割り切れない要素が在るからです。割り切れる問題の事を有限という名をつけて、割り切れない事を無限、永遠という名前が付いています。従って人間の苦悩とは割り切れない問題を左脳で解決しようとしているところに在ります。

その解決方法が右脳の意識の登場を待つという事になります。それが「悟り」です。禅問答は左脳の意識では解く事は出来ません、どうしても右脳の意識「仏性」の登場を待つ以外にはありません。右脳には永遠を理解する能力が在るからです、言い方を替えたなら、もう既に永遠そのもで出来ているからです。お釈迦様の教えは宗教では無かったと分かります。その教えは究極の癒しの心理学、脳科学であったことが分かります。

精神疾患、神経症、自律神経失調症、悩み、苦しみとは、左脳と右脳の対立と矛盾の事です。言い方を変えたなら「心の矛盾」と言う事になります。精神医療の現場で学ぶ人たちに「心の病の原因は複雑に絡み合っていて分かりませんが、薬を出して置きます、良くならなかったら薬が合わなかったので、薬を変えてみます、薬が合うまで変えてみましょう、寛快が限度かも知れません、良くなるかも知れません?」

こんな事よりも「心の病の原因は心の矛盾です、その基を正すことによって完治はあります」と言う事を学んでほしいと思っている一人です。
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