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皆さんならどちらを優先させますか。

1)24時間看護が必要になった父。今は自宅療養で母が主に父の介護をしている。父は瞬き一つすら自由にならず、呼吸器も着用している。意識ははっきりしている。ALSという病気。いつ肺が動きを止めてしまうか(明日か、三年後か)、分からない。

2)父が病気になる以前(私が中学生の頃)、私の将来の夢を聞いた父は私に向かって「じゃあ一緒に店を開こう(父は私の夢と同じ関連の職種の仕事についていた)」と言ってくれた。よく二人で、こんなお店がいい、あんなこともできたらいいよね、と話した。
現在、私は約束した仕事を身に付けるため、自宅を離れて修行中(社会人ではある)。その後、父は発病し動けなくなってしまったが、その仕事をしているところを父にいつも笑顔で報告したい。田舎である実家付近では仕事(求人)がなかったため、親のすねをかじらず、ある程度の収入を得ようと思ったら、実家から通える範囲では無理だった。実家に戻り、自分で店を開いても、現実的に考えたら、仕事はないと思われます。

こういった状況のなか、仕事をやめ、24時間看護をしている母を助けるために実家に戻り、バイトをしながら実家生活をするか、父が嬉しそうに「一緒に仕事をやろう」といってくれた仕事に向かって走るべきか、どうしたらいいのか分からなくなりました。

皆さんだったら、どうしますか。
どちらが正解、ということではないとは思いますし、結局は私自身が決めなければいけないことではありますが、皆さんの意見を聞くことで、違った角度からの考え方がうかがえたら、と思い投稿しました。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

ALS患者であった母を6年間面倒を見たものです。

遺族です。こんにちわ。投稿の内容、よくわかります。これは、あくまでも僕的な考え方なんですが、よろしく。結論から申し上げますと、実家に帰られて、もう一度、自分の生活と、親父さん。お袋さんとの生活の再構築をされた方がベターだと思います。なぜならば、次の要点に絞られると思います。
(1)ALSと言う病気は、難病中の難病、と表現される病気。社会介護もありますが、患者の要望にはまったく追いついていないのが現状。お母さん一人では大変。(2)お互い年を食う。かつてには、親父さんと夢を語れたが、動けなくなった親父さん。これから、年をとるにつれ、あなたのお顔を見続けたいと思われると思います。(3)ALSにかかっていても未来はある。「いつ肺が動きを止めてしまうか」とありますが、この病気、人工呼吸器などを使っての体調管理、PCなどを使っての意思伝達の工夫、そして、目的を持った生活作りをすれば、親父さんにも未来はあります。それを支えるのは、お袋さんであり、あなただと思います。
自分の思いを遂げられないことについては残念ですが、実家に帰られ、親父さん・お袋さん、そして、あなたを加えた新しい生活を考えられたらいかがでしょうか。そこから、あなたの未来も再度、考えられたらいかがでしょうか?そのために。日本ALS協会本部のリンク先を参考にと添付しときましたので、一度、ご覧になってください。
あなたとお袋さん。前向きに頑張ってください。そして、親父さん、励ましてやってください。お大事に。

参考URL:http://www.alsjapan.org/
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体が不自由になって思う事は2つだと思います。


ひとつは、何事も無くすごせるわずかな時間を大切にしたい事。
これは家族にしかして上げられない事。

まるで普通の人間のようにしていられる時間の事です。
もうひとつは 赤子のように不自由でどうしようもない自分を助けて欲しい事。これはプロの方が頼りになると本気で思っています。
圧倒的な臨床経験の知識が絶対必要で その助けが無ければ気持ちだけでは対応できないと思います。 心理的なことも含めてです。

答えはとても考えられませんが 参考になる事が少しでもあれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

”わずかな時間を大切にしたい。”
そうですね。私も、そのためにできることがあれば、したいです。
私が夢であった仕事に付くことをほんとに楽しみにしてくれていた父が望む”充実した毎日”が、「私がそばにいること」なのか「仕事をして一人前になった私を見ること」なのか・・・そのあたりの父の感情を、もう少し汲むことができれば・・・と、はがゆいです。
職業柄、大学院をだしていただいていますので、実家に戻って、その道からそれた仕事をすることも、親に悪いような気がしています。

しかし、実際プロの力が必要なのは、事実ですね。現在も、ヘルパーや、訪問看護、往診、訪問リハビリ、訪問入浴などをお願いしていますが、他によいサポートの種類がないか調べて、母に教えたりするのも、私にできることの一つかな、と思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/09 23:33

私が今患っている病気はご質問者さんのお父様と深刻さのレベルが全く違う「寝て朝になったら逝っている日が明日か何年後かは分からないがいきなり来る」と医者に断言された程度の軽いものですが父親として考えていることを書かせていただきます。



前配偶者と離婚して小学校低学年から親子というより私と次男の暮らしを6年間以上共に支えてくれた私にとっての最高の戦友とも言える長男が高校を卒業してこの春家を出ました。

「大学に行かせてください。得意な科目とやりたい仕事は畑違いのため、情け無いが私立の大学に行くしかありません。学費は奨学金を貰いますがまだ親に迷惑をかけることがあるのは分かっています。お願いします。」

こう言いながら頭を下げる長男を引き止める理由は私には見つかりませんでした。

家を出る前日に初めて私の持病について話をしました。

「お前が成功するかどうかは俺は知らない。できる限りの協力はするつもりだが、4年間できるとは言い切れない。しかし、俺が逝ったら経済的には今より豊かになるようにはしている。お前はお前が笑える道を進め。その上で余裕があったら義母さん(私の再婚相手)と次男の事も離れていても時々考えてやってくれ。小学生のお前に家事を殆ど任せたようなロクでもない父親だったが少なくとも家族が力を合わせて笑って過ごしてきたと思っている。笑えなくなったお前が家にいるほうが俺は辛い。」

どこまで伝わったか、分かりません。

ただ、普段から「僕はアルコールは飲まないから世間で良く聞く『成人になった息子と酒を飲みながら語り合う』夢は持たないで。」と言っていた長男がビールとグラスを持ってきて一杯だけ付き合ってくれました。
(これはこれで大っぴらに言っちゃあ駄目な話なので「フィクションです」と書いておきます。)

赤ちゃんが泣いていると親はあやします、愚図っているとなんとか機嫌よくしてやろうとします、笑顔を向けられると喜びます。

何年経とうが親は自分の子どもが笑顔でいることを喜ぶものです。

すみませんが、回答とは言えない書き込みになってしまったこと申し訳ございません。
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この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。
父が口を利けなくなってから、悩む私を感じてか、母は「お父さんは、あなたの仕事の話を聞くのをとても楽しみにしている。あなたが頑張っている姿を2人で想像するのが楽しい」と言ってくれました。その言葉は、私を勇気付けてくれますが、物理的に実家に人の手が増えれば、24時間看護は楽になるはず。母の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまっていいのか・・・と思っていました。 もっと素直に、父と母の言葉を受け取ったほうがいいのでしょうか・・・

確かに父は「難病」と呼ばれる病にとりつかれてしまいましたが、病気に重いも軽いもないと思います。親となればなおさらです。そして、自分が風邪をひいたとき、頭が痛いだけでも気分がめいることを考えたら、父やcucumber-yさんの胸中は計り知れません。そんな中、お話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/06/08 06:30

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