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衆議院選挙が近くなっているようですが、自分の支持政党がよくわからなくなっています。詳しい方教えてください。

まず、自分にとって一番大切なものは何かというと、よく言われるような、経済でも福祉でもなく「自由」。

言論の自由であったり、思想の自由であったり、表現の自由であったり。じつは、当たり前のように享受してきた自由が、国家によって束縛されてはならないと感じています。経済の自由ばかりが優先されて、国民の生活上の自由はなんでもかんでも法律で規制しようとする最近の動きに対して、私はとても憤慨しているし警戒しているのです。

そしてアメリカ追従を止めにしたい。以前、構造改革という言葉がキャッチフレーズに使われましたが、アメリカ追従の経済や安全保障の構造こそ改革の対象であるべき。
というか、基本的には自主独立を目指すのは国家として当たり前なのだと思います。

ゆえに、戦争は絶対反対ですが、和平と自衛、自主独立の面から、非武装という選択はあり得ないはずで、非常に消極的ながら武装中立を目指すべきだと思っています。もちろん徹底したシビリアン・コントロールを実現した上でのはなしですが。

どの党に投票すれば良いとおもいますか

A 回答 (14件中1~10件)

民主主義の根幹は「最高の希望を選ぶのではなく、最悪の結果を排除する事」です。



貴方の第一の判断基準が“自由(特に表現の自由)”であるのなら。
それを妨げる様な主張、政策を提言している政党を排除する方向で考えれば良いのです。民主主義の基本は消去法です。全ての要求を満たす事は出来ません。

言わんとしてる事は何となく分ります。
単純化して話しますが、要するに…

・自民:○安全保障  ×表現の自由
・民主:○表現の自由 ×安全保障

~という事ですよね?
つまり“安全保障”と“言論自由”は両立出来ないのです。貴方にとって、どちらがより重要な問題なのかを考え、消去法で投票するべきです。選挙で“ポジティブシンキング”は絶対にしてはいけません。

勘違いして貰っては困るのですが。
この場合、自分が言っている「ポジティブシンキングをするな」と言う真意は。“投票に行く”と言う段階まではポジティブに行動して良いが、実際に投票する時の最終判断基準には希望的観測をしてはならない~と言う意味です。

つまり自分にとっても最も重要な“政策A”があるとして。
自民はAに反対だが、それ以外は全てOK。逆に民主はAに賛成だが、それ以外は全てNG。こう言った場合に…9割方OKなんだが、最も重要な政策Aだけが抜けている。しかし後は残り1割なんだし、信じて応援すればきっと目を覚ましてくれるだろう…等という夢を見てはならないと言う事です。

投票行動に於いては全く逆に考えなければなりません!
政党代表もマニフェストも演説も実績も全く評価出来ない…が、自分にとって最も重要な政策Aだけは守ってくれた。だから政党や政治家としてわ嫌いだが、ただその1点のみで評価し投票する。全てを失わないために、非力な有権者個人個人で出来るたった1つの事です。

P.S.
公明党支持者の投票行動を見ていれば分ると思います。
今、連立を組んでいる自民党とは、元々はかなり相反する政策主義でしたが。彼らは譲れない一番大事な1つのみを優先させ続けた。結果、10年前までは社民党とほとんど変わらない弱小政党だった物が。今や与党の一角を占め、重要法案にも確実に影響力を与える存在になっています。

最高の選択をするな。常に最悪を排除せよ…!
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この回答へのお礼

大変参考になりました

お礼日時:2009/06/26 14:35

支持政党はなくてもいいと思います。

政策をみていいなと思えば投票してもいいと思いますし俺は無宗ですが大胆な政策の幸福実現党に一票いれたいなって思ってます。

この回答への補足

公明党もそうなのですが、この国には政教分離は無いんですかね

補足日時:2009/07/11 04:07
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本当に自由を望むなら投票する側からされる側に回るんじゃないですか。

この回答への補足

自由を勝ち得るために起つというのは、かっこいい発想ですね。

補足日時:2009/07/11 04:04
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No8、No11です。




>No8さんは、文民統制の前提には言論の自由の制限が必要と
>お考えなのかもしれませんが、私にはそのロジックがどうしても理解できません。

言論の自由ではありません。
No8でも書きましたが、paeizoさんが書かれている「言論の自由」「思想の自由」「表現の自由」です。




「戦争反対という"思想"を非戦闘行為という行為で"表現"する。」

一民間人ならこれは許されるでしょう。しかし、シビリアンコントロールを受ける軍人にはこの表現は認められません。これが認められるなら「徹底したシビリアン・コントロール」は無理。

この回答への補足

そうですか。

補足日時:2009/07/05 00:21
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No8です。

ちょっとわき道にそれますが

>シビリアン・コントロールを貫徹するために、必ずしも国民の言論の自由が剥奪されたり、
>国民の意思統制を図る必要は無いのではないでしょうか?

軍人(現自衛隊員)も国民です。
私の友人にも自衛隊員は多数います。彼らが自由に発言したり行動したりする自由はどうなるのでしょう。将官クラスの人も知り合いにいますが、そのシビリアン・コントロール下で彼らは自由に発言できるのでしょうか。
現在の基準でも田母神元幕僚長は言論の自由が封じられました。

この回答への補足

軍はトップダウンで一定の規律にそって行動しなければ成立しませんが、万が一そのトップが誤った判断をしたと判断したとき、言論の自由をもってこれを世に問うという権利は隊員にもあってしかるべきではないでしょうか。少なくともこれが政治的圧力によって封じられるようなことがあってはならないと私は考えています。

田母神氏は軍の正当性を訴えてその発言が封じられたと記憶していますが、逆に言えばどこかの誰かが軍に対して批判的な発言をしても、彼と同じようにその発言が封じられる可能性があるわけですよね。それは大変に危険な状態だと思うのです。私は田母神氏の発言には否定的だけれども、軍の歯車として仕事をこなしながらも、物を言うことは許されていいと思う。処罰は歯車の身分を越えた実力行動(命令違反等)についてのみ処されれば良いわけで、言論や思想はあくまでも個人の自由です。

No8さんは、文民統制の前提には言論の自由の制限が必要とお考えなのかもしれませんが、私にはそのロジックがどうしても理解できません。会社と同じで、内部告発のできないような組織が健全な運営を行えるとは思えないのですよ。ゆえに、自衛隊を例に挙げるまでもなく現在の政権の隠ぺい体質は非常に不健全であると思うし、自由(リバティ)の尊重を標ぼうする政党を探しているわけです。

補足日時:2009/06/30 01:26
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自分で反国際連合党を作るしか無いような…



 日本は国連憲章の都合があり、米英仏中露の何れかに追随せねばなりません。武装中立を選択した瞬間に、常任理事国から攻撃を受けます。この軍事行動は国連憲章に合致した行動であり、開戦通告もいらない攻撃です。

 そこで考えるのが
米国追従…自民党・国民新党
中国追従…民主党・社民党
ロシア追従…共産党
の何れかです。
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この回答へのお礼

そうか・・・敵国条項なんてものがありましたよね。

お礼日時:2009/06/27 01:21

自由はとても大切なものだとおもいます。


・ということで自由民主党は自由です。ただ負ける予定なので政治は妥協の産物ですから、なかなか思ったままにはいきません。
・幸福実現党は面白いと思いました。北朝鮮が非常によくないのでここにキちんと釘さしたのはここだけです。
・民主は個人的には嫌いです。日本全体の平均が貧乏になるからです。国民がもらうことばかり考えていれば、こうなるんでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2009/06/27 01:09

難しい思想ですね。



言論・表現・思想などの自由を求めつつ、徹底したシビリアン・コントロールを求めるとなるとここには矛盾がある。

徹底的にシビリアンコントロールされたら自由じゃない!!
その支配下にある人たちだってpaeizoさんと同じ国民です。


paeizoさんは、自身はシビリアンコントロールの対象外であると想定しているのかと思います。そうすると、他人は不自由でも自分の自由さえ守れればそれでいいという思想となるのでしょうか。そうではないですよね。

では、何が大事なのでしょうか?
国家の自主独立を優先課題に掲げて、そのためには国民の一部の自由を徹底的に規制することを厭わないのか。
それとも国民には自由を認める国家がいいのか。

このあたりが難しくさせているのでは?

この回答への補足

言論・表現・思想の自由と徹底したシビリアン・コントロールは両立しない、というのは興味深い考察ですが、私は両立する、というかむしろ文民統制と言論の自由は両輪だと思うのですよ。

文民統制とは政治が軍部を統制するものであって、その目が一般の国民に向けられるのとは違いますよね。シビリアン・コントロールを貫徹するために、必ずしも国民の言論の自由が剥奪されたり、国民の意思統制を図る必要は無いのではないでしょうか?

すなわち、言論の自由・表現の自由は、軍や政府の暴走に対する抑止力として機能すると私は考えています。国民がネットや電波という世界に向けた窓を確保できていれば、国家が国際世論の目にさらされることを意味するわけで、おのずと、主体的な方法では無いにせよ、シビリアン・コントロールは遂行される。他の国から叩かれるから。まあ、他力本願な文民統制など自主独立ではない、といえばそうなのですが。

これまで、報道は真実を暴くと信じていたけれど、どうやら報道は時の政府の都合の良いように情報を操作しているらしい、と国民は気付きはじめているわけですよね?ネットの出現によって。そうなれば政府にとって都合の悪いメディアは、何だかんだと理由を付けて規制し、潰しにかかってくる。私に言わせればシビリアン・コントロールのため、もっと言えば文民を国民が監視するためにも、言論の自由がそれらに対する最大も武器となりうる、と考えているわけです。

補足日時:2009/06/26 23:16
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>まず、自分にとって一番大切なものは何かというと、よく言われるような、経済でも福祉でもなく「自由」。



ならば、政党を選ばない選択肢もあります。

悩みはどこの政党も支持できない、という問題であり、与えられた選択肢から選ぶという発想は「自由」の発想から遠いものでしょう。

似たような質問でも回答したことがありますが、
なぜ所与の選択肢だけで投票行動を考えるのでしょうか?

 所与の選択肢に制限されることに不自由を感じない人もいるでしょうが、
「自由」の内容について、自分で整理できているならば、政党政治という選択肢の発想の不自由さを感じないはずがないと思います。

つまり、私からすれば、「自由」を尊重するといいながら、思考回路は「自由」にない人の質問としか映りません。

>当たり前のように享受してきた自由が、国家によって束縛されてはならないと感じています。経済の自由ばかりが優先されて、国民の生活上の自由はなんでもかんでも法律で規制しようとする最近の動きに対して、私はとても憤慨しているし警戒しているのです。

という見解ならば、極めて簡単な政治思想が現存しています。
アナーキズムです。無政府主義と言われる思想ですが、日本にはアナーキズム政党はありませんし、アナーキストは政党を尊重しません。
政治結社は認めますが、それすらアナーキストは否定するでしょうし・・・

もし、あなたの考えを具体的に政治に昇華させたいならば、大滝栄・幸徳秋水などの著作を読んでから、「自由」を再検証されることをお勧めします。
 老生しているわけではありませんが、自由を尊重し、アナーキズムになる人は、政党政治という不自由さに我慢ならない人が多いでしょう。

 あなたがそうなるとは思いませんが、マイノリティの道なので、こちらの世界に来ないことを祈ります。

この回答への補足

言論の自由と表現の自由、イコール無政府主義ということでしょうか?極端ですね

補足日時:2009/06/26 19:15
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「自由が一番」というなら、


自民党の「上げ潮派」(小泉、中川、・・チルドレン)
民主党の冷や飯組(枝野、仙石・・・)
というような規制緩和、小さな政府主義が近いような感じがします。

アメリカの追従については、政策オプションというより環境与件に近い
と感じます。
日米安全保障条約というフランチャイズ契約を対等の双務契約だなんて
思っているのが間違いだと思います。
コンビニの本部と店の関係みたいなもので、共通の目標は共存繁栄ですが
本部の戦略は店長の意見なんかに左右されませんから。
ですから、政権が交代しても変化ないと思います。
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この回答へのお礼

上げ潮派は私の印象ですと、国民の自由を守ったのではなく、アメリカに対して自由化を行った人々という印象ですね。ちょっと違うかな。フランチャイズ契約というのは言い得て妙だと思います。

お礼日時:2009/06/26 18:02

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