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選挙も近いということで、納得いかないことがあるのですね。前回の衆議院選挙では一票入れた候補が当選したのですが、選挙違反があったということで辞退し繰り上げ当選だとか。私の一票は国政にまったく生かされてないんですね。また、わずか数万票から数十万票の地方選で当選した議員が議院内閣制とやらでころころと総理になってしまう。
このシステム、有権者を馬鹿にしてません。少なくとも総理の選任ぐらい私の一票を有効にしたいと考えるのですが、そうすると大統領制になるのでしょうか。総理や総理候補といわれている方々見てますとこのカテの回答者や質問者さんに一票入れるほうが国のために良いのではないかと思えるのです。
議院内閣制と大統領制、皆さんの一票にたいする哲学的ご高察を承ればと存じます。

A 回答 (2件)

大統領制では、例外を除いて大統領は国民の選挙で直接に選ばれます(後でその例外について述べます)。

従って、大統領は国民に説明責任を持ちますが、国会議員には一切説明責任を持ちません。一方、議院内閣制では国の最高責任者は国会に議員によって選ばれますので、国会議員に対して説明責任を負いますが、国民にはその責任を負いません。

さあ、どちらが正義を実現する制度でしょうか。結論から言っていまいうと議院内閣制です。一見、国民に対する説明責任の方が重要に見えてしまいますが、実は、人間社会はそんな一筋縄では行きません。大統領制度が如何に非民主的な制度であるかはアメリカが良い例です。アメリカでは毎週金曜日に大統領が直接ラジオで国民演説を行い、その大統領の下での成果を報告しています。その聞き手は3億人近い全てのアメリカ国民です。従ってたとえ大統領がどんな矛盾に満ちた演説をしても、国民の数が多すぎるので、それに関して誰もその矛盾を直接問い糾す方法がありません。そもそも、その3億人の誰がそれを聞き糺せるのでしょうか。上で述べたように、国会議員は大統領を選んだわけではありませんから、大統領は国会に対して一切説明責任がありません。その結果、大統領が3億人の国民にたいする説明を終わっても、その国民の誰も、その演説に関して公に疑問を呈したり、反論する機会が与えられていないわけです。

ところが、議院内閣制では、総理は自分を選んだ国会議員に対して説明責任があるので、国会でその説明をする義務が在ります。説明の相手は高々千人ぐらいの国会議員ですので、その説明に関して、その千人の間から選ばれた何人かの議員が総理の説明に対する疑問を問い、矛盾を指摘する機会が与えられるわけです。日本ではどうか判りませんが、イギリスでの総理と国会議員の間の遣り取りは迫力があります。あれだけ無能な息子ブッシュが大統領として生き残れたのは、彼が国会議員の前で一切の質問を受ける必要がなかったからです。

そのように大統領制では、国会が大統領の宣伝演説を問い糾す機会がありませんので、民主主義を全うするためには、国民でも国会議員でもない誰かが大統領の説明を問い糾さなくてはなりません。アメリカではそれを、営利企業のマスコミのジャーナリストがやっています。ですから、アメリカではやたらに大統領の記者会見があるわけです。でもそれは所詮営利企業ですから、究極的にはその質問でマスコミが儲かるかどうかという質問に流れてしまうので、民主主義が巧く機能するはずがありません。アメリカの現在の状況はまさにそんな状況です。また、大統領は私企業に対して説明の義務はありませんから、息子ブッシュ大統領は頑なに記者会見を拒否しました。ですから、もし民主主義を本気に考えているなら議院内閣制は大統領制と比べて桁違いに優れた制度です。

さて、国民から直接に選ばれない大統領制という、民主主義に反した例外の制度を持っている国を紹介しましょう。それはアメリカです。アメリカの大統領選挙では国民が直接大統領を選ぶのではなく、各州で選挙人と呼ばれる人達を選ぶ制度です。その選挙人が、自分は誰を大統領として選ぶかを先ず宣言し、各州の州民がそれを選ぶことによってどれだけの選挙人を選んだかで大統領が決まります。その結果、国民の多数派がある大統領を選んでも、選挙人の数ではそれが反転して逆の人が大統領になると言う、まるで国民の意志に反したことが起こることも可能です。2000年に息子ブッシュが選ばれた時には、国民の投票の数ではゴアの方は多かったのですが、選挙人の数で息子ブッシュが勝ったのがその良い例です。大統領は説明責任に関して議院内閣制と比べて上のような欠陥がある上に、アメリカの選挙人制度は民主主義に関して目も当てられないほど遅れた制度です。

そんな国で大統領になるには、たった一つの道しかありません。それは金の力です。今回のオバマ大統領は選挙資金に関してアメリカの歴史始まって以来の多額の資金を大企業から集めることが出来た大統領です。そのことに関しては、あれだけ金権政治で名を馳せた息子ブッシュ大統領を遥かに超えております。オバマ大統領に最も多く選挙資金の寄付したのはアメリカの金融業です。それ以外に、オバマ大統領は軍事産業、銃器産業、保健会社、薬剤医療機器関連企業、等々、それぞれの分野で、今までの大統領の中で最も多くの寄付を手に入れた大統領です。

さあ、オバマ大統領がどれだけアメリカの世界に新しい変化をもたらしてくれるでしょうか。皆さん期待してみましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2009/07/12 09:00

 こんにちは。



 選挙方法について仰っているので、大統領制というよりも多数代表制を導入したほうが、投票の意味が損なわれないんじゃないか、って事なんでしょうね。確かに、小選挙区制(ひとつの選挙区に対して一人を選ぶ)が導入されてから、死票が増えたという声は多く聞きます。

 でもその声は、比例代表制だった頃をご存知の方から、多く聞こえてくるような気がします。
 派閥が割れて、議席数でひとつとか、ふたつとか、小粒の政党がたくさんできてくると、物事の決定に際しては、そういった政党は否が応にもどこかと手を組まないとならない。そうでないと、多くの議席を持つ与党に対して、発言権はあっても決定力がないからです。議員たちが上手に連立すれば良かったのでしょうけれど、あるとき、このかたちではうまく行かないようだと評価された。

 小選挙区制が導入された理由は、選ばれた議員たちの交渉力では与党に対して、ほとんど力を行使できないのがはっきりしたからだと思います。交渉力というのは、合意形成に至らしめる議員の能力だと思うのですが、議員にそういうのが無いから、被選挙民の投票でケリをつけようとしたわけでしょう。
 物事の決定という点では、比例代表より小選挙区制のほうが手っ取り早いんです。

 さらに、首班指名選挙などの多数代表制は、小選挙区制よりも手っ取り早い。手っ取り早さはあるけれど、異なる意見を調整し、合意を形成する――という営みは、制度のうえでは置き去りにされたままです。意見調整は、被選挙民ひとり一人に委ねられ、「投票をする」という行為は、被選挙民ひとり一人がすべての政党の主張を吟味した上で、最善の判断をした結果――というふうな意味合いを帯びるからです。選挙方法がより直接的なかたちに移るにつれて、被選挙民に課せられた判断の重みは増して行くのですね。その覚悟は、あるのかいって制度に問われているのです。
 比例代表制の頃は、被選挙民にはそんな覚悟は無かった。
 だから議員たちは、たとえ一議席しか取れなかった政党であっても、少数の意見として議会で発言し、決定に際しては、類似した他の政党と連立しようと考えたはずです。ところが、制度が変わるにつれて、合意を形成することよりも、異なる政党を全否定して、自分たちの意見を死守するかたちへと変わってきた。「政局」という言葉が生まれ、政策の内容ではなく、被選挙民数の感情とその流れから生じる数の論理が議場を左右するようになった。これが今の日本の政治ではないかと思います。

 これがさらに、多数代表制に移行したらどうなるでしょうか。
 大統領選挙というのは、見方を変えれば選挙によって独裁者を選ぶことに近しい。その選挙が、政局によって左右されるのだとしたら、こんな危ういことはないと思います。米国のように、実利を背景にした多くのロビイストたちが選挙を支配する国ならともかく、日本はきっと、その場の雰囲気で独裁者選びをしてしまう気がするんですね。
 自分の持っている一票に対し、この一票を投じるだけの能力が自分にはあるのだろうか――僕はその自分の能力に対して、いつも疑いを持っています。だから、制度としては比例代表制にシフトしたほうが良いのではないかと思う。けれどそれは、自分の責任を放棄するという意味ではなく、明るい日本の未来のために本当に必要なのは、(少なくとも専門家である)議員たちの政治的センスを、みんなで鍛えることにあるのではないか、と思っているからです。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。 
総理が外国に出かけてもメデイアや外野は言いたい放題ですからね。
間接選挙ではなかなか自信がもてないですよね。
疑問はそれだけのことなんですね。直接選挙は各人の能力にかかるところではありますね。

お礼日時:2009/07/12 09:07

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