正良親王と正子内親王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B5%AF%E5%B3%A8% …
上記によりますと
正良親王(仁明天皇)(810-850)
正子内親王(810-879)
の母親は橘嘉智子で、生年が同じなので双子だと言う説があるそうです。
橘嘉智子は他にも嵯峨天皇の皇子・皇女として
秀良親王(817-895)
秀子内親王(?-850)
をもうけています。
嵯峨天皇には他にも高津内親王との間に
業良親王(?-868)
業子内親王(?-815)
百済王貴命との間に
基良親王(?-831)
基子内親王(?-831)
をもうけています。
●良、●子というのはひょっとして男女の双子のこと?
なーんて思ったりしたのですが、まさかそんなことないですよね。
けど、●良、●子というペアの名前には何か意味があると思います。
例えば乳母から名前をとったとか。
何かご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
推測でも結構です。
よろしくお願いします。
回答(2件)
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こんばんわ。
私のつたない解説をお読みいただきありがとうございます。
>>小野妹子
この人も600年代ですよね。
>>「薬子の変」
これは、800年代ですよね。もう、この頃には「子」は女子に付けるものだったと考えられます。
また、言い忘れましたが、「良」の文字は「良人」と書いて「おっと」と読ませるように、身分が高い?(家長クラス?)・・・または、順位が高い?人に多く用いられているようですね。
この回答へのお礼
bungetsuさん、何度もありがとうございます。
良は身分の高い人と言う意味で
嵯峨天皇の皇子の名前につけられてるのですね。
ナットクしました~!
No.1ベストアンサー20pt
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
(1)正良親王(仁明天皇)と正子内親王は双子であった可能性が高いと言われています。
(2)その他の方々については、その時代の朝廷内で縁起が良いとされる文字、例えば、「秀」で言えば、生まれた上位から順に、男であれば、秀良親王、女であれば秀子内親王と付けました。
「業」が縁起が良いとされれば業良親王、業子内親王。
当時は、皇位継承権は、男子であっても女子であっても1番目と2番目がもっとも高く、極端な言い方をすれば3番目以降は適当に・・・とは言っても縁起の良い名を選んで付けました。
また、皇位継承権も、この時代では、まずは、天皇の兄弟を優先し、次に、先帝の子女などに譲位する傾向がありました。
50桓武天皇---------------51平城天皇
| |
早良親王 伊予親王
(皇位継承権を持っていたが、反逆の罪で憤死) |
万多親王
|
52嵯峨天皇---54仁明天皇
|
53淳和天皇
|
以下 略
(3)ご存知かとは思いますが、親王は「男」。内親王は「女」です。
(4)聖徳太子の頃(西暦500年前後)では、曽我馬子などのように、男子に「子」を付けたようですが、それから200年余り、すでに「子」を付けるのは女子になったようですね。その風潮は現代もそうですよね。
この回答へのお礼
ありがとうございますっ!!
(2)なるほど、●良、●子というペアの名前が多いのは1番目と2番目が重視された結果なのですね。
で、3番目以降はペアで名前をつけるということにこだわらなくなった、と。
なかなか男女男女と都合よく産まれるわけでもなかったでしょうしねえ。
秀良親王 の次に生まれたのが女だったので、
秀良親王と同じ「秀」を使って秀子内親王としたが
秀良親王と秀子内親王の間に男の兄弟があったとしたら
秀子内親王は違う名前だった可能性が高いと、そういうことですね。
(4)余談ですが、小学校のころ「薬子の変」というのを教わって以来、最近まで薬子って男性だと思いこんでいました。
小野妹子が男なのだったら、薬子も男だろうと・・・・。
「藤原薬子が平城天皇に寵愛を受けた。」と聞いても
単にお気に入りなのかな~、と思ってました。
教師も小学生にセクシャルな話するわけにいきませんしねえ(笑)。
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