質問

世の中には、いろいろな人がいます。
その人その人の持つ人間性によって、表現される強さは、違うし、何を強さと感じるかも、受け取る側によって変わってくるものだと思います。
肉体的に強い人、精神的に強い人、強さに繋がる経験や知識を持っている人、強がりな人、自称強い人…etc…。

どのような人を人間的に強い人だと思いますか?

ご意見よろしくお願いします。

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回答 (12件中1~10件)

優しい人が、強い人だと思っています。「優しさは強さ」~そのままです。

自分がマイナスの運命を背負っている。
その劣等感から、人に対して攻撃的になる。劣等感から攻撃する人は、優しくない人です。
こういう攻撃をする人は、一見強い人にみえますが、実は違う。

自分のマイナスの運命のせいで、人より劣る。
しかしその辛さを、誰のせいにも何のせいにもしない。全て受け入れる。
口で言うのは簡単ですが、時にこれは大変なことでしょう。
この人は強い人です。

自分のマイナスの運命のせいで、人に傷つけられる。
その辛さを、自分が自分で分かってあげる。「自己愛」です。自己愛があるから受け入れられる。
そして、自分で自分を分かってあげられるから、人の心の傷も分かってあげられる。
この人は優しい人です。

弱い人を傷つけるということは、まるで自分を傷つけることのように感じるから、それができない。

どうして自分を分かってあげようという気持ちになれるのか? それは自分が耐えたからです。
自分は強かった。だから自分は偉い。だから「偉い自分のことを分かってあげよう」と思えるのです。

強い人は優しい人です。その心には深刻な劣等感・自己蔑視・自己嫌悪がありません。
それはつまり、自己愛があるということです。

この回答へのお礼

私の思う優しさと強さの相関は、辛さ悲しさの経験が、相手を思いやる礎になり、その優しさが、強さだとばかり思っていました。
自己愛、こういう優しさもあったのだと、改めて思っています。
自分を理解し、労わり、励ますことのできる人は、人間を知ることができる、多くを理解し、考え、受け入れられる。
その器の大きさが、内からも外からも揺るがない強さを作る。
人は、独りで生きられない分、周囲の優しさや強さを当てにしてしまいがちですが、先ずは、自分自身に優しさを向け、自己の充実を図る事が周囲に優しさを持った強さを与えられる、本当に強い人を生み出すのかも知れませんね。
強さに限らず、自分自身を理解し、受け入れることは、生きるために不可欠な、体中を流れる血液のように、当たり前でも絶対に無くなってはならないものなのですね。

ご回答ありがとうございます。

男です。
自分に、人に、正直に生きられる人だと思います。
あまり正直すぎると、馬鹿正直と言われそうですが、
でも私は、正直な人、真っ直ぐな人。
心の強い、格好いい人だなと思います。

自分が悪かったなと思ったときに、素直に自分が悪かったと
頭を下げられる人、強くて格好いいと思います。

この回答へのお礼

正直な人は、気持ちいいですよね。
表だけを意識して、頑張って。。。裏は、ナシ。
純粋で分かりやすいところも、ぶれの少ない強さに感じます。
きっと誰でも、邪のない心で自分や周囲を受け入れていた時代があったはずです。子供の時の恐れを知らない言動は、生きるエネルギーそのものの強さだったのかも知れません。
大人になって、色々な世界を知るうちに懐疑心や建前、嘘などに囲まれたとしても、正直であり続ける人は、強い人ですね。
自分の中に正義を持っている、審判のような強さもあると思います。

ご回答ありがとうございます。

私の場合、同性に好かれる(もちろん友情的な意味で)人でしょうか。異性ではなく同性です。異性からの思いより同性からの思いの方が強いと思うんです。またそれに耐えられるだけの精神力を兼ねそろえていると思います。

この回答へのお礼

私個人では、なかなか気付けない視点です。
確かに異性だと、考え方自体違うとか、面白いとか印象に残ることがよくあると思います。しかし、自分と違ういう先入観か、こうあって欲しいと言う期待からか、強さに限らず表面的に理解するのが精一杯だったり、反対にちょっとした親切を大きな優しさに思えたり…強さを無視したような駆け引きもあったりしますね。
同性に好かれることなど、今まであまり気に留めてませんでしたが、悩みなどを同じ視点から考えることが出来て、厳しいことも言ってくれたり、励ましてもくれる、そんな存在は、親でも兄弟でも異性でもない、同性の友達かも知れませんよね。
そんな友達を大切にしなくては…と気付きました。そして自分も力になれたらいいな、とも思います。

ご回答ありがとうございます。

うん、人に対し勝った負けたで判断できるものでは無い気がしますね

「臆病と強さは相反しない」

宮本武蔵さんが居れば、教わることができるのでしょうが。。。。
常に連戦連勝していても、「強い」という評判はつきますが
内面はいつ敗れて殺されるだろうかという恐怖心にかられる
そしてその内面を知られないようにする姿は強いのだろうか?と
究極の相手は、他人や環境では無いことに気がつく
自分自身と向き合うこと、自分は自分の弱さをすべて知っている
恐怖と葛藤と向き合いながらも、なお前に出ること、それが強さ
「臆病と強さは相反しない」

自分の内面にある臆病さや弱さを遠ざけようとしたり、隠そうとするうちはまだ強くないのかもしれませんね。
猛獣が吼えるといかにも強そうですが、吼える理由は威嚇で相手が怯えて逃げてくれれば闘わずにすむから。

新約聖書の中にもパウロという人物が次のように告白しているところがあります。
「わたしは弱いときにこそ強い」第二コリントの手紙12章
これも興味深いですね

この回答へのお礼

臆病であることとは、多くのことに敏感で、色々と感じやすく、その分、深い部分や裏まで考え、感じ、見えたりしてしまうということがあると思います。
そんな自分の感受性をコントロールし、克服しながら生きることは、強い意志の導きがなければできないことなのですね。
弱いときにこそ強い―自分の弱さを知れば、強くならなければならない目標は、必然だし、自分を律したり、努力することも日常になるのかも知れません。その強さを身につけるには、弱さを認める寛容さが求められそうですが…
臆病と強さが、表裏一体であることは、頷けると思います。
動物の強さが本能からのものであるなら、人の強さは、そこから進化し、反対の意味であって欲しいですよね。

ご回答ありがとうございます。

人間を長くやっていると、様々なことに出会って凹んだり、挫折したりします。
人間を辞めたくなってしまう程のこともあります

そんな出来事に遭遇しても、また起き上がる
・・・ボクシングを見ていると、ダウンしてもまた立ち上がる場面がありますよね
それと同じで、凹んで、めげても諦めず 
また、そこから立ち上がる努力を人をする人が強い人だと思います。
つまり「七転八起」ですね

この回答へのお礼

多分、夢や希望、目標となるものを持っている人は、強いのだと気付きました。
7回転んでも8回目を目指す力強さは、未来に対する期待があってこそなのだと思います。
くじけそうになる心と戦うことは、努力と、自分を信じること、未来に明るさを見出す素質があってこそできることなのでしょう。
実行するのはなかなか難しく、孤高と呼べるような独りの時間を充実させられる人が持つ、強さなのかも知れませんね。

ご回答ありがとうございます。

そうですねぇ。
何を「強さ」と感じるかは人によって色々だと思いますが、
私は自分が出来ないことを出来ている人を見ると、強いなぁと感じてしまいます。
たとえば私は打たれ弱いので、打たれ強い人(私がそう見える人)を見ると、
強いなぁと思います。

この回答へのお礼

確かに、そう感じますよね。
自分に出来ないことをできる人は、強いと思います。
私も、飽きっぽく、なかなか事を長続きさせられないので、粘り強くじっくりと、1つのことを続けられる人は、強い人だなぁと感心します。
回答者さんも私も決して弱いだけの人間では、ないと思いますが、
時に強さは、憧れであり、自分に欠如したものを補う見本のような存在なのでしょうね。

ご回答ありがとうございます。

強さに形はありませんよ。

僕にとっての人間的な強さとは
本当の優しさを持っている人は真の強さを持っているということです。

でも、優しさにもこれというものはないので、
質問者様がこの強さがほしいと思ったものが質問者様にとっての人間的な強さじゃないのでしょうか。

この回答へのお礼

優しさが強さ―私もそう感じるひとりです。
優しさは、どれだけ自分以外に心を砕けるか、そして、その行為、言動は、優しさを生み出すために耐えてきた苦労や悲しみ、辛い思いなどが基盤になっている場合が多いように思います。
(勿論、生まれつき性格的に優しい人も沢山いますが…)
生きていく中で、耐えることを強いられ、自分を打ち消す選択をしてきた人は、間違いなく強い人でしょうね。
そして、その分、人に対して優しくなれるし、気を配れるのでしょう。
ご機嫌を取るだけの優しさでなく、相手を思って一喝できる優しさを持った人は、強い人だと思います。

ご回答ありがとうございます。

相手を認められる人ですかね。

あと、本当に強い人は、自分よりも絶対的に弱いものを見ると恐怖を感じます。

無抵抗の赤子の手を捻る。
簡単ですが、出来ますか?
普通の神経なら、怖くてとても出来ません。
プロの格闘家が一般の人間と喧嘩をしないのも、同じ理由ですよね。

強いって、本当に何でしょうね…

この回答へのお礼

自分より弱いものに対して、自分の力を誇張しないのは、思いやりや愛を知っている強さなのでしょうね。
その強さを知っていると言う事は、自分も思いや意を持た愛情を受けたことがあり、その大切さ重要さが身にしみているのだと思います。
相手を認め、自分を認め、どちらかと言うと、自分を抑えての強さは、
人から人の心へ伝わり、受け継がれるものなのでしょうね。
循環する強さは、本物で限りない感じがします。

ご回答ありがとうございます。

この回答への補足

すみません、誤字がありました。
3行目は、自分も思いやりを持った愛情を~に訂正です。

強い人などいませんよ。
逆に自分がいかに弱い存在であることかと、悟った人ほど強い人なのではないのでしょうか。
蟻の行列を私が見ているとします。私は蟻を認識できます。しかし蟻は私を認識できません。
蟻の中でも大小様々いますが、どの蟻も私(神、即ち高級霊)は認識できません。
お分かり頂けましたでしょうか。

この回答へのお礼

悟る、こんな強さもあったのですね。。。
悟りの境地とは、無の境地と言われますが、全てを黙認し、許す。
しかしそれは、全てを知り、咀嚼し、吟味しつくした様な絶対的な力がが備わってこそ、表せる強さなのでしょうね。
そして、見せつける強さでなく、にじみ出る強さのように思えます。
日常を切り捨てられないと、なかなか気付けない貴重で奇跡的な強さのようです。

ご回答ありがとうございます。

強さを求める人は、強くなるほど、同時に弱く脆くなります。
スポーツマンしかり、格闘家しかり、政治家しかり、実業家しかり・・・
自分の弱さを知り、素直にそれを受け入れられる人は強い!!強いですね。
本当に強い者・・・強さなど眼中にもないですよね。
それどころか自分のことを弱いとすら思っている人でしょうね。
だが、そこで強さという魔力に魅入られたらおしまいなのです。
強さを求めた時点で負けなのです。
私もかつて武道を嗜んでいたことがあり、その世界が良くわかります。
強くなることと反比例するように人間としては弱くなる世界が良くわかります。
私の場合、途中でそのことに気づいたため、かなりの真髄を極めるところ(高段位者)までいっていたのですが、
このままでは大変なことになると思い、未練なくバッサリやめたのです。
一線を越えてしまったら強さという魔力に飲み込まれてしまい、後戻りできない悲惨な人生になっていたことは間違いないのです。
ですから有名無名を問わず、アスリートやK-1の格闘家、プロスポーツ選手などを見ると同情を禁じえません。

この回答へのお礼

自分の弱さを知り、素直にそれを受け入れられる人。
私は、特に体を鍛えたこともなく、武道の精神にも精通していませんが、仰ることは、判る気がします。
自分との戦いで負けずにいることは、自分と向き合いながら、厳しい人なのでしょうね。
試合に勝っても、相手に勝っても、日々自分を追い込むことは、自分の弱さを熟知しているだろうし、そんな自分を素直に受け入れられるのは、学ぶこと・挑戦することの意義を強さだと分かっているからなのかも知れませんよね。
肉体を鍛える強さも、病人が生きようとする強さも、精神的に鍛えられ、多くのことを学べる、人の底力のように思えます。

ご回答ありがとうございます。

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