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百鬼夜行絵巻を観ると、妖しげな鬼だの何だのが列をなしておりますが、
彼らはどうして、手に経文の書を持って、読経しながら歩くのでしょうか。
そもそも彼らの徘徊する目的は、一体なんなのでしょうか。

A 回答 (2件)

もともとは付喪神(つくもがみ)達の練り歩く姿であり、あの姿が定着したのは「百鬼夜行絵巻」からでしょう。



なぜ、読経するかというと「死者の霊のお迎え」と信じられていたからだそうです。

申し訳ありませんがうろ覚えなので出展が示せません。
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この回答へのお礼

「死者の霊のお迎え」なんですね。なるほど。
しかし陀羅尼の札を見せつけられると逃げてしまうというのは、
やはり彼らが正しい存在では無いからでしょうか。
大変面白くなってきました。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/03/14 05:34

百鬼夜行(正式名ひゃっきやぎょう)は有名な霊現象で、本来は割れた茶碗・土鍋や皿が群れを成して夜の都を徘徊し、これを見た者は恐ろしいたたりに見まわれ、


一族・親戚までみんな死ぬと言われています。

これらは主に付喪神(物が妖怪化したもの)の仕業と言われてますが
そのイメ-ジが固まったのは大体室町時代以降であるといいます。

その頃は大陸との交易も盛んになって輸入品がぞくぞく町に溢れるようになり、
人々が物をあまり大事にしなくなったのが原因だと言われています。

しかし、その付喪神も最初の内こそ人々に恐れられていましたが
その内、ユ-モラスなものとして鳥山石燕などの絵巻物に描かれるようになるんです。元が物だけにその霊力も大した事はないらしいです。

本来の目的は自分を粗末にした人間を探す為に徘徊をしているんです。
色んな絵巻物が描かれる事で色んな目的や姿が変わり
その当時の文化を表していたんですね。

物は99年経つと意識を持ち、付喪神になると言われています。
でも、それだったら鑑定団に出てくるお宝がみんな付喪神になっていますよね。
要するに物を大事にしないと妖怪になるという脅しにもなる絵なんです。

以上、付喪神の元祖について述べました。

この回答への補足

下の方の情報と統合すると、付喪神となった茶碗や楽器が、自分たちを粗末に扱った
人間を捜し求め、念仏を唱えながら、その魂を求めていた、ということになるのでしょうか・・?
そうではなくて、各々の話は違う原点であり、茶碗達が経文を読んでいるのは、
後に鳥山石燕が付け加えたアクセントのようなものであって、そのころには、
その絵そのものの目的も、姿でさえも様々に説明されるようになった、ということでしょうか。
どうやら後者のほうが論を得ているようだと考えます。
nayamuotokoさま、考察のヒントを頂き、ありがとうございました。

補足日時:2001/03/14 05:34
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