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私は、世の中の常識・事の良し悪しは、理解しているつもりですが、その他のことでは、感覚的に物を見、判断し、言動に表すことが多いです。
なので、周りからは、ワガママ・奔放、気まぐれ、流されやすい、などの印象を持たれることがよくあります。

理論や理屈は、そんなに大切なものなのでしょうか?
そして、
感覚重視で生きることは、難しい(良しとされない)ことなのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

私は自分の人生を振り返るととても感覚的に生きてきました。


気持ち悪いことはできるだけ避けてきましたし気持ちいいことに対して素直だったのです。
そうすると面白いことに共感してくれる人達にたくさん出会うことができました。
みんな私は正直だからって信用してどんどん心を開いてくれるわけです。
おかげで自分は自営ですがそういう人達に支えられもうン十年と生計を立てられるようになったわけです。
もちろん遊んでるだけではだめで少しでも素晴らしい人間になるための努力は常に必要ですし、
約束はどんなに辛くても守らなくてはいけません。
口先だけの怠け者を相手にしてくれる人はいないわけです。
感覚的に生きる=自分勝手、我が儘ってことでもないと思います。
感覚的に生きても人の気持ちも理解して相手の立場にたって考えれると思います。
私のまわりの感覚型人間はみな一様に優しいです。
私の気持ちにたって一緒に考えてくれます。ほんとに救われます。
私の尊敬する先輩は自分を犠牲にしてでも他人を救おうとする優しさに溢れた人です。
理屈っぽい人は正論に固執して人の気持ちまで想像できない人が多いのです。
だから私も同じようにみんなに答えようと思います。
私は感覚型人間であることを誇りに思ってるしそういう人達が大好きです。
変わろうとは全然思いません。
こんなに素敵な人生はないと思ってますからね。
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この回答へのお礼

感覚重視で生きていると、自分が自由な分、責任や思いやりが必要なこと、奔放に気まぐれに、自分に素直に振舞えば振舞うほど、周りにいる人にそのシワ寄せがあったのだと気付きました。
自分にとって正しいこと、絶対だと思うこと、好きなものが基準で中心でしたが、その的をちょっと相手の心境を察するほうにずらすことで、私の居場所にも(どこにいても)自由で温かい空気が流れてくるのだと思いました。

他人と比べず、自分が自分でいることを、喜びたいと思います。
個性あっての自分が幸せに暮らせるように、感謝や気配りを学んでいきたいと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/16 22:10

【感覚だけ】で生きていて、自分の言動により周りへの被害が無ぃ状態ならば、問題は無いです☆



ワガママ・気まぐれ‥が周りの人にとって笑い話で済んでいなぃようならば、【感覚だけ】の自分を改善すべきかな☆と思います。

【理屈】‥筋の通った考え
【理論】‥思考の中で組み立て相手に説明する手段であり、予測する力を持つ知識です。

理論化するのには、現状把握力や思考力が伴います。こういった頭脳は生きてく上で必要だと思います‥少なくともマイナスにはなりません☆
要は【理論・理屈】の頭脳を持ち、言葉に出すTPOをわきまえることが必要!といぅこと。

こんな言葉があります
『思考しなければ、人生を容易に過ごせるだろう』
簡単な人間で終わります、人間性に深味は出ません。

『感覚で言動』『流されやすい』というのは‥自分が無く*行き当たりばったり*適当*といぅ風にも見られると思ぃますので、若いうちは許されますが‥年齢を増すにつれ良い印象は持たれなぃ×かもしれません

感覚も頭脳もどちらも備えられるのが人間なんですから、偏るのはモッタイナイことです‥
せっかく授かった脳ミソなのですから、フル活用しましょう!
深味ある人生を送って下さい☆
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この回答へのお礼

人間誰もが不完全であること、不完全な人間同士の摩擦の中で、揺るがない柱のようなものがあるとするなら、それは、個々の主張や感覚的な判断でなく、やはり、相手や状況を思いやったり、気にかけたりする“思考”なのですね。

感覚に任せて興味の向くまま、色々な世界を覗いては見たものの、浅い知識が足元に沢山転がっているだけで、意識しないようにしながらも、虚しかったのだと思います。

感覚重視に生きることをやめられるか――それは、これからも出来ないかも知れません。でも、そんな自分の立ち位置を認識できた分、心を他にも向ける必要があるのだな、と思っています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/16 20:12

あくまで一つの可能性ですが、感覚ばかりで生きる傾向が強すぎる場合、ADHD(注意欠陥・多動性障害)がある場合もあります。



ADHDは潜在的なものを含めると、人口の一割弱が持っているもので、直感力や洞察力が突出している人が多いようです。

エジソンやモーツァルトもADHDでした。

つまり、天才的と言われる人もかなり含まれているのです。

質問者様には潜在的にADHDの傾向があるのかもしれませんよ?

ストレス病やうつ病にかからなければ特に気にすることはないものです。

私本人が当事者なのですが、その経験から思ったことは、

ADHDだろうとADHDでなかろうと、質問者様はあまり自分の性質に逆らわずに生きられたほうが無難でしょう。

ただ、気づきにくさがあって気遣い下手なのかもしれませんから、積極的に感謝を表すことを気をつけられてはどうですか?

気づかないところで助けられていると考えていれば、気づかなくても何とかチャラにしてもらえる確率があがると思うのです。

人に感謝を忘れずに、はよく言われることですよね。
それを実践されたら、わがままと言われる回数が減ると思いますよ。
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この回答へのお礼

自分自身でも、周りの人や家族の反応から見ても、障害までの深刻さは、無いと思います。
しかし、大きなカテゴリーに遡れば、頭の良し悪しは別として、傾向として潜在しているものかも知れませんね。

気付く、ということは、確かに苦手です。興味の無いものをシャットアウトし嫌うせいか、自分のペースに忠実すぎるせいか、人より周りが見えなく、気付かないことが多いです。(周りを見て、何でそんなことまで気が回るんだろう?と感心するばかりですから…。)

そんな私でも、日々感謝の気持ちを忘れずにいたら、もう少し自由を実感できるのかも知れませんね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/15 22:50

感覚的に生きて成功する人は、感覚的に理論や理屈を理解している人です。



例えば作曲なんかはほとんどが感覚で作っているものです。
しかしヒットした曲は後からコード進行がどうの1/fゆらぎがどうのという理屈がついてきます。

まだ自分の感覚がしっかりできてないから、気まぐれや流され易いになるのではないでしょうか?
自分の間隔がどうかを周りに知らすことができてないからわがままに映るのだと思います。

自分の感覚がしっかり固まってくればそのあたりはそういわれることは少なくなるはずですよ。
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この回答へのお礼

自分の中の好き嫌いは、実にハッキリしているのですが、感覚的に興味があるものがとても多く、目移りしやすいです。
そして、すぐに飽きたりします。
その興味の中からグサッとくるほどの印象のあるものには、とことんの追求をします。辞書を引いてでも、哲学書を読んででも知りたいのです。
ただ、仰る通りに、その的が絞りきれないもどかしさ・ムズ痒さの中にいるのだと思います。
自分を見つけることは、そう簡単ではないでしょうが、探し続けていこうと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/15 21:47

最終的に判断して行動するの自分なのでそれでいいと思います。


ただその結果「わがまま・奔放・気まぐれ・流されやすい」
という周りの評価なのであれば
そこに洞察力も判断力もあまりないのでは?と感じました。

自分の核があるとして
それがしっかりしていれば感覚的に
「したいかしたくないか」
「いいたいかいいたくないか」で判断したとしても
「ワガママ」とはとられないと思います。
「そういう人なのだ」と周りは認識します。
なので、客観的に自分を見つめる視点と
周りの人への配慮があればよいと思います。
周りにマイナス感情を持つ人が多いということは
配慮に欠けているということなのではないでしょうか。

自分以外の人が同じ空間に存在すれば
人間関係が発生します。
お互いが心地よくあるには、配慮は必要不可欠だと思います。
できてない人も多いですが(^_^;)
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この回答へのお礼

自分の核、これは、ハッキリとあるような気がします。
譲れない、ポリシーみたいなもの、これがないと何も生み出せないし、表現できないので…。
だた、質問には書きませんでしたが、多くのことに両極端なものの見方をしてしまいます。感覚的に白か黒の判断をしてしまうのが常です。
多くの人が中庸・ソツなく・ほどほど、という部分になんとなく違和感を感じるのです。
自分の極端さ、二面性を認めたくないのかも知れませんが…
人と接する時は、できるだけ普通の考え方を意識し、相手のことを考えようと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/15 21:05

芸術とかスポーツとかでそれが長所となって表れてる場合はいいんじゃないでしょうか。


何にも無ければダメだけど。
要するに凡人なら社会に適応できなきゃダメだけど、
スポーツ選手のような人なら感覚的で、理論や理屈がかけていても賞賛されるでしょう。

何のとりえもない、中途半端な人間が「私は感覚的だから~」というと捉えようによっては人に合わせる努力をしない人だと思われるような気がします。
貴方が物凄く才能溢れる方でしたら貴方のやり方を誰もとがめないでしょう。
周りから非難されるということは、残念ながらそうでないということです。
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この回答へのお礼

私の中で、感覚が大きな意味を持っているのは、インスピレーションから生まれるものの見方や感じ方が楽しく、無限であるように思えるからです。

自分の評価や欲は、二の次と言うか、どうでもいいことなのです。
それに、この世になんの取り得もない人なんているのでしょうか…?

物事に裏・表、多方面からのものの見方や考え方があるように、人間は、もっと複雑で繊細なものだと思うのです。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/15 16:46

人間も動物ですから基本的には感覚で行動する生きもです。


ただ、人間は進化しすぎたため、更に文明が進歩したため
感覚的な判断を重視して生きる事は生きにくいと思います。

現代社会は、初めに理論ありですから、感覚と理屈、本音と建て前
バランスが大切でしょう

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

補足日時:2009/06/15 16:20
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この回答へのお礼

人間が進化したのは、より幸せに生きられるように、
文明が進歩したのも、より快適な社会であるために、
日々進歩する周囲に、追いつけない…と言う感じなのでしょうね。

自分の内部の精神性、自己哲学のようなものは、追求し続けていますが、それ以外に興味が持ち辛い、と言うことは、確かにあります。

バランスが大切だと言うことで思い出したのですが、他カテゴリーで本音と建前についても質問していました。同じようなことで質問してしまう…感覚重視行動は、こういうことなのです。

お礼日時:2009/06/15 16:03

No.2さんの仰る通り、


共感は(体験ではなく)経験から、
優しさと思いやりは経験プラス洞察力と知識から、
気配りと機転は経験・洞察力・知識プラス推理力から、
生まれてくるものだと思いますので。

感覚だけで行動する人が悪いとは言いませんが
(乳幼児はみんな感覚だけで行動しますものね)
(だから小さい子って時々恐ろしいほど残酷なんですよねえ)
友達にはなりたくないし、仕事の取引は更にしたくない、
というところです。
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この回答へのお礼

感覚だけ、というより感覚重視です。
そんな言動を好むのだから、確かに幼稚・子供っぽい、傾向は大いにあるのだと自他共に認めています。

世の中で個性と言われるものを抑圧して生きていくことが、感覚よりの私には、とても難しく思えるのです…。

勿論、私サイド以外の考え・個性が存在していることも認識していますし、そこから発せられる声は、貴重だと思っています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/15 15:17

理論や理屈といっても、それは結局感情と繋がっていると思います。


「完全に理論的に考えて行動した」としても、そうさせているのは実は感情です。
「完全に理論的な言葉を吐いた」つもりでも、実は感情丸出しだったりします。
そして、全て「理論で統制できる」というような勘違いをしている人は、往々にしてそれに気づかないものです。
又、理論や理屈をいくら振りかざしても、それに伴う感情が呼び覚まされなければ、結局人は変わらない。
(…でも私もそれを見失っていることも、ままありますが)
人間は感情の動物である、とはそういう意味なのではないか、と私は思うのです。

だから理論も理屈も感情も感覚も、実は繋がった一つのものだと思うのですよ。
感覚重視とか理論・理屈重視というような、分け隔て自体が、実は違うんじゃないか、と思うのですよ。
そう捉えれば、貴方のお悩みは少し楽にならないでしょうか^^
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この回答へのお礼

理論も理屈も感情も感覚も、繋がった一つのもの。
そうですね、そう思うと…気が楽です。

全てをバランスよく兼ね備えれば、問題ないのでしょうけど…。
問題ない代わりに、ちょっとサイボーグの様にも思えます。
人間は、不完全・未完成のところがカワイイのかも知れませんね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/15 14:34

ゴルフやりますか


タイガーウッズ知ってますか
彼のパターは感覚的です 引き換え 宮里藍のは 科学的に作られたまっすぐにふれる機械的なパターです アメリカにいって何年ですかね
全然勝てません あのパターを使っているうちは ダメな気がします
パターは感覚の世界です その世界のなかに 科学的とか理論的とか
をもちこんでも アマチュアならともかく プロの世界では通用しないんですよ パターで感覚を研ぎ澄まして それが他のショットの感覚を呼び覚まします 宮里は勘違いしています ウッズや石川遼に感動を覚えても 藍にはなんの感動も人には与えません 
感覚的でない人には 理解できないものでしょう
残念ながら その両方がうまく噛みあわないんでしょう
あなたが今、所属している世界が どちらを求めているかでしょう
感覚的なものを多く求めるところが ほんとは一番 たのしいでしょうしかし 非常に厳しいという両面を見ることになるでしょうけどね
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この回答へのお礼

ゴルフはしませんが、挙げて下さった3名の名前は、知っています。
ゴルフ界にも目には見えない事情が色々とあるのですね…。

ゴルフはしませんが、絵を描きます・詩を書きます。
感覚や感情が色や形、言葉につながった時、嬉しいですし、ヤル気が出ます。そういったコミュニティーに身を置くと、(アトリエとか)確かに多くを語る人は少ないですが、阿吽の呼吸のような空気が流れていて、心地良いです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/15 14:18

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